もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

私がカウンセリングを受けない理由

今までで一番労働環境が酷かった職場で、理不尽な叱責を受けたことで出社できなくなり、初めて心療内科を受診したのが2017年のこと。

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数回受診し薬も出してもらいましたが効果がよくわからなかったのと、不調の原因であった仕事に行かなくなったことでかなり気持ちは落ち着いたのでそれっきり受診はしていません。

それでも当時は他にも怒りが抑えられなかったり、精神状態が不安定な自覚があって

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クリニック併設のカウンセリングルームに問い合わせをしたことがあります。

 

予約前におおまかに相談事をメールすると、相談に乗れるかお答えできますと書いてあったので(話を聞いてほしいあまり専門外の人が来ることもあるらしい)問い合わせフォームから連絡をしましたが、待てど暮らせど返信がありませんでした。

お盆を挟んだからかな?と思っていましたが、1ヶ月待っても連絡がないので問い合わせてみると「メールは届いていますが見落としていました」と。

結局他人にとって私の悩みなんてこの程度なんだと何かアホらしくなって、それ以降そういったことを調べるのはやめました。

もちろん、受診もしませんでした。

確かに謝罪もしてくれたけど、もしこれが藁にもすがる思いで問い合わせをしている人だったらどうするつもりだったのだろう?とすごく冷めた気持ちになりました。

その一件で不信感を抱いたのは確かですが、もうひとつ私が医師やカウンセラーにあまり頼りたいと思わない理由があります。

 

冒頭の労働環境が最悪だった職場はその辺りでは有名な大きな公立病院でした。

私は院内の非正規職員の人事関係の処理を担当しており、大量の履歴書が毎日毎日流れてきていました。

非正規の専攻医と言えど、医師の方は皆立派な大学を出られもちろん医師免許を所持されているので最初は学歴を見て『すごいな』とか、住んでいる場所を見て『ボンボンなんだろうな』とか思っていましたが

その後、出社できなくなって心療内科にかかった時にちょうどそういう履歴書を嫌というほど見たあとだったので『この心療内科の先生も恵まれた家で育ったのかな』『そんな人に、私みたいな底辺の人の気持ちなんてわかるんだろうか』という気持ちがどうしても抜けませんでした。

病院に通わなくなった理由はそれもあります。

先生だって順風満帆なことばかりじゃなかっただろうというのは百も承知です。

完全にやっかみです。それもわかっています。

けれど、どんなに優しい声掛けをしてもらっても『どうせ私のこんな気持ちなんて、わからないんだろうな』『多分この先生はまともな親に育てられただろうし』という気持ちから抜け出すことができませんでした。

 

医師やカウンセラー一人ひとりに『あなたは家庭に問題のあった人ですか?』『うちはこういう毒親なんですがこのニュアンスわかりますか?』と聞き回る訳にもいきません。

実際、毒親という言葉が世に知られてきてもまだ甘えだの親のせいにするなだのテンプレ通りの寒い返しをしている人もネットにはいるし、友人にすら「甘ったれている」みたいな解釈をされたりで

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まさに『誰か私の話聞いて』『だけど健全に育てられた(であろう)人には聞いていらん』状態。

そんな中でとにかく似た境遇の人はいないか?と毒親関係のブログを読み漁り『他にも私みたいな人がいたんだ…』と一筋の光が見えた気がしました。

数回の心療内科の診察より何時間もブログを読み漁る方が私にとっては励みになった訳です。

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↑の記事では書籍を例に挙げていますが、診察も私に取っては同じでした。

 

文字にすることがたまたま私に合っていただけなので、読者が増えたりはおまけだとも思っていますが、想像以上に同じ思いをされている方からのコメントを頂いたりして、今は書いてきてよかったなと思います。

 

その病院で勤めていた時、このまま騙し騙し暮らしたら何か大事なものを忘れたまま生きて行くことになりそうと漠然と感じていました。

その時だけではありません。

母と暮らす中で、本当は多分ずっとそう感じていました。

長年自分の心に嘘をついてごまかし続けてきた分、このブログで嘘を書いたことは一度もありません。

 

こんなことに時間や労力を費やさなくても済む人生がよかった、が一番の本音ですが。

 

コメントやスターありがとうございます。

小さな親切大きなお世話

自分の考え方や生き方に変化があるとそれまで気が合っていた人とも何となく合わなくなるとか、縁が切れたりするとか聞きます。

スピリチュアルな感じがするので昔はあまり信じてなかったですが、思い当たる節はあります。

 

毒親問題に本気で向き合い、色々な情報を吸収・発信していくうちに、ほんの数年の間で4人、大好きだった人たちとの縁が切れました。

『切ってやる!』と思った訳でもなく、ひょんなことからフェイドアウトした感じでした(親友Mとの別れは壮絶でしたが)

長年の付き合いがぷつんと切れたのが2人(Mとクマさん)、大人になってから縁があって急激に距離が縮まったものの相手の言動がどうも癇に触りフェイドアウトしたのが2人(Kちゃんとタカ)←それぞれの名前で検索すると記事が読めます

 

M以外は相手が変わった訳でもないのに何で急に『無理』ってなったのかわからなかったけど、それまで蔑ろにしてきた本当の自分の感情(嫌とかやりたくないという気持ち)に気が付くことができるようになったのが一番大きいと思っています。

 

それで最近また1人『何か前より合わんなぁ』と感じる人がいます。

前にその人と少し話しているとお金の事でやたらと自論を説いてくるんです。

お金に余裕がないことを単なる事実として『お金がない』と少しでも話すと、マジで説教されるんです。

本人は多分説教のつもりもないと思うし(アドバイスと思っている)威圧的に言うとかでは全然ないのですが。

私が『何でお金貯まらんのやろ』と愚痴ったようにでも解釈したのでしょうか。

 

その人は、私以外にも結構そうやって人にお金のアドバイスをして、時々相手を怒らせたり言い返されたりしているみたいです。

本人は「○○のことを思ってアドバイスしてやってるのに」と言ってました。

(この言い回しにも若干拒絶反応)

 

話を聞いていると確かにアドバイスをされた人もお金の使い方に少し問題があるようでしたが、もういい大人なんだし「良かれと思って」のアドバイスが必ずしも相手にとっても良きアドバイスになるかは、わからないものです。

それにどっちかと言うと私はそのアドバイスされた側の人と同じ意見でした。

だから余計、大きなお世話だなぁと思ったんです。

 

きっと友人はお金を持っている自分に自信があるのだと思うし、確かにお金を得るために色んなことを考え実践しているのですごいなとは思います。

けれど真似したいとは思わないんです(自分が得をするために、ルール違反のこともしていますしね)

 

それでこの間「年齢の割にたりは投資ができていない」と指摘されたんです。

続けて説き伏せられました。

「その歳やったら、投資をもう少ししてないとアカンねんで」

「した方が良い」ではなく「してないとアカン」だそうです。

何かこういう言い回し、実家でよく聞いたな。

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黙って聞いてたけど、ちょっと反吐が出そうでした。

 

確かに私は人に誇れるような自己投資なんてできていません。

最低ラインで生きるのに精一杯です。

前にも例えで書きましたが、周りのみんなが思い思いの家を建てている頃、整地からのスタート。

整地のできていない状態で、何となく家を建ててみてもうまく行かなかったことはもう何度も経験しているので、まずは自分の心を徹底的に癒すところから始めています。

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辛いけど、自分なりのペースで精一杯生きている訳です。

まぁ、そんなこと言ったってわかるはずもないし「ほんまやな~」と流しておきましたが。

 

前から、カネとかモノとか「目に見える富」で人を見る人なんだなと思ってはいたけど、合わない理由が明確にわかった気がします。

 

お金はあるに越したことはないですが、もっと泥臭くてもダサくてもいいから、人の痛みがわかるとか、そういう「目に見えない富」を培っていきたいなと思う訳です。

 

まぁでも、本当に余裕のある人はそんな風に人のことを「アカン」だとか、わざわざ本人に言ったりすらしないとは思いますけどね。

「モノ」扱いされていたあの頃

モラ気味だった親友Mと関係がこじれた時、Mの口から咄嗟に出て関係を終わらせる決心をした言葉があります。

「(たりはあんなことをやって)私に捨てられると思わんかったん?」

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ずっと親友だと思っていたMに完全に見下げられているなと実感した瞬間でした。

 

毒母も「人を捨てる」という言葉を使います。

私も見捨てるとか切り捨てるとかは使いますけど、人をモノのように「捨てる」と表現はしません。

母もMも人との繋がりを上下でしか考えられず、自分が上でいる時は相手をその程度の「モノ」でしか考えていない証拠でしょう。

特に母は主従関係の入れ替わりで関係を保つしか知恵がないから「お母さんは70歳になれば(主従関係を逆転して)たりの仰せの通りに生きるつもりだった」とか馬鹿みたいなことを大真面目に言うんです。

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母の結婚は「新しい保護者が欲しかったから」で、健全とは思えないけど当時母もまだ20代前半で、親からは親らしいことをほぼされなかったみたいなのでわからんでもないです。

母もまた強烈なアダルトチルドレンだろうし。

家ではまさに父を保護者のように崇拝していた母でしたが、父が定年退職したあたりから偉そうになったと思います。

「私が一家の大黒柱や」「母さんがおらんと何もできんのや!」みたいなことを言い出し、より付き合いづらくなったのもこのあたりからです。

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仕事も辞めて老いていく父を見て母の潜在意識の中では主従関係が入れ替わっていたのでしょう。

その数年後、父が失踪した時に、しきりに母は「今こんなことが起きたら、私が捨てたと思われるやろ」と言っていました。

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それより『友達もいない、仕事もしていない父が失踪した時点でそれほど家が嫌なんやろうなって思われるやろうし、そっちのが問題では』と私は思っていましたが。

父は本気で母のいる家に帰りたくなかったんだろうし、気持ちもわかります。

父を看取って「最期までお父さんを捨てなかった!」と母は誇らしげでした。

きっと精神的に先に見捨てられたのは母の方だと思うけど。

 

Mは境界性パーソナリティ障害の傾向があると思っているので、人を捨てる・捨てられるという表現の裏にはM自身の見捨てられ不安が見え隠れしてるのだろうなと思います。

その不安を昔は色んな人に分散していたけど、ライフスタイルが変わり付き合う人の頭数が減ると一気に私にその負担がきたのだなと思っています。

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母は自己愛性パーソナリティ障害だと思っていますが、このあたりは本当に二人ともよく似ています。

Mは母と違って頭の良い女性だったので、やり方が更に巧妙でした。

私が何をしてもケチをつけ、嫌だと言うことをわざとやったり、何を話しても必ず最後に嫌な一言を添え、不機嫌を撒き散らし、少し意見すると私を信頼してないのかみたいな類のことをよくMは言っていました。

そんなMの精神状態が心配になり、旦那さんにもそんな態度なの?と思いながらお家にお邪魔すると、旦那さんには別人のようにニコニコデレデレ。

その時に私はMのストレス発散のための道具やったんやなと気が付けばよかったです。いや、薄々気付いてはいたけど認めたくなかったが正しいかな。

Mは一方的に私のことを捨てたと思っているかも知れませんが、私は捨てたとも捨てられたとも思っていません。

ここからは想像の話、Mは今度は自分を被害者に仕立て上げて「捨てられた」と吹聴しているのではないか?という思いが拭えません。

最後の話し合いをした時にもMは大して仲良くもない(と言うかむしろいつも悪口を言っていた)職場の人ですら味方につけ「職場の○○さんも、たりが悪いって言ってたよ」と主張していました。

20年以上付き合ってきた友を貶めるためには、普段悪口を言いまくっていた相手すら都合よく味方につけるのです。

自分が上であり続けるためには手段を選ばないのも、モラハラあるあるでしょうか。

 

コメント、スターありがとうございます。