もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

価値観の押しつけ

今、ちょっと心配していることがあります。

以前にこちらの記事に書いた友人

tari97.hatenablog.com

実はプライベートの趣味(アイドル)が同じだったこともあって最近わりと仲良くしているのですが…(以下M川さんと表記します)

 

最近彼女との距離感が、少し不安になってきています。

 

私は以前に一番の親友だった「M」とうまく距離感を保てなかったことで、彼女のモラハラ的な言動が助長されて、仲に亀裂が入った過去があります。

tari97.hatenablog.com

そして今また、M川さんとの距離感がうまく掴めなくなってきています。

たまに垣間見える、M川さんの態度も気になっています。

 

2人で居るととても楽しいし、毒親絡みでどん底を経験しているM川さんだからこそ話せる事もあるし、M川さんも「いいなと思う人としか仲良くできないから」と言ってくれた事は嬉しいのですが、彼女の異様なプライドの高さに辟易することがあるのです。

それが、すごく親友Mに似ているところもあって…

 

最近も毒親の話になった時、M川さんはまた私の母の話を聞き「いいなぁ」と言いました。

その時に勇気を出して『ううん、いいなぁは違うと思うよ』と、言いました。

親友Mに対して、毅然とした態度で接することができなかったことが、最悪の事態を招く一因であったと思ったからです。

勇気を振り絞って、意見しました。

 

毒親にも色んな種類があるし、みんなそれぞれ感じ方も違うし…』と言うと、彼女は何て言ったと思いますか?

結構な剣幕で「じゃあうちの親と交換しますか?!」と…。

トホホ…状態でしたが

『じゃあ、私たちの親くらい干渉はしてこなかったけど、金の無心する親だったら?殴り倒す親だったら?それでも干渉しないならそんな親の方がM川さんは良かったですか?それは違うと思いませんか?』

毒親にマシも酷いもないです。セクハラと同じなんです。お尻を軽ーく触られただけでも自殺する人もいれば、もっと酷いことされても笑ってられる人もいますよね。その人が嫌だと感じた時点でアウトだし、どっちの毒親が酷いと比べたくて私は話をしている訳ではないんです。比べる事自体がナンセンスだと思う』と、はっきり言いました。

tari97.hatenablog.com

 

彼女は毒親に関しての情報はそれなりにあるみたいですし、もしかすると私のブログも見た事があるかも知れませんが、どうもまだ「何かに十分に向き合えていない」そんな印象も受けます。

そしてまた、親友Mとよく似た「私の方が辛かった」論を主張しているような…

そんな印象を受けます。

 

また、お金のことで何かコンプレックスでもあるのか、金銭的なことにおいてはすごくプライドが高いなと感じます。

食事に行っても必ず多く出そうとするし、多い分を返そうとしても絶対に受け取りません(彼女の方が年下なのに)この、異様な頑なさに何かを感じます。

 

そしてまた、それが彼女に取っての呪いになっているような気がします。

 

と言うのも、M川さんはアイドルに対するお金の使い方をどうしても「正解・不正解」論で語ろうとします。

 

確かに、お金をたくさん落とすことはファンの鑑であると思います。

しかし私は昔のようにアイドルに依存をしていないから、お金もそんなに出さずゆるりと応援しています。彼女にも再三、そう話しています。

 

その「ゆるりと応援」が多分お金を落としまくる彼女にとっては「不正解」なのでしょう。

口では「(応援のやり方は)人それぞれですからね♪」なんて言っておきながら

〇〇さんは、グッズもCDやDVDもたくさん買っているんだって、と私の知り合いの話をすると「その方が正しいですね!」と、私の前で言い切るのです。

 

…なぜそこで「正しい」なんて言葉を使わないと居られないのか…?

ファンの在り方に「正しい」「間違い」なんて、いつ誰が決めたのでしょうか。

これは紛れもなく単なるM川さんの自論ではありませんか?

 

そしてまさにこれが価値観の押しつけではありませんか?

彼女も毒親からされて、一番嫌だったことなはずなんです。

 

けれども、自分のやっていること(大量にお金を落とすこと)こそ正義!と信じて疑わない彼女は、どうしても自分の立場を「正解」に置いておきたいのだと思います。

お金に困っていない自分が「正解」、お金に余裕がある風に見せる自分が「正解」

アイドルにも際限なくお金を落とし続けている自分が「正解」…

正解ループにはまり続けるからこそ、お金を出さない私を「正解」としたくないのでしょう。

 

けれどもその「正解」に縛られて苦しいのは、他でもないM川さん本人なのではないかなぁ。

 

今までも「たりさんはたりさんのやり方でいいんです♪価値観なんて人それぞれですから♪」と言いながら、さっきみたいなふとした言動で「たりさんは不正解!」「正解だなんて認めない!」が出てしまっているんですよね。

 

で、ついさっきもこの話になり、このやり取り何回目?と、さすがに腹が立った私は、思い切って彼女にLINEをしました。

 

 " 価値観の違いは仕方ないと思います。認めてほしいとも言いません。でも、M川さんの知らない時期に命を掛ける気持ちで〇〇(ユニット名)を応援した時もあったので、今の私のやり方だけを見て正しくないみたいに言われるのはすごく悲しいです😢😢 " と。

 

まだ既読はつきません、さてどんな返信が来るか。

 

1人で抱えるには荷が重いので、吐き出させてもらいました。

 

また報告します。おやすみなさい。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

毒親育ちの後遺症

最近また気がついたと言うか、外部から指摘されてわかったことなのですが

私はどうも常に身体に力が入っているらしく、それが酷い首コリや肩コリに繋がっているそうです。

この事は、毒親問題に詳しい高橋リエさんも度々「毒親育ちは過緊張状態にある」と指摘しておられ、最初は『またまた~大げさな』と思っていたのですが

 

去年くらいからすごく腕の良いマッサージ店を見つけて、私の首コリや肩コリ(と言うか、そのマッサージ師によるともうとにかく全身が凝っているらしい)について聞くと

私は姿勢の悪さや癖、運動不足で起きていると思っていたのですが(母にも昔から「姿勢が悪い!正しなさい!」と姉共々よく怒られていた)

「こう左右対称に凝るのも珍しいので、おそらく姿勢や癖ではなく精神的なものではないか」と言われました。

姿勢の悪さや癖が原因なら、左右差が出るはず、と。

実際、たりさんがそんなに姿勢が悪いなぁと感じたこともないとも言われ、最初はこれも『またまた~』と思っていたのですが

そんな時にふと思い出したことがあります。

 

昔、小学生の頃に先生の話を聞いている時、話がひと段落ついた時にふと体の力が抜けるような感覚がありました。

特に、顔の筋肉が緩むみたいな感じで、どうも私は先生の話を聞く時目をカッと見開き、力を入れてじっと先生の話を聞いていたみたい…とその時気が付きました。

それから、先生の話が長くなると意識的に力を抜くというのをやっていたのですが

そもそも『そんなに力を入れて先生の話を聞かなくてもいいじゃないか』と自分に言い聞かせるものの

結局無意識レベルで「先生の話を聞く時のスタイル」のスイッチが入ってしまうので

ちょっと疲れたなーというタイミングで顔の筋肉を緩めるというのをよくやっていました。

(わかりにくいと思いますが、眉間をぐっと上に上げる動作をやってみてください。先生の話を聞く時、無意識に私はいつもそうなっていましたw)

 

そして最近、そのマッサージ師に言われた事が気になって仕事中の自分の姿勢を気にするようになって

肩や背中はもちろん、なぜか太ももにもガチガチに力を入れてPCを触っていることに気が付きました。

なんでやねん!と心の中でつっこみましたw

 

日頃から、猫背になってる!姿勢を正そう!というのと、足を組んだりカバンを持つ手はできるだけバランス良く、と思って実践していたので、まだやり足りないのかーと本気で思っていたのですが

どうもこの「全身に異様に力が入っている」というのが、酷いコリの原因のよう。

 

やはり私は毒親からの厳しい叱責による「人からどう見られているか」が未だに抜けず

例えば電車に乗っていても、仕事中も、先生の話を目を見開いて聞いていた時と同じようにグッと力を入れてしまう癖がついているのだと思います。

 

マッサージに行くと顔のコリも指摘され、かなり歯の食いしばりがないですか?と聞かれました。

と言われても自分では全くピンと来ません。

そんな時、どうやら姉も歯科で「奥歯の食いしばり」を指摘されたそうです。

ここまで話が合致してしまうと『またまた~大げさな』もいよいよ通用しないのではないか…これが毒親育ちの後遺症と考えたって、大げさではないのではないか…と思った次第です。

 

ちなみに、私はブログを書くのが好きなので家でもよくPCに向かっていますけど

長い文章を打っても全然しんどくならないんですよね(笑)

多分、家には誰の目もないからでしょうね。

 

長年「PC作業でのコリ」と思っていたのは、実はそうではなくて「人からどう見られているか」(これには毒母も含まれる)を気にしすぎた結果、身体に異様に力が入ることにより起こる疲労感からくるものだったのでは?というのが今の見解です。

 

ちなみに、先週からこのコリが酷すぎて昨日そのマッサージに行ったものの

今朝かなり体調が悪く(おそらく、好転反応が出ているのか?と思う)

以前なら無理してでも行っていたけど、結局今の時点で既に無理の段階を超えてたんだろうなと思い(我慢強いのは、毒親育ちのあるあるですね)今日は仕事をお休みしました。

とことん自分を甘やかすぞーとマッ〇デリバリーを注文して貪り食って頭痛薬を飲んで寝たらめっちゃ元気になりました。

私は派遣で時給制なので、日当マイナス1日分は惜しいけど…

自分の身体が一番大切!

こんな日もあってもいいですよね。

 

前にもそんなおうちで育ったのだろうなぁという子のエピソードを書いたけど

tari97.hatenablog.com

「こんな日もあっていいよ~」と言ってくれる親のもとに生まれていたら

もう少し楽に生きれていたかなぁ。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

私の嫌いな風潮②

以前の職場で休憩室のある所があったのですが、前の記事で書いたみたいな風潮がやはりここにもありました。

tari97.hatenablog.com

一旦誰かがきれいにしても、監督者の目が行き届かなくなるとどんどんどんどん物やごみが増え、風紀が乱れます。

 

一番気になるのが、大袋の菓子をたまに上司が置いて行ってくれるのですが、最後の1つを取った人が大袋を放置。似たようなことですが、紙コップ等の消耗品も最後の1つを取った人が外装を放置。汁物を食べてテーブルに汁がこぼれていてもほったらかし。

 

いい大人が(使用しているのはほぼ女性)何で、自分の出したゴミくらい片付けられないのか(最後の1つを取っておいて、大袋や外装は放置するその神経が理解できないけど、多分それを「自分の出したごみ」とは認識していないのでしょうね)

何で、自分のこぼしたものくらい拭いてから出られないのか(ウエットティッシュも目の前に置いてあります)

 

本当に気がつかないなら、100歩譲って諦めます。

「次から気をつけよう」で、いいと思います。

 

「キレイ」の基準も人それぞれ。

私だって別に、自分の家を舐められるくらいに拭き上げるような潔癖でもありません。

 

それでも「ここにあるべきではない物が置かれている」「明らかに捨ててもいいと認識されるようなものが放置されている」を「散らかっている」と認識するのは、おかしいことではないと思います。

 

その休憩室では、一体同じことを何回繰り返しているのか?状態だったので「本当に気がついてない」ことは、ないと思うんですよね。

 

まさに「腐ったミカンの方程式」なんです。

 

いつの間にか、休憩室のごみを集め、ウエットティッシュで机を拭くのが私の日課になっていました。

 

こういう「誰かがやってくれるでしょ」という風潮も大嫌いです。

そして、よく気がつく私はその「誰か」にいつもなってしまいます。

 

ある日、久しぶりに休憩室に行くとあり得ないくらい物とごみが散乱していて、さすがにこれは…と思い、写メを撮って上司に「ちょっと汚すぎます」と報告しました。

 

すると、次に来た子が片付いた休憩室を見て、あれ?と言うので『〇〇はあそこに仕舞ったけど、使うならまた出して』『あまりにも汚かったから、あれは処分したよ』等言うと「あ~だからか。さっきの全体周知。」と言われ、何のこと?と思い聞くと、さっき私が撮った休憩室の全景と放置されたごみの写真がそのまま添付され「休憩室にごみが散乱していました。各自ごみは持ち帰るよう徹底お願いします。」と文章が添えられ

私の撮った写真を何のことわりもなくそのまま使って、上司から全体周知をされていたようです。何より腹が立ったのは、私にはその全体周知は届いていませんでした。

 

その時点でもやっとしましたが、次に出勤した人から「たりさ~ん、昨日すみませんでした~」「あのお菓子の箱、空っぽだと思わなくって~」表面的な謝罪と、言い訳の嵐。

 

…いやいや、おかしくないか?

 

これじゃあ、完全に「たりがうるさいから、みんな片付けしような!」の図式。

そうじゃないでしょう……

私は別に犯人捜しをしたい訳でもなく、謝ってほしい訳でもない

 

常識的な範囲でお片付けしましょうねってだけの、小学生でもわかりそうな話。

何で大人の世界ではここまでこじれるのだろう🤦‍♀️

 

そもそも、まずは写メが送られて来たにしても、上司ならば実際に休憩室を見に来て

事実確認をしてから周知をすべきでは?

言いだしっぺだからと言って全体周知のメンバーから私を外すのはおかしくない?散らかした方の、ではなく、声を上げた方の匿名性が守られなかったことにも疑問を感じました。

 

じゃあ、放っておけばいいじゃんという声が聞こえて来そうですね。

これも前回の「結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、同じく論点がずれていると思います。

 

じゃあ、きったない休憩室で心休まらないのを、私が我慢しろってことですか?ということになります。

 

以前まではこういう時に『たりがうるさいってきっと陰で言われてるんだろうな』『うるさいお局ババァみたいと思われているのだろうな』と「おそらくみんながそう思っているであろう」ことを勝手に想像し、言いたいことも言えずにいましたが

 

いや、待てよ。『私が、汚い休憩室で過ごしたくない』それを主張する権利だってあるはず。

 

それに、元々「共有スペースなので、ごみは持ち帰りキレイに使用しましょう」とルールが定められている場所で、今回の件の私の主張はただのワガママではないし、至極真っ当なものだと考えます。

 

なら「うるさいお局ババァ」で結構。

「せめて私のいる時くらいは、あ!片付けなきゃ!と気にする精神を養え」くらい、思えるようになりました。

 

な~にが「あのお菓子の箱、空っぽだと思わなくって~」だか。白々しい…どうせ誰かが捨ててくれるだろうと思って放置したんだろ!こんなこと、ここでしか言えないから言うけど。

 

今までなら『まずい、面倒な奴認定されてしまう』と思っていましたが『面倒な奴で結構』『そうですよ、私はめんどくさい人間ですよ。それが何か?』くらいで、ちょうどいいのだと思います。

 

多分、今後もそういう場面に出くわすことは何回もあると思います(実際、既に何度もあります)

 

けれど、最近わかってきたのは、結局言われた方は「大して気にしていない」んですよね。だって、言われて気にする人ならそもそも散らかしたり汚したままにしないですもんね。

 

気が付きすぎる自分をしんどいとも思うし、もっと気が付かない人間だったらどんなに楽だったろうとも思います。

きっとこれを読んでくださって、共感できる人はみんなそう。

tari97.hatenablog.com

でもやっぱり、そういう人にはそういう人が集まってきます。

見てくれている人も絶対に居ます。

「腐っていない方のミカン」なんです、私たちは。

 

「気にしぃ」ではなく「繊細」と思って、長所と思って生きていきましょね!(と、自分にも言い聞かせている私)

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ