母は、育ってきた環境により、異常なほど「自分の存在価値を認めてほしい」という気持ちが抜けず、それを家族にも求めたのだと思います。
大切にしてくれなかった・構ってくれなかった自分の親を反面教師に「家族のために!」と思うところまでは良かったのでしょうが
母の思う「構う」が「やりすぎ」だったのと
母自身がいつまでも「認めてほしい」という思いが消化できないあまり
「周りに認めてもらうためにはこれくらいしなきゃ」と、家族の意見も聞かず、暴走してきたことが「過干渉タイプの毒親」と言われる由縁になったのだろうと考えています。
反骨精神やハングリー精神も結構ですが、度が過ぎれば自分で自分の首を絞めることにもなりかねません。
母は自分で設定したハードルが高すぎる為に、イライラしていたのだとも考えます。
実家が嫌いだった母は10代の頃から結婚して家を出ることしか考えておらず、友達も作らず
参考とか、お手本にする人が家族と、彼氏(のちの夫)くらいしかいない状態で家庭に入ったようなものだったのだと思います。
そのためか、母は実の兄であるDを相当意識していたように思います。
大体、今冷静に考えたら
結婚して家庭を持って、自分の新しい生活はもう始まっているのに、実のきょうだいを何であそこまで意識していたのかな?って感じですが。
けれど、多分それはDをはじめとする家族を「見返してやる」という思いと同時に「認められたい」という気持ちも母の中でずっとくすぶっていたからではないかと思います。
母の、何でも否定的・人をほめない・認めないという部分が嫌いでしたが
このルーツも紛れもなく母の家系にあって
母がお金を貯めて頑張って買った一軒家や改築も酷い言葉で一蹴するDを見ていると、同じ家に育った者同士、そっくりだなぁと思います。
人が何かを成し遂げても、素直に「すごいね」「頑張ったね」「よくやったね」なんて言わない というのが、母の家のノリだったのでしょう。
そんな一族から、さっさと一抜けすれば良いものを、結婚して、生活を別にしてもいつまでも意識して
よりによって一番毒っぽいDなんかに成果を報告して、、
あんな頑固爺さんが妹をほめるわけなんかないのに(笑)
そんなこんなで、結局母の「認めてほしい」という気持ちは、きょうだい相手には消化しきれなかったのだと思います。
母が、負けたくない!と思って生きるのは勝手ですけど、その思いの中に家族も取り込もうとしたことが一番の間違いだったと感じています。
だって、私たち家族の誰も「負けたくない」なんて思って生きていませんでしたから。
本当に「育ってきた環境」って恐ろしいなぁと思います。
実家が嫌いだったという母も、結局20年ちょっとしか住まなかった家のノリをそのまま受け継ぎ結婚し、子どもにまで押し付けてきたのですから…。
今冷静に考えたら、そんな人が親になるなんて危険すぎるぞ!って感じですね。
でも、私の母みたいに生きてきた人も、結構いるんじゃないかなとも思います。
ある意味、その世代の毒親って今で言う「量産型」だったのかもしれないですね(笑)