もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

相変わらず自意識過剰

以前、姉と母と話していて、知り合いのお葬式の話になった時にまた母が調子に乗って「母さんの葬式は盛大にしてやあ!!」と言ったことがありました。

また姉とともに数秒「無」になりました。

 

最近母がこういう「娘たちに嫌われている自分を自虐する」という次のフェーズに突入していて、寒…て感じです。

 

「母さんは子どもに好かれるために子育てしとんやない!!」が母の口癖でしたが、実際は娘に嫌われるなんて1ミリも思っていない(それくらいできた親であるという自信があった)から言ってたのだろうというのは前にも書きました。

tari97.hatenablog.com

実際には娘2人ともから精神的に見切りをつけられるというオチでしたが。

 

母の性格とか脳の構造上、自分が嫌われてることを自覚することはないんだろうなとは思っていましたが、娘らに明らかに距離を取られて約10年、さすがにここまで来てやっとあの母も「マジで娘に嫌われてる」ということを自覚はしてきたのだとは思います。

「なぜ嫌われたのか」の気付きがかなり遅かった(一部はまだ自覚ができていない・事実と向き合うのが嫌で理解しようとしない)のも、娘に嫌われる部分なんて自分にはないと本気で思ってたのがかなり邪魔していたのだと思います(こわ)

「言うて、親やで?」という驕りがあるんですよね。

tari97.hatenablog.com

 

母は「子のために物理的なことを理想通りにやった自分は、親として完璧」という勘違いから、やたらと親としての自分の評価を高く見積もっており(その勘違いは精神的に未熟すぎて様々なことに自信が持てないというコンプレックスの反動かなとも思うが)

自分のしてきたこと(自分の思い通りに動かすための娘への物理的な投資)が無駄になったとわかるや否や、たりは自分の夢(一人暮らし)を叶えたとか自分に都合よく解釈して「自分に非はなかった」と言わんばかりの態度でした(実際に「母さんは何も悪いことしてない」とか「たりが悪い」「裏切り者」などの罵詈雑言も浴びせられたし)

しかしこれについても何度もとつとつと『勘違いせんといて、私は別に実家におれたらおりたいと思ったけど母さんが嫌やから出たんやで』と手を変え品を変え(=表現方法を変え)言い続けることで現実逃避もいよいよできなくなったという感じです。

tari97.hatenablog.com

こうしてようやく本当に嫌われてたんやなとか家族が嫌々自分に合わせてくれてたんやなというのを徐々にわかってきたようで、姉と母のLINEのやり取りを姉が逐一見せてくれると、実際そういう言葉を述べていました(遅すぎやろ)

 

それでも、機嫌が良かったりするとすぐに調子に乗って冒頭の葬式の話みたいなことを言うので相変わらず自意識過剰やな…と。

tari97.hatenablog.com

盛大も何も、式なんてするつもりありません。未だに「葬式をしてもらえる」と思っているその自信はどこから?

 

私はずっと前に葬儀関係の仕事を短期間だけしたことがあるのですが、皆が皆ドラマや映画でみるような別れの惜しみ方をする訳ではありません。

『この人よっぽど嫌われてたんだろうか』と思うほど、ただ火葬までの場繋ぎ的に式をする人もいたし、もっとひどいと安置だけされて出棺直前におそらく子どもであろう人が2人ほどダルそうにやって来たこともあって、それを見た時うちの母冗談抜きでこれになるな…と思いました。弔ってくれる友達もいないので。

 

自虐と言えどこっちの気持ちを勝手に推し量って「な?母さんのこと大嫌いやろ?だから死んだら盛大に葬式してくれよ!」みたいに言うのも…いやいや、母の葬式にそんなに気持ちや時間を割くとでも思ってるん?と。

葬式以外にもすぐ「早く母さんに死んでほしいやろ」とか「早く死ねって言われた方が気が楽!」とか…とにかく鬱陶しいんです。

 

自分の意識の中での母の存在はもう既にそんなもんじゃないんですよね。

好きの反対は「無関心」とよく聞くけどまさにその通り。

「どうでもいい」に尽きます。

 

いつまでも、娘たちの意識の中での自分の存在が当たり前にある前提で話しないでほしいなと思います。

 

スターやコメント、励みになります。

新しく読者登録していただいた方もありがとうございます。

 

何かあればこちらへ

tari97.hatenablog.com

違和感の正体

最近、2人の男の子を育ててきた友達と話す機会がありました。

友達は都会生まれで、結婚を機にとは言え何でまたこんな田舎の町へ?とたずねたことがあります。

 

この地を選んだのは、環境も悪くないし…というのはもちろん「ちゃんとした実家という場を残してあげたかった」と。

友達が昔住んでいた団地は既になくなり、両親もこちらに越してきたので例えば同窓会とかがあった時、その後に実家に泊まるとかができなくて、それが悲しいから子どもには早めに「実家」として残る所を準備してあげたい、と考えたそう。

確かに同予算で家を建てるとしたら、友達の住んでいた所だと車も置けて1台がやっとの狭小住宅、こちらならそこそこの広さの家と駐車スペース2台はデフォルトで叶うくらいの差があります。大きけりゃ良い訳でもないですが、長く安心して暮らせるよう…と子どもたちの未来も視野に入れここにしたんだな、大切に育ててきたんだなというのがすごく伝わりました。

 

それで最近、姉と一緒に母と会うことがあったので、実家の場所とか家のタイプ(建て売りで何軒かあった)何であそこに決めたん?と色々話を聞きました。

 

その話を聞いた後、ずっと違和感があったんです。そして冒頭に書いた、友達の子育てへの姿勢を思い出し、やっとその違和感の正体がわかってきました。

 

母に実家のこの造りは良かったよねと言っても「そうか?私あの間取り嫌やってん」とか、とにかく「母さんはあれが嫌やった」「あれは私が気に入っててん」…結構長い間聞いていたけど「家族も喜ぶと思って」とか「子どものために」みたいなニュアンスの言葉が1つも出なかったんです。

 

結局母の結婚生活って、父という後ろ盾を利用して自分の願いをどれだけ叶えられるか?しか頭になかったのだと思います。

たまたま不動産とか車とか目に見えるものだったから、自動的に子どもたちも恵まれてるねという構図にはなったけど後付けに過ぎず、母が貧乏暮らしでたまった鬱憤を消化させるための幼少期の辛い思いへのリベンジが主な目的だったような気がします。

母の子育てに、イマイチ愛が感じられないみたいな違和感の線が、また1つ繋がった気がしました。

tari97.hatenablog.com

 

さて、久しぶりに入った実家ですが、物を溜め込む母のこと、さぞかし散らかっているだろうと予想はしていたけど想像以上でした。

tari97.hatenablog.com

ちなみに既に私の物はほぼ残ってはいません。あと全て処分するとしても引っ越し用のダンボール大に入りきるほどの量。実家に溢れ返るのはあとは全部母の物。ぞっとしますね。

 

だらしない母はチラシやDMなんかもすぐ溜め込むので、数か月に1回、要・不要かを母に聞き、捨てる作業を私がやっていました。

tari97.hatenablog.com

それをやる人がいなくなったので、数年分を全部溜め込んでいるという訳。昔はファイルボックスにおさまっていた書類もどんどんその隣に立て、倒れて棚から崩れ落ちる寸前。棚や引き出しにはぎちぎちに物を詰め込み、使用期限のとっくに切れた薬等も大量…(私が家出る前からあるよなっていうのも多々)

件のY(母の元同僚。「Y(全角)」検索で記事読めます)も未だに家によく居るようで、私物やUFOキャッチャーのぬいぐるみ…買ったり取ったりするのはいいけど自分のアパートが狭いからって他人の家を物置代わりにするなよ。Yもアラフォーにもなってみっともないし、よくこんなきったない家に来るよなと神経疑います。

 

結局、母の家づくり・家庭づくりって物理的に「モノをそれなりに揃える」だけが目的だったのでしょうね。

自分の満足できない部分を物理的に補うことにしか目をやらなかったから、母自身も精神的に満たされず、食料品の買い物依存みたいな状態や、事あるごとに娘を怒鳴って穏やかに暮らせないことに繋がっていたのでしょう。

tari97.hatenablog.com

 

娘を手元に置いて、死ぬまでラクを決め込んで偉そうにする老後という理想が崩れた今は、その為に用意した家も単なるハコ程度にしか思えず、愛着もわかず汚れて行く一方なのだと思います。

 

母は昔私の部屋を覗いては「床に物置きな!そんなん、やたけた(関西弁でいい加減とかルーズの意)のやることや!」と怒鳴っていましたが、実家のリビングには何かよくわからん物が大量に床に置かれていました。

 

コメントやスター励みになります。ありがとうございます。

tari97.hatenablog.com

○○を忘れると人が離れていく

タイトルの○○、皆さんなら何を思い浮かべるでしょうか。

 

現在私は、企業が抱えている外部の業務委託者の対応窓口の「中の人」を仕事でやっています。

多くのフリーランス個人事業主に仕事を依頼するので、その人たちがわからないことや相談があればその一次対応をするようなイメージ。

テンプレがあるので、質問に沿った回答を返信すれば良いだけですが100人近くいる人たちの中には稀におかしな方も紛れています。

 

AIがチャットで応答してくれるようなあれくらいのノリだし、相手は「お客様」ではないので「中の人」は名乗らなくても良いことになっています。

しかし中にはクレーマーみたいに「名を名乗れ!」とか、回答がどうしても機械的になるのが気に障るようで「文章が攻撃的」といちゃもんをつけてきたり、説明文の言葉尻を理屈っぽく捉えては「こういう意味ではないんですか?」「矛盾してませんか?」等と噛み付いてきたり(アンタの捉え方がおかしいんだよwと思いつつ)『またこの人の対応か…』と嫌になる人も数名います。

 

彼らがいないと回らない仕事も多々あるので『いつもありがとう』という気持ちでできるだけの対応はしているし、仕事をもらっているという立場を理解している人(大半の人はそうですけどね)は質問等の度に「いつもありがとうございます」「よく理解しておらずすみません」等という言葉が添えられています。

 

ところが何を勘違いしているのか(仕事を「やってあげてる」とでも思っているのか)先ほどのような横柄な態度の人は一定数いて、その人たちは社内でも面倒な人認定され、新たな案件依頼もしないように…と結界が張られます。

社内でもネタにされ、みんなから対応を嫌がられ後回しにされています。

 

そういう人は決まってなぜか自信満々で、ちょっと気に入らないことがあるとキレて、こちらが善意でやってあげてることも「今後自分でやります!」と息巻いて(任せておく方が楽なのにわざわざ自分で面倒事を増やしている)かと思えば「この案件お断りします!!」等と一人で鼻息を荒くしていたりw

 

先日わりと期日がギリギリの案件をそうやって断られたので大丈夫なのかなぁ?と思いつつ、担当者に「○○さん、この案件されたくないそうです」と共有すると、もう少し困るなぁとかいう声が上がると思いきや、わかりました。別の方探しますね。と何ともあっさりと(笑)代わりはいくらでもいたようです。

 

うちはGoogleマップの口コミでもボロクソに書かれているし、ある種ブラック企業なのですが(社内の人柄が良いのと、時給が相場より高かったから続けてるだけです)さっきのクレーマーフリーランスは、こんな企業からもお払い箱。

せっかくの案件をわざわざ放棄し報酬ももらえず…その案件を本当はやりたくなかったとか、お金に困ってなく趣味の延長くらいの気持ちでやってるならまあいいと思うけど。

 

そこで冒頭の○○に言葉を入れるとしたら私は「謙虚さ」です。

 

周りが呆れてどんどん人や仕事が離れていくその人たちを見ているとまるで母を見ているよう。

共通するのは「謙虚さ」がないこと。

母は育ちの悪さからか、はたまた異常な反骨精神からか…ずっと自分が一番偉い!みたいな態度で、謙虚さなんて1ミリも感じたことないです。

昔は実家での貧乏暮らしが嫌で、なにくそ精神がそうさせているだけだと思っていたけど(常にナメんなよ!みたいな臨戦態勢だった)そこまで勢いのない今でもやっぱり母から「謙虚さ」は感じられません。

反骨精神と謙虚さがないことを昔の私は混同していたな、と。

ハングリー精神のある人がみんな横柄な態度か?と考えたらそんなことないですもんね。

 

私の好きなロザンの二人も謙虚さについてYouTubeでも語られていて…その動画を見た時は共感しすぎて首が取れそうでしたが。

tari97.hatenablog.com

 

本当に仕事のできる人というのは、必ず謙虚な姿勢があると思うんですよね。

へりくだる、ではないです(私はここを混同していた過去があるので、今やたらめったらにへりくだるのをやめる訓練をしています)

 

横柄な物言いや態度を注意をしても改めることができなかったため、家族は皆母を嫌い精神的に見切りを付けました。

 

仕事中、チャットでわめいているクレーマーたちを見てるとこの人もどうせ家族からも嫌われてんじゃないの?wと思わずにはいられません。

 

コメント・スター励みになります。

新たに読者登録頂いた方もありがとうございます。