母ってなぜ人を不快にさせる言い方しかできないのかというのは何度も書いてきました。
基本的に母は自分がそう思えば全国民がそう思って当たり前と思い込む節があるので、決めつけたものの言い方になるし、自分の思ってない方を子どもが選択すると反抗とか反論と取り、同調しないと怒っていました。
これは、考え方や思考といういわば「中身」の話です。
更に、言葉遣いとか言い方の「外身」の部分はもっと最低でした。
夕食時は基本的にテレビがついていましたが、私と姉にとっては接待のようなものなのでテレビに夢中になるなど絶対にありませんでした。
母の機嫌が悪い時は父が「アカン日」と知らせてくれましたが
その日は、いつもよりテレビを見て笑うのも控えていました。
かと言って変にゴマをすってもだめ(わざとらしいことせんでええんじゃ!と怒られる)、静かにしすぎてもだめ(アンタらさっきから何黙っとんや!と怒られる)
その日の母のご機嫌の取り方に攻略法などはなく、綱渡りのようでした。
機嫌が悪い時に「テレビ消せ!」はまだわかります。
自分が気に入らない番組だと母は「何やこれ!やかましい!他に何かないんか!」
機嫌が悪くなくてもこういう言い方をします。
「チャンネル変えてくれる?」で良くないです?
テレビがついてない時「テレビつけんかいな!お葬式みたいに!」(シーンとしてて陰気だと言いたいのだと思います)もよく言われました。
「テレビつけて~」で良くないです?
クーラーつけるかつけないか問題もありました。
昔は今ほど夏も暑くなく、夏の終わり頃に急に涼しくなって夜はクーラーなしでも過ごせる日もありました。
ただ、母が仕事から帰ってくる頃に微妙な気温だった時、クーラーどうするかに頭を悩ませます。
帰宅時の母の体感温度に合った方を選択していないとまたそれが地雷になるんです。母をキレさせないためのクーラー会議、姉とどれだけしたか。
暑そうと思いつけておいて母が涼しいと判断すれば「何でクーラーなんかつけとんねん!」その逆だと「あっついなぁ!何でクーラーつけてへんねん!」
「外涼しいから今日はクーラーいらんよ」「今お母さん暑いからクーラーつけてくれる?」そういう言い方で良くないですか?
母にどう言われるかに気を取られ、自分が暑いか寒いかなんて考えたこともありませんでした。
「○○したらどう?」というニュアンスで母に言及されたことなどほぼありません。「○○せんかいな!」日常の会話のほとんどがこういう言い方。
本人はそういう言い方を息をするようにしているし、相手を不快にさせている自覚など全くありません。だから私が成人してから『もうちょい言い方何とかならんのか』と何度注意しても反論どころか、なに訳の分からないこと言ってるの?状態だったのでしょう。
もっと普通に言うたらええやん…と思うけど、母の家庭の「普通」があれだったのでしょう。育ちの悪さがうかがえます。
こないだドラマのミステリと言う勿れのセリフにめちゃくちゃ共感しました。
どうして被害者側に逃げさせるんだろう
病んでたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者のほうなのに
協調性がないのは明らかに母の方で、共存できない・逃げるしかないと私は生きるためにその選択をしましたが、母は「娘が裏切った(家を出て行った)」と被害者ぶっています。
それでも、生活に困ることなく私が居なくなったこと以外は同じ家で同じように生活をしていて、変化を強いられたのは被害者である私ばかりでした。
離れたことに後悔はありませんが、納得が行かないことはたくさんあります。
スター、コメントありがとうございます。