もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

選挙に行ったことがなかった理由

恥ずかしい話、私は30代半ばまで一度も選挙の投票に行ったことがありませんでした。

子どもの頃に親の投票について行った経験もなく、自宅に届く投票用紙もそれがどういうもので、どうやって使うものかという説明など両親から1度も聞いたことはなかったです。

うちでは「選挙なんか行かんでええ」「あんなもん行っても意味ない」という感じでどこの家もそうだと思っていたけど、どうも友達の親は投票に行っているようだし、社会人になると某党への投票を促す人が出てきたり、投票の帰りに家族で外食に行く「選挙あるある」とかもネットで見るようになり、他の家庭はもっと選挙が身近にあるんだな…もしかしてうちの方が少数派なのかな…ということも薄々気付いてはいました。

 

しかし親に「やらなくていい」と言われたことを『やってみるわ』と言うのは、私の家では親への反発に等しかったので

例えば昔、女性を異様に毛嫌いする母に対して、女友達を作ることに何となく罪悪感を抱いていたのと同じで

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投票に行くのも良くないことのように幼い頃から思っていました。

 

母と暮らしている時に投票に行くとしたら、また「どこに行くんや」から始まり、投票と言おうものなら「何でそんなん行くねん」「わざわざ行かんでええやないか」とグチグチ言われていたのは目に見えています。

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投票程度の小さなことも狭い世界で生きている毒母は「行ってらっしゃい」の一言では済まない可能性があり、母に何か言われそうなネタをわざわざ自分から作らなくてもいいかな…と全てにおいて消極的にならざるを得ず、母の場合選挙以外でも万事がこうでした。

どこに地雷が埋まってるかわからない中を不要不急のことで歩き回りたくない、そんな感覚。

うっかり地雷を踏もうものなら(=母の機嫌を損ねようものなら)まためんどくさいことになります。

私には他にもライブに行くとか好きな人に会うとかやりたいことがあって、そのために日々母のご機嫌取りをして、いかにスムーズにそれらのことをやれるか

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それにかかっていたので、言葉は悪いけど投票なんかをまた母と喧嘩になりそうなきっかけにしたくなかったという訳です。

 

母にキレられないよう、母が機嫌を損ねないよう、日々感覚を研ぎ澄ませてうまい言い訳や嘘も常に考えておかないといけない。

普通の人なら考えなくて良いようなレベルのことを考える余力を温存しておかないといけない。

そんな中で候補者がどうとか、公約がどうとか、そんな余裕はありませんでした。

 

高知東生さんも絶望の中にいる人が投票や選挙のことなど考えられないということをツイートしていたけどその通りで、別に私はアンチ選挙とかでも何でもないけど毒親と暮らしてたら、それどころじゃなかったというのは一理あります。

 

政治に無関心、無知だったことを言い訳しているように聞こえるかもしれませんが、別に選挙だけではなく、毒親と暮らすと万事がこういう考え方にならざるを得ないのです。

だから資格の勉強とかもあの家ではする気になりませんでした。毒母の横槍が入るとその対応で余計しんどいからです。

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それを「やろうと思えばできる」「甘え」とか言われても、どうしても私は首を縦には振ることができません。

 

別に投票に行かなかったことを悔やんでいる訳でなく、一般の人が何気なくやれるようなことをやるにもいちいち母の顔色を窺わないといけない、そういう暮らしを強いられてきたことが悔しいのです。

いい歳になるまで知らない・分からないことがたくさんあったり、そうかと思えば母から何の役にも立たない知識を詰め込まれていたり、そういう生活をせざるを得なかったことが悔しくて仕方ないのです。

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家を出て数年が経ち、ある時『投票、行ってみるか』という気持ちになりました。

そういうことを考えられる余裕がやっと生まれたということです。

 

今思えば昔の私は『誰に投票しよう?』なんて考えられるようなスタートラインにすら立てていなかったのだろうなと思いますが、そう思うと何とも言えない気持ちになります。

 

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