もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自分で自分の機嫌を取れるのが本当の「大人」だと思う

ブログを書くようになって、昔のことを思い出していると母って何でとにかくいつもあんなに愚痴っぽく、ひねくれたものの考え方しかできなかったのだろうと不思議で仕方ありませんでした。

 

旅行やお出かけの時に限って、ちょっとしたことで機嫌を悪くして(あ、機嫌が悪いのは普段からか)

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母ってそう言えば昔から純粋に『楽しそうにしているなぁ』って思ったことがあまりなかった気がします。

楽しんでいたのかも知れないけれど、そんな風に見えなかったというのが正しいかな。

 

いつも母の怒りの爆弾の導火線のそばには火があって、何かの拍子ですぐにその火が導火線に移り、大爆発を起こしかねないという感じでした。

普通ならば火種にならないようなことでも、母にかかれば何が火種になるのかすらわからないし私たち家族が火を点ける原因を作っていたとも思えません。

ただただ、火が点いてしまわないように家族全員で母のご機嫌を取って暮らしていました。

うちではずっとそれが当たり前だったし「お母さん」という生き物は基本的に不機嫌で怖いものなのだと、ずっと思っていました。

腫れ物に触るように、母に気を遣って、神経をすり減らして暮らすことが普通ではないことには幼い頃は全く気がつかなかったわけで自分が大人になった今、母が何をやってもイマイチ心から楽しんでいる風に見えなかったのも『そりゃ、あんな風にしか物事を考えることができなかったら、イベントどころか人生なんて楽しくないわな』ということで合点がいきます。

 

人に幸せを持って来てもらおうとするくせに、人一倍愚痴や文句ばかりで、旅行やイベントも非日常の空間を楽しむことより、わざわざダメな部分にばかりフォーカスして文句をつけて

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そもそも「してもらったことに感謝しよう」という謙虚な気持ちすら備わってないから、導火線に火が点かないように腫れ物に触るように、家族が自分の調子に合わせてくれていた時は楽しかっただろうけど、いざ1人になれば自分の機嫌は自分で取らなければなりません(と言うか、そもそもいい大人は自分で自分の機嫌は取るものです。母はいつまでもそれを家族任せ・他人任せにしていただけ)

死ぬまで家族の誰かが自分のご機嫌を取り続けてくれるとふんでいたのでしょうが残念ながら全てに気がついてしまった娘は、もう母のご機嫌を取ってはあげません。

本当に独りぼっちにされては困る!と、今度は試行錯誤、母が私たち娘のご機嫌うかがいを必死にやっている姿は笑いを誘います。

娘の一挙手一投足に「怒られる」と、びくびくする時もあるらしくやっと「あんたらは家でこういう気持ち(いつ相手がキレて怒り出すかわからない)で暮らして来たんやな」と気付いたそう。

 

母の自分で自分の機嫌を取ることができなかったのは自分で人生を楽しくする術がわからないからであり、楽しそうな人を貶すのもただただ気に入らなかったのだろうなと思います。

それがああいう愚痴っぽく、ひねくれたものの考え方の元凶でしょう。

 

純粋に「好き!」だとか「楽しい!」「面白い!」という気持ちよりも、他人から見てどう思われるかばかりを気にして戦後の考えを平成になっても信仰し続け(自分に合うか?合わないか?本当にそれは必要なのか?等の吟味もないまま、洗脳状態で信仰するのは、時代錯誤だと思います)そのくせ「自分が頑張って上を目指そう」というプラスの思考も備わってないから「他人を落とす、下に見る」ことで、それを「幸せ」に無理矢理変換させていただけなんだと思います。

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幸せの形なんて人それぞれなので、そうやって人より優れていそうなところを自分のものさしで測り「勝った!」と思えたら幸せだと感じられるのはある意味幸せなのかも知れませんね。

 

ただ、それが本当の幸せをもたらすことになっていたのか?

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今の母の姿を見れば、一目瞭然かなと思います。

 

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自分純度を上げる

タイトルが何かうさんくさいブロガーみたいになってしまいましたが

実家を出るまで私は、母の顔色をうかがい、母の機嫌を取り

主語が「母」の人生を長く過ごしてきました。

 

学校の専攻とか、職場についても母はその度に知識もないのに口出ししてきましたが

私は『自分にはできなさそうだな』と感じることはわりとハッキリと断ってきました。

母と暮らしていた時はその『自分にはできなさそう』のラインが今と全然違っていたので(自分でも自分がよくわかっていなかった)

本当は嫌だけど母の機嫌を損ねたくなくて嫌々やっていたことも多々あります。

ただ、嫌々であっても、絶対に無理!なことまでは、自分の選択で避けてきたんだろうなという気は最近しています。

 

そんな中、仕事を転々とはしてきた私ですが

わりと『これならできそう』と、自分でジャッジしたことについては後々何だかんだ役に立ったり意外と無駄にはなっていない気がします。

 

母には、何度も転職をしたことをいつも「無駄なこと」のように言われてきたし

自分でもきっとそうなのだと思っていましたが、意外と無駄でもなかったのかもなぁというのが、今の本音です。

 

一番長く勤めた会社に関しては「コネ入社」というきっかけは母発信で

結局そこで6年近く勤めた私が言うのも説得力がないかも知れないけれど

その他の転職については、母に『どうかな?』と、求人票を見せて報告はしていたものの(大体これも今思えば、母の独断で何を基準に、良い・あかん言ってたのか、甚だ疑問ですけど)

探す段階では私しか関わっていない(=まずは私の『ここなら、行けそう』をクリアした求人ばかりだった)ので

嫌なことと我慢できそうなことをかなり自分で吟味してから母に見せていた、ということになり、いざ入社しても『こんなはずでは』と思うことも(転々としている割には)少なかった訳です。

たまに、見誤ったなということももちろんあったから、一瞬で辞めた会社もあるけど、次の職場で『あれ、やっておいてよかったなぁ』と思うことも意外とあったりして

私は仕事ではあまり頑張りたくないタイプなんだけれど、なんとなく次に繋がる みたいな部分にいつも助けられていたりします。

 

「人生で無駄なことなんてない」とはよく言われていて

私はずっと『そうか?』という気持ちがあったのですが、その選択に対し自分純度が高い場合は、あながち間違いでもないのかも知れないと最近思うのです。

 

例えば母が怒るからとか、機嫌悪くなるからとか

そんなことでやったことは大半なんの意味もなかったと思うし

(母と過ごす時はほとんどこういう気持ちで動いていた)

一体、あれが何の役に立ったのだろう?ということばかりで

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母と離れてからも、母をはじめ『仕返ししてやる』とか『相手より偉くなってやる』とか「誰かを対象に」やったことは、ハッキリ言って何の身にもならなかったし、自分の気持ちもスッキリしないし

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その時に悩んでいたことの答えが今やっと見えてきたと言うか

 

よく毒親問題で言われる「自分軸で生きる」というのは「自分本位で生きる」「自分勝手に生きる」のではなく「自分純度を上げる」ということなのだと思います。

 

それを完全に勘違いしていた時期がこの記事に書いた時期だったと私は思っています。

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とは言え、長年主役が「母」だった人が、すぐに自分を主役にするなんて、できなくて当たり前です。

ずーっと脇役だった(何なら舞台にすら立っていなかった)人が、急に主役やセンターになんてなれなくて当然です。

でも、自分の人生なんだから自分が主役になっても良いのです。

(それに気がついたのが、私の場合30過ぎてから。良かったのか悪かったのか)

 

その為にまず「嫌々やっていたこと」を洗い出して辞めてみるとか、自分なりの至福の時間を見つけてみる、というのはくだらないことに見えて、実はすごく大切なことだと思います。

私はそれをするのに、ここまで約5年かかっています。

そして、未だに今さら『母に言われて何となくやっていたけど、ほんとはこれ嫌いだったんだー』等と、気がつくこともあります。

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もうアラフォーに片足を突っ込んだ今『今まで何してたんだろう』と、悲しくもなりますけど…

せっかくの私の人生、これからも自分純度を上げられたらなぁと思います。

 

多分、毒親じゃない親のもとに生まれたら、元々自分純度がどうなんて考えずに

そもそも純度90%くらいで生きられるんだとは思うんですけどね。

 

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どうするのが良いのだろう

毒親関係のことを調べていたら、よく「毒親との対決」について書かれています。

書籍などでは、成功例が主に書かれているのか、それなりに見えるように表現されているだけなのか?

「ぜひ、やってみましょう」的に受け取れるのですが

どうも質問系のサイトとかでは「やったって意味なかった」「余計腹が立っただけだった」みたいな回答が多く『やっぱりな』という感じも否めません。

 

だって…話してわかるような親なら毒親になんてならないし…

「対決」という名の話し合いを、私は家を出る前に死ぬほどやりましたが、それでもまともに話ができなくて、らちがあかなかったし…

だから、仕方なくこちらが逃げて来ただけだし…。

 

だから私は母を立派な「毒親」としては認めることはしましたが、はっきりと『あれが嫌だった』『これが辛かった』ということを、家を出てからは母には伝えることもなく、今日まで過ごしています。

ずっと、そういう気持ちで来たし(話してわかる親ならそもそも毒親になってない・散々話し合ってあれだったのだから…)

もう、母は「話がまともにできない人」「3歳児くらいの精神年齢」と割り切って接するしかないなという、諦めで生きています。

 

そんな中、母とはもうほとんど会わなくなって、最近ほんとに他人のように過ごせるようになりましたが

じゃあ母に対して腹が立つことはもうないのか?ということになれば話はまた別で

私は母のことをそうやって割り切って諦めて、ただいなくなるその日を待つだけの相手として、過ごして行くことも心では決めているのに

母に対して日ごとの差はあれ、何かの拍子にふと腹が立ち、母を思い出さない日はある意味ないのです。

せっかく家を出て、離れて暮らしているのに、未だに母に腹を立てる自分も嫌で(家を出た頃のように、カーッとはならないものの、じわじわ腹が立つ)その原因を考えていた時に

母が今「昔のことは水に流して!」「今が楽しければいいよね!」みたいな態度なのが、気に食わないのだろうな、と気がついたのは、つい最近のことです。

 

自己評価だけはやたらと高い母なので、娘にこれだけ嫌われていても

自分の性格ややり方を省みているなと感じられることもほとんどなく

最後には必ず言い訳をして、誰もしてくれない擁護を自分でやって

「老人で病人の私をいたわれ・敬え」「歳が歳だから少々のことは許してよ」みたいな態度になることに、どうしても腹が立ってしまうのです。

 

これって、私が自ら避けて通ってきた「対決」をやって本人にこの苛立ちをぶつけてないから、いちいち腹が立ってしまうのか?とも思ったりするのですが

実際これまで母が昔(私が実家にいて、一番嫌な思いをしてきた、成人してからの数年)のことを蒸し返して話し始めた時に『胸糞悪いし、思い出したくもない。もうあの頃の話を今さらしたってあの頃の嫌な思いが消えるわけではない。だから私の前であの頃の話をするのはもうやめてくれ』と母に言ったのも、ほかでもない私なのです。

(その強い口調に、さすがの母も「もう(あの頃の話は)しません」「ごめんなさい」みたいな態度に一瞬なったし、実際その頃の話はお互いしていません)

 

え?このブログは思いっきり蒸し返してるやん?と、お思いだと思いますが

ブログに書く分には、実際に起きたことをそのまま書いて、自分本位の感想を述べるだけだから、腹もそこまで立たないのだけれど

そこに張本人の母が加わると、建設的な話ができず「お母さんの愛情はわかってくれ」だとか「たりの為を思ってやったから」と関係ないことで相手の許しを乞うような発言と、「でもな」「だけどな」の、言い訳・自分擁護のオンパレードで

潔く相手を不快にさせたことを省みることがないから毎度腹が立つだけで終了なんだと思うのです。

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その、言い訳・自分擁護にムカつく気持ちって、どう処理したらいいのかなぁと毎日悩みます。

母とはもうあの頃の話はしたくない。

けれど、本人には『あれが嫌だった』『これが辛かった』と、知らしめたい部分もある。主に挙げると

 

・ 幼い子ども相手にボロクソに言ってきたこと

・ 20代の私に自分の価値観を押し付け、思い通りにならないと怒り狂ったこと

・ 歳の離れた父の世話を私に丸投げしようとしたこと

・ 人のつらい、しんどいという気持ちを理解もしようとせず、自分のつらい、しんどいはしっかり他人に毒を吐くことで気持ちを保っていたこと

・ 時が経てば今度は老人だから、病人だからと大義名分でいたわってもらえると思っているその考え方(昔はそれが「親だから」だった)

 

 

だから、ちょくちょく母に「対決の小出し」みたいなことをやってしまうのでしょう。

 

私は時々母に、感情的にではないものの、すごい嫌な言葉を吐いたりしてしまい

(咄嗟に口から出て、母が確実にムッとしている。昔の母ならきっと「何じゃ親に向かってその口の聞き方は!」と、キレるだろうなというような言葉を、平気で吐いてしまう)

『あんなこと言うつもりなかったんだけどな~(笑)私も性格悪いな~(笑)』と帰りながら思ったり(別にかわいそうなことをしたな、なんて全く思ってないけど)

 

まぁきっと、このまま何もしないのが一番いいのかなぁ。

小出しであっても、確実に私が母を好きでないことは伝わっているだろうし

それだけでも十分知らしめることになっているのかな、とか。

 

あとは、母がそばにいない今が生きていて一番楽しいというところが伝われば、それが一番毒親にとっては面白くないかなぁとも思うから

余計なことはしないのが一番ですかね。

 

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