もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

私のことについて

前回は、母の発達障害アスペルガーの疑い)について感じたことを書きましたが

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私自身もそういう障害等があるのか?ということもこの数年、ずっと考えてきました。

 

アダルトチルドレンであることに間違いはないとは思っていて

「回避性パーソナリティ障害」に近いものがある自覚があることも前に書きました。

tari97.hatenablog.com

 

ただ、会議への参加や発言、朝礼で一言何かを言ったりすることが苦痛で

数年前に辞めた職場ではとある会議での発表が嫌で嫌で、みっともない程に逃げに逃げた挙句、ほぼそれが原因で退職までしてしまった過去があり

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少々病的に感じたため、色々ネットを巡ってみた結果、自分が「SAD(社交不安障害)」の気があるのではないのか?と思ったのはわりと最近のことです。

 

こちらも母に発達障害の疑いを持ったことと同様、たくさんのHPやブログを見に行って『私と似てる…』と気付き、そんな自分を認めることで少し楽になった感じです。

 

私は「人前で何かをする」ことに異様に緊張する癖があり、これについては小さな事から大きな事まで数えきれない程のエピソードがあります。

 

小学生の時の順番に回ってくる立って教科書を読む時間は、自分の読む段落が短い文章であるように必死に段落を数えながら祈り、滞りなく読み終えはするものの、ノドはカラカラ、頭は真っ白。

 

音楽の時間、みんなの前で歌わされる歌のテストは前日から死にたくなるくらい緊張して、直前になると緊張のあまりえずいていました(咳払いでごまかしていたw)

中学の時のリコーダーのテストでは簡単な「エーデルワイス」を吹くだけで指が動かなくなり、あまりに吹けなかったため、先生に「泣きの一回」を吹かされ、男子に笑われました。もちろん、家では何度も練習して完璧でした。

 

高校の時には、新聞から気になる記事を切り抜き、それについて感じたことを発表する時間があり、発表中に緊張のあまり何度も唾を飲み込み途切れ途切れでなんとか発表を終え、最後に先生から質問をされるのですが、その頃には頭が真っ白で自分でも訳のわからない返答をしている自覚がありました。

 

ある職場では、80名程度の社員が集まる月イチの朝礼が嫌で嫌で、朝礼の日はマスクを着けて行ったり、午前休を取ったりしていました。

 

年々「皆の前での発言」とか「地域の会合に出る」とかから逃げる傾向が強くなって、これは人並レベルの「緊張しぃ」の域を超えていることも感じていました。

昔から「そんなの誰でも嫌だよ」とも言われて来たけど、どうも私の嫌がり方が尋常ではないのもずっと感じていました。

 

全ての事項にあてはまるのは「視線が自分に集まること」で、私はこういう状況にどうしても耐えることができません。

SADの中でも「字を書くのを見られたくない」「食事しているのを見られたくない」等もありますが、こちらは私は気にはなりません。

 

主に自分が声を発して何かすること、それを見られるという状況が苦手です。

ですので「電話応対」自体は別に難なくクリアできるのですが、シーンとした中で自分だけが電話に出る(私の電話応対を他人に聞かれる)という状況は苦手です。

 

SAD発症の原因は、失敗のトラウマもあるようですが、幼少期からの環境も大きく関わっているそう。

このサイトの親の子育て方の傾向が、完全に私の家と合致していました。

10syoku.jp

 

news.careerconnection.jp

 

ちなみに⇧のサイトでは

”「もうちょっと頑張れた」「甘え」「みんな辛いんだから」など否定的な発言は、社交不安障害を抱える人にとっては「ものすごくプレッシャーになるので絶対しないで」と説明しました。”

 と言った説明があるのですが…

 

残念ながら全て、母によく言われたセリフです。

この一文を見た時、何とも言えない気持ちになりました。

 

きっと、私自身も昔から感受性が豊かで変わり者だったのだと思います。

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さらに、必要以上に厳しく育てられることにより、異様に失敗を恐れる子どもになったのでは?と考えるのは自然なことかと思います。

 

これも前回同様、母を悪者に仕立て上げたい訳でも、自分は病気だから!と開き直る気もなくて

そういう性質が少なからずあるという風に、自分で自分を理解して、できるだけ苦しくない道を選ぶ材料になったらいいなと思い調べているところです。

 

思い当たる節がある方へ参考になればと思います。

 

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アスペルガー症候群と人格障害について

毒親問題で悩んだ方の中には「うちの親って病気なのか?」という不安に駆られたことがある方も多いと思います。

逆に、親に馴染めない自分がどこかおかしいのだろうか?と思ったこともあると思います。

 

私も、母がおかしいのか、自分がおかしいのかずいぶん長い間悩みました。

家を出てからは辛い作業ではありましたがこれまでの母の言動を一つひとつ思い起こすことで、やはり母のああいう部分って一般的ではないのではないのか?おかしいのではないのか?という部分を洗い出し、様々なことが見えてきました。

 

それによりただ単に「どちらが悪い」ではなく、落としどころを見つけて、諦めをつけることができたこともあります。

tari97.hatenablog.com

 

私の母は「自己愛性人格障害」の気があることと、少々「境界性人格障害」の気があることは前にも書きました。

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そして最近「アスペルガー症候群」の方面からも、母の言動を考えてみた時に

驚くほど母と同じ性質のアスペルガーのタイプがあることに気が付きました。

 

それが尊大型アスペルガー症候群です。

様々なサイトがあるので、気になった方は検索をして頂けたらと思います。

 

前出の「自己愛性人格障害」と「尊大型アスペルガー症候群」を色々調べてみると、両者の特徴が非常に似てはいるのですが 

アスペルガー症候群に関しては先天的な脳の機能障害

自己愛性人格障害は、環境や境遇から生み出される後天的な性分

といったイメージを持ちました。

 

姉にも、母のおかしかった言動をあえて話すようにして、姉の印象も聞くようにはしていますが、母の昔からの言動には「自己愛性人格障害」と「尊大型アスペルガー症候群」どちらの要素も含んでいる印象があります。

 

私自身、消化しきれない思いやわだかまりをどうにか解きたい・消化したいという一心で数々のHPやブログを読み漁り、辿り着いたのがこの2つでした。

 

ただし、母が正式に診断をしてもらった訳でもないので、あくまでもこれは私独自の見解ではあります。

 

あくまでも「参考程度に」ではありますが、何でもかんでも「毒親は病気」「頭おかしい」と突っぱねる訳ではなく、病気や障害だったのだから許してあげよう!でもなく

ただ自分なりにパズルのピースをあてはめるというイメージで「親がこんな風になってしまったことのルーツ」を探ることは有効であると考えます。

 

そのひとつの材料になればと思い、今回母がアスペルガー症候群であった場合はどのカテゴリに分類されるのか?について記しました。

 

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親への気持ちに「こうあるべき」なんてない

母の実母も、毒親だったと思うというのは前にも書いたことがあります。

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祖母(母の実母)は、厳しい人だったようで、時代のせいもあるとは思いますが、兄たちを溺愛し、母のことは可愛がらなかったそうです。

 

しかし、戦後の混乱の中、必死に子どもらを育てたことも事実で、母は「貧乏なのは悔しかったけど、お母ちゃんも辛かったと思う」と、よく言っています。

 

祖父(母の実父)は、アスペルガー気質の変わった人でした。

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母は、実姉のT子のことを「お父ちゃんのアスペの血引いとる!」と偉そうに言っていますが

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近頃、母親もあんま変わんないんじゃないのかとも感じています(このことはまた別の時にでも)

 

最近母と話していると、私や姉が母に対して『いくら親でも、言っていいこと(やっていいこと)と悪いことがある(あなたの言動は、さすがの親でも見過ごすことはできなかった)』というような、毅然とした態度でいると

母はすぐに「娘たちは、謝ってるお母さんを許そうともしない、なんて冷たい人間なんだ」みたいなニュアンスのことを言うらしいです(姉談)

 

挙句の果てに「そうか、たりや姉ちゃんは、学校が厳しかったもんね」と、私たちがそうなった理由を学校や、時代のせいにしようとしているようですが

いやいや、あなたのことが嫌いだからですよ!!

 

まぁ今さら、好きか嫌いかなんてもうどうでもいいし(毒母に対して、そんなレベルで接してない)わざわざ『お母さんのこと、嫌い』と口に出して言おうとすら思わないのですが

母は異様に「娘たちに嫌われること」に敏感なようです。

そりゃそうでしょうね。

今の生活、ほとんど娘(主に姉ですけど)におんぶにだっこですから。

 

つい先日も、何かの時に姉と私が『やれやれ』みたいな表情になると「お母さんのこと、嫌い?」と言い出し

とにかく最近「お母さんのこと、嫌わんといてな」みたいなことをやたらと言うようになり

そんな時に、前の「訳のわからん謝罪」を急にされた訳です。

tari97.hatenablog.com

 

おそらく、母的には、嫌われたら大変!→そうだ、謝ろう!ごめんなさい→これで嫌われないよね?というシナリオだったのでしょうが(あほすぎる)

謝った内容が全くの見当違いだったため、娘たちの心には何も響かなかった(むしろ、余計腹が立っただけ)というオチでした。

 

けれど、毒親というのは勘違いが激しく、何でも決めつけで物事を考えるので

「謝ったのに、許してくれない」「娘たちはなぜこんなにやさぐれてしまったの」と嘆くようです。

 

その話を姉から聞いている時に、ふと耳に入った言葉は

『「母さんはお母ちゃんを許したで」と言ってた』と姉。

 

あんなに貧乏で、ロクな母親でもなかったけど、私はお母ちゃんを許したんだ!と

母は言っていたそうです。

 

だから、母は「ちょっとぐらい至らん部分があったって、娘たちに許してもらえるはず(だって私は許したんだもの)」

という気持ちが、どこかにあるんじゃないかな。

 

だから、私たちが何年もかけて、こうやって吐き出さずに居れないような積年の思いを感じているのに対し

映画に行った帰りの「ついで」みたいな時に、謝っとこう!なんて気になるんじゃないかな。

 

 

母は、本当は実母のことが嫌いだったのでは?と感じています。

貧乏生活だったことも、親を恨んでいるのではないかなと思います。

親さえ、生まれた家さえ違えばあんなみじめな生活、しなくて済んだかも知れないのですから。

 

けれど「自分は(あんな親でも)許した!」というのがまた、母の自尊心を満たすための材料にもなっていたのでは?と考えます。

 

コンプレックスだらけの母は、とにかく「世間一般」「普通」が大好きでした。

その考えとともに、無理にでも「母を愛する自分」を作り出して、「世間一般の優しい娘」だと、自分のことを思いたかったのではないかなぁ、と。

 

母が実母のことを許したのは母の勝手であって

「だから、たりや姉ちゃんも母さんを許せ」というのは、全く関係のない話です。

 

母はそこを勘違いしています。

 

最近の母の意味のわからん謝罪についても、少しわかった気がしたので、記しておきます。

 

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