もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母の意味不明な主張の謎がまたひとつ解けた

母はとにかく「蔑ろにされる」みたいなことを異様に嫌がっていて、その原因ではないか?と思うことは何度も書いてきましたが

tari97.hatenablog.com

 

昔から母は「あそこの職場はきついのが嫌やったのもあるけど、自分のデスクがないのも嫌で辞めた」みたいなこともよく言ってて

私がまだ働きもしてないうちからそんなことを言ってたので『そうか。デスクのない職場はしょうもないとこなのか』と、ずっと思っていました。

 

その後、携帯ショップでバイトを始めた時も母はしきりに「裏(バックヤード)はどんなん?自分のデスクはあるん?」と気にするので(で、多分『ない』って言ったらめんどくさいんだろーなーってのもわかってたので)

本当にあったら『あるで。こんな感じの』と細かく説明し、ない事務所に異動になっても『うん。あるある』と、答えておきました。

他にも「更衣室はあるんか」とか「制服はあるんか」とかも、しきりに聞かれました。

『ある』と言うと母はすごくご満悦で、それでさっき書いた「自分の為にデスクを用意してもくれない会社はアカン」の話をし始めるのでした。

 

けれど、当時から私はデスクについては『私は携帯の " 販売 " で採用されてるからな…お店によって広さの余裕のないとこもあるし、母って変なとこ気にするな』とは思っていました。

 

事務員で採用されたのに、パソコンもないとかならわかるけれど

それでもスペースや資金の問題でそうもいかない職場なんてごまんとあると思います。

人のパソコンを交代で使うとか

更衣室だって、空いてるスペースでちょっと着替えるなんてこともザラだし

入社時に制服が届いてなかったこともあるし

 

けれど、母はそういうのをとにかく「蔑ろにされた」みたいに思うのでしょう。

 

「デスクもないと!」「更衣室もないと!」「制服もちゃんと何着も準備してくれないと!」云々、あんなに必死に言ってた理由がやっとわかってきました。

 

「物や施設を充実させて、入社お待ちしております」感が、母にとって一番「蔑ろにされてない」を感じられるものだったのでしょうね。

 

悪いけど、本当に売り手市場の良い時代しか知らないんだなぁって思います。

そんなんいちいち気にしてたら、働けるとこなんかなくなってきます。

そんな人に就職のあれこれを決めさせてきた自分は、かなり先見の明がなかったですね。そこは猛省します。

 

 

今は、私は、こういう母の洗脳からやっと解放されて

自分のものさしで職場の良し悪しを判断できるようになりました。

副業の方は正直『ブラックちゃうんか?笑』って思うし、嫌がる人もいるような業種ですけど、私にはそこそこ合っています。

まぁ『金欠やからお金がたまるまでの場繋ぎ感』は否めませんが

少なくとも、自分専用のデスクもなけりゃ、更衣室なんて皆無だけれど

自分が蔑ろにされてるかされてないかなんて、一緒に働く人との関係性で一番わかります。

 

「物品や施設などをそれなりに揃えてくれさえしたら、蔑ろにされてない」と感じる母。

 

物質的な面では良くしてくれましたが、子どもの精神面をまるっきり無視して生きてきた母らしい主張だったなと思います。

母の言葉に隠された、本当の意味

「アンタが中心になって、一緒にうちの家を盛り立ててや」

実家に居た頃、母に常々言い聞かされてきた、大嫌いなセリフです。

 

母は、父の死後は私を次期の大黒柱にしようと「アンタがしっかりせぇ」とはっぱをかけて

父が健在のうちから、私の興味のないことも嫌いなことも無理矢理やらせてきました。

 

それと似ているのですが

今でも母はすぐに「お母さんと一緒に、悩んだり、考えたりしてほしい」とか言います。

年末に患った病についても、これからどう過ごして行くかなんて、最終的には本人次第なのにみんなを巻き込んで「一緒に戦ってほしい」みたいなニュアンスの発言をすぐするので、ほんとに反吐が出ます。

 

そりゃね、実家にいた頃はそれが当然でしたからね。

夫も娘も、母が黒だと言えば『白じゃないか?』と思っても、従ってきましたから。

でも、みんな心から母を慕ってやっていた訳ではなくて

夫は自由に酒を飲ませてほしいから

娘はただ怒られて面倒な思いをしたくないから

それだけだったから

けれど、母はそれを「家族の愛()」だと思っていたのだと思う。

 

だから、毎度毎度、家に火でもつけて一緒に死んでやろうか?くらい腹が立っていたような怒鳴り合いの喧嘩も

母には「家族ゆえ」「心と心でぶつかり合った」美談になっているのだと思います(ほんと、ふざけんなって話ですけど)

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先日みんなで車を見に行った時も『多分これが母の理想形だったんだろうな』と思いました。

義理の息子や、孫にも囲まれて、自分が発言したら、みんなが真剣に考え、返してくれる。

まぁ、昔はそうだったからね。さぞかし楽しかったことでしょう。

 

けれど、娘たちはもう母の機嫌を取らないと、育ててもらえなかった幼い頃の娘ではないので

今はみんなが「義務感」「嫌々」やっているのを、さすがの母も気がついていると思います。

 

なぜわかるかと言うと、母は昔、ずーっと家族に対して横柄な態度で過ごして来たので「気の遣い方がわからないのだろう」という話は前にもしましたが

tari97.hatenablog.com

要所要所で『今、母なりに気を遣ったんだろうな』というポイントがわかるんです。

でもそれが何かズレてるというか

『いや、そこ別にどうでもいいで』みたいなとこで、急に自重し出すのです。

『気を遣うって、そういうことじゃないんだけどね』って心の中でつっこんでます。

 

確かに、さすがにここまで娘に寄り付かれなくなったり、冷たくあしらわれるようになってやっと自分の態度のまずさに気は付いたのだろうけど

今さら感がすごいし

もう別に一緒に住むこともないから、今さら変わろうが今までのままだろうが興味もないけど

急にしおらしくなられるのも、どうしても『はぁ?』みたいな気分になりますよね(笑)

 

家族との共存のためだけに生きてきた母が、一番共存するためのスキルがなかったんだろうなぁと最近すごく感じます。

 

「盛り立ててや」なんてすごく前向きな表現に聞こえるけど、その言葉の真意は「お母さんの言うことを聞いて、思い通りに動けよ」なだけでしたね。

しかも「アンタが中心になって、一緒に」だって、自分の好きなこと・楽できることの座は譲らず、嫌なとこだけ娘に押し付ける気だったのもわかってますよ(笑)

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家族に偉そうに接してきた人の末路

この間、母と会ってきた。

少し前にも会ったけれど、その時は少し顔を出した程度で

今回は結構長い時間会って(もちろん、2人では避けているので姉・姉の旦那さん・途中から姪も加わり)

 

とにかく、会う度に母のことが嫌いになります。

嫌いになると言うか…『何なの?』って気分になる。腹が立つというか…本当に残念な気分になる。

 

母は、趣味もなく、1人で暮らして話し相手もいないので、正直頭の回転が相当遅くなっていると思います。このままじゃ、認知症とかも十分あり得るのではないか?というくらい、とにかく話を処理できていない。

 

今の母の姿、

自分の生きる道を「家族」にのみ頼りすぎたけど、頼みの綱のその家族からも嫌われた、その結果がこれです という、いい例かと。

 

で、なぜ、今回集まったかというと

今母が所有している車が2台あるのだけど、大きすぎてそんなに使わないので下取りに出して1台いざという時、私でも運転できそうなやつを買おうか?という話になっていて

もう、時間もそうないので車種も決め打ちで、営業も姉が知っている方にお願いして行ったのだけど

 

同じ車種の中でも少しずつタイプ(グレード)が違いますよね。

とにかくそのグレードの違いが全く理解できないようで(どこがそんなに難しいの?って感じなのですが)

『こんな簡単なこと、何回言わせるの?』って何度も言いかけました。正直、物覚えの悪さにドン引きしました。

 

一般的には、ここで『お母さんも年取ったなぁ』『しゃーないなぁ』と、感慨にふけるのかも?慈悲深くなるのかも?知れないけれど

「わからない」と言う母に、どうしても『はぁ?』って思ってしまうのです。

 

今まで

「わからない」と言う私に、どれだけ偉そうに言ってきた?

娘が興味のないことを、無理矢理やらせて同じ目線でやらなかったら、どれだけ偉そうに言ってきた?

 

子どもが同じことを言ったとき、あなたはどうやって返してきた?

何が「わからない」「頭に入らない」だよ!?ふざけるなと思ってしまう。

 

年寄りだから許されると思ってるのかな?

だとしたら、もっとふざけるなと思う。

幼い私に向かって、どれだけわからせようと、偉そうに言ってきた?

 

そういう気持ちがぐるぐる。

帰るとどっと疲れて、当分会いたくなくなります。

 

 

年末に体調を崩し、10キロほども痩せた母。

その姿を見ても、何も思いません。

それどころか、結構手のかかる治療までやって生き長らえようとする母に、まだ生きるつもりか?と思ってしまう。

かわいそうなんて1ミリたりとも思えないです。

娘はそう思っています。

 

これが、家族に偉そうに接してきた人の末路じゃないかな。

(また話題のドラマに、かけてみました)

 

母の日に、こんな記事

皮肉ですね(笑)

その「我慢」は、本当に必要なのか

今まで職を転々としてきましたが、その度に母には「我慢が足りない」とか「どこに行っても同じだ(さほど大差ない)から、続けろ」など、転職を踏みとどまるようなことを言われてきました。

 

結局、転職の道を選んだ者の意見としては、どこに行っても同じでは全然なかったし、我慢は確かに付き物だけど種類や割合が全然違うので、それを一括りにするのもいかがなものかと思います。

すごく屁理屈に聞こえるかも知れないし、転々としている自分を擁護しているようにも取られるかも知れないけれど

一般的に「我慢」とされることでも自分には全く平気な場合も、またその逆もあると思うのです。

 

母の世代のひとたちは、生き方の「正解」というか「お手本」みたいなことがわかりやすく決まっていて「結婚して、子どももできて、家建てたら一人前!!」みたいなことを未だに言ってる人がいますが

それだけ昔は目に見える「成功のかたち」の選択肢が少なかっただけなのでは?と思います。

だから、できる「我慢」もみんな同じという考えで、母もそれを押し付けて私をこき下ろしていたのだと思います。

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もちろん昔ながらの考えを否定する訳ではないし、そうしたい人はそうすればいいし

私には合わないだけの話で、合わない人もたくさんいると思います。

 

母のような世間知らずな人の「とりあえず我慢することが美徳」みたいな考えは全然建設的には思えないし、経験もないのに「どこも同じだから」と決めつけるのも、今思えば参考にすべき意見ではありませんでした。

 

特に母においては

色んな経験をして、世の中の酸いも甘いも知り尽くしているみたいな人だったならば、参考にしたくもなるけど(あれだけ偉そうな態度でも)

料理と金のこと以外、ほとんど何も考えずに「我慢!我慢!!」だけで

うまい息抜きの方法もわからず、結果家族に当たり散らしていたとしたら「料理」や「金」が家族の為であったとしても本末転倒だと思うし、ともに生きる人にも大変迷惑です(実際迷惑でした)

 

あの一戸建てに住むのは、うちの財力では無理があったのでは?

車を何台も所有する必要性は本当にあったのだろうか?

母の「我慢」は、本当にしなくてはいけない「我慢」だったのだろうか?

そこのところが、気になって仕方ありません。

 

その日暮らしで、ちゃらんぽらんに生きようということではなくて

今している我慢が「必要な我慢」なのか「しなくても良い我慢」なのか

その我慢のせいで、ギスギスしてどうしようもない気持ちがあるなら、一刻も早くやめる方向へ考えた方が身のためではないか?と、思う訳です。

 

そう簡単にやめられない事情があるのもわかるけれど、人に対する態度の「ありえないレベル」をとうに超えていた母を思うと、その「我慢」さえも無意味だったとすら思ってしまうからです。

その「我慢」のはけ口となっていたのではないか?と感じている私が、今切実に思うことです。

ACの特徴?テスティングなのか??

幼い頃、時々『何であんなことしたんだろう?』というような、悪いことを平気でやっていました。

警察のお世話になるようなことでも、人を傷つけるようなことでもなく、本当に「子どものちょっとしたいたずら」なんですけど

(それでも、何回かは学校の先生には怒られた)

 

1人でやることもあったし、一緒に友達もいる時もあって、そういうときはこの子が先生なり自分の親なりに言いつけるだろうなとも思ったけど、時々湧き上がるそういう『悪いことをやっちゃえ!』みたいな感情に、勝てませんでした。

 

『悪いことをしている』という自覚もあるし、わりと冷静に『先生や母に怒られるかも』という恐怖もあったのだけれど

「どうしてあんなことしたの?」と後で聞かれても、何でやったか本当にわからなかったし『そこまで悪いことでもないやろ。別にいいやん』みたいな気もありました。

  

よく思い出すと全体的に「怒られるとしたら、家族以外の他者」であるものをターゲットにしていました。

あとは、誰も見てなければ特定とかされないやろ。みたいな気もあったし。

 

前にも書いたように、実際母って学校が嫌いだったし、先生のことも敵視していて

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母は、自分に被害が及ばないことには本当に興味のない人間なので

たまに外で悪いことをしてバレたとしても、そこまで怒られず「けったいな(変な)ことする子やなぁ」って感じで終わったし

父が適当に「たいしたことないわ」みたいに言うと、母は父を崇拝しているので「ほんまやな(笑)」で終わっていました(うちの親、やっぱりちょっとおかしい気が)

 

先生には結構怒られたけど、家ではこんな感じであっけなく終わったということが多々あって

ある時から、内心『お母さんが怒ってなかったんやから、たいしたことない』みたいに思うようになって

「先生」というものに相当ナメた態度を取っていました。

 

この感情の移り変わりって、一体何だったのかな?と最近考えていて

 

こういうことがある度に『やっぱり、お母さんはそこまで学校のことでは怒らなかったな』というのを、どうも「試す」みたいな感覚があったなと。

 

で、これを最近検索してみて

ACの特徴で「テスティング」というものがあることを知りました。

 

相手を困らせる言動をわざとして、自分に対しての愛情を測る行動。

 

それかどうかははっきりとはわからないけど、そうかも知れない?

 

もちろん、家では必要以上にビクビクして生きているから、悪いことをわざとしたりはしないけれど、自分の中で『これは、大したことにならないな』『きっと、お母さんはこんなことでは怒らないはず』と見極めて、そのギリギリのラインの「悪いこと」を外で探しては実行していたような気がします。

 

実際、母に怒られなかった時の心情は『よかった』という感じよりかは

『ほらね、お母さんはこんなことでは怒らなかった』という『安心感』というか

そんな感じを抱いていました。

 

私はずっと母には無償の愛で愛されていると思っていたけれど

無意識レベルでは『愛されている』みたいな実感を求めていたのかもしれません。

旅行で『嫌だったこと』の上位に入る話

家族旅行で、どこに行ったとか何を食べたとか、そういう記憶はわりとあったので、昔は良い家族だったなぁと思っていたのですが

自分の親が毒親であることに気付いてしまってからは、旅行の時の母のおかしな行動ばかりが次々と思い出されます。

 

前にも書きましたが

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これはほんの一部で、母が不機嫌にならなかったり、怒らなかった旅行なんて多分ほぼないと思います。

その中でも、最近鮮明に思い出して『おかしいだろ』と感じた、家族旅行でのエピソードがあります。

 

ある日、旅館についてくつろいでいると母が何やら騒いでいます。

どうやら、生理がきたらしく、下着が汚れたらしい。

食事まで時間はあるし、先にお風呂に入って下着も替えれば?と言うと何と母は「替えのパンツがない!」と騒ぐのです。

何故いい大人が、生理が来そうな時に1泊するのに替えの下着を持って来ないのか…

(と言うか、そもそも泊まるのに同じパンツで過ごす気だったのか?)

 

いい大人が準備をきちんとしていないことにもドン引きなのですが

さらにその後、母は何て言ったと思いますか?

当たり前みたいな顔で「姉ちゃんか、たり、替えのパンツ貸して」

娘2人に、アンタたちどっちでもいいから替えを私に貸して、今はいてるやつをもう一度はけと。

発言にももちろんびっくりなんですけど、その時の態度がね。

いつものごとく

「悪いんだけど、貸してくれない?」じゃなくて「親やねんから、貸して当たり前やろが!」なんですよね(自分のミスなのに、ブチ切れている。意味わからん)

 

で、ここからなんですけど

結局どうなったんだったっけな?と、最近姉に聞いたんです。

姉は中学生くらいの時なので、覚えてるかな?と思ったのですが、嫌なことすぎて記憶から消したのか?

「そんなことあったっけな?」との回答でした(笑)

 

確か、私はパンツを貸すのを断固拒否したんですね。

多分「じゃあ今日はいてきたのを脱いで貸そうか?」という提案も姉と一緒にしたかしなかったか…

けど、母的には「きれいなやつをはきたい」なのでね、もう超不機嫌でした。

どっちが子どもだよ(笑)

 

何で自分の不注意やのにこっちがキレられないとあかんねん。

何で「そろそろかな」ってわかるのに、準備して来てないねん。

 

今だったら、そうやって反論もできるのにね…

幼い頃は、母が絶対!だったから

言われっぱなしだわ、何なら『貸してあげない私って冷たいのだろうか』と、数日悩んだ純粋な自分がとにかくかわいそうで仕方ない。

 

結局、その後母がどのパンツをはいてしのいだかは忘れましたが

とりあえず汚れた下着は部屋で早いうちに洗おうってなったんですね。

そこでもまた信じられないんですが

母は汚れた下着を自分で洗わず、父に洗わせていました…。

申し訳なさそうにするでもなく、当たり前みたいな顔をして…

 

本当に、自分の記憶が間違えてると思いたい程の暴挙です。

私はわりとこういった細かいことをしっかり覚えているのですが、姉はあまり覚えていないタイプなので、曖昧な記事で申し訳ないんですが、、夢でないことは確かです。

 

夢ならどんなによかったか…。

「今」「自分」を生きる

よく、毒親関係の書籍やブログでも「今を生きる」とか「自分の人生を生きる」とか見たり聞いたりします。

私も、自分の人生を母に半分乗っ取られて生きてきたようなものだったので、ずっとそれをテーマにここ数年生きてきて、最近やっとその手ごたえを感じている…そんな気がしています。

 

「今」を生きる

過干渉親は、先々のことが心配で不安でたまらなく、それを人にも共感してもらえないと生きられない人間なのだと思っています。

思えば母は全く「今」を生きていなくて、何年も先の見えない未来を「予想していた」のではなく「決めつけていた」だけで

けれど「今」は、いまここにしかないので

焦る気持ちと「今」との共存がうまくできなかったのかなと思っています。

「今」を生きようとしている私に、遥か先の未来の話をわからせようとして、わからなければ怒ったり

教えるべきことはすっ飛ばして走り抜けて、後で「そんなこともわからないのか」と罵ったり

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ずっと「わからない自分」が悪いのだと思っていたけれど、わからなくて当然だし

「時間軸をあっちこっち行き来してはパニックになる」母の世界観の方がとんでもなく異常で、それに拒否反応を示した私は十分正常だったのだと思います。

単純に「今」の時間軸を主に生きている今、やっと「今を生きる」ことの意味がわかってきたように思います。

 

「自分」を生きる

田房さんの本にもありましたが、母は娘が「考えるべきこと」までを勝手に決めて、それについての答えややり方も勝手に決めるので、母自身、私の人生を乗っ取って生きていたようなものです。

母は自分の足で、自分の人生をしっかりと歩む勇気のない、ただの小心者なだけだったのだと思います。

その小心者の部分を隠そうと、「娘のため」というパワーワード()で、あたかも自分だけが身を粉にしているかのように印象操作し

けれど中身は幼稚な子どものままなので、思い通りにならないと感情のままに怒鳴って噛み付いて

そんな母の言うことを純粋に信じてきた半生が本当に、本当にあほらしいですけど。

 

実家にいた頃も、家を出てすぐの頃も『私は私の為に生きる!』と決意して暮らしてきましたが、あくまでもそれは『何をしたいか』という物理的な面を満たしていただけで(自分がしたい!と思うことを「遂行すること」に躍起になっていただけ)

本当に「自分を生きること」は、そう生きている(自分自身の選択を)「認めてあげる」ということなんだと思います。

これもまた、一時は「認めてあげること」に躍起になっていましたが

異常なくらいに自分をダメ出ししたり、こき下ろしたり、卑下したりせず、卑屈にもならず(全くないわけじゃないけれど)暮らせている今が、「自分を生きる」ことなのでは?と感じています。

 

 

多分これは大多数の人にとっては、気張らずともできる「当たり前」のことなのでしょうけど…