娘が楽しそうにしていると「いいわね、あなたは楽しそうで」みたいなことを言われる、というのも毒親あるあるのようですが
うちではこういう言い回しこそなかったものの、似たようなニュアンスのことはよく言われました。
母はいつも「誰かに幸せにしてもらう」ことばかりで
その割に自分の思ってたものと違えば幸せとは感じず、感謝することもなく、すぐに文句をつけて
自分で自分の機嫌を取って楽しく生きる術を知らないから、「幸せ」の間口が狭くなるのだと思います。
なので、楽しそうにしている他人に対してもなんとなく卑屈な気持ちになり、そういうセリフが出るのだと推測します。
最近の母は、とにかく自分の今の生活を自分で擁護するみたいなところがあって
何でそんなことばかり言うのだろう?と最初は不思議でしたが
まぁ単純に言えば、面白くないのでしょう。
母の承認欲求は病的なので、まだ労ってもらったり、心配されたり、とにかくかまってほしいのだと思いますが、娘はもうそういう母のご機嫌取りをしなくなったので
そんな時に娘に軽くあしらわれると
「まぁな、あんたらも、歳取ったら(私の辛さが)わかるわ!」
と、必ずと言っていいほど言います。何だか、少し吐き捨てるように。
もうね、何ていうか…(笑)
娘は娘なりに母を必要とせず生きているのも気に入らないし
自分が一番不幸でしんどいアピールしているのに労われないのも、気に入らないんでしょうね。
とくに私の姉に関しては、結婚して、娘にも慕われて、義理の両親とも仲良くしているので
一人で暮らす私に対してより、気に入らないところがあるのだと思います。
(母は、誰かがいないと生きられないタイプなので)
その証拠に、姉の子どもが成長して、いつか出て行くのだろうなという話をしていると
「娘が出て行ったら、寂しくなるで!」みたいなことをすぐに言うらしいのですが
姉は母を見て、娘が家を出ることで自分の人生設計が崩れるような、そんな、娘に依存しないと生きて行けないような親(母のような親)にはなるまいと思って暮らしているので
確かに寂しさは多少あるにしても、母にそうやって「自分と同じ末路を歩むぞ」みたいな言われ方をすることに違和感があるし
『多分母さんは(自分が面白くないから)早く、自分と同じ(娘と離れて寂しい)境遇になったらええねんと、私に対して思ってるんやろうなと思う』と、姉は言っていました。
言葉の端々に、そういうニュアンスが感じられる、と。
これ、すごくわかります。
何か「今に見てろ」感がすごいあるんですよね。
時々「娘が幸せに暮らしてくれたらそれでいいねん」なんて言っていますけど
そんなこと本心で言えるような親なら、毒親になんてなってませんからね(笑)
母は、自分の頭や体で幸せになろうという知恵がまるでないので
誰かに依存するか、相手を落とすことによってしか幸せを感じられない生き物です。
だから、自発的に「楽しいことをしてみよう」ではなく
他人が「自分より楽しくなくなればいいのに」みたいな考え方が染み付いてしまっているのだと思っています。
家族の中で、次に自分のように寂しさと戦わなければならない人が出てこないか、それを楽しみに生きているのだと思います。
本当に、本当に、心の貧しい人だなぁと思います。
確かに金銭的には豊かな方だったかも知れませんが、心の貧しさはお金がいくらあっても、自分が変わらないと、ずーっとマイナスのままなのだと思います。
母は本当にそのいい例だと思います。
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