家を出てすぐの頃は、逃げるように家を出た自分に迷いもあったし、母からは酷い言葉を浴びせられその度に腹が立っていました。
なので、家を出て数年経った時母に『もう腹立つから昔の話せんといて』と釘を刺したこともあります。
それから何年もかけて、自分の気持ちを整理した後に母と話をした時『ああ、こんな人間だから私の言いたいことなんて伝わるはずないわ』という諦めと納得の瞬間がいくつもありました。
簡単に言うと『だめだこりゃ』となる瞬間です。
相変わらず話の通じない母に確かに呆れるんですが、この人は話をして分かり合える人間ではないんだという確信が、罪悪感とか迷いみたいなものを打ち消す材料にもなったのでした。
これは一朝一夕でできることではなく、このブログを書くことも含め、気持ちの整理を重ねてきた賜物だと思っています。
前回書いた記事も、また1つ『だめだこりゃ』が集まったなという感じでした。
もちろん母にはわかってほしいとか、そういう期待はもうとっくにないのでこの作業に名をつけるとしたら、毒親という未知の生物の研究の材料集めみたいな感覚ですかね。
母のきついものの言い方とか不機嫌オーラで家族を支配するみたいなのは確実にハラスメントのレベルだったと母に言ったことがあります。
世の中にはハラスメントという言葉があって、例え正しいことをしても表現に問題があってはいけない、例えば上司に聞くにたえない罵声を浴びせられ、精神も病んで自●する人だっている、でも上司の教えた内容は間違えてないしお給料だって遅滞なく支払われました。じゃあよくない?ではない。それを「別にええやん」としてはダメなレベルのものが「ハラスメント」に分類される。つまり、母さんのやったことはパワハラと同じ。飯食わせたから!金に困らせてないから!確かにそれは嘘ではないけど、きついもの言いや異常なまでの高圧的な態度に、精神的な苦しみを与えられたという部分は残念ながら紛れもなくハラスメントのレベルだったとも言いました。
パワハラの件は、この記事にも書きました。
すると母は何て言ったと思いますか?
「母さんは違うな!どんなに酷いことされても言われてもお給料がちゃんと支払われたらなーんも思わん!」ですって。
いやいや、母が平気かどうかは今聞いてないんよ。それと同じことをされた、私が嫌だ、という話してるんですよ。
昔、母が職場でセクハラ撲滅委員みたいなのに任命されて、勉強会をして帰ってきたことがありました。私が中学生か高校生くらいの頃なので、世間的にもまだまだハラスメントとかコンプライアンスとか、そんな風潮もない時代でした。
帰って来るなり、母は目をキラキラさせながら言っていました。
「セクハラはなぁ!された方がそうやと感じたら成立するんやで!」
おそらく、母は何でも良い・悪いとか善悪とか白黒つけないと話のできないタイプなのでセクハラにも「これはOK」「これはNG」みたいなものがあると思ってたのかもしれません。ところが勉強会では「された方がそう受け取ればハラスメントになり得るのですよ」と習って、目から鱗だったのだと思います。
母のやってきたこと、それと同じなんですけどねw
今思い返しても例え親でもあんなものの言い方は完全にアウトですし、された方(娘)がそう感じたらハラスメントにもなるんです。
『だめだこりゃ』がまた1つ増えたなと思ったエピソードでした。
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