もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

愚痴の「ゴミ箱」今すぐやめましょう!

前回も書きましたが、母は元来男好きで男と見ればすぐに心を許し、車の運転を快く引き受けて貰えたら更に入れ込むみたいなところがありました。

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私は、とにかく気が合わないと人を好きにはなれないから、母の「男で車持ってたら結構誰でもいい」みたいな性分は理解に苦しむのですが

人を好きになる基準なんて人それぞれだから、顔目当てだろうが金目当てだろうが別にいいとは思うのです。何目当てかなんて、その人の自由。

ただ、あくまでもその基準は「自分がそうであるだけ」にとどめておかないと、と思うだけです。

 

母は自分がそういう性分だから、私や姉が「男性に車に乗せてもらう」ということにすごく敏感で、私もクマさんのことでは何度も喧嘩になりかけました。

(クマさんの記事は「クマさん」と検索すれば読めます)

クマさんとは性格が合って楽しいから出かけているのに「まぁ車乗せてもらえたら楽しいわな。ラクやしなw」みたいなことをことあるごとに言われて『運転目当てで遊んでるんじゃないのに』と、何度イラッとしたことか。

母の自分がそうだと思ったら、それが世間のスタンダードだと本気で思う部分、ほんとに嫌いです。

 

ただ、母の『どないやねん』と思うところが異性に入れ込むくせに、すぐ相手の悪口を言うんです。

前回、Yに対しては直接意見したり注意したりができないと書きましたが、結構こういうところがあって、そのせいで自分の思い通りにならないと今度はそれを娘に愚痴りまくる、ということが昔から多々ありました。

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一番多いのは父の悪口で、飲酒のことで父を教育しきれなかった母にも十分に問題があると思うのですが「お父さんが悪い」と、父への愚痴を散々聞かされてきました。

私は、お母さんの愚痴を聞くことも娘の役目だ!と、昔は本気で思っていましたが

今思えば『知らんがな。自分で勝手に選んだ男やろ(旦那も遊び友達も)』です。

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他にも色んな男性と仲良くなっては娘に延々愚痴っていましたが、それも毒親のあるあるだと知ったのはつい最近のこと。

 

あとはこれも毒親のあるあるかはわからないのですが

そうやって愚痴を言うもんだから、私も父の『こういうところ直してほしい』とか『こういうとこが嫌』とかをちょっと一緒になって母に言うと

「実の父に向かってそんなこと言うな」と、怒り出すのです。

自分は悪口どれだけ言ってもいいけど、娘のお前は何も言うなだそうです。

(しかも私の場合「悪口」ではなく、至極まっとうな「意見」でも、です)

娘にとってはたった1人の父親なのに、その悪口を娘に言いまくる方がどうかと思うけどね。

何その独自ルール。

 

母は、台所を好き勝手に触られると怒るので(調理器具を違う場所に仕舞っただけでも「料理の時、見つけられなかったら手間取る!」と激昂)私がきちんと場所を覚えて、食器洗い全般を担当していました。

 

父はたまに食器を洗っては、調理器具を突拍子もない所に仕舞うので、やってくれる気持ちはありがたいけど、そのせいで母が調理中にキレることが度々ありました。

それと、父は糸のような細さの少なーい水量で洗剤を流すので(父はなぜか水を勢いよく出すのを酷く嫌っており、実家の洗面台も父がバルブを閉めて水圧を弱くしていた)

『あんな流し方で洗剤が落ちているのだろうか…』という心配もあったのです。

母も父の少ない水で食器洗いをやるのが嫌いで、父が洗っているのを母が見つけると「またそんな(少ない)水で流して!もっと水出し!」と横から蛇口をひねって水を出し、嫌がる父と喧嘩になるので、それを見るのも不快でした。

 

そうやって言われたくない父は、家に誰もいない時だけまた食器洗いをやるからその度に仕舞った調理器具が行方不明になり「また父さんが変なとこ、なおした(仕舞った)んちゃうんか!」と母が激昂して、そのループなので(今思えば、2人とも精神年齢低すぎ)私は父には食器洗いは、やってほしくなかった訳です。

 

ある時さすがの私もふと(父のいない所で)『もう、父さん洗い物せんでいいのに…』と呟くと「せっかくやってくれとるのに、何やその言い方!」と母に怒られました。

いやいや、あなたもっとえげつない文句、いつも言ってません?しかも本人に直接。

 

これって一体何なんでしょう??

父以外にも、母は散々外でオトコと遊んできましたがその度に帰ってきては愚痴を吐いて、父に関しては本人にさえボロクソに言って

娘が便乗したら「お前は言うな、黙っとけ」って…一体何様??

 

模範解答は「娘は黙ってお母さんの愚痴を聞く。反論なんてもってのほか。便乗もしない。」なのでしょう。

娘のこと単なる「ゴミ箱」くらいにしか思ってないですから。

ゴミ箱は「こんなゴミ入れるなよ」なんて、言い返してこないもんね。

どんなゴミを入れたって、黙って受け入れてくれるもんね。

 

自分で選んだオトコのことなんて、自分で処理しろ。

娘を愚痴のゴミ箱にするな。

自分で処理しきれないのだったら、そもそも最初からやるな。

って話です。

なぜ、そんなことが言えなかったのだろう、以前に

なぜ、そんなことにも気が付けなかったのだろう、という悔しさしか今はありません。

 

誰しも、家族に愚痴を聞いてもらうなんてよくあることだけど

職場であったことやお店であったことを、ちょっと愚痴る…とはワケが違いますからね、毒親の場合。

娘がそこまで精神的に親に尽くす必要なんて、絶対にないです!

 

どうか、親の愚痴(自分には、そもそも関係ないこと・どうしようもないこと)を延々聞かされている方がいたら、まずはそれは今すぐやめて頂きたい。

事実、私が家を出て行って " ゴミ箱 " がなくなったって、毒母はピンピンしてますからね。

 

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" オトコ " のことで娘に張り合わないでください

今は全く思わないのですが、母に洗脳されてこうでなきゃ!とかつて思っていたことの中に『男性たるもの、車を運転できてこそ』というのがありました。

これは、母の長年に渡る刷り込みによるもので、昔は当たり前みたいに私もそう思っていました。

時代や地域性もあるとは思うのですが、母はドアtoドアで行けることをものすごく評価するので

車の運転が加齢によってままならなくなれば父のこともボロクソに貶し、人として価値がないかのような言い草でした。

 

なので、私が母の運転手代わりにならなきゃと本気で思っていたし

運転の苦手な私では限界があるから、そういうこともふまえて『婿をもらわないとな』とも本気で思っていました。

 

しかし途中で婿をもらうことはあまりにハードルが高いと判断したので、せめて気軽に車に乗せてくれる友達をと思って、前出の「クマさん」には何度か母も一緒に出かけるのに同行をお願いしたことがあります(その時は、運転を頼むかわりに食事代などの費用をうちがもつ)

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婿を取れないことを申し訳なく思っていた私は、せめてそういった「婿をもらったような感覚」のことを母にやってあげなきゃと当時本気で思って、実行していたのです。

 

そのうち、私は母との関係のおかしさに気付き、母のことが嫌いになって、クマさんの車で出かけることもしなくなりました。

同じ頃、母は母で件の「Y」が登場して仲良くなったのですが

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今思うと、母って元々どことなく娘に張り合ってくるところがあって(毒親あるあるですね)

あれだけクマさんの運転の恩恵を受けておいて、自分がいざYと仲良くなると

「クマさんの車はなぁ、小さいから」(Yの車の方が、大人数のお出かけに向いている)だとか

「クマさんの車はタバコくさいから」(クマさんは喫煙者でしたが、Yはタバコは吸わない)だとか

Yとクマさんを比べては、クマさんの劣る部分をわざわざ言わないと気が済まないようでした。

 

クマさんと一緒に出かけていた時はご機嫌でしたが

内心「たりはいつでも声を掛けたら迎えに来てくれる人がいる」ということにやっかんでいたのだと思います。

その証拠に、私はクマさんの人柄が好きで『 " 車に乗れるから " 遊びに行っている訳ではない』と母に何度も言いましたが

母は二言目には「あんたはええよな、クマさん呼べば車乗せてくれるからw」と言ってきて、本当に不快でした。

 

 

ある日母と買い物をしていた時のこと。

母が転びそうになりその瞬間にちょっと足をひねってしまいました。

そこから家に帰るには、まだ30分ほど電車に乗らなければなりません。

歩ける?どうする?と声をかけていると(立てていたので、そこまで酷くはなかった)

母が「Yくんに、迎えに来てもらおうかなぁ」と言い出しました。

別に、母とYとの仲をとやかく言うつもりはないけれど、私はその時既にYはちょっと無理だなと思っていた時なので

『Yくんが来るなら、私は電車で帰るね』と言うと、母が「何でよ」「乗って行ったらええやん」と、しつこいこと。

多分、母は今度は私に『Yくん、いいなぁ』とYの存在を羨ましがって欲しかったんだと思います。

「Yくんに、来てもらおうかなぁ」と言っている時の母が、ほんとニヤニヤして、いかにも「オトコを自慢したい」みたいなオーラが出ていました。

 

母は「男性」と見れば態度をコロッと変えるみたいなところがかなりあって(真面目でビビりなので、男を漁るほどの勇気はないけど)元来かなりの男好きなんだと思っています。

 

だからこそ、私にしても姉にしても

異性が関係することに関しては「あんたは〇〇やからええやん」とか、母はすぐ張り合うようなことを言ってくるんですよね。

さっきのクマさんの件もそうですけど。(姉のことに関してはまた書けたら書きます)

 

だから、自分が優位に立ったら、今度は自慢したくて仕方なかったのだろうとも思っています。

 

一度、それより前のまだ私がYのことをよく知らない頃の話

あるライブに母と私で行く予定だった時、ちょうどそのライブ会場近くでYが用事があるから、乗って行くか?という話になって

 

事前に『出る時間、もう少し早い方がいいんちゃうかな』とも意見したのですが

母はYにはっきりとものを言えないので(娘にはあんなに偉そうに言うくせに)

案の定開演ギリギリに周辺に到着して『もうここで降りて走る!』と私が決め、小走りで会場へ向かったということがありました。

開演には間に合ったものの、走ってなければ間に合っていないし

私は余裕をもって席に着いておきたかったし

何より、Yから「遅くなってごめんな!」の一言が全くなかったことに驚いてしまって

(道が混んでる!何でや!と言い訳ばかりしていた。母もYもきっと内心「もう少し早く出れば…」とは思ったはずですが、2人ともガキみたいな性格なので、絶対にそこを認めなかった)

 

帰りもYが迎えに来ていたのだけど「開演ギリギリになってごめんな」とかいう言葉も結局最後まで一言も、まっっったくなく

わざと「開演に間に合わなかったことには触れない」みたいな空気を出され(母はこういう時絶対オトコをかばうので、Yにも厳しいことを言えない←こういう女、ほんとに嫌い)

さすがの私もブチ切れて、家に着いたとき一言も礼を言わずに車から降りました。

 

すると、自分の " オトコ " をぞんざいに扱われたのが気に入らない母は、家に入るなり

偉そうに「いくら遅れたって言ったって、礼は言わなあかんで!」ですって。

 

『まぁ確かにそうやけど、逆に遅れたことへの謝罪はない訳?』『私もう少し早く出た方がいいって言ったよな?案の定遅れたやん』と言うと

「間に合ってんから、ええやん。何があかんの?」

『あれ、間に合ってるって言わんから(笑)』

「何で?始まってなかってんから、ええやん」(また出た。自分勝手な「ええやん」)

自分が「嫌」って思ったら、家族が『ええやん』って思っても断固として許さないくせにね、私には「ええやん」を押し付けるんですね(笑)

 

私も大人げないですけど

『もうYくんの車には絶対乗らないから(笑)』と返しました。

 

大体、もっと些細なことでも激昂しては機嫌を損ねてきた歴史があれだけあるくせに

普段温厚な私がここぞって時にキレたら「よくあんな態度取れるな!」って…

母にだけは言われたくないです(笑)

 

まぁこれも、そもそも「車さえ乗って行けたら、あとはどうでもいい」くらい、車を崇拝している母と行動したからこういうことになったのだろうとは思っています。

 

「確かに、開演ギリギリになったのは残念やったけど、乗せて行ってくれたことは感謝してほしいな」くらいの言い方ならばまだしも、母の

「ライブに遅れるくらいどうってことないし、そもそも間に合ってたからいいやん」ってな考えがね(笑)まぁ母らしいっちゃ、らしいんですけどねw

 

まぁ、そもそもYの車に乗って行ったことが元凶なのはわかっています。

ムキになって断るのもな(断ったらどうせ母がうるさいし)と思っただけですが

こういうのがダメだったことはもう学習しています。

今は母が機嫌を損ねようがしつこかろうが、断れるようになりました。

 

何でそもそもそんなリスキーなことをしたんだ?というのは、毒親育ちにはあるあるですから、言いっこなしでお願いしますね(笑)

 

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子どものまま、子どもを産んだ者たち

またある毒親育ちの方のブログを読んでいて、色々感じたので書こうと思います。

その方はおそらく私と同世代(昭和50年代後半生まれ)

親も私の母と同世代(団塊)のようでした。

 

その方はネグレクト気味に育てられたようで、詳細は割愛しますが、書き起こしている両親のセリフの端々に、私の母と似た部分がたくさんありました。

 

その方のお父さんの言動の中で「子どものできない部分や足りない部分をわざといじる」みたいな、そういうところが私の母にそっくりでした。

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読んでいるとそのお父さんも、おそらく幼い頃自分自身を認めて可愛がられたことがなかったのだろうなという印象を受けました。

だからまだ幼い、右も左も分からないような子どもと、もう40年くらい生きてきているいい大人が、同じ土俵で子どもをなじったりするんだな、と。

 

戦後の混乱の中で、子どもから大人になる過程を過ごしたこの世代(団塊)の中にはこういう人って多い気がします。

精神的に子どものまま、いっぱしに結婚・子づくりだけはするもんだから(時代が時代なので仕方ないけど)

こういう「言動がガキみたいな親」が多いんじゃないかな?と感じています。

 

そういった時代の中、私の母も生きて来て

母の両親(私の母方の祖父母にあたる)が、四人の兄妹たちを育てるのは確かに大変だったのだと思います。

特に母のお母さん(私の祖母)が、厳しい人だったようで、私は母(とその兄妹)がああいう毒思考になったことはこの人から受け継いだ連鎖だと思っています。

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戦後のしんどい時期な上に、家が大変貧しいこともあって、母は幼い頃とにかく「贅沢言うな」「我慢せぇ」といった類の言葉をたくさんかけられてきたようです。

その証拠に母は「贅沢言うな」「我慢せぇ」が大っっ好きな根性論信者だったし

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二言目には「おかーちゃんによう言われたわ!(だからそれが正しいのだ)」みたいなセリフを吐いていました。

 

平成も20数年過ぎてもなお、昭和の「食うや食わずの生活」を引き合いに出して私を怒鳴り散らし

わりと最近にも私より20歳下の姪にも偉そうに「薪で火起こしながら受験勉強した」みたいな話を延々として、姪にはスマホをいじりながら完全に聞き流されていました。(武勇伝を語って偉そうにしているうざい上司みたいw)

 

母自身も子どもなのに「空気を読んで」「我慢して」ということを嫌と言うほどやらされてきたのだろうし、それが親を敬うことだと信じて疑わなかったのでしょう。

 

だからこそ、寂しさを抱えたまま、大人になりきれないまま大人になって旦那と二人でラブラブ~♡なうちは良かったのだけど

ある意味「自分の分身」のような「娘」が生まれたら「大人になりきれない部分」が出てきて

娘を下に見たり、自分が優位に立たないと気が済まないみたいな態度が見受けられたのだと感じます。

結局、毒の連鎖が起きたのだと思います。

 

…こうでも思わないと、私はどうしてもなぜあんなに可愛い子にそんなことをできたのか?という部分が整理がつかないのです。

 

私、姪にすら思いますよ。

ただの姉の子と言えど、こんなにかわいいのに

なぜ「実の娘」に対してあんな横柄な態度が取れたのか

 

私は子どもはいませんし、元々子ども好きでもないですが

例え他人の子であっても「子ども」という立場の者に、あんなに酷いこと言ったりやったり、しろと言われたってできません。

 

自分の親相手だとどうしても「とにかく腹が立つ」「何であんなに酷いこと言われないといけなかったのかな」ということにフォーカスしがちですが、他人の似たような親のエピソードを読むと、自分の親よりかは幾分か客観視できて

きっとこうだったのだろうなぁというのが垣間見えるので

「似た親を持つ人のブログを読む」というのも、効果的かな?と私は思っています。

 

かと言って毒親を『仕方ないよな』なんて、許す気などないですけどね。

 

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