最近、革のカバンが重く感じてナイロン製の同じカバンばかり使って通勤しています。
通勤カバンにお金を掛けたくないので、新しいのを買おうかずっと悩んでいました。
実家には昔母が仲の良かった男性に買ってもらったカバンが山ほどあります。
その中に軽くて肩にも掛けられるのがあったなと思い、母にLINEでたずねたんです。
どうせ使ってもいないのに「使ってる」の一点張りで貸さないことはわかっていましたが、案の定。
「母さんも使ってる」(多分使ってません。貸したくないだけ)という返事とともに「欲しいのがあれば買ってあげるよ。たり今月誕生日やし」
普通の母娘ならここで『やったー!』『じゃあ一緒に買いに行こう』とかなりそうなものですが、これも結末はわかっていました。
どうせ、前にこういうやつあげたやんと用途に合ってない&自分がいらないから手放したものを「あれがあるやろ」とうだうだ言って終わるんだろうな、と。
今欲しいのはどんなやつ?と聞かれたので、買おうか迷っていたやつを検索して画像を送りました。
すると「前に紫色のやつ、あげたよな」これも案の定。
もう3年くらい前の話で、それを毎日傷みそうな程使っていて厚着になったら肩から掛けられないから困ってるとも説明したし、贅沢でねだっているのではないな、本当に困っているんだなってわかると思うのですが。
それに私は『買って』なんて一言も言ってません。ある物で何とかできればと思い、相談したのです。
そしたらまた別の「チェーンのバッグあるやん」と…
チェーンのやつは相当ファッションも選ぶ、小さなハンドバッグ。
あんなカバンで通勤するOLがどこにおるねん…
腹が立つので『もういいわ』と、LINEもやめました。
初めから「自分で使う物なんだから自分で何とかしなさい」と言われた方がよっぽどマシです。誕生日だとか買ってあげるとか…その気もないのに大口叩くなよ。
私には「する気もない事言うな!」と、すぐキレるくせに。
今回のことで思ったけど、そういえば「これ、たりが喜ぶと思って」みたいに母からプレゼントされた記憶がありません。
社員旅行のお土産を買ってきてくれたことはあるけど、いい歳になってから母から「プレゼント」を貰った記憶がないな、と。
母はこちらがプレゼントした物も、喧嘩の拍子に「あんなもん、別にいらん」と言ったり、手つかずで放置したり…平気でそういうことをします。
多分、これも家族で何かを贈ったり贈られたりした経験がないからでしょう。
贈り物というのは単に物をあげるだけでなく、その人の為に色々考えて選ぶということで、貰う方もその気持ちが嬉しいのです。
母にはそういう経験がないんだと思います。
昔、母の実兄のDがいらない洋服をくれたことがあったけど、どう考えてもうちの小柄な家族の誰が着れるねん?みたいな大きなサイズの物ばかりでした。
他にも、Dは農家だったので夏になればスイカをよく貰いました。
スイカ好きの母は喜んでいましたがある時何個切っても中がスカスカの、明らかに外れのものばかりだったことがありました。
切った瞬間に母もわかるようで切っては捨て、結局次のゴミの日まで大量のスイカのゴミが出ただけで、これは数年続きました。
私も姉も別にスイカは好きじゃありません(むしろ私は嫌いな部類)なので、母に「もうDさんにスイカ貰うのやめたら?」「美味しそうなやつスーパーで買えば?」「ゴミ増えるだけやで」と言って、やっとこさ断ったようでした。
普通、自分の妹にあげるなら1つでもいいから、美味しそうなやつを選んであげませんか?大きすぎる洋服同様、明らかにゴミのスイカをいくつも…
結局これもDは「あげた」という実績は作りたい(感謝はされたい)けど、自分は損はしたくないんでしょうね。
そもそも、実家にあるカバンはほとんど母の自腹で買った物じゃないんですよ。
それなのに「これなら持って行っていいよ」というものは、明らかに使い勝手の悪い、母のいらないもの。
それを用途に合ってなかろうが「あれがあるやろ」と何年も言い続けて、自分は出かける所もないくせに棚にほったらかしにして取り込んで。
貧乏性の母は「溜め込む」と「大事にする」の区別がつかないんです。
D共々、本当に育ちが悪いなと私は思います。
娘が今まさに困っているのに、自分の「損したくない」「あげたくない」が最優先。
いつまで経っても一番かわいいのは自分なんです。
母はよく「母さんは○○(私の実家の町名)のセレブや♪」と冗談めかして言っていたけどいつまでも意地汚い「似非セレブ」です。
こんな母のもとに生まれたことが恥ずかしい。