母がよく語っていた話を思い出しました。
母が子どもの頃、貧しいためにおもちゃ等ロクになかった家で、1体だけアニメキャラのよくできた人形があったそうです。
母はとても気に入っていたのに、ある日母の母親(私の祖母)がよその家の子に勝手に人形をあげてしまったそう。
もちろんあの母の母親のことです。母が泣いて訴えても「あげて何が悪いねん」「あげてもたもんしゃーない」「いつまでもしつこい」等と実際に言われたそうです。
その時、将来子どもができたら子どもの持ち物を勝手にあげたり捨てたり絶対にしない!と母は心に誓ったそうです。
実際、母に勝手に私物をどうこうされたことはないし、子どもの部屋を家探しする毒親も多くいる中、そこはまともでした。
「なぜ、子どものものを勝手に捨てたりしてはいけないのか」と問うと、多分母は「自分が悲しかったから。だからしない」と答えると思います。
確かに間違いではないのですが…母の場合その悲しみの中身が " モノがなくなった事実 " にしかフォーカスできてないな、と感じます。
娘の物を勝手にあげたり捨てることは確かにしなかったけど、私の好きなことや気に入っているものに共感したり、物を失くして悲しんでいる時に励ますこともまた、ありませんでした。
平気で人の好きなものとかタレントもdisるし、物を失くして悲しんでいても気持ちに寄り添うどころか、先ほどの祖母と全く同じニュアンスで「しつこい」「失くしたもんしゃーない」「ちゃんと管理してないアンタが悪い」となじります。
まさにあの親(祖母)にこの子(母)あり。
内容は違えど、やっていることは祖母と何ら変わりありません。
祖母が人形をあげてしまった話は、子どもにことわりもなく勝手にあげてしまったことはもちろんだけど悲しむ子どもの気持ちに寄り添えなかったことも大きな問題点だと思います。
だから母の子育ては、子どもの物を勝手にあげたり捨てたりしてはいけないというミッションをクリアしただけの事で、この話の本質まであと一歩足りない、そんな気がするし、母は万事がこうでした。
とは言え、子どもの思い通りに全て聞き入れることもできないのもまたわかります。もしかしたら祖母は人形をあげないといけない、のっぴきならない事情があったのかも知れません。それならそれで「しつこい」とか「しゃーない」ではなく「ごめんね」と、そうなった経緯を説明するのが親としてすべきことだと思います。
母がこの件で傷ついたのは、人形がなくなったという物理的な事実による悲しさ、それに加えて親に悲しみに寄り添ってもらえなかったことも理由としてあったはずですが、結局母も後者は我が子に対して何もできていませんでした。
祖母と比べたら、物を勝手に捨てたりあげたりはしない、ある意味人として当たり前の部分ができるようになっただけで、マイナスがゼロになった程度です。それを母は「私はお母ちゃんみたいな冷たいこと、絶対にせん!」と主張し、良い親だと豪語していましたが…
「娘の物を勝手に捨てたりしない」ということと「心に寄り添えている」はイコールではありません。おそらく母はそこを混同しています。
娘の物を勝手に捨てたりあげてはないから、合格(=娘の心に寄り添うことと同等の対応ができた親!)と本気で思っています。
ずっと母の主張に対し腑に落ちなかった理由がやっとわかりました。
スター、コメントありがとうございます。