もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

旅行で『嫌だったこと』の上位に入る話

家族旅行で、どこに行ったとか何を食べたとか、そういう記憶はわりとあったので、昔は良い家族だったなぁと思っていたのですが

自分の親が毒親であることに気付いてしまってからは、旅行の時の母のおかしな行動ばかりが次々と思い出されます。

 

前にも書きましたが

tari97.hatenablog.com

これはほんの一部で、母が不機嫌にならなかったり、怒らなかった旅行なんて多分ほぼないと思います。

その中でも、最近鮮明に思い出して『おかしいだろ』と感じた、家族旅行でのエピソードがあります。

 

ある日、旅館についてくつろいでいると母が何やら騒いでいます。

どうやら、生理がきたらしく、下着が汚れたらしい。

食事まで時間はあるし、先にお風呂に入って下着も替えれば?と言うと何と母は「替えのパンツがない!」と騒ぐのです。

何故いい大人が、生理が来そうな時に1泊するのに替えの下着を持って来ないのか…

(と言うか、そもそも泊まるのに同じパンツで過ごす気だったのか?)

 

いい大人が準備をきちんとしていないことにもドン引きなのですが

さらにその後、母は何て言ったと思いますか?

当たり前みたいな顔で「姉ちゃんか、たり、替えのパンツ貸して」

娘2人に、アンタたちどっちでもいいから替えを私に貸して、今はいてるやつをもう一度はけと。

発言にももちろんびっくりなんですけど、その時の態度がね。

いつものごとく

「悪いんだけど、貸してくれない?」じゃなくて「親やねんから、貸して当たり前やろが!」なんですよね(自分のミスなのに、ブチ切れている。意味わからん)

 

で、ここからなんですけど

結局どうなったんだったっけな?と、最近姉に聞いたんです。

姉は中学生くらいの時なので、覚えてるかな?と思ったのですが、嫌なことすぎて記憶から消したのか?

「そんなことあったっけな?」との回答でした(笑)

 

確か、私はパンツを貸すのを断固拒否したんですね。

多分「じゃあ今日はいてきたのを脱いで貸そうか?」という提案も姉と一緒にしたかしなかったか…

けど、母的には「きれいなやつをはきたい」なのでね、もう超不機嫌でした。

どっちが子どもだよ(笑)

 

何で自分の不注意やのにこっちがキレられないとあかんねん。

何で「そろそろかな」ってわかるのに、準備して来てないねん。

 

今だったら、そうやって反論もできるのにね…

幼い頃は、母が絶対!だったから

言われっぱなしだわ、何なら『貸してあげない私って冷たいのだろうか』と、数日悩んだ純粋な自分がとにかくかわいそうで仕方ない。

 

結局、その後母がどのパンツをはいてしのいだかは忘れましたが

とりあえず汚れた下着は部屋で早いうちに洗おうってなったんですね。

そこでもまた信じられないんですが

母は汚れた下着を自分で洗わず、父に洗わせていました…。

申し訳なさそうにするでもなく、当たり前みたいな顔をして…

 

本当に、自分の記憶が間違えてると思いたい程の暴挙です。

私はわりとこういった細かいことをしっかり覚えているのですが、姉はあまり覚えていないタイプなので、曖昧な記事で申し訳ないんですが、、夢でないことは確かです。

 

夢ならどんなによかったか…。

「今」「自分」を生きる

よく、毒親関係の書籍やブログでも「今を生きる」とか「自分の人生を生きる」とか見たり聞いたりします。

私も、自分の人生を母に半分乗っ取られて生きてきたようなものだったので、ずっとそれをテーマにここ数年生きてきて、最近やっとその手ごたえを感じている…そんな気がしています。

 

「今」を生きる

過干渉親は、先々のことが心配で不安でたまらなく、それを人にも共感してもらえないと生きられない人間なのだと思っています。

思えば母は全く「今」を生きていなくて、何年も先の見えない未来を「予想していた」のではなく「決めつけていた」だけで

けれど「今」は、いまここにしかないので

焦る気持ちと「今」との共存がうまくできなかったのかなと思っています。

「今」を生きようとしている私に、遥か先の未来の話をわからせようとして、わからなければ怒ったり

教えるべきことはすっ飛ばして走り抜けて、後で「そんなこともわからないのか」と罵ったり

tari97.hatenablog.com

ずっと「わからない自分」が悪いのだと思っていたけれど、わからなくて当然だし

「時間軸をあっちこっち行き来してはパニックになる」母の世界観の方がとんでもなく異常で、それに拒否反応を示した私は十分正常だったのだと思います。

単純に「今」の時間軸を主に生きている今、やっと「今を生きる」ことの意味がわかってきたように思います。

 

「自分」を生きる

田房さんの本にもありましたが、母は娘が「考えるべきこと」までを勝手に決めて、それについての答えややり方も勝手に決めるので、母自身、私の人生を乗っ取って生きていたようなものです。

母は自分の足で、自分の人生をしっかりと歩む勇気のない、ただの小心者なだけだったのだと思います。

その小心者の部分を隠そうと、「娘のため」というパワーワード()で、あたかも自分だけが身を粉にしているかのように印象操作し

けれど中身は幼稚な子どものままなので、思い通りにならないと感情のままに怒鳴って噛み付いて

そんな母の言うことを純粋に信じてきた半生が本当に、本当にあほらしいですけど。

 

実家にいた頃も、家を出てすぐの頃も『私は私の為に生きる!』と決意して暮らしてきましたが、あくまでもそれは『何をしたいか』という物理的な面を満たしていただけで(自分がしたい!と思うことを「遂行すること」に躍起になっていただけ)

本当に「自分を生きること」は、そう生きている(自分自身の選択を)「認めてあげる」ということなんだと思います。

これもまた、一時は「認めてあげること」に躍起になっていましたが

異常なくらいに自分をダメ出ししたり、こき下ろしたり、卑下したりせず、卑屈にもならず(全くないわけじゃないけれど)暮らせている今が、「自分を生きる」ことなのでは?と感じています。

 

 

多分これは大多数の人にとっては、気張らずともできる「当たり前」のことなのでしょうけど…

「年相応」に、生きるということ

母はいつも、私がどう思うか・どうしたいかを聞かずに、勝手に道を決めて、その通りに歩かないと怒ったり罵ったりしてきました。

 

教えるべき場面できちんと教えることをせず、ある程度の年齢になったら「そんなこともわからないのか」ともよく言われてきて

tari97.hatenablog.com

その度に自分の出来が悪いのかと思っていましたが

そうやって物事を勝手にどんどん決めて進めてしまう母の方にも問題があったと思います。

 

私は、母と暮らしている時「金銭感覚」が身につかず、よく母に怒られていました。

大金を衝動的に使ったりして後々困るみたいなことではなくて、とにかくお金に全く興味が持てないという感じでした。

 

元々、高い買い物をしたり衝動買いをしたりはしないのだけど、それにしてもお金の話が苦手で、給与に間違いがないか確認したこともほぼないし、給与明細書を見ずに放置することもザラでした。

もちろん、実家に居たから水道光熱費や固定資産税とかを払わなくていいのもあって、まぁその辺りは「興味の持ちようがない」のも一理あるのですが

 

 

なぜ、自分でもこんなにお金の管理に興味がないのか不思議でしたが、家を出てからは否が応でもお金の計算をする場面が増えたので、やっと自分で稼いだお金を自分で運用する実感がわいてきました。

多分私は「年相応のお金の運用」をしてこなかったことが、お金に興味を持てなかった原因ではないかと思っています。

 

じゃあ「年相応のお金の運用」をしてこなかったことの原因は?と考えた時に思い出すのが

 

高校時代、バイトをしていましたが

母は私がバイトを始めるにあたって「バイト代の9割をたり名義の口座に、1割のみを手渡す(もちろんそれだけでは足りないのでいくらかお小遣いを渡す)」というルールを勝手に決めていました。

私のバイト代なのに、私に何の断りもなく、決められたのです。

私はこれがすごく嫌でした。

 

通帳も親が管理していたから、あのバイトでどれくらいの給与が稼げたかは、結局わからず仕舞いです。

 

 

友達が「今回はいっぱいシフト入ったから、給料多かった」とか「今月はきついから節約してる」とか言っているのが、羨ましかったです。

私は、せっかく自分の時間を割いて働くのだから「自分で稼いだお金を自分で運用する実感」も、味わいたかった。

 

母の方から、娘が自分のバイト代を見て、どう思うかという機会を奪っておいて、いい歳になったら急に「お金に興味を持て」と言われてもな…。

これが、いい歳になってもお金に対する実感がわかなかった理由のひとつではないかなと思います。

 

母はお金には困ってはいなかったので、さすがに娘のバイト代をくすねるようなこともしていなかったし、どうやらほぼ全額が私の短大の奨学金返済の為に消えていたようです。

多少、足は出るものの、バイト代を9割徴収されていただけあって、ほとんどの返済がそれでまかなわれたようなので、社会人になって奨学金の返済もそこまで負担にならずに終わりましたが

これもひとこと、説明が欲しかったなと思うのです。

 

ずっと「アンタは知らなくていいから。お母さんの言う通りにしとけばいいから。悪いようにはしないから」と言って、私の見聞きしないところで事を進めて

いい歳になったら「あとは自分でやりなさい」って言われても

間をすっ飛ばしてきていることが多々あるから『急に言われても…』って感じになってしまうのだと思います。

更に、そこで「できない奴認定」をしてくるので…本当母のいい操り人形ですね(苦笑)

 

時々『私の人生って、色んなことの順序がちぐはぐなんだよなぁ』とぼんやり思うことがあって

その理由がだんだんわかってきた気がします。