これも最近気が付いた私の性分なんですが『そんなこと、私がするわけないやん』みたいな低レベルな注意を他人からされると必要以上に腹が立つんです。
もちろん言い返したりもせず(というか、できないだけ)『うん、大丈夫~』とか、適当な返事をして軽く流すし、他人は私が相当物事に慎重なのを知らないからそんなこと言ってくるのだろうなってのもわかるんですけどね。
家族は基本的にそんなことを私に言ってはきません。母を除いて、です。
姉も姪も、そもそもそんなこと言ってこないし、そういえば父にも『言われなくてもわかってるわ』みたいな小言、言われた記憶がないです。
母だけはとりとめもなく、そういうことをずっと言っていました。
一般的にお母さんなんて口うるさいものでしょと大半の方は思うでしょうが、うちは明らかに「小言」の範疇を超えていました。
前にも母の戸締まりの確認がしつこかったことを書きましたが
母は人に色々と注文してその通りにやらせて、自分の不安感をおさめようという人間です。自分が安心したいだけなのに、それを自分自身でやれる技術も自信もないので人を使って安心材料を揃えさせるのです。
私は母のこういうところは「卑怯」と今でも思っています。
子育ても同じ感覚だったと予想していて、私が20代前半の頃に帰りが遅くなり、また深夜に延々怒鳴られた時
母さんって、私の心配してるん違うんや。私に何かあったら、親戚や職場の人にどんな目で見られるか…そっちの心配してるんや。という疑いを持ち始めたんです。
簡単に言えば、娘に何かあったとして「娘が心配」なのではなく「自分が心配」だったということ。
だから毎日毎日『そんなこと、言われなくてもわかってるわ』みたいなことばかり、嫌というほど言ってたんだと思います。自分の不安を取り除くためだけに。
子に口出しをしない、というのは子を信じ、1人の人として尊重するということでもあります。
口では「老いては子に従え、や!」と母は言いつつ、一向に私を信頼し、尊重するような態度を見せることはありませんでした。
時々「たりのこと、信じてるもん」と言われた時はその言葉を鵜呑みにして喜んだ時もあったけど
母がすんなりそう言うのは母自身が興味ないこと・心配してないことに関してだけでした。
一般的な親なら「もう子どもじゃないんだし、子への口出しは控えよう」とか思うものだと思いますし、子どもが「そんなことしないよ」と主張をしてもおかしいことではないでしょう。
友達の家とうちとではお母さんの対応が全く違うんだなというのは実際に何度も感じたことなので、そこらへんの「普通」が私にはわかりません。
友達が軽くお母さんに言い返しているとか、うちなら即「親に向かって何やその口のきき方は!」の説教コースだけどな…って思ったことは何度もあります。
「これはこういう風にしないように」とか、職場や何かの場で言われることはあるし『いやいや、そんなことやる人おらんやろw』って思うこともあるけど、普通ならそこで終わるんじゃないかと思うんです。
それを私個人に向けて言われるとひどく見くびられたような気持ちになり、腹が立つんですよね。『私がそんなことやると思うか?』と。
母は、私という人となりを理解しようとせず自分の不安や心配を垂れ流すことを最優先して、いい歳になった娘に対してもしょうもない小言ばかりだったので『私がそんなことやると思うか?』とずっと思っていました。
その時と似た感情になるのが腹が立つ原因だと思います。
父にそういった感情を抱いたことがないのは「お姉ちゃんはこういう性分、たりはこういう性分」というのを見抜き、子の心を理解していたからでしょう。
だから、あれだけ小言を言われた割に母から学んだと感じることはほぼないのに、口数少ない父から学んだことの方が格段に多く感じるのだと思います。
母は娘を見下げて、娘の能力をすごく低めに見積もっているきらいがあるので余計そういうものの言い方になっていたのでしょう。
ちなみに『私がそんなことやると思う?』と言い返したことも何度もありますよ。
その度に母は必ず「言って何が悪いん?」といった類の返事しかしませんでした。
そういう対応で私は少しずつ傷付き、母に対して心の扉を閉じて行ったのです。
他人からのそういった言葉は単なる注意なだけであり、私を見くびっている訳ではないというのを、体に覚えさせたいと思います。
これについて、関連することがあったのでまた書きます。
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