もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

どうしても好きになれない人の共通点

前にも少し登場した、大変自己中なオタク友達の「Kちゃん」ですが

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この度、うまく距離を置くことができました(たぶん)

 

前々から、Kちゃんってほんとに「自分が良い思いはして当然。他者が良い思いをすることが悔しい・許せない」タイプなんだろうな(めんどくせぇ)とは思っていました。

 

Kちゃんのことは姉も知っているので、姉も最近『Kちゃんて、うちの母さんみたいじゃない?』と言い出して『やっぱりwわかる人にはわかるんだw』と思った次第です。

 

あと、Kちゃんっておそらく、承認欲求が病的に強い人間で、SNSでも常に(直接的な表現ではないものの)「アタシはこんなにすごい」「アタシはこんなに頑張っている」

みたいな発言が多くて、それを「すごいね」「さすがだね」と持ち上げてくれる友人だけを大事にしているのだなぁと、最近気が付きました(また母にそっくり)

 

私も昔は何も思わず、ついKちゃんを調子づかせることとかを無意識レベルで言っていたことを反省ですが。

(もう出会って10年ほどになるので、出会った頃はまだ私も誰にでもペコペコして、機嫌を取るようなことを言ったりやったりしていたので)

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そういうタイプですから、Kちゃんは自分が「コイツは必要ない」と感じる人…要は「自分の思い通りの、すごーい!みたいな返しがこない」人間には、驚くほど無礼な態度を取ることにも、私はいち早く気がつきました。

これは私が、人から「蔑ろにされる」みたいなことに、異様に敏感な性分だからかも知れません。

 

お互い、別のアイドルグループが好きだったので、去年から1年、KちゃんとはFC名義を互いに貸し合っていたのだけど、私が借りていたKちゃん名義のFCの期限が切れそうだったので、更新が不要な旨と、今まで貸してくれてありがとう!という連絡は一応「人として」送ったのです。

一応、他人の個人情報を預かっている訳ですからね。

一方Kちゃんに貸していた私の名義のFCは、先に期限が切れていたのですが、期限が切れても何の音沙汰もなくほったらかし(少々あてつけの意味も込めて)先ほどの連絡をした訳ですが、LINEの「了解」スタンプひとつで終わられました。

自分も借りていた立場なのに「ありがとう」の一言もありませんでした。

これがアラフィフのいい大人がすることでしょうか?

 

そんな非常識(と、私は感じる)なKちゃんですが

その割に笑えるのがSNSでは「人として!」「常識的に考えて!」みたいなことをよく偉そうに語っているんです。

姉と一緒に『いや、どの口が言ってんだw』と、毎度ネタ。

 

そういったKちゃんの「自分は良くて、他人はだめ」(自分ができていなくても大した問題ではなく、他人のだめなところにはすごく厳しい)といった部分が、ここ数年すごく鼻について仕方ありませんでした。

 

また、こういう人って、基本「自分は正しい」と信じ込んじゃっている節があるので

(また母にそっくり)時々すごく正義のヒロインぶって、偉そうに人の間違いを主張したりするのだけど…自分のツッコミどころを先に何とかしろよって思っちゃうんですよね。

それを目ざとく見つける私も私なんですけど。

 

なぜ、毎度そんなに自信満々で、すごい勢いで自己主張しないと気が済まないのだろう?と不思議だったけど「承認欲求が強すぎる」と考えれば、合点がいきます。

とりあえずその時その時で「すごい!」「さすが!」と言われたいだけなのだな、と。

その発言に大した意味や理由はないので、ツッコミどころも満載なんだな、と。

まぁSNSなんてそんなものだよ。その時その時の軽い気持ちを発信するだけのツールなんだから。と言われればそれまでですが。

 

私は、人をすぐに『嫌い』『苦手』等とジャッジしてしまうのがかつての悪い癖だったので、できるだけその人の良い部分を探して嫌いと思うことは最終手段にしたいと思って生きているのですが、何年付き合ってみても、どうひいき目にみても、どうしても挽回の余地がない人が何年かに1回、現れます(今回の場合、Kちゃん)

何でも、こじつけるつもりはないし本当はそんなこと思いたくないので、最後の最後まで認めないでいよう!と思うのですが、どうしてもフォローしきれなくなってしまうのです。

 

その、私が最後まで認めたくはなかったのだけどどうしても『この人とは、無理だわ』と思う人(主に女性)の共通点として「母に考え方とか、思考の癖が、似過ぎている」ということにやっと気がつきました(遅)

 

もう1人、そういう人のエピソードをまた書きたいと思います。

 

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認めることへの嫌悪感

昔のことを思い出していたら、自分自身に対して『よくあんな家で暮らせてたな』とか『何であんなこと、嫌々やってたのだろう』と思うことがほとんどで

今もう一度やれと言われても、死んでも無理!と思うのに

あの家で30歳前まで暮らしていたことも紛れもない事実で

人間、渦中にいる時は、それが当たり前すぎて「嫌と感じている自分」からも目を背け

案外なんとなく暮らせてしまうのも、毒親問題の恐ろしいところだというのも、これまで書いてきました。

 

我が家では

①食事がおいしい

②生活水準がそれなりに高い

③姉妹を比べることはしない

部分だけは「ここだけはよかった」こととして、感謝はしているということももう何度も書いてきました。

 

その他に、時々ふと『ああいうことも(親らしいことも)してくれてはいたよな』と思い出すこともあるのだけれど

何かそれが大嫌いな毒親を認めているみたいな気分にもなって、それが嫌で

『それくらい、素直に感謝すればいいのに』と思う自分と

『許せない、認めたくない』と思う自分の間で葛藤が起きます。

それが、最近少ししんどいです。

 

これをなぜ思ったかというと

 

最近、ある夢を見ました。

もちろん、母親が出て来たので起きても頭痛が酷く、1日体調が悪かったです(笑)

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夢の中では、私はもう実家を出て今の家に暮らしているのだけど、父も生きていて、母は昔の姿で

ある日私が実家の近所のスーパーの駐車場に車を停めて友達と遊びに行き、そのまま友達の車で実家に直接送ってもらったため

翌朝、そのスーパーまで車を取りに行ってから、自分の家に帰らなければならない、という状況でした。

(実際には、そんなこと絶対しないのですが)

 

実家の2階の、元々の自室に一晩泊まり(これも今は絶対にしません)朝になって母が階段を上がってきて

『何て言おう?』『〇〇(スーパー)に車置いてきたって言ったらまたキレられるかな?』と、言い訳を考えながらビクビクしていました。

 

ちなみに、私はこの「母親が2階に上がってくる足音」が相当トラウマになっているようで

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今でも時々うっすら寝ぼけている時なんかに、マンションの共用廊下の足音がだんだんと部屋に近づいてくると、朦朧とした意識の中でも『やばい!起きなきゃ!』と、焦って、目を覚ますことが時々あります。

 

 

夢の話に戻りますが

母が部屋に入ってきて「〇〇(スーパー)に車置いとん?送ったろか?」と言われました。

 

その後、目が覚めたときに

実家にいた頃、確かにこういうこともよくしてもらったなと思い出していました。

思えば、実家は車がないと不便な場所だったから『送って』と言えば、両親のどちらかは送ってはくれてたなぁとか。

 

昔、夕方から雨が降り出し、傘を忘れた娘が駅まで迎えに来てほしいと連絡をするも

お父さんは既に酒が入って運転できない、お母さんは免許がなく、結局その娘は駅からずぶ濡れで帰ったという話を聞いた母が

「あそこの家はな、娘が傘を忘れた日に、父親が迎えに行ってあげへんかったんや。可哀そうに。母親も、免許ないしな。そういうことを母さんしたくないから、頑張って免許取ったんや」みたいな話をよくしていました。

 

昔私が働いていたバイト先でも、台風で大雨が降った時があって、同僚と一緒に「帰れるかな?」という話をしていて

私は車通勤でしたが、同僚がバイク通勤だったので『送ろうか?』とも声を掛けたのです。

けれど「多分家族か彼氏が来てくれるから、大丈夫」との返事だったのでその日は先に帰りました。

翌日『昨日帰れた?』と聞くと、彼氏は都合がつかず、家に居て、迎えにも来れる状況だったのに結局家族は来てくれなかったみたいで、暴風雨の中バイクで何とか帰ったと言っていました。

おそらく、私がその同僚の立場だったとしたら、あの暴風雨の中、自力で帰らせるようなことは私の家では100%、なかったと思います。

 

 

なので、確かにアクセスの悪い場所に住むなら、娘を送り迎えすることも責任のひとつとしては当然かな?とも思うけれど、世の中にはそれをやらない親だっている訳で

 

それでも、そこまでしてくれた過去があっても

私の「ここだけはよかった」リストに載せたくない!と思ってしまうのです。

 

自分でも大人げないよなぁと考えていたのですが、確かに送迎はよくしてくれたけれど

何となくすんなり認めたくないのは、母の機嫌次第で、対応が変わっていたからかもしれません。

 

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私が選んであの場所に住んだ訳ではないのに、母は自分がめんどくさい時とか

嫌々迎えに来た時は「あんたのために、わざわざ来てやってるねん」感がすごいので

結局これも「やってもらった事実」よりも「表現方法のまずさ」が勝ってしまったいい例かもしれません。

そんな風に恩着せがましく表現しなくたって、十分子どもは、ありがたいとか申し訳ないとか、思っているのにね。

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結局、夢の中では父に送ってもらっていて、昔からそれはよくあった光景で

目が覚めて、ああいう親らしいこと、してたことはしてたんだよなぁとも思うんだけど

それを、更に認めることにすごく抵抗があるのです。

 

その理由を考えると

『世話になってるし…』『言うても、親だし…』の繰り返しで、結局10年ほど神経をすり減らしながら生きた、無駄な過去があるから

そういう小さなものでさえも、母親を「擁護する」みたいなことにすごく抵抗があるのだと思います。

そうやって、自分の心を騙し騙し生きて、結局10年近くを無駄にしたんじゃないか!

そういう「情状酌量」みたいな気持ちが、今のように平和に暮らす邪魔をしたんじゃないか!!

と。

 

例え母が「あなたのために」と言っても

『本当は嫌だった』『何も、嬉しくなかった』等と思うことや

やってもらったことに対してありがたいと思わないことに罪悪感は抱かなくなったけど

「ありがたいと思わないこと」に躍起になってる気もして『自分って、やっぱり幼稚すぎるのかな』とか思ってしまう訳です。

 

『今までは認めてなかったけど、あれも、ありがとう』と、自然に、素直に

思える時まで無理しなくてもいいだけの話なんだよな、とも思うのですが…

 

こういう葛藤を、みんなはどう処理しているのだろう。

 

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母の異常な劣等感について

母があそこまで娘に依存することになった理由で「同性の友人が皆無」というのも一理あるのではと思って、何度か書いてきました。

それで、なぜあそこまで友人がいないのか?の分析をして、少々グレーゾーンを感じる部分があることも前に書きました。

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それからもうひとつ、母が同性の友達ができなかった理由に同性に対しての異常なまでの劣等感があるように思います。

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その敵視する「同性」の中に、私の姉のお義母さんも含まれているな、と数年前に気が付きました。

 

姉のお義母さんは、元々学校の先生をされていたこともあって物腰が柔らかく、多趣味&友人も多いため話をしても面白く、ためになることもたくさん知っておられます(以下、お義母さんはキミコさんと表記します)

 

私も数えるほどしか会ったことはありませんが、キミコさんに会う度に『キミコさんは、ヤ〇ザみたいに怒鳴り散らしたり、深夜までこんこんと怒ったりすることなんて絶対にないのだろうな(当たり前だけどw)』と、思わずには居られませんでした。

 

昔は何も思っていなかったけど、毒親問題と向き合うようになってからピンときたことは、母はおそらくキミコさんにも相当なコンプレックスを持っているな、と。

 

昔から、悪口はもちろん、悪口とまで行かなくても「誰それが何した」と他人のアラを探しては夕食時のネタにするしか能のなかったような母ですから、キミコさんのこともよく貶していました。

母が毒親とわかった時からは、キミコさんを意識してやっかんでいるんだろうなと気が付いたのでマトモに聞いていませんでしたが(どうでもいいけど、自分の娘の義母まで貶すって…)

 

キミコさん夫妻は歳が近く、仲が良かったから、母がそこに嫉妬しているなというのも想像がつきました。

母は、歳の差婚でずっと旦那の年齢にコンプレックスがあったのでね。

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母も一緒に、キミコさんと会ったことも何度かありますが、多趣味で友達も多いキミコさん。一方趣味もなく友達もいない母。キミコさんと同じ空間にいてもどうしても私の母にはスポットライトが当たらないのです。

 

昔から、母発信で話すことは大体誰かの悪口か噂話で、みんなを惹き付けるような面白い話の引き出しなんてないですから。

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(一応、ここで悪口や噂話をしてはいけないと、静かにしていただけでも母にしてはよくできた方だと思うけど)

 

家では偉そうにふんぞり返り、自分のご機嫌も家族にとってもらって王様気分でいた母ですから、キミコさんが会話の中心なのがさぞかし気に入らなかったのでしょう。

 

キミコさんの方が博学だし人当たりも良いので、輪の中心になって当然。

さすがの母もだんだん自分だけバカにされているようなそんな劣等感に苛まれ、どうしようもない気分になり、耐えられなくなるらしいです。

その場での会話の中心、一番にならないとどうしても気が済まないのです。

姉が『そしたら母さん、キミコさんたちのところに行っても、私やたりがヨイショしてたみたいに、お母さん!お母さん!言ってほしいん?』って聞いたら「うん」ですって(笑)

3歳くらいの「〇〇の話、聞いて!聞いて!」と騒ぐ子どもと同レベル。

 

それから、おそらく母はキミコさんの「元教師」という部分にもコンプレックスを抱いていると思います。それは「職業」に対してではなく「公務員でお金がたくさんあるのでは」のほうで。

だから、自分と比べて自分が一番になれないとふむと友人関係を築けないし、ばっさりと切ってしまうそうです。

その劣等感に苛まれることに、どうしても耐えられないのだとか。

 

最近入院した時にも、母と同世代くらいの女性が何人かいたけど、その中でも

「〇〇さんは、G町の高級マンションに住んでいるから(G町は新興住宅地)」 ⇒自分より上と感じるから嫌

「△△さんは、O町の人やから(O町は古くからある下町)」 ⇒自分より下と感じるからOK

などと格付けの上仲良くなれそうか、なれなさそうかを判断していたそう。

ママ友の付き合いや職場などいくらでもこういった機会はあったはずですが、その度にこういうくだらん格付けをして、結局友達になれそうな人は居なかったか、友達になったとしても続かなかったということでしょう。

 

それを最近姉から聞いて、何だか…母って本当に惨めな人だなぁ…と思いました。

そんな格付けで、自分自身をも苦しめていることに、結局母はまだ気が付かないのだなぁ…と。

 

私も、色んなコンプレックスがあるし、何よりも自己肯定感が低いから、母の言わんとすることもわかります。

心が健全に育った人が「コンプレックスをなくそう」みたいなこと、軽々しく言わんでくれと思うし。

 

それでも、母が自分の悲しみとか苦しみからくる劣等感やコンプレックスをごまかすために娘を利用したことが『それは違うだろ』と思うし、どうしても許せないのです。

 

自分の機嫌次第で言うことをコロコロ変えて娘を混乱させたり

娘が折れるまで高圧的な態度でやり込めたり

娘にありとあらゆる愚痴を延々聞かせたり

娘が思い通りに動かないと「アホ」「裏切り者」等の言葉で攻撃したり

 

残念ながら、これらは心が健全な母親がやることではありません。

 

母は、自分の辛い過去の悲しみや苦しみを「家族団らん!」だとか「マイホーム!」みたいなことにこだわり、目を背け逃げ続けたけれど溢れ出た毒は、上記のようなことに変換され、確実に娘の心に悪影響を及ぼしました。

 

誰でも、辛い過去や、悲しかったこと、苦しかったこと、たくさんあります。

 

けれど、自分のそういう荷を軽くしようと、他人任せにして自分だけが軽くなったって、それは何の解決にもならないし、相手が潰れるだけだと思うのです。

母と離れてもなお、生きづらさに悩む私が、まさにそのいい例です。

母の過干渉や依存によって、私の心は潰されてきましたから。

 

そのおかしさに娘が気付いてしまったために「友達がいない」どころか、今の母はまさに四面楚歌。

それが、これまで母がやってきたことの " 答え " ということです。

 

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