" I(アイ)メッセージ " というのをご存知でしょうか。
【私】を主語にして伝えるメッセージの意味で、コミュニケーションにおける表現方法のひとつです。
この言葉を私が知ったのはほんの数年前のことで、知った時はそんなことあの家ではほとんどできなかったな…と愕然としました。
『私はこう思う』『私はこうしてほしい』
家ではそんなこと軽々しく言えなかったし
正直に言ったところで母の考え方に沿わなければ私の言葉は全て「ワガママ」「裏切り」「文句」などと取られるからです。
母に怒られたりキレられたら即言い訳、前言撤回、納得いかなくても折れるか謝罪…だったので、適当な嘘をついたり自分以外の架空の人物に罪をなすりつけ人のせいにしたことも数えきれません。
そういう生き方をしてきたせいか私は責任の所在を明確にしようとする癖がかなり酷いです。
仕事で何かを教える時に『ここはこうしても良いですよ』だけで良いのに毎回いちいち『もし何か(上の人に)言われたらたりさんが言ってたって言ってもらったらいいから』を付け加えてしまいます(最近気が付きました)
私が自分に非がないのに理不尽に怒られたりキレられるのがトラウマになっているので、相手にもそういう思いをさせたくない!(だから何かあればたりのせいにしてね)と変な気を回してしまうのです。
よくよく考えたら責任の所在なんて何かあってからでいいし、こんなおかしな声掛けしてくる人なんて職場でいないよな…と、恥ずかしくなりました。
だから人にものを教えるのが苦手なんです。
似たようなことで、何か意見を言う時に『みんなも言ってたのを聞いた』とか『誰々も言ってたはず』とかを多用するのも、最近気がつきました。
責任の所在を先ほどのように自分ではなく、第三者に転嫁しているんです。
これは【一般的】や【みんな】という不特定多数を主語にする伝え方 " We(ウィー)メッセージ " と言うらしく、一見正論を言っているように見えますが暗に相手を批判することにも繋がりかねないので、人に何かを指摘する際には向かない場合もあるそう。
確かに思い当たる経験があります。
10年くらい前、友達に約束をすっぽかされた時に『そういうの誰でもいい気しないと思うよ』みたいに言ったら余計相手の態度が悪くなったことがありました。
私としては怒りをやんわり伝えて、大人な対応!くらいに思ったのですが。
結構年下の子だったから若気の至りかな…と思う反面、さすがに腹立つな…と思った私は「(すっぽかされて)悲しかった、辛かった、とっても残念だった。だからもう少しこうしてほしい」という表現をわざと大げさにしてみたんです。
『何か、メンヘラっぽいしガキくさいな』と抵抗がありましたが「そんな風に感じさせたなんてすみません。次から気をつけます」と、コロッと相手の態度が変わったのでした。
今思うと、前者の対応が " Weメッセージ " の良くない例で、後者は " Iメッセージ " の良い例だったのかな?と。
だからこれまでもケツをまくって言いたいことを言いまくった時の方が、急に謝られたり事態が好転することもあったな…と。
オタク活動の遠征先でいざこざがあり、新幹線に乗り自宅に着くまでずっとメールでバトり続けてついにぐうの音も出なくなった相手を黙らせたこともありましたが(笑)数日後に謝られたことも。
私がそこまでキレたらもう後はないので友人関係を続かせる選択肢はないのですが(もう一度仲良くできる自信もない)あれも案外 " Iメッセージ " の良い例だったのかな?と最近思い出したり。
けれど結局、Iメッセージで何かを伝えるということが、私に取っては非日常に近いんですよね。
さっきのように、ブチ切れて本音をバンバン言うのも人生で数えるくらい。
約束をすっぽかした子にも『多分これを言うことで縁が切れるだろう』とビビりながら伝えましたし。
日々訓練はしているつもりです。
ブログでも再三書いてきました。
『私がどうしたいか』『私がどう感じたか』
毎日毎日、どんなに小さなことでも自問自答です。
でもそれを優先させようとすると『ワガママなんじゃないか』『自己中って思われるんじゃないか』がどうしても邪魔してくる。
【私】を主語にして考えること自体が至難の業。
疲れます。
ちなみに
" Iメッセージ " を少しググってみると、コミュニケーションにおける悪い例も必ず載っています。
良かったら検索してみてください。
きっと毒親の表現が「悪い例」にめちゃくちゃあてはまってるはずです。
あてはまりすぎて笑えますよ。
もちろん母も「悪い例」フルコンプでした。
スターありがとうございます。