失敗は成功のもととはよく聞きますが、母はその失敗すら許さない人間でした。
そういう育てられ方をするとどのような人間になるか?
本来の目的と関係ないことが心配になり、それが邪魔してチャレンジ精神は削がれ
ミスを恐れるあまり働くということに支障をきたし
イベントも心から楽しめなくなります。これは全部私のことです。
まだ私が実家に居た頃、ある時から母はやたらと火の元や戸締まりの確認を私にやらせようとしました。
母の心配性が常軌を逸しているのも失敗したら死ぬ!精神から来ているものだったのだと今ならわかるのですが
昔はそれをおかしいなんて思わなかったし、親をフォローをするのは娘の役割と思ってやっていました。
きちんと確認して『大丈夫やで』と言ってるのにまたしつこく「ほんまに大丈夫か?」「ちゃんと見たんか?」と母に聞かれ『大丈夫やって』の押し問答で喧嘩になります。
正直、これも家を逃げるように出た原因の1つと言っても過言ではありません。
そんなに心配なら自分で確認しろよと思ったし、母さんも一緒に確認したらいいやんとも何度も言いました。
私が家を出てから、母の同僚のYが実家に居候していた時も(その顛末は「Y(全角)」検索で読めます)母は「Y君にな、火の元・戸締まりしっかり見る習慣を付けなさいよ!って教えてあげてるねん♪」と話していました。
その時にやっとわかったんです。
ああ、この人は自分が責任を持って家を守る。それを背負うのが怖くて仕方ないんだ。
「教えてあげてる」と自分に都合よく解釈して、人にやらせて逃げているだけだ、と。
火の元・戸締まりだけではありません。
母は自分のやりたくないことや責任を負いたくないことを姉や私に散々押し付けてきました。「娘に教えてあげてる」ということにしてね。
最近母を見ていると昔の半分引きこもりのような暮らしをしていた頃の自分を見ているように感じます。
失敗が怖くてどうしようもなくて、外の世界に出られなかった頃の自分です。
でも私はそこから自分なりにチャレンジをしてきたし、失敗もした分確実に成長もしました。
もちろん、心身が弱っていて頭でわかってはいるけどチャレンジができなくて苦しい方もいるでしょう。それが悪いことではないんです。
そういう自分と向き合わずに人に責任をなすり付けて丸投げして、自分を安心させるために他人を利用する。それは悪だと思います。そして卑怯です。
母は「親と子」という関係性を利用して、これをやっていた訳です。
母はとにかく自分に自信がない人間なんだなと最近本当に思います。
誰でも失敗は怖いし、自信なんてないです。
母はその自信のない自分と向き合う勇気がなかったのが一番の問題でした。
親というだけで自分が上・自分が偉いと勘違いをして、都合が悪くなると声を荒げて娘を威嚇して、機嫌次第でボロクソにやり込めるのも全て自信のなさの表れでしょう。
「失敗するかも」「でもやってみよう」という状況からも母は逃げて、娘にもそう教えたために確かに私は大きな失敗をしたことはありませんでしたが、本来学生時代や10代20代で学ぶようなこともたくさん経験することなく生きてきました。
30歳近くになってやっと自分の人生が歩けるかと思ったら、今度は母が経験すべき「失敗するかも」「でもやってみよう」を娘を使って、やらせようとしたのです。
私が本来経験するはずの失敗や、それにともなう成長や成功の行方は…?
これって失敗は成功のもと以前の問題ではないでしょうか。
自分のルーツを探り、人格形成の原因を探すことをブログの目的としているので同じようなことをもう何度も書いています。
母から教えられた無駄なことを妄信してきた " 失敗 " が " 成功のもと " になればいいのですが…
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