もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

虎の威を借る狐

姉とは、月に数回程度会った時にご飯に行くのですが、必ずと言っていいほど母の話になります。

話を聞く度に、姉は姉で私とはまた違う部分ですごく嫌な思いをしたり、トラウマになっていることがあるのだなぁと感じます。

 

母って、2人の娘を比べることはしない!と自分自身に誓約した訳ですが

結局それを守っても、娘2人それぞれに多大なるトラウマを残して嫌われて

姉は『義務感だけであなたの面倒を見ている』と正直に母に言ったらしいし(そう言われても1人で何もできない母は「じゃあ来ていらない」なんて、口が裂けても言えないですからね)

私は『ほぼ繋がりを持たない』ということで

2人とも母の前で『あなたのことが嫌いです』と言うことはないものの、これだけのことを言われたりされたりしてやっと、娘に嫌われているのをわかってはきたようです。

 

仕事も辞め、趣味もない、友達もいない。毎日長い長い1日を何をするでもなく生きているだけの母。

更には娘にまで嫌われてしまった。

毎日「なぜこんな老後になってしまったのだろう」と、さすがの脳内お花畑の母ですら生きて行く自信を喪失しているらしいです(姉談)

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「新しい保護者が欲しかった」と、夫を対象に始まった母の「依存人生」は、その後母の強い支配によって、依存対象を夫から娘へと移しながら約40年、続きました。

家族の協力のもと成り立っていた家族関係と家庭環境を「自分の力だけで回っている」と大いに勘違いし、自信満々にふんぞり返っていた母。

自分の頭で考えず、自分の足で歩くことをせず、何でもかんでも高圧的にワガママに家族任せにしてきた結果が、誰からも見放され、寂しい老後を過ごすことになった今なのだと思うほかありません。

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私はあなたの娘ではあるけれど、私の人生は私のものである。

その線引きをいい加減できるようになれ、そして母娘穏やかに暮らそう

という私の意見も鼻で笑った母でしたが

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おそらくそれも母の様々な勘違いがもたらしたものなのでしょう。

 

 

中国の故事成語で「虎の威を借る狐」というものがあります。

意味は「権力者の威勢を借りて威張ること」

全ての自信を喪失した母は、今さら「自分は虎の威を借る狐だった」と、嘆いているそうです。

母の言う「虎」は「家族」のことで、家族みんなのサポートがあったから、私は生きてこれただけだったのだ。それくらい(狐とおなじくらい)私は弱い人間だったのだ、と。

 

私はこのお話を、狐は「自分に力がないのをわかって」虎に自分について来て、と言ったと解釈していたので

その(自分には威厳がないことの)自覚があっただけ、狐は母より賢いと思ったのですが(母は、自分が弱く1人では何もできない小さい人間であることすら、還暦を迎えるまで自覚がなかった能天気なお方なので)

最終的に「権力者の威勢を借りて威張ること」といった部分では、まさしくその通りですね。

 

まぁ今さら気がついて、悔い改めてみたところで「覆水盆に返らず」ですけどね(笑)

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昔の人って、本当に例えがうまいです(笑)

 

余談ですが、母は子どもを怒鳴りつけている時によくこういうことわざとかを引っ張り出してきて怒っていました。

何時間もこんこんと、母に怒られたことで、たくさんことわざとか言い回しを覚えたなぁ~と思います。

 

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母が「生きづらさの種」を蒔いていたのだと思う

母の「ここだけは良かった」という部分で「姉妹で比べることをしない」というのもあるのですが「今そこにいない家族の悪口を言う」というのは、母は日常的にやっていました。

あくまでも「本人たちの前で比べるようなことは言わない」だけで

姉だけでなく、父のこともよく悪く言っていたし、私のいないところで私のことを言われているのだろうな、というのも昔からわかっていたし、姉や父から「母さんが言うてたで」と聞いたこともあります。

 

と言っても、おそらく母自身は悪く言っているつもりはなくて、多分「事実を述べているだけ」(いつもの「思ってること言っただけ。何が悪いん?」)で

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その「表現方法がえげつなかっただけ」なのだと思います。

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そういうのを、本人たちの前で、姉妹で比較しながら言わなかっただけマシ、といったところですが、今思うと何であそこまでわざわざ言わないと気が済まないのか?ああいう嫌なものの言い方しかできないのだろうか?と悲しくなります。

 

姉は昔から時間にちょっとルーズなところがあって、子どもが産まれてから実家に遊びに来る時なんかも言った時間より大体遅れて来ていました。

と言っても、実家に帰るだけだし、子どもが小さいと思い通りの動きなんてできないし、まぁそんなもんだろうと私は思っていましたが

母はいつも「来るの遅いな!」「また1時間2時間遅れやな!」「たりは時間にきっちりしてるけど、姉ちゃんはあかんわ。何でやろな!」と、姉が到着するまで言っていました。

最後の言葉で「姉妹で比べてるやん」と思ったかと思いますが、それを「2人がいる前では言わない」というだけの話です。

(どちらか片方、いない方の悪口をもう1人に言うというのは、日常的にやっていたということで、それは父相手にもあてはまります)

本人的には「事実を述べているだけ」なのでしょうが、言い方にも問題があるので、結局聞かされる方には「悪口」にしか聞こえないし、不快なのです。

 

姉が一度だけ、合わない職場をすぐに辞めた時も「何故そういう言い方しかできないのだろう」と、嫌な気分になったことがあります。

 

姉も私と同じく、波長の合わないところではなかなか馴染めず、自分を守るためにやむを得ず退職の選択をしたそうなのですが

母はまた内情もわかりもしないのに(と言うか、誰のせいでそこまでの生きづらさを抱えてるか、まずそれを自覚してほしいが)「大体、あんな職場行く前からあかんってわかるやん!」とか、私に言ってきました。

 

これも、何で「あかん」とかマイナスの表現しかできないのだろう。

「今回は残念やったけど、またいいとこ見つかるといいね」とか、なぜそういう前向きなニュアンスでものが言えないのだろう。

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結局、母自身がいつも後ろ向き・マイナス思考・何でも悪い方にしか考えられない(そのレベルが病的)であり、精神的に未熟だった証拠だと思います。これは本当に、母の残念なところです。

またその考えを、子どもにまで押し付け、共感の強要をしてきたことに腹が立つのです。

こういった言動が多すぎたことも、子どもたちが異様な生きづらさを抱える原因のひとつになったであろうと、私は思っています。

 

被害者ぶる訳ではないけれども、こうやって考えていると私の家には子どもが生きづらさを抱えたり、卑屈な考え方になる原因になるような種が母の手によっていっぱい蒔かれていたのだなぁと思います。

 

母に支配されていた頃は、それに気づかず生きづらさの芽はどんどん出、大きく育ってしまっていましたが

私は絶対にこれ以上、それが育たないように

育ったものはへし折ってでも、生きてやろうと思います。

 

 

 

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母の発する嫌いなワード【過去編】

母の嫌いだった、また今も嫌いな言い回しは色々あり過ぎるのですが

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またひとつ思い出しました。

 

昔から、失敗することに異様に厳しかった母は何をするにも先回りをして「ああしなさい」「こうしなさい」

思い出すだけで『よくあんなにずっと指示できるよな』と逆に感心するくらいなのですが

「〇〇したら(失敗したら)泣かんならんで!(泣かないといけなくなるよ!)」も、何万回と言われた記憶があります。

 

さすがに人に向けて私がこの言葉を言う事はありませんが

時々家で1人で何かをしていて、何か失敗しそうになったら、頭の中でこの言葉が浮かんできます。

 

例えばどういうところで母が言っていたかと言うと

アイスクリームを食べていて、ちょっとよそ見したら

「よそ見しぃな(するな)!(アイスを)落としたら、泣かんならんで!」

とか。

とにかくこんな感じでよく言われました。

 

食べ物をこぼしたり落としたり、気をつけていないと、おじゃんになるぞ!という場面で一番多く使っていましたが

他にも切符とか、きちんと持っておかないといけないみたいなものを「きちんと仕舞っときよ!失くしたら、泣かんならんで!」も、よく言われました。

 

小さい頃は当たり前のように言われていましたが、最近になって『泣かんならんって何だよ』と思って、考えていました。

そもそも、そんな親に育てられていたから、同じ年頃の子よりか私はよっぽど注意深かったし、取り返しのつかない大ケガだとか、ミスだとかそれこそ「泣かないといけない」ほどのことをやらかすことなんてそうそうない子どもでしたが。

 

おそらく、一番の理由としては母は異常な守銭奴だったので、何をするにも「もったいない!」という気があって

それを子どもの不注意で、買ったものがムダになるとか、もう1つ買わないといけなくなる、というのが母は心底嫌だったのではと考察しています。

 

それに加え、落としたりして子どもが泣いたりダダをこねたりするのも嫌だったのだろうなと思います(母は子どもが泣いたり、機嫌を損ねることをすごく嫌っていました)

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確かに『アイスなんて数百円のものじゃん。それくらい、いいだろ』とは、思わないし、遊び半分でふざけて食べてたら私も注意はすると思います。

けれど母の場合は、アイス等が子どもの手に渡った途端目を光らせて、まるで見張られているような中で食べなければなりません。

 

幸い、歳の離れた姉がいたので、姉が大きくなってくると『姉ちゃん、たりが落とさんように見たってよ』と、姉にその役割がバトンタッチされ、姉は母みたいな言い方をしないので(こぼれそうになったりしても、怒るのではなく優しくフォローをしてくれる)

姉が一緒の時はある程度はましになったものの

せっかく家族みんなで出かけたりしても母だけがずっっっとこの調子なので

食べることを含む何事にも消極的になるし『旅行やイベントを楽しむぞ~!』ではなくて『あれは大丈夫かな。これは大丈夫かな。あれがああなったらどうしよう』ばかりに頭の中が支配されて、楽しい訳がありません。

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それでも、20代半ばまで、親孝行だと思って母主催の旅行に付き合っていて、当時はそれなりに楽しんでいると自分では思っていました。

しかしこの間、私が23歳くらいの頃の家族旅行の写真データが出て来たのですが

どこに行って何をしたか、全く思い出せませんでした(時期は、着ていた服で何とかわかった)

結局、幼い頃は母の顔色をうかがって、失敗しないように…と思うので旅行等の楽しさは半減し

そういうことをあまり思わなくなった20代になってからも、結局今度は『行かないと母がキレまくって面倒だから』という理由だけで参加していたのだなと感じました(笑)

そりゃ記憶になんて残らない訳です(笑)

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それから、すごく不思議なのですが、私は幼い頃の家族旅行とかもわりと覚えている方で「姉ちゃんはすぐに忘れるけど、たりは何でもよく覚えてるなぁ」と家族にもよく言われていたのですが

最近、だんだんと昔の旅行のことも記憶が薄れてきたと言うか

まぁ歳を取れば当然のことなのかも知れないけれど、何かあるごとに『あの時も母にああやって言われた』『母がこんな風ですごく嫌だった』というのを思い出していたのが、だんだんとなくなっていることに気がつきました。

 

昔はもっと鮮明に頭に色んな場面がこびりついていたし、思い出す頻度も高かったし、その度に腹が立って仕方なかったのだけど

最近は意識的に思い出そうとする作業をしない限りは、特に思い出すこともないので

それに伴って腹を立てることも少なくなってきました。

 

母が嫌いなことには変わりはないですが、母の言動のルーツ等を探るうちに「落としどころ」が私の中で見つかりつつあるのかも知れません。

 

こうやって、文字に起こすことで私の中の何かが昇華されているような気もします。

もう少し、この作業は続けていこうと思います。

 

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