もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親あるある◆二極化思考

他の毒親にもありがちかと思います。

「二極化思考」

母は昔から何でも「良い・悪い」「正しい・間違い」「敵か・味方か」「白か・黒か」「0か・100か」で述べていました。

反論や反抗は面倒が増えるだけ。父も姉も私もそう思って暮らしていたので、母のそういうやり方がまかり通っていました。通さないと仕方なかった、が正しいですが。

 

私が家を出て5年目になりますが、母はようやく「グレーゾーン」というものを理解してきたようです。年齢にして64歳…(呆)

二極化思考を自分が主張するだけならどうぞご勝手に。なんですが、それを子どもにも強要することが、しんどいんです。

母が「カラスは白い」と言えば、それが絶対なのでどう白に見えなくても『カラスは白い…と思わなきゃ』と、子どもは思う訳です。

また、黒にしか見えない自分は、ダメなんだと思うのです。

けれど、目に映るカラスは黒だから、そのギャップに苦しみます。

そこから『黒いものを白って思わせようとするうちの親、おかしいんじゃないか』と思い反発するか『黒だけど、白って言っておいた方が楽だから…』と思いながら共存するか。

どちらが正解でも間違いでもないけれど、私は後者から、前者になりました。

後者のまま生きるのもそれも人生ですが、私にはできないと感じた結果です。

 

「良い・悪い」については、家を出てすぐに私を悪者にすることで母は気持ちを保とうとしていました。

「お母さんに合わせられないアンタが “悪い”」

言わば、母は娘に「逃げられた」ような形だったことを、どうしても認めたくなかったのでしょう。

私は実家にいるとき何回も『私たちは “合わない” だけだよ』と主張しましたが、結局出て行った後も「家を出て行ったアンタが “悪い”!」と言われ続けました。

今頃やっと理解したようですが、悩んでいる娘相手に「お前が絶対的に悪い」と吐き捨てたことは、一生許しません(大体、今さらどちらを悪者にしてみたって仕方ないし、そう思うなら自分で勝手に思っておけば良いのに)

 

こうやって見ると、人に二極化思考を押し付ける時はいいけれど、母は自らの首も絞めていますよね。

それから、最近思い出すのは

小さい頃、母親に怒られた後、最後に必ず「母さんの言うこと、間違えてるか?」と半分脅すみたいに言われました。

何時間も怒られて泣いて、早く解放されたい子どもは『いいえ』と言うしかないですよね(正直、泣きすぎて疲れ切って思考停止状態ですし)おかしいな?そんなもんなの?と思うことも、そう答えてきたこと多数です。

 

そうやって(半ば脅迫のように言わせておいて)自分は「正しい」「良い」お母さん と思うことで、自信を保っていたのでは?とも感じます。

 

そういえば、こちらのブログの「言うて何があかんの。」もそうですね。

押し付けて、恩を着せる

狭い狭い世界で生きる母

誰も「良い・あかん」の話をしているのではないのです。

けれど、母はいつもその方向に持って行くのです。

「私はこう思うけど、そういう考え方もあるんだね」という、柔軟な考え方ができないのは、毒親あるあるではないでしょうか。

「甲斐性がある」とは

私は転職回数が歳の割には多い方ですが、資格は本当に「普通自動車 第一種免許」だけです。もう、社会人経験は10年以上にはなったけれど転職活動の度に正式に認められる資格がないことが本当に恥ずかしいです。

いくつか、勉強もしてみたけれど資格取得には至らず(これは、自分の問題ですが)今はとてもじゃないけど勉強する為のお金なんて捻出できません。

結局、今年初めて心療内科にかかるくらい精神的にダメになってしまい、今は派遣とスポットバイトで何とか食いつなごうかなぁという現実。

30代も半ばになって、何とも情けないです。

tari97.hatenablog.com

↑の記事で母が私に若い頃言っていた

「女はいつか結婚するから(何とかなる)」→結婚願望自体沸かなかった

「アンタは顔が悪くないから(何とかなる)」→引く手あまたというほどの美人でもないし、あなたを顔で採用します。なんて企業は当たり前にない。むしろ資格やスキルがないと応募資格すらない

完全に人生詰んでるし、全然何とかなりませんでした。

何でも親のせいにしてはいけないですけどね。けど…

親の価値観だけで子どもを洗脳しておいて、手に負えなくなれば「自分で何とかしろ」も、おかしな話だなぁと感じます。

母は「たりは一人暮らしが夢だったもんね」と、私が実家を出たことを「夢の実現」として話をすり替えようとしていましたが、とんでもない。

「親から逃げる為」だけです、理由は。

親がどうしようもないのに、こちらが犯罪者か病人になりそうで、それがバカバカしいから、逃げただけ。母はそこを絶対に認めようとしなかったけど、それは勘違いしないでとハッキリ言いました。

大体「たりは一人暮らしが夢だったから」ってどの口が言ってるのか?と思う。

最初に一人暮らししたいと言った時、殺されるのでは?という勢いで阻止したのも母でしたが、結局、それだって無理矢理芽を摘み取られた訳です。自分が阻止しきれず、現実のものになってしまえば「夢の実現」と話をすり替えることには、どうしても納得がいきませんでした。

私は、平和に暮らせればそりゃ実家暮らしの方がよかったけど、母が話が通じない、頭のおかしい人になったと感じたから出ただけです。いくら都会ではないとは言え、賃料を毎月払うことは絶対に無理だと感じたので、マンションを購入しました。けれど予算内で買えるのがここだっただけで、私の生まれた年より前に建ったような古びたマンションに誰が好き好んで35年もローン掛けて住むと思っているのか(笑)親に甲斐性がないと「平和に暮らす」だけでもこんなにくだらない出費をしないといけません。おまけに、精神まで病んでしまって仕事もできず、現在家計は火の車です。

こんなに経済的に危機的状況に陥ったのも、果たして全て、自分「だけ」の責任と言えるのでしょうか。

もしそうなら、私は、どこでどうしていたら良かったのでしょうか??

母は「甲斐性のある親元に生まれて良かったやろ」と自慢げに言っていましたがほんとうに「甲斐性がある」というのは金銭面だけでなく、精神面でも親が自立していることです。

巷では「大人になれば自己責任」という風潮がとかくありますが、大人なのに責任を取りたがらず、子どもに精神的に頼って、乗っかろうとする親に育てられて、子どもは自分の「自己責任」の土台作りもできないまま大人になったのに、急に自分のことは自己責任!と言われても…

小さな子どもに「これも持っといて」と親の荷物をどんどん持たせて、いざ大人になれば「この荷物もあの荷物も自分のでしょ。自分で持ちなさい」

そりゃ、心身ともに壊れます、実際壊れましたが。

かといって、実家に戻るなんてこと死んでもしたくはないので、また、頑張って働くしかないですけどね。

「死なない」という選択をしたのは「自分」ですから。

花の咲かせ方のわからない子ども

tari97.hatenablog.com

前記事からの続き。

 

昔から「働け」「稼げ」というようなことはあまり言われず、実家に居続けるとこんなメリットがあるよ、ということだけ言われ続けていました。

なので、当たり前ですが「資格を取れ」とか「手に職付けろ」とか言われることもなく、逆に少しでも「自立」に繋がりそうなことを私がやろうとすると母は訝しげに色々と聞いてきました(自立して、家を出られると困るので)

 

私が家を出ることが想定されそうなことは全てダメと判断されるので、例えば学校を選ぶ時も「やりたいこと」より「近いこと」に重点が置かれたり、婿に貰えない男性は論外なので「男ばかりの兄弟の次男以下を探せ」等、恋愛についても無理難題を押し付けられたり。とにかく万事が「娘を囲い込もう」という感じになる訳です。

 

そんな中で、前回のSPEEDじゃないですけど「自分はこういうことをして、生きて行きたい!」というビジョンを描くって、なかなか難しいと思うんです(思いたい)

 

例えば「この中で好きなことしていいよ~!」の範囲が、グラウンドくらいの広さがあるのと、3帖の部屋だとどうでしょう?できることも限られませんか?

結局、子どもの人権を尊重して応援する余裕のある親と、自分のことばかり考えて何でも制限付き・条件付きの親だと、それくらいの違いがあると思うのです。

 

あとは前回も「なぜか子どもの能力をすごく低めに見積もっていた気がする」と書きましたが、社会人になっても「どうせアンタが頑張ったところでたかが知れてる」みたいに言われていた節があります。

結構いい歳になってから、何かを自分でやると言っても「どうせできない」「やったところでろくなことにならない」みたいに、いつも言われていました。

「だから、母さんがやらなあかんねん!」みたいに、一人で鼻息荒くしては「母さん、大変やわ」と、完全な一人芝居。

これはそういえば父に対してもやっていました。

今思えば、そうやって出そうな杭は打ち「出来の悪い夫と子」扱いして、自分の存在価値を高めていたのでは?と感じます。

だから私に対しては「社会に出ても大したことできないアンタに、婿をもらって同居して、主婦でいられる素晴らしいレールを用意してあげています」ってことだったんだろうなぁ。

ただね、人には向き不向きってものがあるし、主婦だって楽じゃないでしょ。その前に「母と暮らさなきゃいけない」ことが、一番の重労働ですけど。過労死するわ。

この、過干渉親の「子どものやる気や生きていく目標を、静かに、確実に摘み取る」という行為は、実に巧妙です。

根っこから引き抜く訳でもなく、枯らす訳でもないけど、開きそうな芽を見つけたら都度都度摘み取って、子どもはただ花も咲かせず植わっているだけの木になってしまう。

そんな木に、水や肥料だけはじゃんじゃん与えて「あなたは幸せでしょ、恵まれてるでしょ」と言ってるようなもの。

気付いた時には、葉の色づかせ方も、花の咲かせ方もわからないまま。

まさに「時すでに遅し」なのです。

 

理想の親をこの原理で例えるならば、水や肥料は適度にあげて、ある程度大きくなればその役目から徐々に手を引く。

嵐が来たり、雪が降ってどうしてもしんどそうなら、少し支えたり、雪を払う程度でいい。そうしてるうちに、子は自分でこうすれば花がうまく咲くぞ、次は実を成らせるぞ、と学ぶわけです。

 

かたや、うちの母は、あげてりゃいいだろ!と水や肥料だけあげて、嵐が来たら「危ない」と茎が折れるくらいに支柱にガチガチに縛りつけ「雪になんて耐えられる訳ないわ」と決めつけ葉を摘み取り、花も咲かない実も成らないわが子に「何で花が咲かせられないの」と言っているようなもの。

 

だから、同年代で自分なりに「葉を色づかせている人」「花を咲かせている人」「実を成らせた人」を見ると、コンプレックスに苛まれ、生きるのが嫌になります。

 

いつかは私も、花、咲かせられるのだろうか。