母の嫌いだった、また今も嫌いな言い回しは色々あり過ぎるのですが
またひとつ思い出しました。
昔から、失敗することに異様に厳しかった母は何をするにも先回りをして「ああしなさい」「こうしなさい」
思い出すだけで『よくあんなにずっと指示できるよな』と逆に感心するくらいなのですが
「〇〇したら(失敗したら)泣かんならんで!(泣かないといけなくなるよ!)」も、何万回と言われた記憶があります。
さすがに人に向けて私がこの言葉を言う事はありませんが
時々家で1人で何かをしていて、何か失敗しそうになったら、頭の中でこの言葉が浮かんできます。
例えばどういうところで母が言っていたかと言うと
アイスクリームを食べていて、ちょっとよそ見したら
「よそ見しぃな(するな)!(アイスを)落としたら、泣かんならんで!」
とか。
とにかくこんな感じでよく言われました。
食べ物をこぼしたり落としたり、気をつけていないと、おじゃんになるぞ!という場面で一番多く使っていましたが
他にも切符とか、きちんと持っておかないといけないみたいなものを「きちんと仕舞っときよ!失くしたら、泣かんならんで!」も、よく言われました。
小さい頃は当たり前のように言われていましたが、最近になって『泣かんならんって何だよ』と思って、考えていました。
そもそも、そんな親に育てられていたから、同じ年頃の子よりか私はよっぽど注意深かったし、取り返しのつかない大ケガだとか、ミスだとかそれこそ「泣かないといけない」ほどのことをやらかすことなんてそうそうない子どもでしたが。
おそらく、一番の理由としては母は異常な守銭奴だったので、何をするにも「もったいない!」という気があって
それを子どもの不注意で、買ったものがムダになるとか、もう1つ買わないといけなくなる、というのが母は心底嫌だったのではと考察しています。
それに加え、落としたりして子どもが泣いたりダダをこねたりするのも嫌だったのだろうなと思います(母は子どもが泣いたり、機嫌を損ねることをすごく嫌っていました)
確かに『アイスなんて数百円のものじゃん。それくらい、いいだろ』とは、思わないし、遊び半分でふざけて食べてたら私も注意はすると思います。
けれど母の場合は、アイス等が子どもの手に渡った途端目を光らせて、まるで見張られているような中で食べなければなりません。
幸い、歳の離れた姉がいたので、姉が大きくなってくると『姉ちゃん、たりが落とさんように見たってよ』と、姉にその役割がバトンタッチされ、姉は母みたいな言い方をしないので(こぼれそうになったりしても、怒るのではなく優しくフォローをしてくれる)
姉が一緒の時はある程度はましになったものの
せっかく家族みんなで出かけたりしても母だけがずっっっとこの調子なので
食べることを含む何事にも消極的になるし『旅行やイベントを楽しむぞ~!』ではなくて『あれは大丈夫かな。これは大丈夫かな。あれがああなったらどうしよう』ばかりに頭の中が支配されて、楽しい訳がありません。
それでも、20代半ばまで、親孝行だと思って母主催の旅行に付き合っていて、当時はそれなりに楽しんでいると自分では思っていました。
しかしこの間、私が23歳くらいの頃の家族旅行の写真データが出て来たのですが
どこに行って何をしたか、全く思い出せませんでした(時期は、着ていた服で何とかわかった)
結局、幼い頃は母の顔色をうかがって、失敗しないように…と思うので旅行等の楽しさは半減し
そういうことをあまり思わなくなった20代になってからも、結局今度は『行かないと母がキレまくって面倒だから』という理由だけで参加していたのだなと感じました(笑)
そりゃ記憶になんて残らない訳です(笑)
それから、すごく不思議なのですが、私は幼い頃の家族旅行とかもわりと覚えている方で「姉ちゃんはすぐに忘れるけど、たりは何でもよく覚えてるなぁ」と家族にもよく言われていたのですが
最近、だんだんと昔の旅行のことも記憶が薄れてきたと言うか
まぁ歳を取れば当然のことなのかも知れないけれど、何かあるごとに『あの時も母にああやって言われた』『母がこんな風ですごく嫌だった』というのを思い出していたのが、だんだんとなくなっていることに気がつきました。
昔はもっと鮮明に頭に色んな場面がこびりついていたし、思い出す頻度も高かったし、その度に腹が立って仕方なかったのだけど
最近は意識的に思い出そうとする作業をしない限りは、特に思い出すこともないので
それに伴って腹を立てることも少なくなってきました。
母が嫌いなことには変わりはないですが、母の言動のルーツ等を探るうちに「落としどころ」が私の中で見つかりつつあるのかも知れません。
こうやって、文字に起こすことで私の中の何かが昇華されているような気もします。
もう少し、この作業は続けていこうと思います。
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