ある職場にいた時に、女性社員のササキさんという人がいました。
彼女は気まぐれで、機嫌の良い時はああだこうだ上機嫌で話しかけてきますが
ひとたび機嫌が悪くなると顔にも態度にも表れます。
まるで母のよう。
その職場内でも、あまり好かれてはいませんでしたし、私も嫌いでした。
その職場には休憩所があり、なんとなく使用する場所が個人ごとに決まっていたのですがキャリアが長いこともあって、ちょっと個室っぽいスペースになっている所がササキさんの定位置のような感じになっていました。
一応キャリアが長い人がそのスペース優先かな?とも思ってはいましたが、特に決まりはありません。
私は別にどこでもいい派なのと、休憩時間がかぶった同僚とは積極的にコミュニケーションを取ろうとも思っていたので(人付き合いに難がある自覚があるので、コミュニケーションの練習と思って話すようにしていた)
ササキさんがいるかどうかに関わらずあまりそのスペースは使わないようにしていました(談話スペースのような方に行っていた)
ただ、ある日、私がいつも使うスペースが別の人がいて使えなかったので、ササキさんのいつも居るスペースを使わざるを得なくなってしまいました。
ササキさんも後で来るのをわかっていたけど、私も食事をとらないといけないし…ここ使ったらササキさん怒るかな…とか考えているとササキさんがやって来ました。
ササキさんはいつものスペースが空いていないことを確認すると、仕方なく別の場所へ行き「ハァーーーー」と大きなため息をついて荷物をバタバタと雑に広げ始めました。
明らかに機嫌の悪い様子(うざい)
そうこうしているうちに、私がいつも居るスペースの人たちが出て行ったので、私は自分の荷物をまとめて『ササキさん、ここ(個室スペース)どうぞ』と言って移動しましたが「あ~いいよ別に」と素っ気なく言われました(イラッ)
少しすると、結局ササキさんはそこに移動して(移動するんかいw)
後で来た別のスタッフと楽しそうにおしゃべりをしていて、ササキさんは別のスタッフの対応がめっちゃ腹立って~!と愚痴っていて、さっきの不機嫌もそのせいだったようです。
もちろん、私に向けられた不機嫌ではないこともわかってはいたのだけど
私はその時のササキさんの、不機嫌オーラmaxの圧が怖くて怖くて、どうしようもなかったのです。
そういう時、無駄に明るく饒舌になる癖は、まだ抜けません。
女性と喧嘩ばかりで同性の友人が1人もいない母を私は昔から見てきたし
母は「あの女嫌いや!」「あそこの〇〇さんとこのお母さん、大っ嫌い!」といつも女性を敵対視しては「母さん、女とは合わんねん!」と言ってたので自分もその血を引いているとずっと思っていました。
また、幼い頃から母には「女なんかな、どうせいつか裏切るで」「女とはなんぼ仲良くなっても養ってはもらえんからな」とか
「所詮、女友達なんて」みたいなこともずっと言われていたので、自分の意志とは関係なく、そういう母の言葉に洗脳されていました。
私は学生の頃から気の合う女子ももちろんいましたが、そういう母の洗脳により『女友達も、悪くないな』と感じることを、母に何か悪いことをしているような気になっていました。
やがて男性アイドルにハマると、必然的に女性ファンの方が多いので女性の友人も増え
母のような性格だとずっと思っていた自分が、実は女性と接する方が得意なことにずいぶん大人になってから気が付きました。
今まで職は転々としてきましたが、どの職場でも、自分で言うのも何ですが女性には好かれていた方だと思います。
ですが、今回気が付いたのは、好かれていたと言うか私があまりに不機嫌な女性と顔を合わせるのが嫌で、知らず知らずのうちにかなりおべっかを使っていただけなんだなぁということです。
女性=ちょっとしたことで不機嫌になる可能性をはらんでいる
という図式が頭のどこかにあるのでしょう。
結局、ササキさんのことは私はその一件以来大嫌いになり、話すこともなくなりました。
しかし、その話を同僚にした時に「確かにササキさんて気分屋だよね。でもたりさんも、ササキさんにそこまで気を遣う必要ないけどね(笑)ササキさん来たって、場所が決まってる訳じゃないし、私もそういう時あるけど知らん顔してそのままスペース使ってるよ」と言われました。
わかるのです。頭では確かにわかるのですが…
私は、不機嫌なオーラを人より感じやすい性質があるのもわかっている。
なので、自分が何かをして不機嫌な空気を変えられるなら、そうすることが最善だと思ってしまう。
結局「女の不機嫌」というものが、母の不機嫌オーラと通ずるものがあるので、心底不愉快だし、遭遇したくないのです。
それでも、一定数そういう女性はどうしてもいる。
なので、私の少しの行動でそれを軽減できそうなら、少々のことは『どうってことない』と感じてしまうのです。
休憩室の件においては場所を移動するなんてほんとにどうってことなかったので、別に自分も『何で私がどかなきゃならんのだ』と腹を立てたりはしなかったですが
他の人が何とも思わない、もしかすると不機嫌かどうかさえも気付きもしないような他人の顔色まで察知してしまう自分に、嫌気がさすし、疲れるし、いつまでも女性の不機嫌に恐怖心を拭えない自分にも嫌気がさすのです。
結局、いつでもどこでも必要以上にそうやって『どうぞ、どうぞ』⇦ これには『その代わり、不機嫌にだけはならないでね』という願いがこもっている
とやっていたから、何となく「いい人」みたいに思われて、女性から嫌われることはそうなかったのだと思います。
「不機嫌への恐怖」が私の女社会でうまく立ち回れる理由になってたのだなとわかったものの、その理由がすごく悲しいし
こんなに必要以上に他人の顔色や機嫌を察知してしまうほどのトラウマや恐怖を植え付けた母が憎いです。
コメントとスターありがとうございます。
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