もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ハードルを下げられない母

前にも少し書きましたが、年末から母がちょっと体調を崩し、顔を合わせる機会が増えたのですが(と言っても付きっきりで何かする程ではない)

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命に関わるようなことではないですが、いい機会なので母の今後の生活も少し考えないといけないねという話も姉も一緒にするのですが

 

とにかく、母って「こうしておけば、こうなるはず」という決めつけがすごいので

今回の体調不良についてもなかなか「これからどうして行こうか」という気持ちに切り替えられず「ああしたのに」「こうしたのに」「悔しい」ばかりなんですよね。

気持ちはわからなくもないんですけど

じゃあ母の生活ぶりでは、絶対にならなかったか?と考えたら、まぁなってもおかしくはないかなぁと言うところで

 

病気なんて、交通事故みたいなもので、運の要素もだいぶあると思う。

健康志向の人でもなる時はなるし、不摂生してても一生元気な人もいるし。

「何で気をつけていた自分が」と思いながら、病気になり亡くなる人なんてごまんといると思う。

健康に気をつかうと言うのは、リスクを減らすってだけの話で

今回の母も、これさえしておけばならなかった、でも、これをやったからこうなったという話でもないのですが。

それがわかれば、みんなそうするし誰も病気になんかならないですよね(笑)

 

母はとにかく、何においても自分で勝手に「これくらいしてたら、このくらいは大丈夫」みたいな設定をするから、そうならなかった時にキィーッてなるのを、未だに学習しないです。

そしてまた母の場合、そのハードルが高すぎる。

家族相手にもずいぶん高いハードルを設定してきたと思うけど、姉も私も早々に毒親という事実に気付き、母のきつすぎるハードル競技からは抜けたわけですが

 

母としてはまず、その「抜けられる」が想定外だったから、それですでに、自分基準の「これくらいしてたら論」

結局、思い通りには行かなかったでしょ?と思うのですが。

 

失敗を許さなかった母の話にもなり

「ちょっとのことでも、気をつけていれば防げた失敗をしたくなかった」と本音を漏らした母でしたが

さすがに私も姉も

その「ちょっと」が、厳しすぎる。設定が厳しすぎるから、ストレスになるのでは

そのストレスが病気にも良くないのでは

時代も世の中も変わってきているから、いい加減もう少しハードルを下げたら?

という感じのことを言ったんです。

 

そこまで言えば「自分の " 失敗するな " が娘らにはハードル高すぎたかな」とかも思いそうですけど、まぁ思わないんでしょうね。

だから毒親なんですけどね(笑)

 

ただ、私らに向かって母が「私のように、〇〇せねばならんみたいに生きるのは私の代で終わらせてほしい」(アンタらは肩の力抜いてみたいな感じで)言った時、姉も私も『もうとうに終えてますw 母さんみたいに生きるつもりはないですw』と2人ともが即答したのにはウケました。

 

もしかしたら、母もその即答ぶりで「あそこまでしなくてよかったかなぁ」とも感じたかも知れないけど、自分もそれを認めてしまうと、今までの自分の人生をまるごと否定することになるから、できないのか、したくないのか。という気も。

父がいた時は、まだ「夫だけは私を認めてくれている」と思えてたかも知れないけど

娘2人ともにそっぽを向かれたのは、ある意味母の人生まるごと否定されたようなものなので(笑)

 

かと言って、今までの人生全てがムダではないと姉も私も言うのだけど、母は二極化思考なのでね。

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自分の人生も " 良 " がゼロか100かで、死ぬまで自分は「 " 良 " が100」だった、と思いたいのでしょうね。

 

残念ですが、今後私の口からは絶対に母の食事がおいしかったことと、お金に困らなかったこと以外で、認めることは発さないだろうし

姉も、母に対して同じくそこ以外を絶対に肯定しないところを見ると、姉も同じ気持ちなのでは。

 

まぁ、母のように思うのは勝手ですけど

ハードルを下げて「まぁ " 良 " が70~80くらいかな。なので、おおむね成功!」くらいで生きたほうが楽だと思うのですけど。

多分一生、ハードルは高いまんまなんでしょうね。

そうやって、理想と現実がかけ離れていた事実をいつまでも認められないから

しんどいんでしょ?とも思いますけどね(笑)

 

「家を出たい」と決定づけた、最初の出来事

前にも書いたように、母は一時期やたらと家族での旅行や外出を企画していた時がありました。

あの頃は、皆を自分の思い通りに動かしていて、母もさぞかし楽しかっただろうなと思います。

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私は、だんだん旅行にも嫌気がさしてきて、せっかくの休みは家にいたかったのですが、断ると母の機嫌が悪くなるので、適当について行っていただけでした。

今思うと、もういい歳した子どもが「旅行を断る」くらいで、何であんなにビクビクしなきゃいけなかったんだろうと笑えるけど

当時は「行くのが当たり前」で、それ以外の選択肢なんてなかったんですよね。

 

ただ、本当に行きたくないのと、このままではこれがずっと続くのか…?と思った私は、あるとき初めて家族旅行の誘いを断りました。

 

ちょうど、その時に好きだった人が、その旅行と同じ日に「遊べるかも」と言ってくれていたことも理由のひとつです。

もちろん、母にはそれは絶対に言いませんでした。

言ったって「他の日に変えてもろたらええやん」

平気でこういうことを言われるのは目に見えていたから。

元々その人との予定は曖昧ではあったけど、もしその予定が流れたとしても「誰もいない家」でゆっくり過ごすのも悪くないと思ったのです。

 

もう、20代にもなった娘が『たまには家でゆっくりしたい』と家族旅行を断っただけなのに

母は「何でや!」「行ったらええやんか」「何がそんなに嫌なん」

顔を合わせる度に言われて、多分旅行当日まで言われるなと思いました。

 

母は、断る私がよっぽど気に入らなかったんでしょうね。

「たりは行かへんねんて」「何かしらんけど」「あほやな、ええもん食べれるのに」と私を晒し者かのように家族に言い続けていました。

 

多分、母は最終の人数確定の連絡を旅行会社にするまでに私が『やっぱり行くわ』と言うと思っていたのでしょう。

それまで、母を黙らせるためにずっとそうしてきましたから。

けれど、ここで折れたらまたこれからも同じことの繰り返しになると思って、断り続けました。

 

最後の最後まで「ええねんな!今から行きたい言うたら変更できるけど!」「あほやな!」(大体、思い通りにならなかったら何でも「あほやな」って、ほんと腹立つわ)と喚いていました。

 

多分、母は、私が本当は行きたいのに意地になって『行きたくない』と言って「意固地になっているだけ」と本気で思ってたのだと思います。

いつでも、自分のいいように勘違いするプロですからね。

この勘違いと自信って本当にどこからくるんだろう?

何で、自分と同じベクトルで娘(と言うか家族全員)も生きてると、勘違いできるのだろう??

 

ずっと不思議だったけど、母がうざすぎて仕方なく合わせるから、勘違いを助長させていたのも一理あるかもとは、前回にも書きました。

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結局、好きな人とはその日予定が合わなかったのですが、もう何年ぶりだっただろう。

家で一人で過ごしたんです。確か、コンビニ弁当か何か買って帰って。

 

もうね、楽しくて嬉しくて涙が出そうでした。

 

当時、仕事を終えて帰ると、酔ってふわふわしてる父を気にかけながら、母の相手をするという「お勤め」が待っていましたから『心がほんとうに休まるってこういうことかぁ』と思いました。

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1泊だったので翌日には帰ってきましたが「一人で過ごす楽しさ」の味を知ってしまった私はその日から一人暮らしで頭がいっぱいになりました。

 

これを味わってなかったら、どうなってただろう?と最近考えます。

具体的に嫌いなところを指摘してみる

母があれだけ実家でバトルをしても変わらなかった、その一番厄介だった理由が

 

①自分の意見は絶対に間違えてない

②自分は家族に好かれている

 

という自信と勘違いがあまりにも大きかったからではと思っています。

根っこにこれがあるので、私が家を出て、物理的に「それは違いますよ」と、示さないと、考えを改めなかったのだと思っています。

私の母のように「やれるとこまでやったら(私の場合、とにかく物理的に顔を合わせる度合いを減らしたら)わかる」人もいるのかも知れません。

そこまでしなきゃわからないほうが、問題だとは思いますがね(笑)

 

ただ、今思い出すとあんなに毒親現役時代の母でも「お?ちょっとひるんだな?」という瞬間がいくつかありました。

もしかしたら、あれをずっと続けていたら変わってたのか?と考えたりもしますが、まぁ何十年はかかっていたでしょうから現実的ではないかな。

 

①はなかなか崩すのは難しいですが、私が家を出る前、ちょくちょく②を外堀から攻めるみたいな感じでやっていました。

 

嫌そうな態度をとる、とかではなく「母さんのそういうところが嫌い」と具体的に嫌いなところを指摘するのです。

「おかしい」とか「違う」ではなく「嫌い」と言うのがミソ。

 

 

ある日、母との韓国旅行から帰って来て荷物の整理をしていました。

免税店で韓流スターのノベルティをもらったのですが、荷物のどこに入ってるかすぐに見つけられず、母に聞いたのですが、母もわからないようでした。

まぁ私も興味ないし出てきたときでいいわって感じだったのですが、貧乏性の母は興味のないものでも、タダでもらったものには価値を感じるようで、また「どこにやったんや!」と怒り出したんですね(黙ってたら存在すら忘れてたくせにw)

 

『なかったらないでいい』と何度も言ってるのに「ちゃんと探したんか?!あんたがどっかやったん違うの!」とまた決めつけて暴走し出したので、キレた私は

『母さんのそういうとこが嫌いやねん!何でも勝手にそないして決めつけるやろ!』『ここに入れたんちゃう?とかもうちょっと言い方あるし、何で(なくした犯人は)絶対に自分じゃないって言いきれるん?どんだけ私に失礼なん?』『大体、別にいらん、なかったらないでいいって言ってんのにしつこい!』

 

また喧嘩だろうな~嫌だな~と思ったけど、あまりにも腹が立ったので『かかってこいや』って気でかなり言ったんですよね。

大体、言い返してくるんですけど、その時は言い返してこず、拍子抜け。

 

その後家を出た後に何かで話をしていた時に「たりに言われたもんな。韓国から帰って来たとき、何でもそうやって決めつける!って」と言ってました。

へぇ~覚えてるんだ?と思ったので、なぜそれだけ?と考えてみたら「かなり具体的に指摘した」なと思ったのです。

 

ギャンギャン吠える系の親には勇気いりますけど、結局向こうも色々なことが怖くて自信がないから、強そうに見せるために吠えてるだけだと今になったらわかるので

ガツーンと一番痛いとこを突かれたら、やっと、ちょっと思うところがあったのでしょう(笑)

この場合は、②の自信と勘違いをちょっと覆されたから、焦ったのでは、と?

 

 

過干渉親はとにかく「めんどくさい」ので、はいはいわかったわかったと穏便に済ませて逃げるようにしていたけど(それでも穏便に済まないように仕掛けてくるけど)

今思ったら逆効果だったのか?とすら思ってきます。

 

 

相手は小さな子どもと同じ。

今まで、大人だと思って軽くあしらっていたから、話にならなかったのかも。

構ってほしくて仕方ないので、例えきつい言葉でも「適当にあしらわれる」よりかは嬉しかったのかもしれないですね。 

①がすごく強いと、「おかしい」とか「違う」は、確かに逆効果ですしね。

本当に子どもの喧嘩で「〇〇ちゃん、きらい!」と言い合っている、あんなイメージのほうが母には効果的だったのかも(笑)

 

特に母は「家族たるもの、ぶつかってこそ美しい!」みたいな考えがあったようだしw

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だから『めんどくせーな。はいって言っときゃいいんだろ』というこっちの態度が母の勘違いを助長させたというのも一理あるかも知れないけど

こっちは声荒げること自体がしんどいからなぁ(笑)

 

 

ただ、その一瞬はちょっとヘコんでも、①の自信がすごいので結局「改める」気はほぼないですから

やっぱり毒親を口頭でわからせるのは無理に近いなと思います。

 

ブログを再開して約半年✒今思うこと

このブログのわりと最初のほうにも書きましたが

いっとき、資格取得に躍起になっていた時期があります。

今の金欠は、この時の投資のせいでもあると言っても過言ではなく…

 

最初はやたらと難易度の高い士業系の資格を狙って挫折。

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それで終われば良かったものの、今度は『好きなことなら』と、短大で専攻していた分野と似た勉強をやったことも。

短大は、たまたまやりたい分野の学校が家の近くにあったので、学校嫌いの私が唯一楽しめた2年間だったから、またやれるかな?と思って(単純すぎる)

こっちは元々資格取得云々ではなく「スキルを身に付ける・スキルアップ」的な感じでしたので、カリキュラム終了後に実際それを活かせそうな所にも転職したのですが、やはりその道のプロは既に10年20年そのスキルを積んできているわけで

30代も半ばになろうとしている人がほぼ未経験で飛び込んで採用されたのは、設立間もない会社だからだったんだろうなって感じで(多分、誰でもよかった。今もずっと募集かけてます)

 

5か月ほどで先行きが見えなさ過ぎて、経験のあった職種に結局戻りました。

けれど、その転職先がそれはそれは酷い労働環境で

何でしょうね、、やっぱり引き寄せてしまうのかな。

なぜか私を目の敵にしてイチャモンをつけてくるBBAが1人いて、もう見るからに毒っ気満載なんですよね。全盛期の母みたい。

で、ある日そのBBAにボロクソ言われたときに頭が真っ白&過呼吸みたいになり、翌日から出社拒否。そのまま退職しました。

初めて心療内科にも行き、初診で大号泣。

メンタルは強い方だと思っていたので、そこで初めて『これは根本的になんとかせんと、まずいかも』と思い、このブログを再開した去年の夏に繋がります。

あんなになったのは、あの職場だからだったのか、あの時の精神状態だったらそこでなくても心は壊れていたのか、わからないけれど

 

今思うことは、たった半年ほどでも本気で向き合えばここまで変われるのだなということ。

 

このブログのプロフィールでも「からまった糸を解くような作業」と表現しています。

母と暮らさなくなった時に、絡まりは全てほどけたと思ったら

自分の予想をはるかに超えて、絡まるどころか「ダンゴ」になっていました。

周りの皆はもう思い思いの布を織り上げている頃、私はダンゴになった糸をほどく作業からやり直しです(笑)

絡まった糸はまっすぐのきれいな糸には戻れないけれど、1本1本ほどいて見てみたら、それぞれの糸にも意味があって、色があって

大嫌いだった自分と、自分の人生をちょっとだけ好きになれました。

気に入らない糸は、使わなくても、捨てても良いこともわかりました。

生まれたときから絡まりなんてほとんどできず、きれいな布を織って来れた人を羨む時もあるけれど。

 

同じように、これを「家を建てること」で例えた毒親育ちの方もいました。

どんなに立派な家を建ててみても、土台がしっかりしていないと家は崩れます。

毒親育ちはまず「整地」からのスタートであると。

 

そう考えてみたら、マイナスからのスタートで確かに悔しいけど

それをすっ飛ばしても本当の解決にはならないのではないか?と今本当に思います。

 

頑張って、勉強とかスキルアップしようとして行動も起こしているのに

自分のできそうなことをきちんと選んで、仕事もミスなく真面目に取り組んでいるのに

なぜこんなにうまくいかないんだ?と思いましたが

 

まずやるのはそんなことではなかったのかもしれない。

 

絡まったまんまの糸で無理矢理布を織ろうとしていただけ?

荒れたまんまの土地に無理矢理家を建てようとしていただけ?

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この記事で書いた、テレビのレコーダーの話も、同じですね。

 

色々よさげな行動を起こしてもどうもうまくいかない方は少し考えてみると良いかもしれません。

世間的には「よさげなこと」でも、今の自分が全く必要としていない、それよりもやることあるぞ~ってことなのかも知れません。

 

私ももっと早く気付きたかったです。

あの〇〇万、、、高い勉強代だった…泣

誰かの「たかが」は、誰かの「されど」

あらゆる失敗を必要以上になじられ、責められて育つと

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「失敗=とにかくいけないこと」なので

失敗する前に、やらないでおこうと消極的になるし

空気を読んで周りの顔色をうかがうばかりで、何も楽しめない。

 

人前で何かやるとか、みんなで協力してやるとか

苦手なことに挑戦するということが死ぬほど苦痛になります。

(学校なんて大体こればっかりですけど)

 

練習をきちんとしたって、本番は緊張で結局失敗するし

誰にでも苦手なことはあって当然と頭ではわかっていても、失敗したときの仲間の励ましを卑屈にしか受け取れない。

 

いつも「失敗するなよ」の刃物を、突きつけられているような感覚。

 

けれども、学生時代は自分が単なる「緊張しぃ」なんだな、損な性格だなぐらいにしか思っていませんでした。

それに、学校はそのうち終わります。あと何年かしたら大嫌いな、授業中に当てられて立って教科書を読むのも、皆の前で歌わされる歌のテストも、苦手な体育の授業も、運動会も、しなくていいんだ!と、乗り切れました。

 

けれど、やっと終わった~と思ったら、今度は面接・皆の前での挨拶・朝礼での発言。

結局、学校を卒業したって「苦手なこと」は形を変えて存在していました。

 

「慣れだよ」と言う言葉は嫌いですが、確かにそれも一理あって

「その場限り」のやり取りは、30代になりやっと、さほど緊張しなくなりました。

転職を何度もしすぎて、面接には慣れました(笑)

 

けれど、本格的に「昔から自覚はあったけど、単なるあがり症とかでは済まないのでは?」と思った出来事があります。

 

母の縁故で入った会社は、仕事とは関係ない「緑化活動」とか「お遊び」的要素があるグループ活動があり、参加が義務づけられていました。

そして、毎月の活動の「報告会」があって、パワポで資料を作り、発表者を1人選出して皆の前で発表をします。発表と言っても参加者は10人程度ですが。

 

私はその発表を、どうしても、死ぬほど、やるのが怖かったのです。

 

入社してすぐは「私、発表は緊張します…資料作りをやらせてください」とうまく逃げていましたが、そう社員数が多い訳でもないので、数年居たら逃げるにも限界があり

 

それでも私は、みっともない程、逃げに逃げました。

わざわざ私の後ろで、何も知らない新人に「知らんと思うけど、たりさんはぜーったい発表せぇへんねんで。それで有名(笑)」と聞こえよがしに同僚に嫌味を言われるほどに。

 

それでも

そんな後ろ指をさされてまでも

やっぱり私はそれを、どうしても怖くてできないと感じた。

あんなのやるくらいなら死んだほうがましって思いました。

 

その活動だけならまだしも、ほかにも長年居たら色んな会議や〇〇委員会みたいなものへの参加も増えて、それが仕事の評価にも影響するので、さすがに逃げるのも限界だなと思い、約6年勤めた会社を辞めました。

 

他にも嫌なことはあったけど、それが退職理由のかなりの比率を占めています。

死ぬほど嫌だったので、死ぬくらいならば退職しようと、本気で思ったのです。

 

そういうことを、友達とかに話すと「そんなの、誰でも嫌だよ~」と返ってくるのだけど

でもみんなそれで死にたくはならないでしょ?と思うし、その「嫌がり方」を自分でも異常だと感じたため、自分は病気なの?何かの障害なの?と、色々調べるようになり、最近やっとルーツがわかってきた、という感じでしょうか。

 

 

私は、自分で言うのもあれですけど仕事はきちんとやるタイプです。

それに、その部署の仕事も好きだったし、仕事以外の苦手なことが、精神を病むほどのストレスになり、退職せざるを得なかったのは正直残念でもあります。

コミュニケーション能力も、社会人としてのスキルとして必要と言われればそれまでですけど(泣)

 

自分はこういうスキルを持っていて、こういうことに向いているから、ということで営業職・技術職・事務職など、多岐に渡って人選されているのに

その先のことは全部

皆やってるから

皆同じで当たり前

皆できるのに、なぜ同じようにできないの?

会社ってそういうとこ。

という風潮は、つらいものがあります。

 

これは、毒親育ちの人だけを指して言っているわけではなく、自分を擁護しているわけでもなく

世の中には「大多数が何とも思わないことが死ぬほど辛い人だっている」と思うのです。

それを理解して、尊重できる社会になればと思います。

 

何の話題かは伏せますが、職場での差別に繋がるようなある事例を紹介しているTV番組を見たときに、私自身も「え!?そんなことで?」と思うようなことがあり、驚いたことがあります。(何気なく言われたひとことに、ひどく傷つくなど。でも、私も同じ場面にいたら、言ってしまうかも的な)

それで、職も選べず転々としている人も少なくはないらしく

 

言った本人は、言ったことすら忘れてしまうようなことかもしれないけど

言われてる本人にとっては「そんなこと」では済まない。

分野は違えど私と少し似たような思いをしている人が、いるんじゃないかな?と感じました。

 

単なる「甘え」とは、確かに線引きは難しいところではあるけれど

誰が決めたのかわからない、大多数の「当たり前」になじめないために、その人の本来の良さが埋もれてしまうのは、非常にもったいないことだなぁと思うわけです。

 

母の異常なまでのキレ方をわからない人向けに説明してみる

母は何かと不機嫌で、さっきまでニコニコしてたのに何が地雷かもよくわからないまま、爆発が起きることも多々ありました。

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⇧の「おかんの話」も含め、今までにもそういう記事はいくつか書きましたが、何であんなに不機嫌で、怒らないと生きてけなかったんだろう?と最近ずっと考えます。

 

元々、母は幼い頃から家族の中でみそっかすみたいに扱われてきたこと、実家が貧乏だったこと、夫と歳が離れていること等でコンプレックスのかたまりだったため、いつでも「ナメんなよ!」みたいな気でいたのが「不機嫌」の元だったのかな、と、それは何となくわかってきました。

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ただ、家族の悪気のない軽い失敗も必要以上になじるところがあり、家族が嫌いな訳でもないのに、なぜあんなに人格を否定するくらいのレベルで家族にも怒っていたのか?と考えた時に、いい表現かも?と思ったのがあるので、ご紹介します。

 

とにかく、どんな小さな失敗でも、語尾に「死ぬ!」がつくイメージをしてみてください。

 

例えば

子どもが不注意でジュースをこぼしたら「死ぬ!

作り置きしていたごはんを家族が知らずにちょっと食べてしまったら「死ぬ!

返ってきたお釣りが数円足りなかったら「死ぬ!

…こんな感じでしょうか。

 

もし、世の中の人が、このくらいの失敗でも「その失敗に遭遇したらあなたは死にます」と言われたら、母と同じレベルでジュースをこぼす子どもに怒るだろうし、ごはんを知らずに食べた家族にも怒鳴り散らして、レジの店員を殴るかも知れません。

 

全部、取り返しのつくことだし、順を追ってきちんと口で説明したら解決します。

そんなことすらも、母にはわからなかったのか、できる余裕がなかったのか。

それくらい、どんなに小さなことでも母にとっては「死ぬ」ほどのことだと感じるので、失敗した張本人を気が済むまでなじらないと、正気を保てなかったのではないかな?と、思っています。

んなアホな。と思った方。それが正常だと思います(笑)

 

 

こういうことを考えてて、またあれも「死ぬ」くらいの勢いで怒られたなぁというエピソードをひとつ。

 

昔から時々、家族旅行には連れて行ってもらっていましたが、大体がよくある和室の宿でした。

まだ記憶も曖昧なくらいの時なのでかなり幼い時ですが

その時の旅館の冷蔵庫が、ビールやジュースを取り出すと、料金が加算される方式のもので

見慣れない旅館の部屋にテンションが上がった子どもは色々見て回りますね。

それで、私は何も思わず冷蔵庫のジュースの瓶を取り出してしまったのです。

もちろん、そんな方式の冷蔵庫が存在するなど、わかる年齢でもありません。

そして、割高な部屋のジュースなんか絶対に飲む気はないあの母のことですから「飲んでもないジュース代取られたら、死ぬ!」だったのでしょう。

 

その旅行の記憶は、部屋につくなり母にそのことでクソミソに怒られた場面と

チェックアウトの時に「あのぉ、ジュース、子どもが知らずに出してしまったんですけど…飲んでないので…よかったら確認してもらえたら~」とまた母の芝居がかったセリフに

確認もなく「あ、そーですか。じゃあつけないでおきますねぇ」とフロントの人が言って『よかった…』と思いながら、旅館を後にした場面、その2つだけです。

 

ちなみに、その時はもう母は上機嫌で(飲んでないジュース代も請求されなかったしね)「たり、あんなに怒らなくてよかったねぇ。ごめんね」とかのフォローなんかもあるはずもなく

(このフォローさえあれば、もう少しトラウマは軽減されてたかも)

 

私、あんなに怒られなきゃならんかったか?とモヤモヤしながらも今後、絶対に旅館の冷蔵庫は開けないと、幼心ながらに誓いました。

その後、何度か家族旅行で似たような旅館に行っても、冷蔵庫の扉に触れることさえ、怖かったなぁ(苦笑)

 

そういう『次からは気をつけなければ、お母さんに怒られる』ということが、もう既に4歳5歳くらいから自分の「気をつけることリスト」にどんどんどんどん載っていく訳で

 

すると、旅行もイベントも何でもかんでも『あれはアカン』『これに注意』ばかりで動くので「心から楽しむ」なんて、できる訳ないですよね。

 

学校の行事も、他のイベントも諸々、楽しいどころか疲れるだけだし 

そりゃいい歳になっても生きづらいわな(笑)

めっちゃ毒吐くわりに、めっちゃおめでたい母

仲睦まじいと思っていた両親は、ただ単に互いに甘やかし合って、本当の問題から目を逸らし依存し合っていただけだなぁとやっと気がついた訳ですが

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母の印象操作と言うか、洗脳と言うか

苦労しているお母さんが「善」、酒飲みのお父さんは「悪」みたいな感覚を母に植え付けられていた、その始まりだったんじゃないか?みたいなことを思い出しました。

 

私が小学校高学年くらいの頃かな。私の部屋で姉とダラダラしていたときに、母が部屋に入って来ました。

急に、暗い声で「ちょっと話したいことがある」と。

え?私らまた何かした?怒られる?と思ったら、母は「歳とった父さんで、ごめんな」と言い、頭を下げました。

その後母は、土下座までし出したんです。

その時、私と姉は確かベッドの上に座ってたけど、ただごとではないぞと慌てて下りて母のそばに行きました。

 

「これから、色々苦労かけると思う…!すまんな…!」と言いながら、母は泣き出して、私は『父さんが歳取ってることを何か思ったことなんかないって』(これは本心で、今でもそうです)

姉と一緒に『できることなら私らちゃんと協力するから!』『母さん、そんなこと気にしてたん?』と、声をかけました。

 

いつも偉そうな母のそんな姿にびっくりしたけど、その頃はまだ母のことは好きだったし、自分の家族がおかしいだなんて微塵も思ってない頃だったから

お母さんは大変なんだ!母を助けなければ!とその日からすごく思って行動するようになりました。

 

今思えばこれにまんまと引っかかったと言うか(笑)

 

 

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⇧に書いたみたいに、母は「ピュア」(笑)な人なので、嘘や演技で謝った訳ではないとは思う。

 

でもな~

ここからは全部結果論だし、それがわからないから「毒親」だった訳ですが

まず、娘に「ごめん」の前に、夫をしつけろよ&自分の本当に我慢しきれないことくらい、自分でどうにかしろよって話で。

 

 

「お父さんが周りの人より歳取ってる」なんて、他人も自分のことで精一杯、誰も何も言ってないし

何より娘が『気にしてない』と言っているのに(本当に姉も私も『歳とったお父さん嫌やな。若いお父さんがよかったな』なんて、思ったことない)

 

病的にコンプレックスに感じて、他人には「ナメんな!」とバリアを張って、毒をまき散らしていたのは母だけだし(実際『 " あそこの旦那年寄りやわ! " なんか他人は思ってる余裕ないし、思われたとこでどうなん?私らが良かったらそれで良くない?』と何度も言いましたが、母はまるでドラマの嫌がらせシーンみたいな「ジジィの旦那!」「年の差婚ざまぁwww」の貼り紙でもされたん?ぐらいに嫌がっていた)

 

自分で選んだくせに、政略結婚か何かでも、やらされたんか?ばりに、父の文句を言ってたのもまた母で

結局、自分が年の差婚をしたら、そこまで心がえぐられるほどのコンプレックスになることが予想できなさすぎたからこんな結果になった訳で。

 

 

晩年の父の生き方(酒に溺れる)は、教育しきれなかった母にも責任があるし

それが一度でも共に生きて行こうと思った相手に言う言葉か?みたいな暴言を吐いて、父を悪者にしようとしていたのも、母だけです。

自分の夫にすら「善悪」で、自分が上(善)に立たないと気が済まなかったのでしょうね。

 

幼い頃は母の意見に賛同してきたけど、大人になってからは父の文句を言う母にわざと『まぁ父さんも思うことあるんと違う(笑)』とか返したら「なんや。父さんの肩持つんか」「アンタは父さんの味方なんか」と予想通りの返しが来てたな~(笑)

 

肩持つとか、家族に対しても「敵・味方」て(笑)

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最終的に、父が亡くなることが解決法だったようで(まさにどちらかが「死ななきゃ終わらない」とこまで行ったw)まぁ、私から見て2人の間に「愛」なんて存在してるとは感じなかったから、当然の結末ですけど

 

ただ、母って勝手だなぁと思うのが自分はたいがい父を貶しておいて

「父さんだって、(母さんのこと)酒目当てやったんやろ(お互いさまw)」と姉が言うと(ちなみに姉は私より冷静な優等生タイプですが、時々『え?それ母さんに言うたん?』ばりのめっちゃ冷たいことをしれっと言う人間です。そこが好きだけどw)

 

「私は愛されてた!(酒を抜きにしても、必要とされてた!)」と主張していたらしいですよ(笑)

いや~ おめでたいな(笑)