母は上沼恵美子さんが好きで、実家ではよく彼女のテレビ番組を母が見ていました。
貧しい幼少期、大恋愛の末の結婚、復帰後はまたバリバリ稼ぐという彼女の生き方も、どことなく母とリンクする部分があります。おそらく母もそういう部分で、シンパシーを彼女に抱いていたのではないでしょうか。
私は上沼さんのことを別に好きでも嫌いでもなかったけど、母が好きと言うから私も好きって言った方がいいんだよな、と思いテレビも毎週一緒に見ていました。
母と暮らしている時はタレントに限らず、食べ物や洋服なども万事がこうで、母が好きなら好き・嫌いなら嫌いと思わなければと思い暮らしていました。
しかし、家を出てからは意識的に見るのをやめました。
理由の多くは、彼女のテレビ番組を見ることで実家で母と見ていた時の空気がよみがえる感じがしたからです。
実家で母に付き合わされ見ていたテレビ番組は、今もほとんどこうで、見ないようにしています。
もう1つの理由は、関西弁ということも相まって母とそっくりだなあという気持ちが年々大きくなり、上沼さんを見ても嫌悪感を抱くようになったためです。嫌なら見なけりゃいいじゃないかと言われそうですが、私の好きなタレントと共演することもあったので…。
それで今回、上沼さん司会のワイドショーでパニック障害を理由に会見に出てこなかったジュリー氏に「這ってでも出てこな!」という言葉を吐き、物議を呼んでいるとネットで見ました(大体予想がついたので動画も見るつもりなかったのですが、SNSのおすすめに流れてきてしまった)
ニュースの見出し等には「這ってでも出てこい!」と書かれていましたが、関西弁での表記をすると「ほうてでも出てこな!」となります。上沼さんは確かにこう言いました。
この一言がね…もう母すぎて…
言った時の上沼さんの剣幕というか言い方と言うか…母と瓜二つで、ぞっとしました。
辛いとかしんどいとか…そういうことを私が言っても「ほうてでもやらんかい!」
母は本当に言っていました。
他にも上沼さんは、なめとったらあかんで・逃げるなと怒鳴っていましたね。
これらの言葉も私が弱っている時やくじけそうになっている時に必ず母は言っていました。
仕事が辛くて『今の仕事合わへんかも』と言うと「仕事なめんな」
何かを辞めたいとか、行きたくないとか言うと「逃げんな」
辛いとかできないとかいう事実だけを悪として叩くのですよね。
今回ジュリー氏が手紙を書いたのも逃げていないからこそだと思うけど「いかなる理由があっても皆の前に出て来て堂々と話すことが正義」なのですかね。
まあ世間が「手紙だと説明責任から逃れている」と言うなら、私には理解できないというだけのことです。
私自身、パニック障害だと明確に診断されたことはありませんが、学生時代に思い当たる節はたくさんあったので
今回の上沼さんのなめとったらあかんで・逃げるな・ずるい等の発言は実際パニック障害を患っている方の軽視であり、許されるべきではないなと思いました。
こうやって意見したら必ずジュリーを擁護するのか!と怒ってくる人がSNS上にもたくさんいましたが、それは論点がずれています。
ジュリー氏が云々ではなく、私はパニック障害を軽視するような発言に引いただけです。
日本って思いやりのある国だと思っていますが、その割にはこういった精神症状に対しては逃げだとか甘えだとか攻撃する風潮がまだまだなくなりませんね。
その原因が今回垣間見えた気がします。
自分のものさしで物事を計って『それくらい、いけるやろ』と思えば、それを正としてできない相手をなじる・攻撃する…まさに母のような人間にはなりたくはないなと実感した出来事でした。
スター、コメントありがとうございます。