もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

責任の所在の仕分け

※今回は、少々ネガティブな記事になります。

 

以前にも書いたことがありますが、職場で注意されると自分の全人格を否定されたような気分になって落ち込むところが、まだ直っていないので、しんどいのと

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別の拠点に60代くらいの、すんごい偉そうに言うまさに「お局BBA」みたいなのがいて

そのBBAとの絡みが、非常にストレスになっています。

 

事務関係をそのBBAが仕切っているので、時々電話をかけなければいけません。

入社当初からそのBBAが相当嫌われていて、悪口を言われているのも聞いていたので、私も戦々恐々としながら電話をしました。

案の定、何が気に入らないのか?みたいな、偉そうな口調で対応されました。

 

『こういうBBAなんだ』と、適当に対応していたものの、やはり私は

「偉そう・きつい、母世代のおばさん」が、怖くて怖くて仕方ないのです。

電話で喋るだけなのにこれなので、よっぽどです。

『別に肩を並べて仕事する訳じゃないんだから!』と、あれこれ自分でフォローを入れて鼓舞しないといけない程、恐ろしいのです。

 

先日、メールが来ていたのですがお金関係の作業で忙しくなかなか確認ができず

そのBBAから電話がかかってきました。

「メール見てないですか?」と冷たい声で言われたので、怖くて仕方なかった私は

『すみませーーん、見てないです!』と無駄に明るく返し

(どうしても怖かった結果、こうなったw)

もちろん「見てないでーーすじゃなくて、云々」← 同じ調子で何か言ってたけど、覚えてない

と言われ

『すみません、今お金の計算に手を取られていて見ていませんでした。今見ますが、お急ぎですか?』と返しながら開くと、どうも私ではわからないある報告を至急してくれ、とのメール(そもそもですけど、そこまで至急なら電話してこいよ)

『これは…ちょっと私が今すぐにはわからないので、〇〇さん(所長)に聞いてみてもいいですか?代わりましょうか?』

と、返しました。

 

確かに第一声の『すみませーーん、見てないです!』は、ある種ナメくさった態度でしたけど

その後の対応には私は問題がなかったとは思うし、謝罪もしましたが

BBAの対応をした所長が電話を切った後「たりさんの返事が返事になっていない、会話になっていないと(BBAが)お怒りだった。気を付けろ」と、注意をされました。

ナメくさったようになったと思った態度については、怒られませんでした。

 

しかし

「返事になっていない、会話になっていない」とは??????

頭の中が「?」でいっぱいになりました。

何をどう気をつけろと????

 

そのBBAは、とにかく根性がひん曲がっているので、何についてもそうやってイチャモンをつけたい性分なのも前から小耳には挟んでいました。

おそらく、母みたいな、なにかどこかがおかしい、気の毒な人ではあるとは思うのですが。

 

所長は所長で、事なかれ主義で「あのおばさんを怒らせてくれるな。面倒なことするな。俺が怒られるやろ」と言いたかったのだなとすぐにわかりました。が

「返事になっていない、会話になっていない」という、完全にイチャモンレベルの注意を、所長からもされたことに、どうも納得がいきませんでした。

 

『謝罪もしましたし、その後の対応のどこがいけなかったですか??いけないところを言って頂かないと私も直しようがないので…返事が返事になっていないとは、すみませんが、どういう意味ですか?』と(その時、周りに誰もいなかったのをいいことに)ハッキリ言いました。

すると、バツが悪そうに「……まぁな。メールはな。すぐに確認せんとあかんわな。…今何時?メール来てたの何時?そういうこと。」ですって。

ほら、やっぱり。問題はそこでしょう?

メールの確認が遅かったことが、今回の問題であって。

 

BBAの訳わからない言い分(イチャモン)を、腹が立ったからって精査もしないでそっくりそのままぶつけるのは、おかしくないかな。

ただ単に、BBAにきつく言われてムカついたから、BBAの訳わからない言い分を、理解もしないで私にぶつけただけじゃないかな。

 

こんなふうに、私は

人から注意を受けると、何がどう悪くてこういうことを言われているのか?と

どうしても「責任の所在の仕分け」をしなくては、気が済みません。

 

おそらくそれは『何で私、こんなに怒られてるんだろう?』『私が本当に悪かったのだろうか?』という疑問が残ったまま、母から理不尽に、厳しく叱責されることが多すぎたからではと、自分では思っています。

もう、意味もわからず注意されたり、怒られたりすることが、心底嫌なのだと思います。

会社なんて、そんなものだよと言われればそれまでですが

口で言って是正してもらえそうなレベルであれば、相手が少々嫌な顔をしたとしても

自分を守る為に、無駄な我慢はしたくないのです…。

変わり者と、思われているでしょうね…。

 

相手の怒りを『これについては、私は悪くはない』『これは確かに良くなかった』等と、分別する作業をして、何でもかんでも自分が悪い訳ではない理由が欲しいのです。

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母と暮らしている時は『はいはい、どうせ私が悪者なんだろ。謝りゃいいんだろ』という気で生きていたので、外でもどこでも、それができていました。

 

結果、その時は事が丸く収まっても、本当に納得はしていないから、それが心の傷になっていたのだと、ずいぶん経ってから思った訳です。

色んな人から、ナメられ軽く扱われる一因になっていることにも、気が付きました。

だから、多少面倒とか変わり者と思われようが、自分の気持ちを押し殺すことに躍起になるのも、もうやめようと思い、こうやって色々試行錯誤をしています。

 

ナメられて軽く扱われるみたいなことが、どうしても、どうしても嫌なのです。

 

しかし、それは仕事では、思っちゃいけないのかな…

意見しないほうが良かったかな…と数日悩みました。

 

けれど、世の中の人って人の言動をそこまで気にしていないんですね。

私はもう所長には嫌われただろうな、嫌だな、また辞めたくなるわ…と2~3日落ち込んでいましたが

所長は普通に話しかけてきました。

 

きついおばさんへの耐性も、ついたと思っていたけど結局まだ全然ダメなことにも気が付いてしまいました。

 

何でこんなに生きづらいんだろう。

 

また昨日ちょっと、泣いてしまいました。

弱いなぁ、自分。

 

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ハラスメントという視点で考える

今まで、母が嫌い過ぎてあまり目を向けられていなかった(そこまでの余裕がなかった)ことの中で

自分さえよければいいような人とか、どことなく人を小馬鹿にするような人とか、変なとこでマウント取ってくる人とか

何かしら、モヤっとさせられたり、カチンとくる人に出会うことも多く

自分自身すごく嫌な思いをしているのにも関わらず、きつく言い返すことができず

変に我慢して、結局最後に縁を切ってしまったりすることが度々ありました。

tari97.hatenablog.com

 

嫌な気持ちになっているにも関わらず、母のように怒鳴ったり声を荒げることはどうしても『みっともない』という気があったので

面と向かって言い返す勇気がなく、SNSに遠回しに文句を上げたこともあります。

 

一番の親友だと思っていた人相手にも、結局そういう陰湿なやり方でしか自分の思いをぶちまける方法がわからず、今はもう少しやり方があったかなぁと思う反面

母に愛想をつかせた時のような諦めのような気もあったのも事実で

何をどうすれば良かったのかを問うのはもはやナンセンスなのかなぁと思わざるを得ません。

tari97.hatenablog.com

 

しかし、親友とも縁が切れて数年

私自身が、そういう人間を引き寄せていたのか?と、不思議になったのが、少し毒親問題がクリアになってきた最近やっと、という訳です。

 

私はこれまでそういう人を「毒人間」と表現をしてきましたが

「ハラスメント」つまり私の場合「モラハラ」という視点で、最近考えるようになりました。

 

きっかけはこの記事を読んでからです。

www.asahi.com

小島慶子さんが、アナウンサー時代何気なくかけていた言葉が、相手にとっては「ハラスメント」となっていたのだと気付かされたという一文です。

 

かつての元親友も、外面はいいし物腰も柔らかいので、周りからも「良い人」と評される人でした。

しかし、付き合ううちに喉に何かがつっかえるような、言い表せない不快感が増し

昔は楽しみだった彼女との長電話も、だんだんと着信音を聞くだけで嫌な気分になっていました。

けれども、私が毒親育ちのせいでしょうか。

『そんなこと親友相手に思うものじゃない』と、自分に言い聞かせていた部分があったことを最近ようやく認めることができました。

よくよく考えると、既に嫌いなのに『親のことを、悪く思うものじゃない』と、言い聞かせていた頃の気持ちにそっくりです。

 

そして「モラハラ 友達」等の検索ワードで見つけた記事を色々と見て

『完全に、私たちのことやん』と、かつての私と親友との関係性を重ねずにはいられませんでした。

 

これまで、彼女にされたことや言われたことで嫌だったことも散々このブログに上げてきましたが

tari97.hatenablog.com

結局、つまるところ、彼女にされていたことも、母親にされていたこととあまり変わらなかったんだと気がつきました。

そして、私がそれを不快に感じた時点で、立派な「ハラスメント」であったことにも…

 

私が親友に対して、今思えば卑怯だったよなぁと感じたことは

こちらが拾うか拾わないかくらいの、微妙なラインで人を見下したり、マウントを取るようなことを言ったりして

私がそれに反応すると「そういう意味で言ったんじゃない」とか

「何勝手に怒ってるの?」みたいな、まるでこちらが1人で鼻息を荒くしているような扱いをしてきたことです。

tari97.hatenablog.com

 

おそらく彼女自身も、私を友達として認め楽しく過ごす反面、自分のストレス発散に私を利用していたのだと思います。

「親友だから」と、彼女は甘えていたのだと思います。

『親友だから』と、許した私も私です。

この構図、どこかで見たことがあります。

「家族やねんから」母から言われて大っ嫌いだった言葉。

けれど私も『親だから』そう思って貴重な若い時間を、何年も無駄にしました。

毒親育ち特有の優しさが、仇となるのです。

 

結局「家族」「親子」を免罪符に、いいように親に扱われてきたこと同様

親友にも「親友」という言葉で、軽く見られ、見下げられていたのだと

今になればわかります。

そうでもしないと、生きて行けない親友もまた、気の毒でもあります。

 

それでも、元親友に対して感じることで母と違うところは

最後に喧嘩になった時、まだ私は軌道修正ができるならしたかったし

またいつか、笑い合える日が来るならいいのにとも、今でも思う訳です。

 

前も書いたけど、私は母に対してはできることは全てやったから

それでも伝わらなかったから

やるだけやって、だめだったから、きっぱり諦めはついた訳で

tari97.hatenablog.com

正直、母はいつ亡くなったっていいと思っているし、その日を夢見ているくらいです。

 

けれど、元親友に関しては、こんな形で縁が切れたままもう会うことはないのかと思うと、ふと悲しい気持ちになります。

 

私たちが好きだった漫画がドラマ化されたり

この曲、2人で聴いたら絶対に盛り上がってるいただろうなとか

この味、私は苦手だけど、きっと彼女はおいしいって言うだろうなとか

そんなことを思うと、このまま死んでしまったら悲しいなとは、思います。

 

彼女もまた、心が病んでいる人でした。

私の力では、もうどうすることもできないくらい、彼女の心の闇は深かったのです。

だからこそ、強く生きてほしいし、幸せにもなってほしいなと今は思います。

 

 

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常識的に考えて

「普通」という言葉はあまり好きではないけれど、私の母は確実に「普通」ではなかったと思います。

 

私の思う「普通」とは、一般的に、という意味も含むものの常識的に考えてという解釈の方が大きくて

世間体を大切にする毒親もまた「普通」が好きではあるのだけれど毒親の思う「普通」と、私の思う「普通」で繋がる部分が少なすぎたといったところなのだと思います。

 

相手が「やめて」って言ったら、やめないか?普通

相手が気を悪くしたのなら、何が良くなかったかなって考えないか?普通

自分がそこまで拒絶されたなら、何が相手をそこまで思わせたかな?って反省しないか?普通

相手に迷惑をかけたのなら、まずは「ごめんなさい」じゃないか?普通

 

これらは全部母に言いたかったこと。もしくは言っても通じなかったこと。

 

この場合の普通は、さっきも書いたように「常識的に考えて」という意味に等しいのですが、毒親の場合そもそも「普通」の解釈がおかしい上に、どれだけ注意や忠告を受けても「自分は間違えているはずがない」と本気で思っている節があるので上記のような「普通」にはてんであてはまらず、子ども=弱者が、常識的ではないほうの(毒親独自の)「普通」に合わせるざるを得ず、それが毒親のもとに生まれた子どもを苦しめ精神を壊す原因であると私は思っています。

 

さっきの文章が毒親バージョンになると

 

相手が「やめて」って言っても、ええやん、これくらい

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いいかどうか、どれくらいの程度か、は、された相手が決めることです。

 

相手(私)が気を悪くすると、たりは何を1人で怒ってるん?

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相手を怒らせるような言動を平気でしますが、自覚がないのでなぜ相手が怒っているのか、本気でわからないのです。

だから、自分を省みることもないのです。

 

自分が拒絶されると、あんなにしてやったのに

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これ、そもそもいつも全然関係ないところで、話の論点をずらし子どもに罪悪感を抱かせて丸め込む時の常套句でした。

逆に考えれば「これくらいしておけば、拒絶されることなんてない」と決めつけの激しいお花畑さんですね。

 

相手に迷惑をかけても、でもでもだってと言い訳

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人には「悪いと思ったら潔く謝れ」とか厳しく言っておいて、自分の失敗はテヘペロで済ませます。

謝らないし、必死で言い訳。 

 

残念ですが、毒親の「普通」がこれなのです。

 

毒親というのは、完全に「人の立場に立って物事を考えることができない」とか「良いことと悪いことを、机上論でしか考えられない」といった面で人としての回路が完全に壊れているのだと思います。

「不完全なまま、大人になってしまった」とでも言えば聞こえは良いでしょうが。

 

うちの親は、頭の回路がおかしかったのだなと思うようにしています。

 

おかしかったのだから、仕方ないよねだなんて死んでも思えませんけどね。

 

そんなおかしな家で育ってきたこと、悲しいし悔しいです。腹も立ちます。

それでも、それに気付くことで落としどころを見つけることはできました。

 

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