もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

『偉そうに』と感じる理由

昔から、友達の家に遊びに行った時に友達がお母さんに話す口調がうちなら絶対にありえないくらいフランクで驚いたことが何度もあります。

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私にはもはや「偉そう」にしか聞こえず、今は私がいるからかっこつけてそう言ってるんかな?とか、私が帰ったら友達は親に叱られるのでは?とわりと本気で思っていました。

 

最近姪と出かけることが多く、先日ある和食のお店に行って来ました。予約ができないので店頭で整理番号を貰います。発券機を店員さんと話しながら操作していたせいでちょっと手間取ったんです。

その時に姪に「だからそこは子どもの人数やから選択せんと " 進む " 早く押して!」と言われ瞬時に『何を、偉そうに』とカチンときたんです。

 

でも後々姪の言葉を思い返してみたら、あれは「偉そう」じゃないんだよな、とも思うんです(関西弁を書き起こしてるのできつく見えるかも知れないですが)

あの程度の言い方は叔母と姪の関係性なら普通だと思うし、特に姪は頭の回転が速い分サバサバした物言いをするのでそれは姪の個性だとも思います。

冷静になればそう思えるのですが、瞬時に『偉そうに』と感じるのは私がかつてさっきの姪みたいな言い方を母にしようものなら「何やその口のきき方は!」とか「親に向かって偉そうに!」と怒鳴られてきたからだと思います。

 

姪の発言はそれだけ自分を取り繕ってないということであり、理屈ではわかるんです。あれが姪の素であり個性であることも。

でも先ほどのようにズバッと言われたら、瞬時にカチンときてしまう自分もいるんです。もちろん態度には出さないですが。

 

私は母からとにかく、偉そうに!とか親に向かって何やその口のきき方は!とかよく怒られてきました。

「何かをした」よりもどちらかというと「言い方」とか「口ごたえ」とかそういうことを怒られたし(ただの意見でも母が気に入らないと文句や口ごたえとして処理される)

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偉そうにする気なんて毛頭ないし、子どもだって人間なので機嫌が良くない時も、言葉を誤ることだってあるけどそれを母は絶対に許さず、少しでも言葉遣いやニュアンスが気に入らないと怒鳴りたおしていました。

 

今になって自分の子育てにおいての失敗(言葉の暴力)を「親だって人間やからな(失敗もある!)」と母は擁護していますが、私たちにはあんなに何時間も説教して「まあ、子どもだって人間やねんから」なんていう情状酌量の余地も一切なかったのに、自分だけ「親だって人間だから論」で正当化するなんて絶対に許せません。

まあそんな風に育ててきて、今になって母が娘から嫌われた理由のほとんどを「言い方」とか「表現方法」が占めているあたり因果応報かなとも思いますけどね。

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父が生前「アンタはいつか口で失敗する」と母に助言をしたそうですがまさにその通り。

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「親には偉そうな言葉遣いをするな」という母の教えが私には嫌というほど染み付いていて、ではその「偉そう」って?と考えると自分が母に「親に向かって偉そうに!」と言われてきたことが基準になっているのだと思います。

世間一般の母娘の会話に『そんな口のきき方で怒られへんのや…』と未だにビクビクする時もありますがこれもその基準が原因でしょう。

ただはっきりとものを言うことと、偉そうは全然違いますが母の教えのせいでその違いが咄嗟に判断がつかないのです。

 

姪に言われてカチンとくる気持ちの正体は、私なら許されなかったのに…ということをサラッとできる環境に育っている姪を羨む気持ちもあるのだと思います。

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他にもそういうことは日常生活で多々ありますが、そんなことして(言って)怒鳴られる環境じゃなかったんだ…とか、私はなぜあんなに怒鳴られないといけなかったんだろう…と虚しくて悔しい気持ちになることの裏返しであることももうわかっています。

 

わかったはいいけど、死ぬまでにこれを何度味わって惨めな気持ちになるのかな…とも思います。

 

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