もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「これから」を、もう一度考える

前回の記事で『処理しきれていない「何か」が自分の中にくすぶっていて、他人にまで毒を吐かないと生活できないのなら、それはもう既に(生活を)「うまくこなせていないんじゃないですか?」って思う』と書きました。

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偉そうに書いていますが、実は私もまだその渦中にあるというか…波があります。

私の場合は人に毒を吐くことではなくて(吐いてるのかも知れないけど)ある一定の「症状」が出るという感じかな。

 

主な症状としては

 

・部屋が徐々に散らかる(元々片付けは得意なのに)

・お風呂に入るのがすごくめんどう

SNS関係を急に全くやりたくなくなる(LINEの返信とか)

SNSで他人が楽しそうにしていると、腹が立つ(好きなアイドル関係のみ)

 

出る症状が低レベルすぎて自分でも呆れるのだけど、出てしまったら仕方ない!と開き直って、できるだけ自分に色々と問いかけて、元の状態に戻して行きます。

前までは、全然戻らなくて、結構長い間ズルズルとこの不調を少しずつ抱えていましたが

最近はわりとすぐに脱却できるようになりました。

まぁ、今は圧倒的に時間にゆとりがあるからできるんですけどね。

特に最近、夜の早い時間にちゃんとお風呂に入れるようになったことは、自分の中では大進歩(いつも、夕食後にうたた寝して深夜に入る最悪なコースでした。風呂に入らないという選択肢はないので、最終しんどいのはわかっているのに、どうしてもできなかった)

 

昔の古傷が疼く、じゃないけど、心が疲れると、前述の処理しきれていない「何か」が悪さするのではないかなと思います。

まぁ、言ってみれば「ストレス」ですよね。

 

誰にでもあって、お酒飲むとか、カラオケで歌うとか、それぞれ解消法があるけど

母や前述の元親友のように「人に毒を吐く」ことによって、解消する毒人間もいるのでしょう。

そして、どうも私はそのターゲットにされやすく、面と向かって「あほ」とか言われる訳ではないのだけど(まぁ母には言われてたけど)

他の毒人間には、嫌がることをおもしろがって何回もされたり、こちらに何の落ち度もないのに不機嫌な態度を取られたり。

そういう人間に私も過敏になっているから、人付き合いも怖くて、結局ここ数年で縁が切れた友人たちも、共通するのは「自分から連絡を絶った」ことなので、言わば「逃げた」みたいなものなんですよね。

 

毒親に関しては、マトモに話が通じないのである意味「逃げるが勝ち」だったなとは思うのですが、今後他人にもすぐそれをやっていたら、友達がいなくなりそう…という心配も…

(前に今年の目標で宣言したとこなのにw)

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毒人間とは切ることばかり考えていたけど

今後は「毒人間と、どう付き合うか」も、テーマかなぁ…とこの休みに考えていました。

 

母と暮らしていた頃、母の「毒性」は指摘すれば変わるものだと思っていて、その都度本気でぶつかっていたのだけど、ある時「あぁ、多分この人に伝わることはないな」と、何かがサーッと引いて行くみたいな感じがして、それからは淡々と家を出る準備をした、みたいな感じでした。

何か、糸が切れるというか。あれって、そうなると本当にもう終わり(笑)

 

その時の自分の感情はけして「バカ!あほ!〇ね!」とかいう衝動的なものではなくて「あ、これ以上やっても多分無理だ、、、」みたいにすごく冷静に思った感じで。

なので、友人と縁が切れた時の感情もその時に似ています。

母とのバトルほど壮絶なものはなかったにせよ、言い合いと言うか、話し合いみたいになっても、相手は非を認めない・論点をずらして何とか私を貶そうとする・ぐうの音も出なくなれば自分が被害者ヅラなど。驚くくらいに毒母そっくりなのですが(笑)

その時私は親友相手にすら毒母と同じ「もう無理だ。この人はほっといて、逃げよう」という選択肢しか、浮かばなかった。

 

「多分、ここで今までみたいにゴメンねって言ったら、また同じこと繰り返すのだろうな」みたいな気がしたのは事実だけど、好きだった親友にも、こういう道しかなかったのかなぁ?

 

後悔している訳ではないんだけど、もしまた次同じようなことになったときに、どの道が正しいのかな??と、考えたりしています。

 

できれば、縁を切るという最終手段は、もうあまり取りたくはないのだけど。

無意味な「ねばならない」に囚われていないか、考えてみる

毒親は、古い考え方の「ねばならない」に囚われていると聞きます。

真面目に生きれば、不真面目な人よりも幸せになれて当然という考え方

ある程度はそうなのかも知れない(もちろん、人を騙したりとか何かを盗むとか、人殺しとか「反社会的なこと」は、だめという前提で)

けれど毒親は、囚われすぎなんだと思います。

特に私の母親は、クソ真面目でいつも本気、冗談の通じない感じだったし

そうやって暮らせば「報われて当たり前」「これだけやってるんだから自分が一番正しい」と思っていたのでしょう。

結局、母は昔からの「世間体」に囚われすぎて、一番大切にすべき(だと、私は思う)家族の声を全く聞こうとしなかった。

 

確かに母の生活ぶりは「世間」では評価されるかも知れない。

料理も手抜きせず(それ以外の家事は手抜きだけど)死ぬほど節約をし、主婦と会社員二足のわらじで頑張っていました。

けれど、おそらく母自身も強度のACか、パーソナリティ障害の疑いがあると今になってやっと気が付いた中で思うのは、そういう人間が結局それ(世間一般の " 普通 " )を遂行するためには、何かを犠牲にするしかなかったのかなぁ、と。

それが、あの傍若無人なふるまいだったんじゃないかなって思います。

世間体に囚われるあまり「家族の気持ち」なんて聞いてられなかったのでしょう。

 

だから前の記事で書いた、職業で他人を差別するのも「自分のほうがちゃんとしてる」「だから幸せになれる」と思いたい気持ちの表れだったんじゃないかな。

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その「ちゃんと」だって、何基準?だし、結局母自身が勝手にハードルを上げて、勝手に無理して、家族に当たり散らしていたのだと思う。

 

世間一般で言う「ねばならない」を、何も思わずうまくこなせる人は別にいいと思うんです。て言うか、多分ほぼ大半の人が何とかこなせるのだと思う。

ただ「こなす」と「囚われる」のは全然違う。

 

じゃあその境目は何?って考えると、処理しきれていない「何か」が自分の中にくすぶっていて、他人にまで毒を吐かないと生活できないのなら、それはもう既に「うまくこなせていないんじゃないですか?」って思うんです、母のように。

毒を吐いている人には、まずそこに気が付いてほしい(まぁ気付かないから「毒人間」なんですけど)

 

日本人は特に「みんなと同じ」「普通」が好きだから

自分に合うか合わないか?なんて考える前に「みんなと同じこと」「普通っぽいこと」を選びそうになります。

私もそうだったけど、どうもそうしていくといつもどこかで同じことで腹を立てて、同じとこで躓いている感じがするのです。

 

きっと、心がえぐられるような辛い「何か」が誰にでもあると思う。

私も、自分が一番辛いなんて全然思ってないけど

自分の中にも母と種類は違えど、処理しきれていない「何か」があると思っているし、それを「臭い物に蓋をする」じゃなくて、ちゃんと消化して生きて行きたいと、そう感じている訳です。

その「何か」を毒というかたちに変えて、人を傷つけたり貶めたりして生きて行くなんて、もってのほか。それをされることがどんなに嫌で不快なことか、自分自身が一番わかっているから。

 

とは言え、私みたいにぱたっと仕事を辞めたり、友人と喧嘩したりというのはちょっと頂けないなぁという自覚はあるので、これからも改善を加えて、消化作業をやっていきたいし、一緒にできる仲間が欲しいなと思っています。

 

ここからは余談ですけど

去年、横浜市のゴミの分別AIに「旦那」と入れておもしろい!みたいなネタが一時話題になりました。

日本にはまだまだ、こういう「配偶者を敬わないこと」がおもしろいみたいな風潮がありますけど、私はいまひとつ理解できないんですよね。

そういう生き方を否定する訳ではないんだけど

共に生きる人をそういう風に言っておもしろい!って感じるその感覚、大丈夫?と、思ってしまう(笑)もう流行らなくない?と…汗

そりゃ、親のゴミ箱があったら入れてなかったですか?と聞かれたら、いいえとは言い切れないですよ、、親は選べないし。

でも、冗談にしても自ら選んだ旦那をゴミ扱いしてまで、結局その人は守りたい何かがあるのだなぁと思うとね。大丈夫か?と思っちゃう。

何か、これも私にはある種の「毒吐き」に思えてしまって、その人なりの「ねばならない」があって、それを守るための「毒」なのかな?と思ったり(笑)

このニュアンスって、伝わりにくいかも知れないけれど。

まぁ多分その人たちにとっては単なる笑える冗談なんだろうなって思うんですけどね。

こういうのをバカ正直に考えるとこが、母の血を引いてるのかなとも思うし、自分ってきっとめんどくさい人間なんだろうなとも思うんですけど(笑)

あけましておめでとうございます🎍

実家を出てから、毎年お正月らしいことをせず引きこもっております。

と言うか、この時期になると普段の鼻炎がなぜか悪化し、風邪なのか何なのか訳わからない感じになるので今年もおとなしく過ごしています。

 

お正月のエピソードでは色々と辛い思いをされている毒親育ちの方も多いようですが、私の家は元々あまり親戚付き合いが濃くなかったので、さっき「実家を出てから」とは言ったものの、幼い頃もたいして正月らしいことはしてなかったな(笑)

 

両親はとにかく出不精だったので、年明けすぐはどこも出掛けなかったですが、たまに母の兄の家に行く風習はありました。

こちらの記事に書いた母の実兄「D」の家です。

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友達の話を聞くと、親戚やおばあちゃん等の家に行くのを楽しみにしているようでしたが、私はD家に行くのが毎度億劫でした。Dは、母よりも偉そうにふんぞり返ってものを言うタイプの人だったので、発言一つひとつにめちゃくちゃ緊張するんです。

で、何か喋ると何て言うかな…あれがDなりの可愛がり方なんだろうけど、イジるみたいな笑いに変えるので、、正直全然楽しくなかったし。

 

母も母で「アニキ嫌いや」と言いながら、体裁を保つため「兄の家には顔を出さなければ」と思ってたんでしょうね。

帰ってきてはDやDの嫁のマスミの悪口を言うし『そんなに嫌なら行かなきゃいいのにw』と内心思っていました。

こういう訳のわからない毒親の「ねばならない」のせいで、また親が不機嫌になって、そのシワ寄せが子どもに来てたんだよなぁと思い知らされます。

 

ある時から私が『D家に行きたくない』と言ったとき、何回かは渋られたものの、高校生くらいになってからかな?その頃からは母は快諾でした。

その理由も母らしくて

私が一番年下なため最後までお年玉をもらっていたので、いい歳になってきたら「アンタが来たら皆お年玉くれて、私もあげないとあかんから、来なくていい」と言われたのです(一応母も他の子どもにお年玉の準備はしていくのだけど一番若い私が居ないと、お年玉タイムもうやむやになって、あげずに帰って来れるそう)

ちなみに姉は時給が上がるので学生時代から年末年始もバイトに精を出していましたが、守銭奴の母としてはそれも高評価だったよう。

「正月くらい、休みなさい」とか、聞いたことないです。さすが、金のことになると親戚にいい顔することより優先なんだな。まぁ、それで救われたこともあるからそれはよかったかな。

 

お正月、毒親育ちの方が、嫌~な時間を過ごしていたら…いつかいまの私のようにぬるっとしたお正月を暮らせたらいいな、、それを目指している方も、2018年は何か動けるといいな~と感じます。

 

今年もよろしくお願い致します🤗