もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

父への思いの変化

父が亡くなって、8年ほどになります。

当時はまだ色々といっぱいいっぱいで、でもまだ「休む」ということをわからず無理やりアクセルを踏み暮らしていた頃です。

tari97.hatenablog.com

そんな中父が亡くなり、不謹慎ですが正直ホッとしたのも事実です。だから涙も全く出ませんでした。

母と過ごす限り父はもう幸せにはなれないと思っていたし、母と離れる選択肢なんてないし、早めに旅立った方が父も幸せなんじゃないかと心のどこかで感じていたからだと思います。

 

実の父が亡くなっているのに、それすらも深く考えられないほど、当時は母のせいで心が凍りついていた、そんな感じがします。

 

その2年後、仕事中の理不尽な叱責で動けなくなった私は自分と向き合うことを決意しました。気の済むまで何もせず休み、このブログを本格的に更新し始めたのもその頃です。

 

何年もかけて、ようやく色んなことに気付き、向き合い、だんだん意識が変わってきた実感があり最近やっと父のことを考えられる余裕が出てきました。

 

酒に呑まれる晩年の父は確かにみっともなかったけど、やっぱり「言葉の力」というのは大きくて、父からかけられた言葉は今でも私の励みになっています。最近になって、姉と『父さんすぐこういうの言ってたな』と、クスッと笑える思い出話をすることも増えました。

戻りたいとは思わないけど、母のあの猛毒を中和してくれていたのは紛れもなく父だったなと実感します。

私は元々 " 家族教 " (もちろん母が教祖)の信者のようなものだったから(もちろん本意ではありませんが、そうするしかあの家では暮らせなかった)家のことも家族のことも、年齢の割に目一杯考えどっぷり浸かってきたので、父に対して『もっとこうしていたら』という後悔はありません。

でも『もっとこういう話をしてみたかったな』と、なかった未来を想像することが最近よくあります。

 

父も私も野球が好きで、よく一緒に高校野球プロ野球の中継を見ました。ピッチャー代えたらいいのに!とか、そういう意見もよく言い合いました。本来家族とはこういう他愛もない時間を積み重ねるものなのだと思います。それができる父との関係性は健全だったのだと最近思います(母にはその能力が全く備わっていませんでした)

月日が経ち、プロ野球高校野球もルール等色々変わりました。最近ふと父は新しいルールが適用された今の試合を見ることなく亡くなったんだな、今も見てたらこのルールに何て言うかな…と考えたりします。

他にも、街ブラ番組もよく一緒に見たので、色んな場所に行き知識が増えた今の私と話したら父ももっと楽しかったかな等と考えます。

今の、自分と向き合って色んなことに気が付いた、心の " 氷の解けた " 状態の私と話せてたら良かったのに、と。

 

でもそうなると多分父の死は悲しすぎて受け入れられないだろうな、とも思います。ある意味父は良い時に旅立ったのかもしれません。

 

家を出てすぐは父のことを恨む時期もありましたが(母に暴言を吐かれている時助けてくれなかった)今は恨む気持ちはありません。

父は娘らに、母みたいに人間の魂までえぐるみたいな、そういう酷い言葉は絶対に吐きませんでしたから。

 

結局、どれだけ子どもにお金をかけたとかおいしいもの食べさせたとか、そういうことだけで親への敬意が強くなるものではないのだと思います。

それは、父が証明してくれました。

カネやモノの豊かさだけが=愛では絶対にありません。

 

こうやって考えると、私の精神面での親って、ある意味父のみの「片親」だったと言っても過言ではないと思います。

 

スター、コメントありがとうございます。