昔から私はなかなか仕事が続かず、母との言い合いではこのネタも相当多かったです。
今はもう『自分はそういう性質なんだ』と半ば諦めていますが
母は完全に「根性論信者」なので
(今思えばこれは母の実の兄「D」の影響が多分にあると思う)
私がなぜその職場にいるのがそんなに嫌だったのかとか、どういうところなら続けられそうかとか、そんなことには一切触れず
とにかく「根性さえあれば何でもできる。それが足りてないからアンタはアカンのや」と、ずっと言われてきました。
パワハラまがいの発言に、精神的にボロボロになり退職した娘を「たかがそれくらいのことで」「我慢が足りない」「アンタはあの会社に負けた」と罵ったことは未だに忘れられません。
「お母さんの若い頃は」と、あたかも自分はすごく大変な時期を過ごしてきたように言っていましたが、就職事情となれば話は別です。
母の昔の話を聞いていると『どうでもいいけど、さっきから転職転職言ってるけど、それ全部正社員?』と聞くと当然のように「うん」と。
何の資格やスキルもないのに、口利きとか顔パス的なノリで、転々としても非正規にならずに済むような時代を生きて来た人に同じノリで話されても、何の参考にもなりません。
母の今までの転職履歴の中では「それは時代がよかったからやで」みたいなこともあるので『母さんの頃と同じノリで話するのやめて。今はそんな時代じゃない』と何度も言いましたが、母は全部「自分が頑張ったから掴み取れたこと」と本気で思っているようでした。
なので、掴み取れないたりは「頑張りが足りない」という理論だったんでしょう。
一度「何でアンタはそんな簡単なこと(良い感じのところを正社員で採用してもらって、長く勤めること)ができへんのや」と怒られたときに『そりゃ、母さん(の時代)は良いけどさ』と言いかけると、顔をひん曲げながら「アンタにそんなこと、言われたないわ!」と怒鳴られたことがあります。
その時にもまた『あ~多分絶対伝わらんやつや。もう言うのやめよ』と、心の扉が閉まる音がした気がしました⇦ これを繰り返したので、ほとんどの扉を母に対しては閉じてしまいました
どの時代にも、その時代なりの苦労があるのに、自分が一番大変だったという勘違い。
だから「最近の若いヤツは~」とか恥ずかしげもなく言えるんでしょうね。
母に限らず、その年代の根性論信者さん達は。
それぞれの年代のいいところは尊重して、足りないところは補い合えばいいじゃないですか。
何で自分が一番しんどい思いをしてきた!とそこまで思いたいんですか。
しんどい思いをしたら、した分偉いんですか。
そしたら変な親に育てられてしんどい思いをした私って偉いんですか?
時代ごとに「生き方」はどんどん変わってきているし、自分の身を守れるのは結局は自分です。
根性がない。我慢が足りない。仕事を何やと思ってるんや。甘ったれるな。
母によく言われた言葉です。
これって一見すごく真面目そうに聞こえるけど、全く建設的じゃないですね。
「ただガムシャラに働いたらそれなりに報われる」時代は、それで通ってきたのだと思いますが。
別に根性論を否定はしません。合う人はやればいいいですけど。
私は大嫌いです。
それを私に押し付けた母も大嫌いです。