もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

情けない親

今「死役所」というドラマがやっていますね。

 

成仏する前に訪れるとされる「死役所」で起きる様々な出来事と

そこへやって来る人たちの人生や思いを描いているドラマです。

その役所では生きていた頃に死刑になった人たちが職員として働いていて

最近になって、職員たちの死刑までのいきさつも明かされています。

 

ハヤシという職員は妻とその浮気相手の不貞行為に逆上

イシ間という職員は姪に乱暴をした男たちへの復讐と

確かに人を殺めてはいけないが、同じ立場に自分が立てば同じことをしてしまうかも…という悲しく複雑な理由がありました。

 

 

私は、何度も書いてきたように、親からは衣食住は良くしてもらったと思っています。

経済的に困ることはなかったし、手厚く育ててもらったとも思います。

姉妹を比べられることもなく、姉・私どちらかを贔屓されることもありませんでした。

 

けれど、母の言葉の暴力や精神的な支配・干渉は、常軌を逸していたと感じます。

 

そういう母に対し、かつては殺意を持ったこともあって

口論になったときは、何度もキッチンへ包丁を取りに行こうかと思ったし

私のような力のない女でも、人って刺し殺せるのだろうか?と本気で考えたし

これは正当防衛にはならないのか?とも、何度も考えました。

実家を出る直前は本当にそんな精神状態で過ごしていました。

 

昔から、あの母の下で我慢強く暮らしてきた私がそんな事を本気で考えるというのは

いかに母の態度や言動が横柄であったか?ということであり

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「たりの我慢が足りない」なんてレベルの話ではないことも

同じ毒親育ちの方ならわかって頂けると思います。

 

 

話は戻りますが、ドラマ「死役所」を見ていると

ハヤシの奥さんや浮気相手のように、イシ間の姪を襲った男たちのように

「殺意を抱かれて、ある意味当然」なことをした人間が世の中には居て 

 

一方、悪事をはたらいたわけでも、育児を放棄したわけでも

不貞をはたらいたわけでもないのに

世間的には普通に、いやむしろ品行方正に子を育ててきたはずなのに

自分の娘に殺意を抱かれた私の母親。

 

比べるものではないのかも知れないけれど

 

我が親ながら、情けないにもほどがあります。

 

昔はこんなことを思う自分も『無礼な娘だ』と、責めていたし

毒親に縁のない人はきっと実の親に本気で殺意を抱いたことがあると言う私を

非情な人間だ、異常だと思うことでしょう。

 

生きてるうちに1度や2度、殺したいほど憎らしい相手が現れることは珍しいことではないと思いますが

残念ながら毒親育ちはその対象が自分の親になり得るのです。

これがどんなに辛く、悲しいことか。

 

もちろん「毒親だったな」と感じる人皆が殺したいほど親を憎む訳でもないだろうけれど

一時、親を殺して、自分も死のうかなという感情が、私には確かにありました。

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と言うことは、毒親の態度であったり言葉というものは、さきほどの

「殺意を抱かれて、ある意味当然」と同レベルと言っても過言ではないのです。

 

では、今でも母に対して殺意があるのか?と問われれば、答えはNOです。

ないと言うか…『もうどうでもいい』と言う感じ。

 

けれど、母とは早くお別れしたいなとは思っています。

(離れて暮らす、ではなくて「本当の意味」でね)

ただ単に自分の手でどうにかしたいほどの興味が母に対してなくなっただけ

存在がなくなってほっとすることに、変わりはないです。

 

娘にそんな風に思われる母を、ただただ『哀れだなぁ』と、第三者目線で

俯瞰することができるようになっただけでも解毒の作用はあったのだと思っています。

…思いたい。

 

でも、前も書いたように私の母への気持ちが良い方に覆ることは、ないと思います。

母を「嫌い」と感じる気持ちが、今以下になることもきっとない。

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母を見送る日、笑顔がこぼれないか今から心配しています。

 

けれど、実の母にこんな思いを抱かざるを得なくなった自分の人生を

思うと、悔しくて涙を流す日もあります。

 

泣きながら『来世では、絶対に私を産まないでね』と、切に願うばかりです。

 

コメントなどについてはこちらにまとめています。

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毒母が自分のことを「毒親」と言った

先日、急に毒母からLINEが来ました。

 

母「早くに目がさめたから、たりのLINEを読み返してた。勉強になるわ

反省しないとだめなこと、あり過ぎて」

(普段LINEも関西弁ですが、標準語になおしています)

 

それと、私はかつて母と同じ会社に勤めていたので、母は「〇〇さんが辞めるらしい」とか、まだ勤めてる人から情報を得て私に話してくるのだけど(興味ない)

「母さんから聞いたって、他の人に言わないでね」という忠告とともに。

私にも、同じ会社の元同僚で繋がっている人はいるけど

その同僚とはたまたま趣味(アイドル)が同じだから今も連絡を取り合っているだけで…会社の人のことなんて微塵も興味はないけど…

いつまでも私があんな会社のネタに興味を持ってると思われてるのも若干胸糞悪いが、まぁこれはまだいいとして…

(口外しようにも、元同僚とは会社の話すらしません。と、返しておきました)

 

母は、最近家で1人で寂しい、寂しいとしきりに言うので

 

たり『今1人で感じる寂しさは、私が家を飛び出す前数年、過ごしていた時の寂しさと同じだと思う。

あの頃、家に居ても、1人の人間として尊重されていなかったから。

私は家来かお手伝いさんか?そんな風に毎日を過ごしていたから』

と、入れてみました。

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つまるところ、母が私にしたことが今そのまま身にふりかかっているのだということ。

同じ屋根の下にいながら、私にあれだけの寂しさや孤独感を味わわせておいて

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私が真剣に声を上げても、何も悔い改めようとしなかった人が

今さら寂しさを訴えて助けてもらえると思うか?って話で

(それを、やんわり遠回しに伝えた)

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するとどうせ言うだろうなとは思いましたが、母から

「それは誤解だけどね。母さんはたりを尊重してたよ。表現の仕方が下手だったから何回言っても信じてはもらえないだろうけど」

 

この文章を見た時に、また何となくもやっとした気分になり…

「それは誤解」

母にそう言われると、どうしても「あなたが間違っている」と、責められているようにしか、聞こえない。

 

話が逸れました。

他にも色々やり取りをしましたが、とりあえず私の伝えたかったことは

『娘が大人になったら、ひとりの人間としてもっと尊重をしないといけなかったと思う。それだけだね、惜しいのは』

ということ。

しかし母も母で絶対にこう返します。

「してた。伝わらなかっただけ」

 

更に返しました。

『そしたら、伝えられなかったってのも含めそれも能力のうちだね』

『勉強を何百時間やってみたって、テストでいい点を取らなきゃ成績は悪いままでしょ。それと同じかなと。

これだけ長い時間勉強したのに!よりも、やり方を変えないとねってこと』

(しかし毒親はこの「何百時間もやった!!!」という所だけを、合格点として認めさせようとしますよね。いや、やり方がまずいし結果が出ないと意味ないでしょう。それに私はやり方を変えることだって、提案しました)

 

その後もラリーが続いたので

『母さんに言われた通り婿探しなんてしなくてよかった』

『(同居の為の)家買う!って言ってたのも全力で阻止してよかったよね』

『私、弱冠20代にして先見の明あったよね(何なら感謝してよねぐらいの勢い)』

などなど、嫌味混じりで色々とぶっこんでおきました(笑)

 

多分毒親ってどうしても「子どもを下に見る」とか「親だから偉い」みたいな思想が、こんな状況になってもなお、染み付いて抜けないんでしょうね。

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負けじと減らず口を叩かれました。

「たりだって、人と暮らせるタイプじゃないもんね」

「たりは、やりにくい人間だから」

この期に及んでも、まだ言うんですよね。

 

毒母って多分、死に際までこうやって言うんだろうなぁ、と呆れるし

最近だんだん哀れな人に思えてきます。

 

すごく不思議なんですけど、母って何も1人でできないし、今後も事あるごとに

娘を呼び付ける気でいるはずなんですけど、なぜ黙って居られないのでしょう。

口では「嫌いにならないで」とか「見捨てないで」みたいなこと、しきりに言うんですよ?(まぁもう嫌いですけどね)

別に偉そうにする気もないけど、それが今後も世話になろうと思っている娘への態度か?と本気で思います。

 

そして私にド正論をかまされ、言い返せなくなると「まぁこれからお互い楽しく暮らしましょ♪」みたいに終わらせるんですよね。

毎回、いやいや、言い出したのそっちだろ状態。

 

でも、こうやって『娘はもう昔のように、何でも従順に聞くロボットじゃないぞ』ということを

毅然とした態度で示すのは、私はいいことだと思っています。

 

最近母がこうやって、急に思い立って話してくることって、大体

『うん。だからそれ私実家いた時何っっっ回も言ったよね』なことばかりなんです。

私は母が私の言いたいことを理解するのはおそらく一生無理だなと踏んでいましたが

6~7年遅れぐらいで、わかる人間だったみたいです。

 

母が自分自身の「表現方法がまずいせいで、伝わるものも伝わらなかった」というのを、今さら理解し始めたことも然り。

理解までに何年かかっとんねん。

でも、わからないよりマシかなぁ…と、思うようにしてます。

今わかって、何で当時わからんかってん感はあるし、今さら理解されても腹立つだけ も、一理ありますけど…。

 

そしてそんな中、いつものごとく「こんな親で悪かったなぁ」みたいなことも入れてくるのですが

(いつも、それプラス「早く死にたい」とか「どうせ私は嫌われているから」とか『その一言いらんねん。かまってちゃんか?』みたいなのもくっついてくるのがうっとうしい)

 

今回の返信では何と「感謝してる こんな毒親に我慢してくれて」ですって(でもその後に「今度は母さんが我慢する番だね」←これは思うだけで良いのでは。また嫌味のような、あてつけのような…)

 

毒母本人の口から毒親という言葉が出る日が来るなんてね(笑)

 

おそらく、姉がやんわり『母さんのような人を、毒親って言うんだよ』的な話をしたのだと思います(あとはテレビで毒親特集がある時は姉が『見ーよ!』と、促していたのも、効果があったのかもw)

 

まぁでも、多分「自分の知っている毒親の中でも自分はまだましな方」とか

良い方への解釈を、勝手にしてそうですけどね。

 

毒親のくだりにはあえてつっこまず、スルーしておきましたが

1月には毒母の誕生日が来るので、この本でもプレゼントしてやろうか?と思っている今日この頃。

気づけない毒親

気づけない毒親

 

 

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「楽しい」の純度

私は若かった頃に年相応のことをやってこなかった・やることができなかったとは以前にも書きました。

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皆が学業に、バイトに、遊びに精を出している時に、婿をもらうだの父の世話だの家のリフォームだの

この歳でまだここまで考えなくても良いのでは?ということも、母からの押しつけでやらされたり考えさせられたりしていました。

『そういうのまだ私には重荷だ』『ちょっと待ってほしい』と正直に言うと「あんたの為に考えてあげてるんやで!」と怒られ丸め込まれ洗脳され

皆が本来若いうちに経験することとか、我慢することとか、楽しむことを、たくさんすっ飛ばして生きてきました。

 

逆に、教わらなかったのにいざ大人になりできないと「こんなこともできへんのか」と母からバカにされることもあり

厳しく叱責されながら育った割に、いい歳になってから『こんなこともわからずに生きてきたんだ』と、自分に失望することもあって

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なぜ自分の人生がこんなに年齢に対してちぐはぐなのかと思って生きてきました。

 

おそらくそれは、私の年齢に関係なく母からその時その時母が思い描いたことを言われ、やらされてきた結果であると、私は思っています。

 

母の言う通りに生きると、全然楽しくないし

周りの同世代の人たちと比べても、明らかに浮いている。

それがとてもコンプレックスでした。

tari97.hatenablog.com

 

最近は、昔ほど遊びに行ったり、お金を使うことが、本当に減りました。

が、その分何をするにも自分がやりたい!と思ってやったことは、いちいち楽しくて仕方がないです。

これは、最近気がついたことです。

(仕事とかではなく、あくまでも娯楽の話です)

 

友達の家に行って帰るつもりがそのまま泊まらせてもらうことになったり

夜遅くから友達に呼ばれ近所のファミレスに行って少し喋って解散!とか

特にこういうことが、何の気兼ねもなくできることが、楽しくてたまりません。

私はもう37歳のいいおばさんですが…

私は本当はこういうことをずっと、やりたかったのです。

 

また、家で一人で好きなことをするのも然り

大好きなフレーバーティーを飲んだり、雑誌を買ってじっくり読んだり

ネットで買った服を試着してみたり、懐かしいDVDを見て泣いたり

ひとつひとつは本当に小さなことでも、いちいち楽しい

だから昔ほどどこかへ出かけたり、お金を使わなくても、少しのことで満足できるのです。

一体これって何なのかな?と考えてみて、わかった気がします。

 

昔からずっと私は好きなものには全力でハマって、それなりにお金も使って

満足いくまで楽しめていたと思っていたのですが

本当に心から楽しめてはいなかったのだな…と。

 

実家で暮らしていた頃

家に帰ったらどうせあの母がいる

どうせ遅いとか言われる

どうせまたそんなもの買って!と言われる

どうせ、どうせ、どうせ…

 

母と暮らす中で、この「どうせ…」と、思わなかった日は、ないと思います。

 

この永遠に続く「どうせ…」の呪いが、私の人生を楽しくなくさせていたのだと思います。

それが若くして人生を諦めたように、無気力に生きる原因になったとも、思っています。

 

友人と話をしていても、ライブで騒いでも、家でくつろいでいても

いつでも私には「どうせ…」の背後霊が張り付いている。

どんなに楽しんでいても、それがふとした瞬間に現れては、私を『また母に何か言われる』の思考へと連れて行く感じ。

大げさでも何でもなく、私は何年もずっとその世界で生きていました。

 

出掛けたって、家にいたって、いつなんどき母から小言を言われるかわからないから

心から楽しめること、くつろげることはなかった。

 

もちろん、当時は心から楽しめていると思っていたし、心からくつろげているとも、思っていました。

 

けれど、この「どうせ」が、母と離れて約5年経ち、ようやく私の中から消え

たったこれだけのことで、物事はこんなに楽しいのか…

これこそが「本当に、心から楽しむ」ということなのだと、わかりました。

 

趣味や娯楽など、楽しむことで本来プラスになる感情が、どうせ…のせいで常に削られているから

いくら楽しいことで継ぎ足しても継ぎ足しても、満たされない。

実家にいた頃に私は、完全にそうだったのだと思います。

 

純度の高い「楽しい」を、やっと今、わかってきた感じ。 

さっきも書きましたが、私は今月37歳になりました。

毒親家庭に生まれていない人たちは、何か楽しいことをしたとき

こんなに純度の高い楽しみ方をして、生きてきたのかな。

ひとつひとつの行動にそんな「どうせ…」なんて思わず暮らしているのだろうな…。

 

そう思うと、悔しくてたまりません。

 

コメントなどについては、こちらにまとめています。

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