もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

家族以外はみんな敵?

母も、昔学校が嫌いだったらしく、よく「嫌だった」と言っていました。

仕事も、ただ「金を稼ぐ手段なだけ」と、過剰に教えられてきた気がします。

 

母からすると、学校も仕事も「辛い」「楽しくない」のが当たり前。

だから「根性」だけで、何とか乗り切れと教えられてきたのだと思います。

tari97.hatenablog.com

 

昔から、私も学校は苦手でしたし、嫌いでした。

やりたくないことも、足並みを揃えてやらないといけないし、苦手なことにも挑戦しないといけません。

1人ひとり、体の大きさだって違うのに「たくさん食べましょう」とまずい給食を無理矢理食べさせられるし。小食の私には給食の時間は苦痛でしかありませんでした。

人の目が人一倍気になる性分なので心から行事を楽しむこともできないし、怒られるのが怖いので先生の一挙手一投足にいつも糸を張りつめている感じ。

 

だから、不謹慎だけど『学校が火事になって燃えてしまわないかな』とか『先生が学校に来れなくなるいい方法何かないかな』と、わりと真面目にいつも考えていました。

 

皆「休みたい」とか「だるい」とか言うけれど、何だかんだ楽しんでいるし、どうもここまで学校を重荷に感じている同級生が周りに居る気もしない。

何でこんなに、嫌で嫌で苦しくて仕方ないのか、不思議でした。

 

しかし最近、この異様なまでの学校嫌いは、多少母の洗脳もあったのではと思っています。

 

子どもの頃の親の言動って本当に大切だなぁと思うのですが

やっぱり家族に「学校なんて基本クソ」みたいに言われていると、学校はとんでもなくつまらなくて怖い場所なんだと、子どもは思うのだと思います。

 

その上、母はとくに「先生」というものを異様にこき下ろしていたように思います。

いつも「先生って、働き出してから " 先生 " しかやってきてないやろ。だからあんな人らが人生において大事なこと教えれるわけない。勉強だけ教わったらええねん」的なことを言っていました。

先生になるための「お勉強」はしてきているけど、人生の「お勉強」はしてきていない。むしろ常識を知らない!と。

 

それと少し似ていて、仕事も「金を稼ぎに行く為の手段」でしかないから、職場の人となんか仲良くしなくていい、と、また「ゼロか100か」の理論で話をされてたなぁと思います。

 

けれど、私は職を転々としてきた中でも『あそこの人たちは良い人ばかりだったな』と思う職場もあるし、一概に「職場の人間なんて皆クソ」みたいに一蹴するのもどうかと思います。

 

そういう風に教えられると、学校にしても職場にしても少し自分に嫌なことが起きると、母から植え付けられた負の感情で『ほら、やっぱり』と、すぐに思ってしまってた気がします。

けれど今思い出すと皆敵視しないといけない程、嫌なやつばかりでもなかったし、バリアを張ってたのは、ほかならぬ「母に洗脳された私」の方だったなぁと感じます。

 

最近、さすがに週3~4の派遣事務だけでは生活が厳しく、副業を始めたのですが(それで更新が飛び飛びになっています)副業の職場は、皆がすごく良い人たちばかりで出勤するのが全く億劫ではないのです。

元来、働くことは嫌いではなかったけどとにかく人との付き合いがしんどいので、自分のことを「仕事嫌い」と評価していましたが本当はそこまででもなかったのかも。

 

母の訳のわからない他者をやたらと敵視しなければいけないと感じる呪いから、自分がやっと解かれてきて、人の優しさに気がつけるようになったのかも知れません。

 

学校も仕事も、どちらにしても「長い時間を過ごす場所」であることに変わりはないので、心を無にしてただ時間が経つのを待つだけのように過ごすことは、非常にもったいないのでは?と、今になってやっと気が付きました。

そのように過ごすことも1つの道ですが、多分私にはあまり合ってなかったのだと思います。

承認欲求が強い人の特徴(あてはまりすぎ)

母は「承認欲求モンスター」なので、最近それについてよく検索していると驚くほど特徴があてはまるページを見つけました。

 

承認欲求が強い人の20個の特徴 | 生活百科

 

わざわざ、答え合わせみたいに確認はしたくなかったのだけど、読み進めるうちにどれもこれもあてはまり過ぎてて、何とも言えない気持ちになりました。

 

読みながら少し立ち止まったのが「人に厳しく、自分に甘い」というところ

 

ずっと私は、母のことを「人にも自分にも厳しい」人と思っていましたが

最近よく考えたら「人に厳しく、自分に甘い」も、ある意味あてはまってるんじゃないか?と思っています。

 

別にこの記事を見てから後付けで思ったのではなく、私は長年「ストイックに頑張る母親像」を母から植え付けられていたけれど

ただ、手の抜き方を知らない・自分のやりたいとこだけ完璧にやる・他のやりたくないことは家族に丸投げしていた ことに最近気が付いてきてしまって(しかもどうもその丸投げの割合が多い)

そのタイミングでこの記事を読んで、妙に納得してしまったみたいな感じです。

 

母は、自分がやりたくないことは徹底的にやらずに、人に押し付けて

自分ができそうなことのハードルだけ自分でものすごく高く設定して(例:料理)その設定を超えていくことで「こんなに頑張っている」アピールをしていたように思えてなりません。

 

もちろん、他にも人としてやらなきゃいけないこととかはするし

日々の生活はきちんとしているのですが

例えば何かの契約だとか手続きだとか、書類をよく読むとか母はやたらとそういうのから逃げる傾向があって、わからないなりに聞いたり調べたりしてやってみようという姿勢も全くない。

 

その割に「悪いけど、やってほしい」という頼み方もせず、偉そうに高圧的に「やれ」と命令して人にやらせていたあたり『それって、自分にはめちゃくちゃ甘いんじゃないか?』と、思わざるを得ません。

 

私もわりと人にものを頼む自覚はあるけど、やっぱり、さすがに母のような高圧的な態度なんか絶対取れないし『無理ならいいよ』というスタンスでしか、やはり人にものは頼めないです…。

 

この記事は本当に興味深いので、また何か「承認欲求強い人あるある」を見つけたら、書きたいと思います。

今さら言われても全く信憑性がない

私も、私の姉も、未だに

人の顔色を異様にうかがう・他人が機嫌悪いと自分のせいか?と思ってしまう・気軽に何かを人にたずねたりするのが苦手 などの生きづらさを抱えています。

 

母はこの性質を「娘たちの通ってた学校が厳しかったから」と本気で思っているみたいですが、私は大半が「母に理不尽に怒られることが多すぎたから」だと思っています。

確かに、私の中学校は生徒数も多く、大人しくない生徒もいたので、厳しすぎる部分はあったけど、私や姉も真面目な生徒だったから「理不尽に怒られる」ことはなかった。確かに学校は嫌いだったけど、母と暮らすことのストレスとは全く種類が違うと思っています。

それに、学校はある程度の緊張感があって当たり前かも知れないけれど、家の方は本来くつろいだり、心を休める場所であるべきです。

その、くつろげるはずの場所でずっと糸を張りつめて生活していたので、やっぱりそちらがもたらす影響の方が大きいんじゃないかなぁと思わざるを得ません。

 

私の場合はもう、母を嫌っているのは本人にも伝わっているだろうし、今更母にどう思われてもいいのだけど

物心ついた時から母への接し方は「気を遣う」がデフォルトだったし(途中からは付き合いきれなくて放棄したけど)

母が機嫌を損ねることがとにかく不愉快極まりないので、母と出掛ける時は、周りの母の機嫌を左右しそうなものが、未だに気になります。

 

行く飲食店がまずくないだろうか

今から行く映画が全く面白くなかったらどうしよう

店員よ、母を怒らせるなよ

など。

 

母に怒られることへの「恐怖」はだんだんなくなってはいますが、機嫌を損ねられることは未だに大嫌いだし、せっかく割いた時間を嫌な思いで過ごすのが本当に嫌なので

時々、そういうことを母にも話すのですが

その度に「母さんそんなに怒ることないやろ~」と、母が笑いながら言うのがすごく腹が立ちます(笑)

 

毎回そうやって言われるのですが、ほんの数年前まで、娘が実家から逃げるまで改心しなかった人が、何を言ってるの?と思ってしまいます。

そんなにすぐに、はいそーですかなんて、思える訳ないです。

オオカミ少年といっしょです。何度も裏切られたら、誰も信じてくれなくなるでしょ(笑)

『そんなこと言うて、いつまたどこで逆上するかわからんし』と、私の心の隅にはずっと母に対する「警戒心」があります。

 

確かに母は怒らなくはなりましたけど、今できるのならもっと前からやれよとやっぱり思ってしまう。

前の「わざとらしいお礼の言い方」と似てますね。

tari97.hatenablog.com

結局、まじでこのままだと心底嫌われるなって今更気がついただけの話やろ?と思うと、本当に腹が立ってしまいます(残念ながら、手遅れですが)

 

毒親問題を昇華している方は、この気持ちの折り合いをどうやってつけているのか、すごく気になります。

根に持つ私の性格も、相当邪魔をしているとは思うのですが…