昨日テレビでやっていた「今日も嫌がらせ弁当」を見て思い出したことがありました。
反抗期、何もかもがうまくいかず苛立った娘と母が取っ組み合いになるシーン。
恥ずかしながら、母とのああいう喧嘩は成人してからの方が記憶にあって、学生時代にあのシーンのように母と互角に戦った記憶はないです。
成人してからの喧嘩は本当にキッチンに包丁を取りに行く寸前までいくこともあったので、あんな描写どころの騒ぎではありませんでしたが…
昔からキレると「明日からもう学校行くな!ランドセルも捨ててまうからな!」と本当にランドセルをゴミ袋に入れながら怒鳴られたり(入学したての小1の子相手にですよ)とにかく脅すように育てられたので、学生時代母に反抗するなんて私の中ではありえませんでした。
反抗期がないのもACや毒親育ちのあるあるだと知ったのもずいぶん大人になってからです。
私自身反抗期はなかったと思っているけど(半殺しにされる勢いでキレられるし)母には時々「あの時たり反抗期やったよな」と一方的に言われるのが私が小6の頃のことです。
ちょうどその時代にまたこれも歴史に残るキレられ方したなぁと思い出しました。
小6の秋に修学旅行があって、その時に私が家族へのお土産を何も買わずに帰って、母に死ぬほど怒られました。
「金渡したのに何も買うてないやと!?」
「アニキにたりが修学旅行行くからお土産持って行くわなって言うてもたやないかい!」
「アニキに合わす顔ないわ!」
「大体何や!?サトシかヘトシか知らんけど!」
この「サトシかヘトシ」とは
当時私は学年の違う「サトシ君」という子が好きで、その子にだけお土産を買っていたのです。
姉と『サトシ君にお土産買った』とか話していたのを母が聞いてたようで、こうやってバカにするように何度も何度も言われました。
お土産を買わなかったことを怒るのは百歩譲ってわかるとして、サトシ君を貶す理由にはならないだろ?と思い『サトシ君今関係ないやん。バカにするのやめて』とも言いました。
こういう時必ず母は「だってほんまのことやん」とか言い返します。
娘相手にしても無礼過ぎませんかね?こういうデリカシーのなさは昔から何も変わっていません。
あんなに母が怒ったのは、もしかすると母が実兄のD(記事はこちら)から、私にお小遣いでももらっていたのかも知れません。
けれど、私は「アニキの分もお土産買って来るんやで」なんて聞いた記憶がなかったので『それやったら行く前に言ってよ。そんなんわかる訳ないやん』と言うと「旅行する言うたら大体わかるやろが!」と返されました。
確かに今思えば土産のひとつくらい買えよ自分wとも思うけど、まだ小6ですよ。
「お土産を買っておこう」とかそこまで気が回らなくても仕方ないかなとも思います。
一言でも出発前に「お土産頼んだで」とでも言われたならまだしも…
時間配分がタイトで、最後の最後に何か買おうと思っていたのに(学校の行事ってここでは買ってもいいけどここではだめみたいな決まりも多い)結局買える時間がなかったというのも事実で、正直にそれも話しました(ここでお土産買えるの最後やぞーとか先生も言ってくれれば良かったのに…)
もちろん「そんなもん(タイミング逃した)アンタが悪い」で一蹴されましたけどね。
当時うちの学校では前もって修学旅行先の銘菓を希望数注文しておき、修学旅行の最終日に現地で受け取り持って帰れるシステムを導入していました。
その案内のプリントも母にも確実に見せました。
すると「そんなもんいらん!」「お母さん○○(その銘菓)嫌いやねん!」と言われたので注文はしませんでした。
今思えばあんなにブチ切れるくらいなら、保険をかけてその銘菓を頼んでおくとか何とでも方法はあったと思いますけどね。
たかだか小6の娘の力量とセンスに丸投げした大人にも十分責任はあります。
それがトラウマになった私は中3の修学旅行ではとりあえず何でもいいから母の機嫌を損ねないように!とお土産を買いまくって帰りました。
結局こうやって本来の趣旨から外れていくのは毒家庭あるあるですね。
本来お土産なんて『これ好きそうだな』『喜んでくれるかな』とか相手に思いを馳せて選ぶから楽しいのに。
九州の旅だったので、長崎のカステラを数本買って帰りましたが案の定母はほぼ手もつけず(いつものことです)
『小6の時あんなにキレたくせに、買ってきたらきたでこれかい』と思いながら父とカステラばっかり食べてた記憶があります。
私の中では思い出すだけでこんなに胸糞悪いことがまだまだあるのに毒母は言ったことなんかほとんど忘れてケロッとしているのが本当に腹が立ちます。
だから最近は言いたいことを我慢せずに言うようにしています。
ある意味今が私の反抗期なのかも知れません。
遅すぎますね。