もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

父を嫌いにならなかった理由

自分の過去の行いによって、娘に嫌われているということはさすがの母でも最近自覚はあるようですが、夫からも愛されていたか?という件については、疑問が残ります。

 

母は「夫に愛されていた」という絶大な自信を今でも持っているし、私も昔は仲睦まじい夫婦だという目で両親を見ていましたが、父が亡くなり冷静に考えてみると『そうでもなかったのでは』というのが正直な感想。

そのことを母も薄々感じてはいるけれど、認めたくないだけでは?と考察しています。

 

両親ともに物理的に「親」という役割は果たしてはいたけど、精神面では2人とも未熟で「家族」「夫婦」という言葉を借りて、好き勝手していただけだと、私は思っています。

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母は父を崇拝しており、あの母でも「お父さんが白といえば黒いものも白」とあまり考えもせずに従っていたようなもので、父はそういう母の世間知らずで従順なところを利用し好きなだけ酒を飲み、家族ごっこに参加していただけだったといった印象しかありません。

 

昔から父は、母のことをすごく他人行儀に扱う時があって時々母のいないところで母をあの人呼ばわりする時がありました。

 

母は昔から張り切って料理を大量に作って食べろ食べろとうるさく、食べなかったり後でいいと言うと、機嫌を悪くしたりキレていました。

出かける時には、母は大量に料理を作ってから出かけていましたが(おそらく、そうやって「頑張って、食事を作って行く自分」にも酔っていたのだろうな)帰ってから料理の減りが思ってたより悪いと「食べてへんやんか!」「せっかく作ったのに!」とキレるので、父も私も正直それに疲れていました(作って行かなくていいよ、お弁当か何か買うからとも、何度も言いましたが)

母としては「出かける者のケジメ!」と料理を作っていたのもわかるけど、母の食に関しての考えは押し付けにしか感じませんでした。残してたら怒る…まさしくそれが「押しつけがましい」のです。

 

母が大量に作った料理を私と2人で食べながら、毎回父は「また残したら、あの人が怒るで」と、よく言っていました。

 

昔は私も、家族教の信者wだったから、父に向かって『母さんのこと「あの人」なんて言うもんじゃない』と、正そうとしたこともあります。注意しても直らないことに腹が立ち、母に『父さんが母さんのこと、あの人って言うから注意した』とバカ正直に言ったこともあります。

 

後々、父も亡くなって「父は酒ありきで母と居たんだろうな」という話になった時に

母は最後まで私は(酒関係なく)愛されてた!と主張していたものの

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この、父の「あの人発言」を私が母にバカ正直に話したことで「私、あの人って呼ばれてたもんな…」と、後々母が凹む材料になったから結果オーライかな ⇦ 私、性格悪w

 

そんな父は、晩年「母が最近きつい」「昔は母さん可愛かったのに」と悲しそうによく語っていました。

亡くなる間際に小出しで言い始めた父の思いはわりと本心に近かったのだと思っています。そして、母にもなかなか面白い言葉をいくつか残していたそうです。

 

まず、これは私が家を出る前、母に向かってある時父が「たりはいつか、家出ていくと思うわ」と言ったそうです。

当時はまだ、自信満々でふんぞり返っていた母「何言ってんの??ばかじゃないの??」と、鼻で笑ったそうです。

 

そして、数年前『母さんの押しつけがましく傲慢なところが嫌や』『色々やってくれても、表現方法がまずすぎた』と、母に正直に言ったあと自分のこれまでの言動について色々考えた母からこんな言葉が。

 

「父さんに言われたことがある。アンタは口でいつか失敗するで。いい加減にしとかなアカンでって」と。

これは今でも『ほんまに口で失敗したなww』姉とネタにしていますが(笑)

 

それを聞いたとき父親なかなかやるな!と思いましたが、母は単なる戯言とバカにし、聞き流していたわけです。

 

父親が亡くなった時は正直ほっとしたので涙もひとつも出なかったし、思い出して悲しむことも、もっと何かしてあげられたのではとかいう後悔もないけど、母ほど嫌いにはならなかったのは、父はトラウマレベルの恐怖や、嫌なことを子どもに植え付けるようなことはしなかったというところだと思います。

 

確かに酒のことではうっとうしかったけど、暴力的になったり、警察沙汰になったりは、なかったのでね。

 

そういうことを考えていて、まさに母のことでは?みたいなツイートを見つけたので、紹介します。

 

 

「人は舌でつまずく」まさに、母の事。

一時のカッとなった気持ちを発散したいがために、母の言動は確実に超えてはならない一線を超えていたと思います。

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せっかく、父はそこまで見抜いてアドバイスまでしてくれたのにね。

限りなく黒に近いグレー

このブログでは、母との関わりの中で私にどういう影響があったか

母が「毒親」と言われる所以は一体何だったのか

そういったことを、書籍やブログを参考にしたり、自分の体験を事細かに思い出すことで分析し

これからどうして行けばいいか?ということも含め日々模索しているのですが

母の本音を聞くことで「見当違いだった」ということも時々あります。

今回、まさにそういうことがあったので書こうと思います。

 

昔から母は趣味もなかったし、話すことと言えば誰かの悪口や噂話ばかりでした。

それを、どう思うかと聞かれ、母の思い通りの返しをしないと機嫌を悪くされたり、ボロクソに言い返されたりしました。

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(人に意見を求めるくせに、自分の納得する回答以外受け付けない)

 

悪口の内容も、笑えるレベルではなく、子どもに話すにはえげつなすぎただろということにも最近気がついて

母のそういう性分は、とにかく自分が面白くないから、他人サゲして自分を優位に立たせて優越感に浸ることで「自分は幸せだ」と思おうとしているのだろうと、ずっと思っていました。

 

しかし、この間姉から聞いた話

(姉はわりと頻繁に母と会っていて、結構きついことも言ってるらしいw)

今、生きる楽しみが何もなくなった母は、とにかく自分が楽しくないから

近所の人や、誰に対しても僻み妬みの気持ちが沸き上がって

「不幸になればいいのに!と思う」と話しているそうです。

 

それを聞いて『今まで生きて来て、周りの人にそんなこと(他人の不幸をざまぁ見ろ!みたいに)思ったこと、なかったん?』と姉が聞くと

「結婚してからは幸せすぎて、そんなこと思ったことなかった」とのこと。

 

それを姉から聞いた時、耳を疑いました。

え?そんなに満たされていたのに、あの悪口のオンパレード…?

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人として、やばくない?と…

 

昔は家ではほとんど母の我が通っている状態だったから(=精神的に我慢なんて全くしたことがなかったから)

他人に対して僻んでみたり妬んだりそんな気持ちは一切なかった、それくらい母は「幸せだった」らしいのです。

その幸せの裏では、どれだけ娘が嫌な思いをしてきたか…(というニュアンスのことも、姉は母に言ったらしいけどw)

 

母は、父の悪口もよく昔から言ってたし、もちろん他人に対しても平気で酷いことを言うし

1度キレたらヤ〇ザみたいに怒鳴り散らして怒り狂うし

それらはよっぽど現状に何らかの不満があるからなのだと思っていました。

時々「お父さんが歳いってるから」と、若い旦那を羨むような発言もあったから

てっきり周りの人と自分を比べて、勝手に劣等感を抱いて、やっかんでいるのかとも、思っていました。

 

町内のお母さん方とすぐに喧嘩して帰ってくるのもそれが原因だと思っていたのですが…

どうやら、昔の母には人を妬んだり、僻んだり、人の不幸を喜んだり、人が不幸になればいいのにと思ったり

そういった感情はなかったらしいです。

 

女友達が全くできなかったり、町内でお母さん方とすぐ喧嘩したりするのは

人を妬む気持ちや、「負けたくない」みたいな気持ちがそうさせていたのではなく

マジで、発達障害っぽい部分がそうさせていた(集団の中で突拍子もないことを言って、ハブられたりする)だけだったのだな…というのが今回わかりました。

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「グレーゾーン」という表現をしましたが、ここまでくるともはやほぼ黒だったのではないかな…私の母って…

 

悪口や噂話ばっかりというのは、ただ単に友達もいないし趣味もないから

話すことがそれくらいしか本当になかったのだと思います。

(多分「今日は寒いね」とか、普通の人がそれくらいのニュアンスで話すことが、母にとってはえげつない悪口だったのだろうな)

 

わかったとこで、余計やばくない?と思って、私にとってはあまりにも衝撃で

とくにオチもないのですが…

やっぱり、私の母親って本当にどこかのネジが1本足りていなかったのだろうなと思わざるを得ません(1本どころの騒ぎじゃないかも)

 

そんな母が、とっても情けないです。

 

他人に対してマウントを取りたいから、あんなにえげつない悪口を言ったり

敵対心むきだしで喧嘩して帰って来たりするのだな…と思う方がよほど気が楽だったかも…。

 

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成功体験が、自信に

幼い頃の母の厳しい叱責によって、何事にチャレンジするにも「怖さ」が勝ってしまって、結局すごく引っ込み思案な子ども時代を過ごしたこともずっと自分が意気地なしだからなのだと思っていました。

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社会人になってからも、母が「こうしろ」「それはダメ」と言うことに関しては私の気持ちも無視で「根性なし」「甘ったれるな」と怒鳴られ、無理をさせられ、その通りにできない自分は根性のないダメ人間なんだと信じて疑いませんでした。

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母と離れて、まずはやりたいと思ったことをやってみようと好き勝手に生きたつもりでしたが、いつでも頭の中には母の存在があって「自分軸で生きる」ことの本当の意味はわからないままでした。

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どことなくいつも『このままでは、いけない』と、自分を追い詰めているような感じがあって、ある時仕事に行くのが怖くなって泣きながら心療内科を受診しました。

 

その時に、やりたくないことはしない。と決めて、私は本当は何を思ってどうやって生きていきたいのか、本気で向き合ってみようと数ヵ月何をするでもなく毎日を過ごしました。

 

そうやって、徐々に自分自身の「純度」が上がると、不思議なことに私に不利益をもたらす友との縁も切れ身のまわりがクリーンになったというか、心地よく過ごせるようになりました。

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母と離れて約5年くらいかけて、私が行ったことや、起こった変化はこんな感じでした。

 

それと同時に『何か起きたって、どうにかなるのだ』という物理的な成功体験を感じることによって自分に自信を持ってもいいのだ、そんなに自分を追い詰めて生きなくてもいいのだということも、ふとわかるようになりました。

ここからが前回の続きです。

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物理的な成功体験については

 

実家にいた頃、出かける口実のために、辛すぎる毎日の現実逃避のために、某アイドルを追っかけ回していた時期がありました。

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その頃、今では考えられないくらいのハードスケジュールで動いていたことも多々あったし、色んな人との交流もあり(今も続いているかはともかく)結果あれが私にとって自信をつけられるきっかけになったのだろうな、と今になってわかった感じです。

 

1人で色んな場所に行ったり色々なことができるようになったりして、同じ趣味を持つ者同士なら『嫌われるかな』とか疑心暗鬼になることもなく素直に楽しいと思える話を遠慮せずにでき、いつも他人に対してバリアを張っているようなそんな人づきあいしかできなかった私にとってこれはすごく大きな自信に繋がりました。

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そして、目まぐるしいオタク活動の中で、失敗をしたことも何度もあって「ほどよい適当さ」を覚えたことも大きかったと思います。

 

予約していた新幹線の発車時刻に起きたり、開演時間を間違えていて到着する頃には公演が半分くらい終わってしまっていたり、そういう「もし母相手にやっていたらクソほど怒鳴られていただろうな」レベルの失敗をしても実際どうってことないのだということも身をもって学習しました。

 

本来ならばこういうことは多分、10代20代で経験することなのでしょう。

 

それでもいい歳になるまで失敗が怖かったのも事実で、何となくその性分がマシになってきたのはオタク活動を始めてからであることにも気がつきました。

当時は『細かいこと、気にしてられん!』みたいな感じでギリギリで動いていたし、そもそも好きなこと・自分のやりたいことだったから『嫌だな』とか思わずにできたのが大きかったかも知れません。

 

家を出て、他の毒親ブログ等で書かれているようなことが『こういうことだったのか』とわかるまで約5年かかりました。

 

私の場合はやりたいことをめいっぱいやることよりも、やらなくていいことをやらないことの方が心の回復には繋がったような気がします。

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そこは人それぞれだしこのブログが何の参考にもならないかも知れないけれど、よく毒親関係の書籍等で見かける「自分軸」とか、そういった類のことで私がこの数年感じたことや過程が、今回の記事にまとまっています。

 

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