もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親の役目とは

姉は、幼い頃よく叩かれたと言っていましたが、私はあまり手を上げられた記憶はありません。

その分、今から書く時のことは鮮明に覚えています。

 

小学6年の冬、地区の子ども会のイベントで近くのスケートリンクに行こうという企画がありました。

体を動かすのも苦手・人がたくさんいるのも苦手・慣れないことに挑戦するのも苦手な私、基本的に子ども会の行事にはあまり参加していなかったのですが

ちょうどその頃、もうすぐ中学生だし何でもかんでも引っ込み思案なのもなとも思っていて、思い切って応募することにしました。

 

と言っても、1人で参加する勇気はなく一番仲良しのヒトミちゃんにも行けるかどうか確認し、一緒に申し込みをしました。

 

ところが、2日前くらいにヒトミちゃんが風邪を引きスケートに行けないと言い出したのです。

他にも地区の子たちはいたけど、全然知らないグループに入れてもらって、初体験のスケートをやるのは、ハードルが高すぎる!と感じたため、母に『ヒトミちゃんが来られへんからスケート行くのやめたい』と言ったんです。

確かに、大人になった今になれば『それくらいのことで』と思うけど、その時は不安で仕方なかったのです。

 

私はずっと母が怖かったから、自分の中で消化できそうなことや、父や姉に言って済むことならできるだけ母には言わずに済ませていたので、母に真面目に相談する時は「よほどのこと」だった訳ですが

私の「なぜ行きたくないか」という気持ちにも全く耳を傾けず「何を情けないこと言うとんねん!あかん!自分が言い出してんから黙って行け!」と怒鳴られ、泣いて事情を説明しても、余計に怒られ、最終的に「しつこい!」と、ほっぺたをはたかれました。

 

今思い出せば、この時に限らず、母は子どもが泣き出すと、余計逆上するところがありました。

子どもが泣くと、母も声を震わせて泣きそうな声で「泣くな!」と喚きます。

時々「泣きたいんはこっちじゃ!」とも言われました。

 

でもね、あなた親でしょう?

完全に自分の中でどうしようもないもの・「泣きたくなるほどつらい何か」があるから、そんな子どもの訴えにすら耳を貸す余裕がないんでしょ?

挙句の果てに子どもと同じ土俵に降りてきて泣くって、どちらが情けないんだか。

母がそうやって「泣くな!」「しつこい!」と喚く姿は、ダダをこねる子どもみたいでした。

ああいう風になった時の母は精神年齢が小学生くらいの女の子と同じだったように感じます。

 

とにかく「ヒトミちゃんが行けないからたりもキャンセルしたいの?それは何で?」と、理由くらい聞いてくれていたらね…。

その上で「何を情けないこと言うとんねん!」と思ったとしても「今後のたりの為にもなるし、勇気を出して行ってみたら?」とか、他にいくらでも言い方ってものがあります

親ってそういうことを順を追って落ち着いて、教えたり、導く役目があるんじゃないかな

 

こちらが納得するような導き方をしない・表現が乏し過ぎるから、もし母が本心で「たりの今後の成長のため」と思っていたとしても『あれもこれも、全部母親の機嫌次第だったんだな』としか思えないし

『どうせ、役員に「休みます」の電話するのが、カッコ悪くて嫌だったんじゃないの』とか、こちらも心を落ち着かせる為に母に不利な憶測を立てて完結させるしかなくなるのです。

母の評価は下がる一方に決まっています。

 

結果、当日どんよりした気持ちのままスケートに行きましたが、他のグループに声をかけると快く入れてくれて、スケートも体験できたし『行ってよかった!』とは思いました。

けれど、それから何年経っても「スケート」と聞いて一番に連想されるのは、一緒に滑ってくれた友の顔でも、太陽に照らされ輝くスケートリンクでも、初めて履くスケート靴の感覚でもなく、食卓の椅子に座り私を睨みつけている母の顔と、はたかれたほっぺたの感覚です。

 

あの時、スケート行ってよかったなぁよりも「軽々しく、行くなんて言わなければよかった。行かない選択をしていたならそもそもあんなことになってなかったのに」と、未だに後悔しています。

こんなことばかりされて、子どもの「チャレンジ精神」が培われると思いますか?

 

こういうことを最近思い出すと、母から学ぶものって果たしてあったのかなぁ?とすら思ってきます。