もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

否定、貶す、ほめない、認めない。同調しないと不機嫌。

昔から母は何にでも否定的で、ほめたり、認めたりをしない人だったなと感じます。

 

しかもそれを「あんたもそう思うやろ?」みたいに言われるので、私も自分がどう思うか云々より、同調してあげていただけでした(同調しないと不機嫌だし)

本当に『うんうん、そうだよね』『お母さんの言うこと、わかるよ』って、言ってほしくて仕方なかったんだろうなと思います。

 

言い方の問題でもあると思います。

例えば何かの選択肢でAとBがあり、どちらでもいいのだけどAのほうがより良い、といった場合、母はたいてい「Bなんかあかんわ!」と言うのですね。

『Aのほうがいいと思うよ』で、よくない?(笑)

とにかく「△△よりも、〇〇にしたほうがいいと思うよ」ではなく「△△なんかあかん!〇〇にしろ!」ニュアンスなのです。別に△△を否定しなくても、いいだろという場面でも、いつもこう。

貶すことは息をするようにやるのだけど、人やものの「良いな」と思うところを積極的に探したり口にしたりはしないので、ほめるとか認めるというのも本当に少なかったです。

 

昔はどこのお母さんもそんなものかと思っていましたが

どうも、友達のお母さんがそんなことを言っている雰囲気もないし、私に友達ができないのは、母のようにすぐにそういう風に話してしまうからじゃないか?とだんだんわかってきたのです(実際、友達と話しているのに私が母みたいな否定的なことを言って空気を凍らせるみたいなことが、昔は時々あった)

 

まぁ、母は変えられないとして、自分を変えることはできるかな?と思い、できるだけ否定的な言葉を吐かないことを心掛けるようにしました(と言っても、これを始めたのもつい最近なので、恥ずかしい話学生時代からの友達は、いません)

 

毒親問題では『人の真似をする(いいとこだけね)』『形から入る』っていうのも、なかなか有効かと思っていて、否定的な言葉を吐かない=できるだけ肯定的な言葉を口に出して暮らす ようにすると『意外と友達ってすぐできるんやな』と思いました(笑)

それに、周りの気さくだとか朗らかな子がそういえばそこまで否定的な言葉を発していないなというのにも遅ればせながら気が付きました。

 

昔、テレビで女優さんなんかが出てくると観覧席から『かわい~』『キレイ~』とか歓声があがるのを見て、母は「何でもかわいいかわいい言うて、アホや!」みたいなノリだったので、私もずっとそんな感じでしたが、肯定的な言葉を自然に口に出せるのは自分に余裕のある証拠だろうし(もちろん「かわいいと言う自分、かわいいでしょ?」等計算している人は「自然に」じゃないので除く)

「とりあえず肯定的な言葉を口に出す」というのも私にとってはあながち無駄ではなかったかなと思っています。

私の場合、まだまだ「心に余裕がある人の真似」程度ですが

 

そんな感じで、20代に入ってからは私にも友達が徐々にできたのだけれど

逆に最近悩みの種なのが

それまで付き合っていた「母みたいなノリ」の人(会えば誰がうざいだのキモいだの貶しのオンパレード、他人をほめない、何でもすぐ嫌いって言う。一緒にテレビとかを見ても「この人嫌い」「こいつムカつく」ばかり)との付き合いがほんとに苦痛になってしまいました。

それで縁が切れてしまった人もいて。

 

母を真似てきて「直したいな」と感じるところを自分なりにアップデートする度に、合わない・会いたくなくなる人が出てきてしまう。

これって、変わりたい!毒から卒業したい!と決めた方みんな感じることなのかな?

まぁ縁が切れてしまって、残念だなーって人もいますが、思えば晩年はその人たちに合わせて無理に人を貶すネタを探したりまでしていたので(またこれも、他人軸に乗っ取られてる)それをしなくてよくなった今、かなり気が楽になったあたり、遅かれ早かれ関係は終わってたのかな~とも思いますが。