もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒親育ちの後遺症

最近また気がついたと言うか、外部から指摘されてわかったことなのですが

私はどうも常に身体に力が入っているらしく、それが酷い首コリや肩コリに繋がっているそうです。

この事は、毒親問題に詳しい高橋リエさんも度々「毒親育ちは過緊張状態にある」と指摘しておられ、最初は『またまた~大げさな』と思っていたのですが

 

去年くらいからすごく腕の良いマッサージ店を見つけて、私の首コリや肩コリ(と言うか、そのマッサージ師によるともうとにかく全身が凝っているらしい)について聞くと

私は姿勢の悪さや癖、運動不足で起きていると思っていたのですが(母にも昔から「姿勢が悪い!正しなさい!」と姉共々よく怒られていた)

「こう左右対称に凝るのも珍しいので、おそらく姿勢や癖ではなく精神的なものではないか」と言われました。

姿勢の悪さや癖が原因なら、左右差が出るはず、と。

実際、たりさんがそんなに姿勢が悪いなぁと感じたこともないとも言われ、最初はこれも『またまた~』と思っていたのですが

そんな時にふと思い出したことがあります。

 

昔、小学生の頃に先生の話を聞いている時、話がひと段落ついた時にふと体の力が抜けるような感覚がありました。

特に、顔の筋肉が緩むみたいな感じで、どうも私は先生の話を聞く時目をカッと見開き、力を入れてじっと先生の話を聞いていたみたい…とその時気が付きました。

それから、先生の話が長くなると意識的に力を抜くというのをやっていたのですが

そもそも『そんなに力を入れて先生の話を聞かなくてもいいじゃないか』と自分に言い聞かせるものの

結局無意識レベルで「先生の話を聞く時のスタイル」のスイッチが入ってしまうので

ちょっと疲れたなーというタイミングで顔の筋肉を緩めるというのをよくやっていました。

(わかりにくいと思いますが、眉間をぐっと上に上げる動作をやってみてください。先生の話を聞く時、無意識に私はいつもそうなっていましたw)

 

そして最近、そのマッサージ師に言われた事が気になって仕事中の自分の姿勢を気にするようになって

肩や背中はもちろん、なぜか太ももにもガチガチに力を入れてPCを触っていることに気が付きました。

なんでやねん!と心の中でつっこみましたw

 

日頃から、猫背になってる!姿勢を正そう!というのと、足を組んだりカバンを持つ手はできるだけバランス良く、と思って実践していたので、まだやり足りないのかーと本気で思っていたのですが

どうもこの「全身に異様に力が入っている」というのが、酷いコリの原因のよう。

 

やはり私は毒親からの厳しい叱責による「人からどう見られているか」が未だに抜けず

例えば電車に乗っていても、仕事中も、先生の話を目を見開いて聞いていた時と同じようにグッと力を入れてしまう癖がついているのだと思います。

 

マッサージに行くと顔のコリも指摘され、かなり歯の食いしばりがないですか?と聞かれました。

と言われても自分では全くピンと来ません。

そんな時、どうやら姉も歯科で「奥歯の食いしばり」を指摘されたそうです。

ここまで話が合致してしまうと『またまた~大げさな』もいよいよ通用しないのではないか…これが毒親育ちの後遺症と考えたって、大げさではないのではないか…と思った次第です。

 

ちなみに、私はブログを書くのが好きなので家でもよくPCに向かっていますけど

長い文章を打っても全然しんどくならないんですよね(笑)

多分、家には誰の目もないからでしょうね。

 

長年「PC作業でのコリ」と思っていたのは、実はそうではなくて「人からどう見られているか」(これには毒母も含まれる)を気にしすぎた結果、身体に異様に力が入ることにより起こる疲労感からくるものだったのでは?というのが今の見解です。

 

ちなみに、先週からこのコリが酷すぎて昨日そのマッサージに行ったものの

今朝かなり体調が悪く(おそらく、好転反応が出ているのか?と思う)

以前なら無理してでも行っていたけど、結局今の時点で既に無理の段階を超えてたんだろうなと思い(我慢強いのは、毒親育ちのあるあるですね)今日は仕事をお休みしました。

とことん自分を甘やかすぞーとマッ〇デリバリーを注文して貪り食って頭痛薬を飲んで寝たらめっちゃ元気になりました。

私は派遣で時給制なので、日当マイナス1日分は惜しいけど…

自分の身体が一番大切!

こんな日もあってもいいですよね。

 

前にもそんなおうちで育ったのだろうなぁという子のエピソードを書いたけど

tari97.hatenablog.com

「こんな日もあっていいよ~」と言ってくれる親のもとに生まれていたら

もう少し楽に生きれていたかなぁ。

 

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私の嫌いな風潮②

以前の職場で休憩室のある所があったのですが、前の記事で書いたみたいな風潮がやはりここにもありました。

tari97.hatenablog.com

一旦誰かがきれいにしても、監督者の目が行き届かなくなるとどんどんどんどん物やごみが増え、風紀が乱れます。

 

一番気になるのが、大袋の菓子をたまに上司が置いて行ってくれるのですが、最後の1つを取った人が大袋を放置。似たようなことですが、紙コップ等の消耗品も最後の1つを取った人が外装を放置。汁物を食べてテーブルに汁がこぼれていてもほったらかし。

 

いい大人が(使用しているのはほぼ女性)何で、自分の出したゴミくらい片付けられないのか(最後の1つを取っておいて、大袋や外装は放置するその神経が理解できないけど、多分それを「自分の出したごみ」とは認識していないのでしょうね)

何で、自分のこぼしたものくらい拭いてから出られないのか(ウエットティッシュも目の前に置いてあります)

 

本当に気がつかないなら、100歩譲って諦めます。

「次から気をつけよう」で、いいと思います。

 

「キレイ」の基準も人それぞれ。

私だって別に、自分の家を舐められるくらいに拭き上げるような潔癖でもありません。

 

それでも「ここにあるべきではない物が置かれている」「明らかに捨ててもいいと認識されるようなものが放置されている」を「散らかっている」と認識するのは、おかしいことではないと思います。

 

その休憩室では、一体同じことを何回繰り返しているのか?状態だったので「本当に気がついてない」ことは、ないと思うんですよね。

 

まさに「腐ったミカンの方程式」なんです。

 

いつの間にか、休憩室のごみを集め、ウエットティッシュで机を拭くのが私の日課になっていました。

 

こういう「誰かがやってくれるでしょ」という風潮も大嫌いです。

そして、よく気がつく私はその「誰か」にいつもなってしまいます。

 

ある日、久しぶりに休憩室に行くとあり得ないくらい物とごみが散乱していて、さすがにこれは…と思い、写メを撮って上司に「ちょっと汚すぎます」と報告しました。

 

すると、次に来た子が片付いた休憩室を見て、あれ?と言うので『〇〇はあそこに仕舞ったけど、使うならまた出して』『あまりにも汚かったから、あれは処分したよ』等言うと「あ~だからか。さっきの全体周知。」と言われ、何のこと?と思い聞くと、さっき私が撮った休憩室の全景と放置されたごみの写真がそのまま添付され「休憩室にごみが散乱していました。各自ごみは持ち帰るよう徹底お願いします。」と文章が添えられ

私の撮った写真を何のことわりもなくそのまま使って、上司から全体周知をされていたようです。何より腹が立ったのは、私にはその全体周知は届いていませんでした。

 

その時点でもやっとしましたが、次に出勤した人から「たりさ~ん、昨日すみませんでした~」「あのお菓子の箱、空っぽだと思わなくって~」表面的な謝罪と、言い訳の嵐。

 

…いやいや、おかしくないか?

 

これじゃあ、完全に「たりがうるさいから、みんな片付けしような!」の図式。

そうじゃないでしょう……

私は別に犯人捜しをしたい訳でもなく、謝ってほしい訳でもない

 

常識的な範囲でお片付けしましょうねってだけの、小学生でもわかりそうな話。

何で大人の世界ではここまでこじれるのだろう🤦‍♀️

 

そもそも、まずは写メが送られて来たにしても、上司ならば実際に休憩室を見に来て

事実確認をしてから周知をすべきでは?

言いだしっぺだからと言って全体周知のメンバーから私を外すのはおかしくない?散らかした方の、ではなく、声を上げた方の匿名性が守られなかったことにも疑問を感じました。

 

じゃあ、放っておけばいいじゃんという声が聞こえて来そうですね。

これも前回の「結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、同じく論点がずれていると思います。

 

じゃあ、きったない休憩室で心休まらないのを、私が我慢しろってことですか?ということになります。

 

以前まではこういう時に『たりがうるさいってきっと陰で言われてるんだろうな』『うるさいお局ババァみたいと思われているのだろうな』と「おそらくみんながそう思っているであろう」ことを勝手に想像し、言いたいことも言えずにいましたが

 

いや、待てよ。『私が、汚い休憩室で過ごしたくない』それを主張する権利だってあるはず。

 

それに、元々「共有スペースなので、ごみは持ち帰りキレイに使用しましょう」とルールが定められている場所で、今回の件の私の主張はただのワガママではないし、至極真っ当なものだと考えます。

 

なら「うるさいお局ババァ」で結構。

「せめて私のいる時くらいは、あ!片付けなきゃ!と気にする精神を養え」くらい、思えるようになりました。

 

な~にが「あのお菓子の箱、空っぽだと思わなくって~」だか。白々しい…どうせ誰かが捨ててくれるだろうと思って放置したんだろ!こんなこと、ここでしか言えないから言うけど。

 

今までなら『まずい、面倒な奴認定されてしまう』と思っていましたが『面倒な奴で結構』『そうですよ、私はめんどくさい人間ですよ。それが何か?』くらいで、ちょうどいいのだと思います。

 

多分、今後もそういう場面に出くわすことは何回もあると思います(実際、既に何度もあります)

 

けれど、最近わかってきたのは、結局言われた方は「大して気にしていない」んですよね。だって、言われて気にする人ならそもそも散らかしたり汚したままにしないですもんね。

 

気が付きすぎる自分をしんどいとも思うし、もっと気が付かない人間だったらどんなに楽だったろうとも思います。

きっとこれを読んでくださって、共感できる人はみんなそう。

tari97.hatenablog.com

でもやっぱり、そういう人にはそういう人が集まってきます。

見てくれている人も絶対に居ます。

「腐っていない方のミカン」なんです、私たちは。

 

「気にしぃ」ではなく「繊細」と思って、長所と思って生きていきましょね!(と、自分にも言い聞かせている私)

 

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私の嫌いな風潮

どこの世界にも、ルールや時間を守らないとか協調性のない人は居て、周りからも強く言いづらい・言い返されたくない・職場だと辞められても困るなどの理由で放置され、結局そういう人がのさばり、言ったもん勝ち・やったもん勝ちになる風潮は少なからずあると思います。

 

私はこういう風潮が苦手で、以前、知り合いとこういう話をしていた時に「そういうやつってどこにでもいるよね」「たりさんが真面目なのも、よくわかるよ」

と、知り合いが言ったかと思うと

「でもね、そういうのが気になる人って、結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、言われました。

 

…?

 

しばらく考えてみたけど、ぴんとこない。

 

例えば、ものを元の場所に戻さなかったり、所定の場所以外にゴミを捨てたり、時間や期限を守らなかったり…

こういうことを『私は、本当はやりたいんだけど我慢しているのか?』とかなり長い時間考えてみたけど、全然違う。

 

「場所が決められている以上そこに仕舞う・捨てる」「時間や期限が決まっている以上、それを守る」

ただ、それを守るのが人として、社会人として当然なのでは?と思うだけの話でそれ以上でも以下でもない。

 

私はご存知の通り「気にしぃ」なのでかなり我慢をするタイプではあるけど、職場であまりにマナー等が酷い時なんかは上司にかけあうこともあります。

それは、皆が快適に過ごしたり、効率を高めたり、ケガのないようにこうしては?という提案なだけで『自分だってやりたいのにできないから!(上司に言ってやる!)』つもりなんて、毛頭ありません。

 

そんな低レベルな話ではなく、ただもう少し気がつく人が増えればいいな・意味の無いしばりなら、なくしたら?というだけの話なのですが…そこを履き違える人の多いこと。

 

こういう風潮(特に職場において)がすごく嫌いです。

「次からこうしましょう!」という、たったそれだけの共有を、なぜすんなりとできないのか?と、不思議に思います。

結局、できない人・気のつかない人の言い訳ではないの?

バシッとものを言えないけれど、自分の立場だけは守りたい人が自分擁護しているだけでは?等々、思ってしまうのです。

 

まぁそもそも、一番の癌は「協調性を乱す」人なのですが、この「協調性を乱す」ことへの異常な嫌悪感の先には、おそらく毒母の存在があると思っています。

 

うちの場合、まさに母が「触らぬ神に祟りなし」的存在だったので

tari97.hatenablog.com

娘たちは言いたい事も言えず、感情も露わにできず過ごしてきました。

まさに私の家では、母の言ったもん勝ち・やったもん勝ち状態だった訳です。

 

だから私はそういう人に嫌悪感を抱くし、軽蔑します。

 

家族とは名ばかりに、母にはこういう、自分さえよければいい・自分がやりたければ押し付ける等の協調性のなさが大いにあり

tari97.hatenablog.com

話し合ったって「そういうこともあるのね」「では次からこうしましょう」が一切ありませんでした。

 

「なんでアカンの」「ええやん、これくらい」が母の口癖。聞く耳なんて絶対に持ちません。

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だから私は、より良くするために、建設的に話のできない人が嫌いなんだと思います。

 

冒頭の知り合いに「結局自分がやりたいからでしょ」「やりたいけど自分ができないから腹立つんでしょ」と、言われた瞬間、あ~…話の論点がずれる人だ…と、嫌い認定してしまいました。

大して濃い絡みをする人でもなく、多分もう会うか会わないかわからんぐらいの間柄なのが幸いですが…

 

色んな職場を転々としたからわかるのですが、会社においても事なかれ主義でそういうやつを野放しにしておくか、そういうことがあるんですね。ちょっと考えますねと、問題提起してくれるかで会社の雰囲気は大きく違うと感じます。

 

結局、職場でも家でも同じことが言えるのでは?と思います。

 

私の家はもちろん母の独裁国家だったのでアウトでしたが、居心地が悪かった職場を思い起こしてみると…合点がいく気もします。

 

職場のことについても、また書けたら書きます。

 

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