もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「やりたくないことをやらない」を、やる

理屈っぽいタイトルになってしまいましたw

 

幼い頃は、自分の得意なことにはわりと自発的に挑戦していましたが、だんだん『これはやりたくない』『あれは嫌』ばかりで道を選ぶようになって、勇気が出ず挑戦しなかったこともたくさんあります。

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美術系の高校入試も失敗しましたが、落ちたら落ちたで正直少しホッとしている自分もいました。

進学も、高卒の資格は嫌・でもまた4年も勉強に縛られたくないから短大、試験勉強をしたくないから指定校推薦 など、とにかく " 嫌 " から逃げて選んだ道で、社会人になっても同じ感じ。

そういう人生に全く誇りなんてないけど、それでも自分なりにその時その時できることはしてきたつもりです。

そんな自分をやっと少しずつ認められるようになりました。

 

昔から母には「アンタはやりたくないことからすぐ逃げる!」と、それを負けだの甘えだの、責めるように言われてきました。

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『今の仕事、あまり自分に合ってないかも』と言っただけでも「仕事が嫌やからって言い訳するな!」「楽しい仕事なんてない!仕事舐めるな!」と即座に一蹴されたり(そもそも論点がずれているし「どういうところが合ってないと思うん?」とか、まずは聞くものだと私は思いますが)

 

このように頭ごなしにやりたくないことをやらないこと=ダメなことのように言われると、どうしても「やらないこと」を負のイメージでしか捉えられなくなるのです。

 

短大卒業後、仕事にも行かず家で1年ほど過ごしていましたが、母も勝手なもので「早く働きに出ろ」とも当時は言いませんでした。娘が家に居たらそれだけ大義名分で家のことをやらせられるからでしょう。

そのくせ、いざ仕事を始め、パワハラが酷く仕事を辞めた時には深夜までこんこんと私を責め立て、精神的に追い詰めてきました。

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仕事が続かない自分に「ダメな奴」とレッテルを貼り生きていましたが、数年前に仕事もせず数ヵ月引きこもった時、やりたくないことをやらないこと=ダメなことではないと気付き、母に洗脳され知らず知らずのうちに繋がっていた「=(イコール)」を外すと、これまでの自分の『嫌』『やりたくない』も、単なる私の意思であり、他人に責められたり貶される対象ではなかったのだなと思えるようになりました。

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しかし、そんな風にしか生きることを許されなかった(嫌なことを避ければダメと言われ、純粋に自分がやりたいからやる!という道を歩んで来れなかった)者が、急に思考を切り替えることなんてできないので、その葛藤は今でもあります。

家を出た当初は、母から離れればとりあえずできるものだとも、思っていました。

 

ですが結局、資格の勉強も仕事も『私はこれがやりたい』ではなく『これをやればそれなりに見えるだろう』という気持ちでしか、取り組んでおらず、失敗もしました。

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そのような取り組み方しか、知らなかったが正しいですが。

誰かにやらされている(親に怒られるから嫌々やっている)ような気が抜けず、嫌なことがあればすぐに逃げ出したくなるし、人のせいにしたくなるし、限界を超えるまで我慢をしていることにも気が付けなかったのもこれが理由だと思います。

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ただ単に、大多数の人が特に苦もなくできることや我慢できることが、私の「やりたくないこと」に該当していただけであって、責められる必要などないのです。

『やりたくない』という気持ちも、私の正直な思いなだけなんですよね。

 

できない自分を擁護しているだけ!と思う方も、きっといるでしょう。

実際そうなのかも知れません。

でもそれも含め、これまで逃げたことで私は何かに、誰かにそこまで迷惑をかけたでしょうか。

あそこまで母から精神的に詰められる必要、あったか?と

「負け」と言うけど、誰に負けてるのか?負けたら何が困るのか?

「甘え」と言うけど、甘えたら何がいけないのか?

少なくともああやって、無理矢理追い詰められる方がよっぽど精神状態を悪化させると思いますが。

これを今母に言っても「たりのことが心配やってん(だからきついこと言った)」と正当化するので話になりませんけどね。

 

私はただ、やりたくないことをやらないことを自分の気持ちに従いやっていただけだったよなぁって最近思うんです。

こんなシンプルなことも、毒親に育てられると40年近くわからないまま生きてるんです。本当に怖いです。

 

死なない程度に自分の気持ちに従って生きたい。

今はそれだけを考えて、生きています。

 

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