もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

だんだんわかってきたこと

家を出て1人暮らしを始めると家事や用事をこなしていた親の偉大さに気が付いたという話はよく聞きますが、私は1度も感じたことはありません。

毒親育ちあるあるでしょうか?

 

確かに母が社員として働きながらあれだけの料理をしたことは体力的・物理的な面ではすごいと思います。

けれど、自分の機嫌は自分で保ち日々暮らすこともまた大人の責任であることを引き合いに出せば、あれだけ家族に当たり散らして怒鳴って提供された母の手料理や働いてきた実績に、値打ちは感じません。

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掃除洗濯名もなき家事、手続き関係や町内のこと…全部「正社員だから」「料理を作らないといけないから」を口実に一切やっていなかった母は、仕事を言い訳に家事育児に全く参加していなかった昭和の父親像を彷彿とさせます。

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私が学生くらいの頃、母は高めのスーパーで両手に袋を抱えるほどの数千円もの買い物をして帰って来ていましたが(毎日ですよ)今考えたら家族構成に対しての買い物の量が完全にアンバランス。

うちは家族4人とも小柄で、父も周りのお父さんに比べたら20ほど年が上だったしお酒を飲むので食も細く、母・姉・私も人よりかなり小食です。

母は冷凍保存も嫌うので食材を使いきらなくては!と躍起になってはイライラし(元来の育ちで無駄にはしたくないという気があって、腐りかけた肉を調理していたことも(もちろん捨てさせました))冷蔵庫を覗いては「あ!これ買ったの忘れてた。早く食べなアカン」と言うのも日常茶飯事でした。

これで倹約家で料理上手?

母はそう自画自賛していましたが、どこが?です。

 

母自身も食料品にお金使いすぎだな…という自覚も少しはあったのだと思いますが、その我慢はどうしてもしたくない。だから自分も社員で働く!そう決めたのでしょう。母が扶養内のパートなら、食料品に対してだけと言えどあの金遣いの荒さでは、パート代ひと月分くらい簡単に飛んでたんじゃないかな。

ならばバリバリ稼いで我慢せず食料品を買って、買い過ぎたなって思っても「また頑張って稼ごう!」と、機嫌良く暮らしたらいいのに、何であんなに定期的に怒鳴り散らさなければ精神を保てなかったのか…それがずっと解せませんでした。自分で選んだ道やろ、と。

 

その答えは、多分結婚して好きなものを買える生活になっても、母の幼少期にあいた「心の穴」が埋まっていなかった証拠ではないかな、ということ。あれだけアホみたいに食料品を買っても、母の心は本当の意味では満たされていなかったのだと思います。

母の当時の食料品への金遣いは必要最低限+たまに贅沢のラインを確実に超えていたと思うし、買い物依存症的なものすら感じます。

食材を買いに行けばハイになり、買う手を止められなかったのでしょう。それはある種けじめのないことと母も薄々心のどこかでわかっていたのだと思います。

その罪悪感を払拭するために「自分には家族を食べさせる義務がある!」と、無駄遣いを正当化していたのだと思います。

 

そう思う理由は、私も昔軽い買い物依存のような状態になりかけたので「また買ってしまった」という罪悪感も、ああだこうだ言い訳をしてまたやってしまうのもわかるんです。

お酒もギャンブルも依存症ってきっと同じで「明日はしない」「次は減らす」という気持ちも嘘ではないけど、結局心にあいた穴がまた同じことをさせてしまうんですよね。

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定期的に行われる「母さんは、女中やない」という悲劇のヒロインショーも、自分を被害者に仕立て上げてまで自分の無駄遣いを正当化したんだな私はそう思っています。

急にスイッチが入って深夜まで怒鳴り、最後には必ず「コキ使われているお母さん…」みたいな話にすり替わるのも、食料品が絡むと無駄遣いをやめられない、ケジメがなく自分を律せないところ、それらを何が何でも正当化したかったのでしょう。

自分の弱い部分と向き合う勇気がなく、言い訳と自分擁護のために家族を利用してたんだなとしか思いません。

 

定期的に怒鳴るのも、物理的な買い物では埋まらない心の穴を一時的に埋めるために、親という立場を利用して娘たちをサンドバッグにして紛らわせただけ。

 

こればかりは母自身の問題であり、例え母が心の病だったとしても擁護する気もありません。かわいそうとも思いません。

何の罪もない子どもをあそこまで攻撃してやり込めたことは、断じて許されることではないからです。