もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「楽しい」の純度

私は若かった頃に年相応のことをやってこなかった・やることができなかったとは以前にも書きました。

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皆が学業に、バイトに、遊びに精を出している時に、婿をもらうだの父の世話だの家のリフォームだの

この歳でまだここまで考えなくても良いのでは?ということも、母からの押しつけでやらされたり考えさせられたりしていました。

『そういうのまだ私には重荷だ』『ちょっと待ってほしい』と正直に言うと「あんたの為に考えてあげてるんやで!」と怒られ丸め込まれ洗脳され

皆が本来若いうちに経験することとか、我慢することとか、楽しむことを、たくさんすっ飛ばして生きてきました。

 

逆に、教わらなかったのにいざ大人になりできないと「こんなこともできへんのか」と母からバカにされることもあり

厳しく叱責されながら育った割に、いい歳になってから『こんなこともわからずに生きてきたんだ』と、自分に失望することもあって

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なぜ自分の人生がこんなに年齢に対してちぐはぐなのかと思って生きてきました。

 

おそらくそれは、私の年齢に関係なく母からその時その時母が思い描いたことを言われ、やらされてきた結果であると、私は思っています。

 

母の言う通りに生きると、全然楽しくないし

周りの同世代の人たちと比べても、明らかに浮いている。

それがとてもコンプレックスでした。

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最近は、昔ほど遊びに行ったり、お金を使うことが、本当に減りました。

が、その分何をするにも自分がやりたい!と思ってやったことは、いちいち楽しくて仕方がないです。

これは、最近気がついたことです。

(仕事とかではなく、あくまでも娯楽の話です)

 

友達の家に行って帰るつもりがそのまま泊まらせてもらうことになったり

夜遅くから友達に呼ばれ近所のファミレスに行って少し喋って解散!とか

特にこういうことが、何の気兼ねもなくできることが、楽しくてたまりません。

私はもう37歳のいいおばさんですが…

私は本当はこういうことをずっと、やりたかったのです。

 

また、家で一人で好きなことをするのも然り

大好きなフレーバーティーを飲んだり、雑誌を買ってじっくり読んだり

ネットで買った服を試着してみたり、懐かしいDVDを見て泣いたり

ひとつひとつは本当に小さなことでも、いちいち楽しい

だから昔ほどどこかへ出かけたり、お金を使わなくても、少しのことで満足できるのです。

一体これって何なのかな?と考えてみて、わかった気がします。

 

昔からずっと私は好きなものには全力でハマって、それなりにお金も使って

満足いくまで楽しめていたと思っていたのですが

本当に心から楽しめてはいなかったのだな…と。

 

実家で暮らしていた頃

家に帰ったらどうせあの母がいる

どうせ遅いとか言われる

どうせまたそんなもの買って!と言われる

どうせ、どうせ、どうせ…

 

母と暮らす中で、この「どうせ…」と、思わなかった日は、ないと思います。

 

この永遠に続く「どうせ…」の呪いが、私の人生を楽しくなくさせていたのだと思います。

それが若くして人生を諦めたように、無気力に生きる原因になったとも、思っています。

 

友人と話をしていても、ライブで騒いでも、家でくつろいでいても

いつでも私には「どうせ…」の背後霊が張り付いている。

どんなに楽しんでいても、それがふとした瞬間に現れては、私を『また母に何か言われる』の思考へと連れて行く感じ。

大げさでも何でもなく、私は何年もずっとその世界で生きていました。

 

出掛けたって、家にいたって、いつなんどき母から小言を言われるかわからないから

心から楽しめること、くつろげることはなかった。

 

もちろん、当時は心から楽しめていると思っていたし、心からくつろげているとも、思っていました。

 

けれど、この「どうせ」が、母と離れて約5年経ち、ようやく私の中から消え

たったこれだけのことで、物事はこんなに楽しいのか…

これこそが「本当に、心から楽しむ」ということなのだと、わかりました。

 

趣味や娯楽など、楽しむことで本来プラスになる感情が、どうせ…のせいで常に削られているから

いくら楽しいことで継ぎ足しても継ぎ足しても、満たされない。

実家にいた頃に私は、完全にそうだったのだと思います。

 

純度の高い「楽しい」を、やっと今、わかってきた感じ。 

さっきも書きましたが、私は今月37歳になりました。

毒親家庭に生まれていない人たちは、何か楽しいことをしたとき

こんなに純度の高い楽しみ方をして、生きてきたのかな。

ひとつひとつの行動にそんな「どうせ…」なんて思わず暮らしているのだろうな…。

 

そう思うと、悔しくてたまりません。

 

コメントなどについては、こちらにまとめています。

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人生の理想の原点

最近、気がつきつつあるのは幼い頃に思い描いていたものが、結局人生の理想の原点なのではないかな?ということです。

 

私は昔から、こんな資格を取りたい!とか、こんな企業で勤めたい!などは全く思ったことはなかったですが

こういう格好をしたい

こういう暮らし・過ごし方をしたい

こんな街並みのこんな家に住みたい

ということには、昔からその時その時で強い、ハッキリとした理想や憧れがありました。

 

昔から「誰かと暮らす」ことにはあまり興味がなく、中学の頃の「10年後の自分」みたいな寄せ書き的なやつも「おしゃれをして、バリバリ働いている」程度しか書かなかった記憶があります。

 

学生時代「平日の昼間に仕事をしていない人」に、なぜかすごく憧れがあって

ちょうど学校に行くのが苦痛で悩んでいた頃、時々引き返して家に帰ることがありましたが

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平日の朝10時頃に高校近くの公園前を通ると、ベビーカーを押すお母さん達によく遭遇しました。

『こんな時間にベビーカー押してお散歩かぁ。いいよなぁ』と、お散歩中のお母さんが気楽そうに見えて羨ましくて

『さっさと結婚して子どもを産んで、専業主婦パターンで " 平日の昼間仕事をしていない人 " になろう』と考えました。

 

しかし、そう思ったのもつかの間、ほどなくして姉が里帰り出産をし、新生児である姪との暮らしを体験し『これは…私には無理だ…』と、悟りました。

昼間にベビーカーを押してるお母さん達を『暇そうでいいよな』なんて思ってごめんなさい…と、世の、子育てしている人全員に心の中で謝りました。

 

同時に、元々私は子どもが特に好きな訳でもないし、親戚中でも末っ子で年下の扱いにはめっぽう弱いし、子どもを産むのは現実的でないかも…と思い

そこから『別に、結婚・出産にはこだわることはないかも』というビジョンが見えたように思います。

 

私は昔からそうやって、様々なことを考え、ビジョンを描くスキルはわりとあったのに、母からの押しつけが私のそういうビジョンを壊す要因だったのでは…とも思います。

毒親育ちの中には、こういう経験のある方は多いのではないでしょうか。

 

『子育ては向いていなさそう』『となると、結婚も焦ることはないのかも』というビジョンを、私は自分で10代後半にして見つけることができたのに

母のキ〇ガイじみた「婿をもらって同居するのが当たり前」信仰に、せっかく見出した自分の考えや方向性を活かすことができなかった気がしてなりません。

 

『母が言うなら、そうしなくてはいけないのかも』と、納得できないまま結婚相手を探したことも事実で

今思うと『親のためにやりたくないことまでやらなくて良い』なんて、明確にわかるけれど

母に洗脳されていた当時の私にわかるはずもなく

⇩の記事のようなこともしていて、今となっては笑い話ですが当時は大真面目でした。

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結局その後、母から逃げて、自分の人生を「母親抜きで考える」作業と、「自分のやりたいこと」と「母から言われて嫌々やっていたこと」がぐちゃぐちゃに混ざったものを長年ふるいにかける作業により残ってきたのは

 

子どもを産むには年齢的にもだんだんと厳しくはなるが、その件について焦りはないこと

他人と暮らすことに特に必要性を感じていないこと

高給をもらっても、仕事に忙殺されるのはどうしても嫌なこと

働く馬力を上げるよりも、節約の方が自分に合っていること

平日の昼間に出かける方が人が少なくて気楽でより休みを満喫した!と実感できること

 

などでした(本来、毒親からの押しつけがなければ自分と親の感情がごちゃ混ぜになることすらないし、こんな作業も必要ないはずですが)

 

学生時代の『誰かと暮らすことに興味はない』『平日に休みの人いいな』等、つたない頭で考えたことでしたが、結局それらが未だに自分のルーツとして残っていることもわかりました。

 

冒頭に書いたような「こういう格好をしたい、こういう暮らし・過ごし方をしたい、こんな街並みのこんな家に住みたい」という理想を、昔は母にも話していましたが

よく「アンタはその時その時で、言うことがコロコロ変わるやろ!」と、呆れられたように言われて、今でも母は姉に愚痴っているそうです。

「たりは〇〇と言う時もあれば、××と言う時もある!どれがほんまかわかれへん!どれを信じたらいいかわかれへん!」と。

 

しかし、どれがほんとかも何も、私はいつでも本心で話していたし、嘘をついたこともありません。

 

自分が色んな考え方に柔軟に対応できないから、娘を自分の凝り固まった枠にあてはめるしか能がなく、いよいよ娘がその枠からはみ出しそうになると「反抗」「裏切り」「言うことがむちゃくちゃ」「嘘つき」等と、こちらを悪者扱い。

 

自分の都合の良いこと・耳障りの良いことを娘が言った時だけしか聞き入れようとしないから、自分が信じたくないこと・認めたくないことは、娘が「裏切った」「嘘ついた」ことにしたいだけ。

 

大人になれば食べ物の好みが変わるのと同じように

その時その時で人生のビジョンが少しずつ変わるなんて別におかしいことではないし

ましてや責められることでもありません。

何も私も『いつか宇宙に住みたい』だとか「むちゃくちゃ」なんて言っていません。

常識的な範囲での理想や夢しか語ったことはないですし、確かに言う事はその時々で変わったかも知れないけど、その分真面目に自分のことも家族のことも考えてきた証拠です。

 

そんな娘に対して「裏切り者」だなんて、よくそんな失礼なセリフを言えるなと思います。

毒母のこういうやり方がなければ、もう少し人生変わっていたのではないのかと思うことは至極当然のことだと考えます。

 

娘のやることを受け止める器もないけど、いっぱしに口出しはして、自分の意見だけは通そうとする、本当に最低です。

 

毒母の存在によって、どこかに置いてきてしまった(と言うか、持つことを許されなかった)自分の理想の原点とかルーツを、少しでもまた探し出せたらなぁと思います。

 

コメント、スターありがとうございます!!

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大丈夫?って言われたかった

今の職場では、夕方になるとみんなの飲んだカップを気がついた人が回収して洗ってくれるのですが、昨日集めてくれた方が転びそうになり、ガチャン!と大きな音を立ててびっくり😲という場面があって、口々に「大丈夫?」「ケガしてない?」と皆が声を掛けていました。

…こんな当たり前の光景に、またふと悲しい気持ちになりました。

 

私は、幼い頃から友達に「ありがとう」「ごめんね」を言うのがとても苦手で、いざ言おうとしても照れ臭いような気分になり、何でみんなそんなにさらっと「ありがとう」「ごめんね」を言えるのか不思議でした。

 

異様に人の顔色をうかがう癖があるので、職場などで表面的な「ありがとうございます」「すみません」は(場繋ぎ的に)言えますが、友達同士でも日常的に「ありがとう」「ごめんね」をみんながこんなに多用するのかと社会に出てから驚いたものです。

 

おそらくこれは、昔からうちではそもそもそういうやり取りがなかったし、母も子どもに対して「ありがとう」「ごめんね」等、ちょっとしたことでも絶対に言わない人だったので手本となる人が家におらず、単純に「身につける機会がなかった」のだと思っています。

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そして「ありがとう」「ごめんね」は、そのうち言えるようにはなったものの、未だにどうしても咄嗟に口から出すことができない言葉が「大丈夫?」です。

 

私は母に「大丈夫?」と言われたことなんてほとんどないので、冒頭に書いたようなこと(転んだり、食器を割ってしまった時など)に「大丈夫?」「ケガしてない?」なんて、家で言われたこともほぼありません。

まず何か失敗すると母に鬼の首を取ったようになじられ、場合によっては長時間の説教・不機嫌に繋がるので何か失敗したり不調があっても母からの攻撃を最小限に抑えることがいつも最優先でした。

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世間ではそれが当たり前だとずっと思っていたし、そういう人が周りには結構居るのではないか?と思う癖がなかなか抜けないのです。

 

なので、失敗をしたり体に不調があっても相手に心配される前に・迷惑がられる前に最小限で処理せねば!というのが、しみついてしまっているのです。

どうしても『心配をかけてはいけない!』『迷惑をかけてはいけない!』が、真っ先に出てきてしまうのです。

後で冷静に考えたら『人の失敗をみんな迷惑だとか思ってないんだ』とは頭ではわかるのですが「ありがとう」「ごめんね」よりも、このハードルは相当高いです。

 

なので、失敗をした相手にも自然に「大丈夫?」「ケガしてない?」等が出る前に『 " あなたの失敗を迷惑とか、思ってないですよ。私は怒ってないですよ。感 " を出さないと!』ということに意識が行ってしまい、無表情&無言で、かたまってしまうのです。

昨日がまさにそうでした。

転びそうになった職場の人を心配するより『カップが割れたんじゃないのか?=皆に怒られるんじゃないのか?』の心配が先に浮かんでしまって、1人で勝手にビビってしまい、周りの「大丈夫?」「ケガしてない?」の声で『あ、そっちか』『そっか、カップごときでそんなに皆怒らんわな』と我に返りそのうちに騒ぎは終了していた、みたいな…

母から失敗をなじられたトラウマが大きすぎて、相手の心配の前に、誰かが怒り出さないか?が真っ先に気になってしまうのです。

 

実際、人が失敗をした時に「大丈夫?」「ケガしてない?」という声掛けをするのが一般的なんだ…と気がついたのも、本当にごく最近のことです。

 

そういうことを自然に言える人って、家でもそういう声かけをしてもらえたのかな?と思うとまた何とも言えない気持ちになり

ドラマでそういうシーンを見ると、人格を否定されるほどに失敗をなじられ、こんこんと責められた過去の自分がみじめでかわいそうで、時々泣いてしまいます。

 

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