もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「家族」が崩壊した理由を考えてみた③

8~9年くらい前だったか、父と母と私の3人でバス旅行に行ったことがあって、3人での旅行は、これが最後になりました。

もちろん父の体力の低下も理由のひとつでしたが、私が『もう金輪際、両親とは旅行をしない』と、この時心に決めたからです。

 

この時期、父がすっかり酒に溺れていて(昔から溺れ気味ではあったが)まぁ、昔から暴力的になったり外でトラブルを起こしたりとかもなく、ただ家で1人で飲んでふわふわしているだけだったけれど

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定年退職してからは時間の制約もなかったので、四六時中飲むようになり、加齢によって酒にも弱くなっているのに、酒が抜けきらないまままた酒を飲み常に酔っぱらっているような状態でした。

その父を見て母がまたヒステリックに喚くので、何度家を飛び出そうと思ったことか。

 

それでも、直接自分に害がある訳ではないし…と言い聞かせ(今思えば十分、精神的に害はあったんですけど)何とかかんとか暮らしていましたが、私は今まで生きていた人生で、あの頃より辛かったことは未だにないし酒の件に関しては両親ともに絶対に許せないと思います(別に許す必要もないですけど)

 

当時家族の状態は誰が見たって最悪だったと思うけれど、母はそんな状態でもなお「また3人で旅行しよう」と、たびたび口に出していました。

父の死期が、確実に近付いているからというのも一理あったのでしょうけど。

 

「家族こそが全て!」の母のあの足りない頭では旅行!とか、みんなで食事!とか「目に見える家族団らんの光景」でしか家族の絆を感じられないから、母は最後までそれをやって過ごしていたかったのでしょう。

 

私はその頃だんだんと、うちの家族はこの程度だったんだと見切りをつけ始めていたし精神状態も限界に近かったですが、父との旅行はこれが最後だろうな(行ってあげるべきかな)という気持ちもまだあって、まぁおいしいものでも食べれたらいいかと思って軽い気持ちで行ったのですが結局ほとんど飲んだくれた父の介抱で終わって『やっぱりやめとけばよかった』と後悔しました。

 

旅行中も、父の酒のことで機嫌を損ねた私を、母はチラチラ横目で見ながらも、結局酒を控えさせることはせず「もっと飲みたい」と父が言えば酒を探しに行き、バスで待ってろと言っても観光地を回ると言って聞かないフラフラの父の腕を抱えてまで、観光地を回っていました。

途中から『何この旅行。バカみたい』という気持ちになり、両親と行動するのをやめて1人で観光地を回りました。

 

途中、さほど歩いてもないのに疲れて大きな石に腰掛ける父(当然です。酒でフラフラですから)しばらくするとどこで調達したのか、酒の入ったビニール袋を下げた母が戻って来て、その姿を遠くから見た時に『もうこの2人は救いようがないな』と思いました。

 

当時、どこに出かけてもこんな調子で、こういう風に父の酒のことで機嫌を損ねた私に対して、母はいつも「もう少しの辛抱や」「(父が)死ぬまでの我慢や」と言っていましたが「嫌な思いさせてごめんな」と、謝ってきたことはほとんどありません。

ほとんどというのは、謝られたことも確かにあったけど本当に心から悪いと思って言っていたことではないと、私は思っているからです。

本気で申し訳ないなんて思っていないことを、私もさすがにバカではないのでわかります。

クサい演技で「嫌な思いさせて悪かったなぁぁあ」と母に言われたことはあったけど、私が『家を出る』と言い出したらまずいぞという時だけ、上っ面の言葉を並べていただけだと思います。

 

ネットやテレビで見る「アルコール依存症」は、もっと暴力的だったり人に迷惑をかけている描写が多いので、そういうことがないと「まぁ(よく飲むけど)こんなもんなのかな」とか「これくらい飲む人、どこにでもいるわな」と、父を「異常」だなんて思ったことはなかったけれど、父が死ぬ前の数年もし父がお酒を飲まない人だったらどんな生活だっただろう?と想像をしてみるとあれはやっぱり正常とは言い難かったなと思わざるを得ません。

 

私は何度も、酒を飲み過ぎる環境を作るなと母に忠告をしましたが(ちなみに『全く飲ませるな』とは言っていません)その度に「今より飲めなくなったら何をしでかすかわからない」と、何の解決にもならない理由を持ち出し、途中までは私が生活用品を買いに行く時に父の酒も買っていましたが、胸糞悪いからもう私は酒は買いに行かないと言うと、あれだけ人に威圧的に色々やらせていた母が自分でスーパーのチラシを見て底値調査をし車を出してチューハイを箱買いしに行っていました。

 

大体、母ってどこに行くにも尻込みして誰かと一緒じゃないと何もできないくせに、さっきの旅行の時は、土地勘もない旅先でチューハイやらビールやらを買って来れたんですね。よく見つけられたね、今思えば。

 

それで、私と母が父の酒のことで口論になったら、最終的に「別にアンタに酒買ってこいとか言ってないやん」とか「他にもっと酷い(酒飲みの)人おるで」とか、的外れな理由を並べて、母は開き直るんです。

いや、同じ屋根の下に暮らす者なんだから、嫌な思いしてたら苦情を言う権利ぐらいはあるしもっと酷い人がいることなんて、何の擁護にもならないですから。

 

まぁおそらく、母も薄々父の酒のことは病的なレベルだと言うことも、内心わかってはいたのだと思います。

そう言えば母は、よその家の酒飲みの人の話をどこかで聞いてきては「お父さんなんかまだかわいい方!」とかもよく言っていたな~。あれも多分、自分に言い聞かせていたのだろうと思います。

 

いつか終わる。だから我慢しろ。

そう言いながら結局母は「逃げ続けた」んです。

人生で、嫌なことから逃げることは悪いことではないと私は思いますが、父の酒の件に関しての、母の娘に対する態度には甚だ疑問が残ります。

 

母の口癖…何が「家族のため!」だよ。

 

おいしいご飯があったって、お金に困らなくたって、子どもがこんなに嫌な思いをしているのに、問題としてすら取り上げない。

 

臭い物に蓋をして、自分のやりたいことだけやって…父も母も家族を敬う気持ちなんてハナからないに等しいです。

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もちろん一番良くなかったのは手っ取り早く酒に逃げた父ですが、それで子どもが十分嫌な思いをしているのに、根本的な解決から逃げた母も同罪です。

 

私は、家族を良くしようと、何度も問題提起もしたし、真摯に向き合ってきたつもりですけど、ただのピエロでした。それが今でも悔しくて仕方ありません。

 

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交友関係においての洗脳について

私は、元々友達があまりできず、恥ずかしい話、学生時代の友人とは全て切れてしまい

今遊んだりするのが全て社会人になってからできた友人ばかりです。

 

別に昔から意識的に友達を作らなかった訳ではなく、友達の多い人は純粋に羨ましいとは思っていたし、自分なりに色々と試行錯誤はしていたのですが

友達のできなかった根本的な原因が最近何となくわかってきた気がします。

 

異様な自己肯定感の低さについて、恋愛において相当足かせになっている自覚はありましたが、友人関係においても同じことだったのだと思います。

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今でこそ、自己肯定感が高まった訳ではないけれど、他人に対して過度に期待をしてみたり、意味もなく卑屈になってみたり、そういうことをしないという部分では昔よりもできるようにはなってきました。

開き直ってると言うと言葉が悪い気がしますが『私はこんな感じやけど、合わない人もいるわな。仕方ないわな』みたいな感じでラクに考えるようにしています。

昔は嫌われたり、悪く思われることを異様に恐れていて、こんな風に考えることが全くできませんでした。

 

自分に自信がない分、本音で話せないし『どうせいつか嫌われるのだろうな』という卑屈な気持ちが根本にあるので、どれだけ外面が良かったとしてもそういうのは相手にも伝わるのでしょう。

だから、みんな離れて行っていたのだろうなと今になれば思います。

 

つまるところ、結局私の方が友達ができるチャンスを遠ざけていたと言うか

最後の最後に、自分の心の内を見せない、簡単に言えば他人を全く信じていなかったのだなと思います。

 

それから、母には昔から

例えば学校の先生だとか、職場の人だとか、そういう人とは仲良くする必要はない

学校には勉強さえ習いに行けば、職場は金さえ稼げればいい

みたいなことをずっと言われていて

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「家族こそが全て!」な母の考えに、結構いい歳になるまで私自身も洗脳されていた自覚はあって、それが人を寄せ付けない原因だったのだろうとは思います。

 

職場の人にはいい意味で一線引いても良いとは思うのですが、母の場合は「ゼロか100か」で

今思えば、私って(普通に会話は交わすものの)なんとなくバリアを張っているような雰囲気だっただろうなと自分でも思います。

 

元々ませてはいたので、学生の頃なんかも生意気だった自覚はあるし、母みたいにバシッとものを言うのをかっこいいと思って、同じようなことをやって失敗したこともあります。

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学生時代の失敗は大体がこれかな。

 

そのうち母からの監視が厳しくなると、理由を言って家を出ることさえ億劫になって

(一時期、母は『ちょっとそこまで』でも、延々何しに行くのか等聞かないと気が済まないようだった)

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彼氏どころか、友達を作る…要は「外部との繋がりを持つこと」すら、面倒になっていた時期がありました。

 

最近、その時期に行ってた職場の人と連絡を取る機会があったのだけど、その時の同僚からは「たりさんて(当時は20代前半でしたが)何だか、おばあちゃんみたいな生活してたよねぇ~」と、言われてしまいました(笑)

 

それでも、当時も『うちの家おかしくない?』と思いながらも反発はしていなかったので

読んでいる人の中には「嫌なら嫌と、反発すればよかったやん」と思う人もいると思います。

が、毒親育ちにその言葉はご法度なのは、同じ境遇の方ならわかって頂けると思います(笑)

 

毒親育ちはそもそも『反発をしたい』とか以前に『これが当たり前。普通だ』と思っているのですが

ある時ふと、周りの人と同じように事が運ばないとか、何かが起きた時に初めて親や家のおかしさに気がつくし、その、気がつくタイミングも様々なので…。

 

結局こういったことが原因で、本来若い頃にみんなが通ってきたであろう道を今さら歩いているような感覚になることもしばしばあります。

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もうアラフォーに片足をつっこんでいるけれど『母のために!』と生きてきた、10代後半~20代をもう一度生き直している感じかな。

そのやり方は賛否両論あると思うし、私が勝手に『青春っぽい』って思っているだけなので割愛しますが。

 

では、なぜ今になってそんなことがぱっと霧が晴れたようにわかってきたのか?

 

もちろん、さっき書いたような私の考え方の偏りや態度のまずさにも問題はあったけれど

「外部との繋がりをつくり、友達と何かを楽しむ」ということに、なんとなく母に対して申し訳ないような、悪いことをしているような気持ちがあったことにも、最近気がつきました。

 

母にもしそう言ったって、そんなことをたりに思わせる気は毛頭ない、たりに友達ができるのは喜ばしいこと!みたいに言っていたとは思うけど

実際母の態度が全くそうではありませんでした。

 

昔からさっき書いたみたいな「他人なんて」みたいに言う母の洗脳に加えて

私が機嫌よく友達との話をしたって、いつも興味なさそう・気に入らなさそうに聞いているのに

ひとたび『〇〇ちゃんと喧嘩した』とか、そういう話をすると母は嬉しそうに「それ見たことか!」「な?他人なんて所詮そんなものやで」みたいな言い方をされてきました。

軽く愚痴っただけでも「だからあんな子、お母さん、あかんと思っててん」みたいなことを言われるので、私もそれを真に受けていたわけです。

 

結局母は、私が外部の人と繋がりを持つとそれだけ家族を蔑ろにされている感じがして、嫌だったのだろうなと思います。

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だから、娘の恋愛も素直に喜べないし

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何かにつけて、外部の人にはすぐに悪態ついて、自分アゲ・家族アゲしないと気が済まなかったのだと思います。

 

「そんなの、無視したらいいやん」

そんな声も聞こえてきそうです。

 

そうですね。

今思えば、幼少期はともかく、いい歳になってまであそこまで母に合わせる必要はなかったと思います。

 

しかし、毒親のもとで育つと、母の思惑通りにできない自分はとんでもなく親不孝者なのかな?とか、何か悪いことをしている気になるのです。

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虐待を受けている子が逃げ出さずに最悪の事態になるまで我慢してしまうのと、肉体的・精神的な違いはあれど、似ていると思います。

『自分がいけない子だから』『自分さえ親の言う通りにしておけば』と信じ、親の言いなりになる面に関しては。

 

もちろん、子どもに暴力をはたらく親は最低です。

 

しかし、自分の思惑通りに子どもを動かしたいからって、子どもにマインドコントロールをして支配することも、十分精神的な " 暴力 " だと言えます。

 

 

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仕返しもしない、恩返しもしない

このブログでは、同じようなことを何度も書くことが多く、重複している内容も多々あります。

ブログを書く目的として、言葉にすることで自分の気持ちを整理するのと同時に

少しでも多くの同じような気持ちの方に共感してもらえたらと思っていて

ニュアンスの違いで伝わり方も変わるかも?という思いもあって、たとえ重複してもできるだけ文章におこすことにしています。

 

これだけ書いていると、重複する内容も多くなってきましたが、上記のような思いで書いていますので、ご了承ください。

 

さて、本当に我が母親ながら情けないのですが、これまで何度も書いてきたように、母は1人で何かするということが極端に苦手で

今は病院に行くにしても、何かの手続きや施設に行くにしても、必ず姉に着いて来てもらわないとできない状態です。

別に、母が普段の生活において1人で動くことには体力的にも何ら問題はないので(もちろん認知症とかでもない)私からすると『何でそれくらい、1人で行けないんだか』なんですが。

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役所の手続き関係とか、そういうことを極度に嫌がったりする部分は、単なる「めんどくさがり」とかではなく、ちょっとどこかがおかしいのでは?と思い始めたのはつい最近のことです。

 

別に、できないことを責めるつもりはないのですが

かつてはそれを家族に高圧的な態度で無理矢理やらせていたこと

家族にやらせて当たり前みたいな態度だったこと

少しでも自分で調べてやってみようという気が全くなかったことに腹が立つし

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一番腹が立つのが自分ができないことは棚に上げ、娘には個人の限界とか適性を全く無視して、できないことや苦手なことを「根性がない」だとか「情けない」という言葉で攻撃し、無理矢理にやらせてきたことでした。

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どこに行くにも、夫(夫の死後は娘または会社の後輩等)の運転する助手席に何も考えずにぼーっと座るしか能のなかった母は、1人で公共の交通機関に乗ってどこかに行くことができません(バスには乗れる!とは言っていますが、結局自分からすすんで乗ってどこかに行ったという話は全く聞きません)

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普段街を歩いていても、母くらい、またそれ以上の世代の方でも1人で出かけているのなんか特に珍しいことでもないのですが、1人で出かけることすらままならない母とどうしても比べてしまいます。

 

私は毎日バスに乗るので、母と同じくらいの世代の人にもたくさん会うし、みんな当たり前のようにICカードで乗車し、時々チャージをしているお年寄りも見かけます。

このご時世、とくに珍しくもない光景ではありますが、私の母がICカードに自分でチャージをするなんてこと、おそらく一生ないので(まず「ICカードって何?」の説明からです)

何て情けない母親なんだろう…と、どうしても思ってしまう訳です。

別に、母がICカードを使わないといけない場面もないし、覚えないといけないこともないです。

ただあれだけ偉そうにふんぞり返っていた人が、少し頑張ればできそうなことも挑戦する気すらなく、この件以外にも1人でできないことが多すぎることに、何とも言えない情けない気持ちになるのです。

 

例えばの話『母さん、街のお年寄りは当たり前のようにICカード持ってバスに乗っているし、自分でチャージもしてるよ。母さん、そんなことくらいもできないよね。』と私が母に言ったとしたら

きっと母は必死になってあーだこーだと言い訳をすることでしょう。

 

それと同じことを私は母からずっとされてきたんですよね。

 

母は、私が苦手なことや、やりたくないこと、やらなくたって別に困らないこと

そういうことを「何でそれくらいのこともできないのだ」と、子どもに圧をかけ、やらせてきたのです。

私の気持ちなんか、完全に無視して。

 

しかもその理由が「母が自分でやりたくないから」「世間的にみんなやっているから」「それくらいできない子はカッコ悪いから」等が大半を占めていたことにどうも納得が行かないのです。

 

母はきっと「ICカードなんか使えんかったって、困らへん」「年寄りやねんから、わからん。しゃあない」等と、自分を擁護するはずです。

今でもすぐ「年取ってるから」とか「体の調子が良くないから」等を言い訳にできないことを正当化してますから。

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けれども私に対しては「幼いから」とか「そんなこと、そもそもわからなくて当たり前」「別にできなくても問題ない」というところは全く大目には見てくれませんでした。

母が「やれ」と言えば、やらないという選択肢はありませんでした。

 

要はそういうことなんです。

 

優しく、あたたかく見守ってくれなかった親には、子どもがそういう役割を担うべき時が来たときに、優しく、あたたかく見守ってあげようと思うことなんてできないのです。

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中には、思える優しい毒親育ちさんもいるのかも知れませんが、私には無理です。

そして、しなくても罰は当たらないと思っています。

 

じゃあ母と同じことをやり返すのか?

いいえ、『やり返してやる』そんな気は、毛頭ありません。

わざわざ先ほどのような話を母に機会を設けてするつもりもありません。

 

時々、無意識レベルでやってしまう仕返しのような言動くらいは、我慢できなくたって、そうなってしまう自分を許してあげようと思っていますが

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意識的に母をいじめてやろうとか苦しめてやろうなんて気はもうないです。

そんなことするだけ時間も気持ちも無駄ですし。

口で言っても、態度で示してもわからないから毒親だった訳ですからね。

 

毒親に対しては、仕返しもするだけ無駄なのでしませんが、そのぶん恩返しもしないつもりです。 

 

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