もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

怒られる準備をする癖がついている?

先日、朝の出勤前に土鍋を落として割ってしまいました。

いつもは、朝飲んだカップも流しに置きっぱなしだけど、時間もあったのでその日に限って洗って行こうと思ったら、前日に伏せて乾かしていた土鍋の置き方が悪く、水切りラックから滑り落ちて豪快に割れました。

 

そういう時、咄嗟に自分をひどく責めて後悔する癖がまだ抜けていないなぁと気がつきました。

 

昨日あんな伏せ方したから!

今日に限って食器洗って行こうなんか思うから!

 

何でこうなったか、あの時ああしてれば…と

ほんの数秒で自分を責め、ひどく後悔するんです。

 

けれど、ふと我に返って、怒る人がいないのでほっとするんです。

 

割れてもーたwまぁ、また買えばいいか。

で済むんだ…と思えるのは、その後家を出て数分経ってからでした。

(大体、数百円の安物ですし)

 

やっぱりこれは、あの母に育てられたからなのかわからないけど。

 

ちなみにもし同じことを母の前でやったとしたら、あんな伏せ方するからや!とか、朝からいらんことせんでええのに!とか言われてたと思います。

 

母に怒られるのが怖すぎて、先に母が言いそうなことを自分から考えて、心の準備をしていたのかも知れません。

土鍋はまぁ結構盛大に割れたので、本当に「ミス」かも知れないけど、その他の日常のすごく小さなことでもこういう傾向があります。

 

母は、土鍋が割れただけでもきっと「死ぬ!」ほどのことになるので。

tari97.hatenablog.com

 

最近すごく思うのは、失敗も認め合って「次からこうしようね」と高め合っていくのが家族ってものじゃないのかな。

 

失敗をしたのが大の大人ならまだしも、小さな子ども相手にも悪気のない失敗も必要以上になじる母を思い出すと、一体家族って何なのかな?と、考えます。

毒親はいつか「気が済む」のか?

前にも掃除機の話をしましたが

tari97.hatenablog.com

 

おそらく「いい大人が、何でそこまで言いなりなの?」と思う方もいると思います。

母と共に暮らし続けるということから「逃げた」今となっては、自分でもそう思います。

当時は『言われた通りにやる』しか選択肢がなかったので、内心嫌ではあったけど『やれば文句ないんだろ』という感じでやっていました。

もちろん、母の機嫌を損ねたくないのが一番の理由でしたが(それも今考えたらあほらしい)

私はいつか母が「ありがとう」「よくやってくれたね」とも、言ってくれると信じていました。

 

ただ、最近色々書いてきてわかったのは

まず、母自身の心は相当病んでいてちょっとやそっとじゃ満たされることがないので

娘にあれこれ言うことを「もういいかな」と、気が済む日は、多分来ないような気がします。

 

小さな幸せも「幸せ」と思えない

人に何かをやってもらっても「これくらい当然」と、感謝できないくらい心は貧しい

tari97.hatenablog.com

そんな母が、人を励まし、労う余裕なんてある訳がないです。

そのことにもっと早く気がつきたかったと思うこの頃です。

 

いつだって、一番しんどくて辛くて頑張ってるのは自分!と本気で思ってますしね。

 

母の要求にはずいぶん応えたつもりでしたが「ありがとう」「よくやってくれたね」どころか、ダメ出しばかり

私は何の為に存在しているのだろうか?私はこの家の家政婦なんだろうか?

毎日こんなことを思うのが嫌で、家から逃げました。

 

何度、分担をお願いしたり、私に頼むのであれば口出しや指示をしないでと言っても聞く耳すら持たない、むしろ「何意味わからないこと言ってるの?」というリアクション。

「たりが、そんなに嫌な理由は何?」とも、聞こうともしない。

 

家事が嫌でそこばかりにフォーカスしていましたがそういえば昔から、母は万事がこうでした。

 

「家を出る」というのは「最終手段」だと思っているし、その手段を取らないと、自分を顧みようとしなかった母を心から情けないと感じます。

 

ですが「家を出る」いわば「逃げる」を1度でもやってしまうと、逃げることに罪悪感もなくなってくるし、母の要求もスルーできるようになってきました。

 

こんな簡単なことだったのかーと思うけど、そんな簡単なことがわからない・わかってもなかなかできないように育ってしまったのが悲しいです。

過干渉親に育てられた人にとってはこれがものすごく大きい壁だと思います。

 

親だからいつかわかってくれるはず…と期待する気持ちもわかるし、わかってくれる親もいるのかも知れませんが

今日のブログタイトルに答えを付けるとしたら毒親は「多分気は済まない」です。

いいね👍依存ならぬ「母さんのおかげで👍」依存

誰しも、満たされない思いは抱いているものです。

だからこそ、こうなりたい!こうありたい!と思い、それを目指して頑張るのだと思います。

どちらも自然なことであって、悪いことではありません。

それが、生きる上でのあらゆることのモチベーションに繋がるとも思います。

 

しかし、母の場合「認めてほしい」という気持ちがあまりにも病的で、人並程度の結果では満たされなかったのでしょう。

ある程度はまず、自分の思う範囲内でこうなりたい!こうありたい!と理想をかかげ、それに向かって頑張るものだと思うけれど

「お母さんは、こうなりたいの。だから娘たちも同じ思いで当然よね?」「私のやりたいことは、もちろん娘もやりたいと思うはず」「これだけやったなら、これくらい感謝されて当然なのに、何で感謝しないの?」と

自分と他者の境界線を引けずに、押し付ける人の心に土足で踏み込む思い通りの労いや見返りがなければ怒ることで自分の枯渇した心を満たそうとしたのが、やはり一番許しがたい行為だったと思います。

母の思想はまさに「お前のモノは俺のモノ、俺のモノも俺のモノ!」のジャイアンと同じです。

 

母には昔から過剰なほどお礼を言ったり、まぁ簡単に言えば「おだてて」接していました。

tari97.hatenablog.com

そうすれば、単純に機嫌が良いからです。

「母さんのおかげで」と言われるのが、最高に気持ち良かったのでしょう。

きっと、現代のSNSのいいね稼ぎに勤しむ人の「いいね」が、母にとっては「母さんのおかげで」だったのだと思う。

だから「母さんのおかげ」は過剰に求めますが

親も人間ですから時に失敗もあって「母さんのせいで」になってしまう時もあるのだけど、そっちは絶対に謝らないし、非を認めないし、何とかして自分の「母さんのせいで」案件も「母さんのおかげ」にねじ曲げようとすらします。

いいねも「もらってうれしい」程度ならいいですけど、いいね欲しさに身の破滅を招く人もいるようで、その依存状態の面では、母もそっくりだと感じます。

 

 

最近、話をしている時、私が心療内科を受診したことをちょっと言った時にも

母って絶対に深く聞いてこないんです。

人の固定資産税とか、しょーもないことはこちらが答えるまで聞くくせに(笑)

tari97.hatenablog.com

 

私も別にわざわざ言ってやろうという気もないけど、話の流れで言わざるを得なくなって、今までさらっと2回ぐらい話しましたが

絶対に「心療内科?なんで?」とは、言わないんですね。

元々、子に関心のない放置親ならともかく、異常なまでの過干渉だった母が、気がついてないはずはないと思います。

 

たいがいのことに「何で?」とか「何それ?」とか、詳しい説明を求める母が、そこだけは絶対に掘り下げることがないのは

おそらく、こんなことになった(精神的に病んで、仕事もまともにできなくなった)原因は「自分のせい」と言われるかも知れないことを薄々勘づいているんじゃないかなと、私は思っています。

でも「自分のせい」になるのは絶対に嫌なので、断固としてスルーするというか

掘り下げる度胸がないんだと思っています。

 

母には「聞かれて嫌そうにしてるから、聞かないでおこう」みたいな気遣いも備わってないですから(聞きたい時はこちらが嫌と言っても聞く。親が娘に聞いて、何があかんねんというスタンス)

私を「気遣って」聞いてこないという線は非常に薄いです。

 

 

昔から、母のめちゃくちゃな要望に応えようとしてうまくいかなかった時に『だって、母さんがそうやって言うたから…』と反論すると「人のせいにすんな!」とよく言われました。

そもそも、私は「誰のせい」をはっきりさせたかったのではなく『じゃあどうしたらいいのか』『〇〇でだめなら、代案はないのか』というような意味で聞いてたことも、母は事あるごとに「アンタが言い出したんやろ」とか「母さんのせいにすんな」と、「誰のせい」とか「言いだしっぺはどっちだ」みたいなことの方に、論点がずれていたなぁと感じます。

 

承認欲求のかたまりみたいな人なので「自分のおかげ」は、何倍何十倍にもして表現し、ほめたたえてほしいけど

「自分のせい」に関しては、絶対に!自分でケツを拭きたくなかったんでしょうね。

 

「母さんのおかげ」稼ぎと、都合の悪いことは「自分のせいではない」で、頭がいっぱいだから、建設的な話し合いができなかったんだろうな、と感じます。