母が体調不良になった時のことを前に書きました。
とにかく、体調不良も含め「イレギュラー」に弱い母には、何が地雷になるかわからないので
(まぁ普段の生活でも何が地雷になるか、全く想像つきませんでしたが)
とにかく波風たてないよう、平穏に日々を過ごすことが最優先でした。
普通に無理をするとか、具合が悪くても何でもない風に取り繕ってしまうのもこういう家庭環境が関係していたのは否めないと思っています。
『あ、アカンかも知れへん』と思った頃にはもうとうにレッドゾーンなのも毒親育ちあるあるですよね。
最近気が付きましたが、私家で1人で居る時だけ口癖みたいに『あーしんど』ってすぐ言ってしまうんです。
別に今は週3~4日しか働いていないから体力的にも全然しんどくないし、何せ今年はコロナで休日もほとんど家にこもっていますから、しんどくなる程のことなんてしていないのですが
多分これは誰にも遠慮することなく「しんどい」が言える環境の今を楽しんでいるのかな?と思っています。
実家では『しんどい』と言っても「しんどいの、皆いっしょや!」と怒鳴られ「お母さんなんかなぁ!」としんどいマウントを取られるだけだったので。
母は絶対に自分の方がしんどい・大変アピールをしたいので「無理せんときや」等「適度に適当な」返しができないんですよね。
母はそれを「厳しく育ててる」と思ってやってたらしいですが完全に「厳しい」をはき違えています。
昔実家に居た頃、当時は仕事が終わって18時過ぎくらいには家に着いて、夕飯までは2階の自室にこもっていましたが、部屋に着くなり着替える気力もなく制服のまま床に寝転んで仮眠するくらいしんどい時もありました。
(パワハラ上司のいた職場で勤めていた頃です)
けれど、絶対に『しんどい』とは言わず、しんどい顔もせず寝てたなんて素振りも見せずに食卓へ行くようにしていました。
少しでもしんどそうな顔をすると、母に色々と聞かれるからです。
こういう時の母は心配するどころか詰問してきますから。
そんな風に暮らしていたので本来休息するはずの家にいつしか帰りたくなくなって、おやつや雑誌を買ったりして車内で小一時間寛いでから帰るのもよくやっていました。
普通は仕事が終われば、電源オフになります。
今も、職場のビルさえ出れば、アウターほしいから見て帰ろうかなぁとか、今晩何食べようかなぁとかそこからは電源オフ、いわば「自分の時間」です。
昔はその「自分の時間」が、仕事が終わって家に帰るまでのあの車の中での数十分だけだったわけです。
せっかく仕事を終えて家に帰ってるはずなのに、家でも「お勤め」しているみたいとずっと感じていたことも前に書きました。
車のエンジンをかけて家に帰る時『さぁ、帰ってもうひと踏ん張り!(母の相手するのに)』
…冗談抜きでそんな感じで家に帰っていました。
今考えれば、異常ですね。
それでもあの家ではそうしないと生きては行けなかったのです。
車内でお菓子を食べながら時計が19時頃を指し『そろそろ帰るか』と家に帰る準備をしたら、また昼間の仕事の「電源オン」とは別に「母への対応の電源オン」への切り替えが必要でした。
私の精神的なキャパは完全にオーバーしていたのだろうなとわかったのはだいぶ後のことです。
とにかく家に帰りたくなくて、今思えば友達を外食に誘うことも多かったです。
少しでも帰宅時間を大義名分で遅らせられるように…。
半ば無理矢理付き合わせたことも、今思えばあったかも知れません。
今はお金に余裕がないのもあるけど、会社帰りに1人で外食なんて3ヶ月に1回あるかないかくらいw
誰にも干渉されない家で食べたら、質素なメニューでも全然おいしいです。
家を出てから『一時期、家に帰るのがほんまに苦痛やった。何だかんだと用事を作って車の中で時間潰して帰ったこと、何回もある』と、母に話したこともあります。
「そんなに嫌やったんか…」と言った後に母は必ず言いました。
「言ってくれたらよかったのになぁ」
出た出た。この言葉も大っっ嫌い。
「言ってくれさえしていたら、改善したのに」みたいな言い方、しないでほしい。
どんなに些細なことでも、娘のお願いとか意見にも自分が違うと思ったら絶対に耳を貸さなかったくせに。
もうどうせ言っても伝わる訳ないし、また飯ガー!金ガー!と話をすり替えるだけなのもわかっていたのでスルーしましたけど。
こうやって、毒母は「嫌われる」を超えて「諦められてる」んですよね、日々。
諦められるって、ほんと親として以前に人として終わってると思います。
スター、コメントありがとうございます🙏