もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

新しい職場で感じたこと

20年以上前の曲で「誰より好きなのに」という曲があります。

アーティスト名は古内東子さん。

私が中学生の頃、よくラジオ等でも耳にしていました。

以下、この曲のサビの歌詞です。

 

 " やさしくされると切なくなる

 冷たくされると泣きたくなる

 

 追いかけられると逃げたくなる

 背を向けられると不安になる "

  

この曲は好きな人が好きで仕方ない、でも素直になれないという気持ちを歌っているのだと解釈しています。

私は中学生の頃聴いていたので、当時の私にはこの歌詞の意味もよくわからず『どっちやねん!』『好きなら好きで、ええやん!』としか思わなかったけど

 

最近ふと、この歌詞を思い出して今の私の心情に似ているなぁと思いました。

と言っても、この曲のような恋愛感情ではないのですが。

 

最近、また新しい事務の仕事を始めて、9月頭から働いています。

 
作業としては「誰がやっても出来栄えは同じような単調な作業」ばかりですが、その方が気負いせず取り組めるのですごく助かっています。

仕事内容が自分に合っているのはもちろん、かなり忙しい会社なのに誰一人暴言を吐いたり、イライラしている人がいない、また私にも優しい言葉をかけてくれるのが大きな心の支えになっています。

久しぶりに『良い会社見つけた』『当たり!』といった感じ。

(これはけしてふざけているのではなく、母から植え付けられた「ちゃんと働いてないと人間としてだめ」みたいな極端な考え方を払拭すべく、意識的にそれくらいの気持ちで取り組むようにしているという意味です)

 

もしかすると、また、状況は変わるかも知れないし

繁忙期が過ぎ今の激務が終わると、契約を切られる可能性もあるけど

私はもう、自分の性格的にもスキル的にも、同じところで長く働くということは諦めているので「働いている期間、そこそこ心地よく勤務できるか」に重きを置き

とりあえずは先のことは考えず、今できることを精一杯しようという気持ちで過ごしています。

なので、体力的には結構ハードですが、精神的にはわりと楽に働けています。

 

しかし、ここで一筋縄では行かないのが、毒親育ちだからなのか…

だんだん、何か『そんなに優しくされてもつらい』みたいな気分になるんですよね。

言葉にするの、難しいんですが。

 

おかしいですよね、酷い扱いを受けると潰れるから(実際、何度も職場で心が折れて潰れてきた)穏やかな気持ちで働けそうな職場を探していたのに

いざ温かく迎えてもらえると『ぬるいんじゃないか』『甘えてるんじゃないのか』『本当にこんなんでいいのか』みたいな感情が現れるんです。

 

私は何年も母の考え方を基準に、辛いことも『辛い』と言わず、思わないようにして

" なにくそ精神 " でやってきて、それを " 強さ " " 独立 " " 一人前 " とかと、混同していた部分があり、それを見抜けなかったがためにある日プツンと糸が切れてしまって、仕事も何もできなくなった過去があります。

tari97.hatenablog.com

そこから、まずは自分が嫌か嫌でないか、やりたいかやりたくないか、好きか嫌いか

そういう当たり前の選択をしていく練習をして

自分の気持ちに嘘をつかないことの大切さを何年もかけて考えてきました。

tari97.hatenablog.com

けれどおそらく、主語が「母」の、自分の感情を押し殺して過ごす時間があまりにも長すぎたのか

家を出てたった数年で『変われた!』と思うほど、簡単な話でもありませんでした。

 

DV被害者が、別の人の元に行ってもまた同じような人を選んでしまう、それは攻撃的な人といる方が安心してしまうからみたいなことを聞いたことがありますが

私の母及びそれに似たモラハラ人間に対する気持ちも、似た感覚があるのかも知れません。

もちろん、今はもうすっかり偉そうな態度やきつい口調の人には免疫がなくなってしまったし、またああいう人と居たいなんて絶対に思わないのですが

一番長く一緒に過ごす家族(母)に、偉そうな口調で厳しいことを言われるのが私の人生ではデフォルトだったし、優しくされ慣れていないから

優しい言葉をかけてもらっても「どうすればいいかわからない」状態になってしまうのです。

毎日、母に「たり」と呼ばれるだけで『何!?また何か怒られる!?』と、防衛反応が出てしまうような家で暮らしてきたから、仕方ないと言えば仕方ないのかも知れませんが…

 

毎日、職場では温かい言葉をかけてもらって『ありがたいなぁ』と、心から思うのですが

その一方で『何か裏があるんじゃないか・本当はそんなこと思ってないんじゃないのか』とか思うことも多々あり

おそらくこれは自己肯定感が異様に低いせいで『こんな自分が本当に必要とされる訳ない』みたいな気持ちが根底にあるからだと思います。

ならいっそのこと、もっとクールに接してくれよと思ってみたり

けれど実際の周りの優しい言葉や態度を噛み締めながら帰ったり

自分でも感情の日陰と日なたを行ったり来たり

何で素直に『私は必要とされている!』と胸を張って思えないのだろう…ずっと日なたに居たっていいのに。と悲しくなります。

好き好んで日陰に行っている訳ではないのですが、日陰に居た時間が長すぎて、他の人なら何とも思わない日なたの光すら、私にはきっと眩しすぎるのでしょう。

 

そんな時に、さっきの曲を思い出したのでした。

自分でも本当、めんどくさい。

まさに『どっちやねん!』状態。

 

最近はこういう、対人関係で味わう、自分が招いているめんどくささも「心のリハビリ期間」と前向きに捉えるようにはしていますが、やはり疲れます…。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

コメント・スターありがとうございます。

読者になって頂いた方も、ありがとうございます!

母に使った時間と気持ち、返してほしい

母は何か買ってきてとか、どこかに連れて行ってとか

とにかくすぐ「娘に頼もう」「娘にやらせよう」という姿勢のくせに

あげた物を大切にしなかったり、私のあげたプレゼントに対して「こんなもんいらん」と言ったり(喧嘩の拍子と言えどそれが娘に言う言葉か…)

tari97.hatenablog.com

出掛けても、自分の思ってたのと違うと文句だけは言うので

tari97.hatenablog.com

昔は私も色々と母に尽くしていましたが(機嫌を損ねられると嫌なので)だんだん馬鹿らしくなって

何かを頼まれてもやりたくないことは極力断り、お土産やプレゼント等も一切渡さないことにしています。

tari97.hatenablog.com

 

自分から頼んでおいて、気に入らないと文句ばかり言う事もなのですが

もう1つ母の嫌いなところは、せっかくそうやって何かをあげたり、やってあげても、全然覚えてないのです。

教えたこととかも何も吸収していなくて、私たちの隣で、一体何を考えていたのかと情けなくなります。

 

最近母は、年を取ったことと、体の調子がよくないことを言い訳に、1人で何もできないことを自分で擁護しています。

 

多少の衰えや不調があったにせよ、もう少し、自分でやってみようとする努力とか、娘に気をつかうことを早い段階から気付いてやっていれば、娘からここまで拒絶されない未来も待っていたと思うし

私自身も母を本当に嫌いになるのが嫌で、家を出る前にも何度も忠告しました(結局、私の話には耳を傾けなかったので、母にはそこで見切りをつけました)

それを母も薄々気が付いてるのかも知れません。

だから見苦しい言い訳をするのかな、とも。

 

母が友人もいないし、作る気もなさそうだったので『このままではやばいな』と思い(今後もずっと母のご機嫌取りに付き合わされるのはごめんだと本気で思った)

実家に居た頃、だいぶ色々と「1人遊び」の方法も、教えたつもりでした。

母自身も「色々教えて」と言っていたので。

 

最初から1人でできないのは仕方ないから、電車に乗ったり、飲食店に行ったり、色んなお店に立ち寄ったりを一緒にやることで

老後友人が居なくとも、また娘に付き添ってもらわなくても「こういうふうにやればいいんだ」というお手本になると思っていました。

 

しかし母は何も吸収していなかったのです。

と言うか、覚える気なんて始めからなかったのだと思います。

 

あれだけ横柄な態度を取っておいて、結局このザマ(1人では人並程度のこともできない)か、情けな…というのが私の今の本音です。

文句だけはいっぱしに言っておいて…

 

こんな感じで、こちらが思うほど母は気持ちが入ってなかったことがわかったのが、最近やっとというのも腹が立つのですが

こういうことを考えていて、またひとつ気がついたことがあります。

 

例えば旅行等の思い出話になっても、母って「あれがおいしかったね」とか「景色がきれいだったね」とかではなく

「あの時母さん、足くじいてなぁ!」だとか「藤の花の花粉で鼻炎になって!」だとか自分が大変な目に遭ったことばかり、昨日のことのように語ります。

 

前にも書いたけど引き出しが人よりだいぶ少ない上に、異常なネガティブ思考だから

「しんどかった」「お金もったいなかった」「おいしくなかった」みたいな思い出しか出てこないのかな?と思います。

 

前にも書いた、私が外食しても「外食=高い・もったいない」というのが先にくるから

『〇〇を食べてきた』と言っても「何ていうお店?」「どこにあるの?」とかよりもまず、開口一番「いくらかかったん?」に、似ているかな。

tari97.hatenablog.com

 

こんな調子なので、私と昔ランチや買い物に行ったことも、あの店何ていう名前だったかな?とか、あの時食べたあれおいしかったねとか言っても「わからん」「知らん」

挙句の果てに「そんなん行ったか?」

私が母が機嫌を悪くしないよう、細心の注意を払い付き合ってきたあの時間、大体こんな感じ。

殴ったろかと思うときあります、正直。

 

そのくせ「あの〇〇で買ってあげた服どこやったん?高かったやつ!」とか、そんなことだけは覚えてるんですよね。

 

映画も、最近は1年も経たずに地上波で放送しますが『これ面白かったよね』『見に行ったよね』と話しても「行ったっけな?」「母さんも居た?」

この調子なので、約2時間口をきかなくて済む映画ですら、母とは行きたくなくなりました。

 

私はどこかに行って、食事がおいしかったとか、景色がきれいだったとか、写真や言葉で表現できることももちろんですが

その時の楽しい雰囲気とか、自然の空気のにおいみたいな、そういう言葉では言い表せないこともたくさん覚えています。

(もちろん、1回の旅行でたいてい1回は母の機嫌が悪くなるときもあったから、それも忘れてはいません)

 

味にうるさい母なので、比較的「おいしかった」ことはまだギリギリ話が通じますが

どこで、誰と、どんな雰囲気で…とかいうのは全く覚えていないのだと思います。

そういうのを、思いを馳せてなつかしむ…みたいなのも、そう言えば母はないです。

確実に母も居たのに「ふーん」と、まるで他人の話を聞いているかのような返し。

私が幼い頃の家族旅行の話をしても母は「よ~覚えとんなぁ」と、まるで他人ごとのように言います。

これは思い出してみると、昔からです。

一体、何を考えて母は生きていたのだろう。

 

例のごとく食事の献立のことと、金の計算しかしていなかったのでしょうかね。

tari97.hatenablog.com

あとは、おそらく「自分を今、とりあえず楽しませろ」「自分の機嫌を損ねない、最高のおもてなしをしろ」って感じだったのかな。

 

こんな母を持ったこと、心の底から情けなく感じます。

あの時に割いた、私の時間と気持ち、返してくれ…って、毒親育ちの切なる願いではありませんか?

 

***************************

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

読者数が21人!に増えていて、とっても嬉しいです。

コメント等については下記にまとめていますので、よろしくお願いいたします。

tari97.hatenablog.com

偉そうなだけで、核心を突けていない

前の記事

tari97.hatenablog.com

からの続きです。

 

母からの理不尽な叱責を受け、厳しく育てられた私は、自分は世間的には「ちゃんとしている」人間なのだと、ずっと思いたかったので(思わないと、自分の我慢が報われない気がした)

tari97.hatenablog.com

自分の基準の「ちゃんとした」に勝手に囚われ、それにあてはまらない人を正そうとする傾向も昔はありました。

tari97.hatenablog.com

のちに私自身、毒親問題を昇華する中で、だんだん「別にちゃんとしてなくても、いいんじゃないか」ということに色々と気が付き始めたのですが

同じように「ちゃんとしている」に私より強く囚われた友人に今度は「ちゃんとしていない」と、貶される対象にされ、モラハラのはけ口にされているように感じたため縁を切りましたが

自分もかつて、そういう考えの持ち主だったので、そういう気持ちもよくわかります。

tari97.hatenablog.com

 

まぁ確かに、私はおおむね「ちゃんとした」人間ではあるのだろうけど、あれだけ厳しく育てられた私にも「ちゃんとできていない」ことがあるなと気が付いたのもまた、母と離れて暮らすようになってからでした。

 

それは、前にも少し書いたお金の価値観がよくわからない・金銭感覚が身についていないというところでした。


守銭奴の母からは「お金は大事」という言葉だけを聞かされ、いつも母が先回りをしてしまうので、私は「お金の運用方法」を教わる機会がありませんでした。

それが、1人で暮らすにあたりお金に苦しむ原因となって、借金こそしませんでしたが「あればあるだけ使ってしまっていたのだな」と30も過ぎて初めて気が付きました。

 

「お金って、使うと本当になくなるのだ」というのを身をもって感じた事が、これまでイマイチなかったのが原因だと思っていて

今思えば『あれは我慢できてたよなぁ』とか『もう少しやり方があったよなぁ』と、お金が無くなって初めて気が付くことも多々ありました。

 

唯一、母が守銭奴なため、節約の方法はわかっていたのと

母はお金に関しては関西弁で言う「ええかっこしい」で、旅行やイベントでケチるのは良くない・出すときは出す!ということも聞いていたので

普段は私は良く言えば倹約家、悪く言えばケチですが

友人との食事で割り勘を渋るとか、みんなから徴収されるものをバックレるとか、そういうみっともないことを外ではしなかった(と、思う)のが救いかな、と思っています。

 

私はまず食費から削って行くタイプなので、一時期は質素なものしか食べてなくて「今日は、おごるよ」と言われてガ〇トのチキンステーキを頼んで食べた時に涙が出るほどおいしかったみたいな経験をつい数年前に、したこともあります(笑)(30代にもなって、笑えないですね)

いい歳になって、こういう経験をして初めて前回の「厳しく(理不尽に怒られて)言われたからって、できるようになる訳じゃない」の意味がわかった気がしたのでした。

 

確かに母はお金にシビアで、私が気に入って買った物にもいちいちイチャモンをつけては(多分本人にはその気はないだろうけど、私にはそう聞こえる)

何でも「もったいない!」「無駄!」など偉そうに言っていましたが

「どういう理由でもったいないのか」「何がどういう事なら無駄になるのか」「では、どうすればいいのか」は、ほとんど言われたことがないです。

毒親の、言い方だけが偉そうで、核心を突いた大事なことが言えていない典型でなはいでしょうか。

 

その時の機嫌や主観だけで「良い・悪い」と言われるので

表面的に「お金は大事!」だけ言われても、じゃあ、何をどうすれば?私のよくないところはどこなのか?状態だった訳です。

 

そして、やはり一番大きかったのは、高校生の頃頑張ってバイトをしていましたが

自分の働いたバイト代が、9割徴収され、積み立てられていたので

給与明細の額面で見るのみでは『あれくらい働けば、これが買えるほどの金額になるのだな』というお金の価値観を、身に付けようにも、付けることができなかったことだと思います。

tari97.hatenablog.com

当時、雑誌でブランド物のアクセサリーやカバン等も見ても、自分がどれくらい働かないとこういうものが買えないのか、体感としてわからないから、目標を定めることもできないし

そこまで高価なものでなく、プチ贅沢であっても

これだけ頑張れば、これだけのことができるのだ!という実体験もなかったので

社会人になってからも、働く意味も特に見出せずにいました。

しかし「使う楽しさ」を一度覚えてしまうと、あっという間にそのバランスが崩れて

割と後先考えないで、使ってしまう傾向があることにもいい歳になってから気が付きました。

 

確かに、9割徴収されたバイト代は、短大の奨学金返済にあてるため貯蓄されていたので、返済に困ることはなく、結果オーライだったのでしょうが

一方的に「バイト代9割は、口座に入れて、奨学金の返済に充てるから」と決定=あんたは何も知らなくていいというやり方は、私にとって最善であったか?は、疑問が残ります。

 

やり方には、向き不向きがあると思いますけど、ああいう一方的なやり方は私には合っていなかったと思います(性格的に「とりあえず」とか「何となく」ではなく、納得してからじゃないとやる気にならないからです)

 

確かに、厳しく言うことも大切ですが、母はただ力ずくで「そう思わせていた」「従わせていた」だけだったので

私の場合、お金の価値観が身に付かなかった件に関してはむやみに厳しくしたからと言って、スキルが身に付く訳ではないことの、最たる証明かと思います。

 

自分である程度やってみて、失敗や試行錯誤をしてから「なぜ」「どうすれば」をアドバイスしないと

いくら厳しく怒鳴ったり、怒ったりしたって、わからないこともあります。

私は母のこういう「一歩通行」のやり方が、大嫌いです。

tari97.hatenablog.com

 

↓の記事で書いた、寝坊についても同じです。

tari97.hatenablog.com

そして、具体的に教わっていないからできないのに、できない私をバカにして、貶すところも大嫌いです。 

tari97.hatenablog.com

 

私は、母と暮らすことで、本来若い頃に学習すべきであった、これくらい働いたら、これくらいのことができる、だから節約する・頑張って働く…するとまた、これだけのものが買える!こういう生活ができる!という「お金の運用の基本」を実感しながら「納得をする」ことで、その頃の「生き直し」を、やっと今、やっているところです。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

厳しくされたら立派に育つのか?

前の記事で書いた、職場で理不尽な扱いを受けた友人の話で

tari97.hatenablog.com

友人が毒親とは無関係な育ちなのだろうな…と思ったのは私の主観ではありますが

少々甘やかされて育ったのは、本人も自覚があるようでした。

 

驚いたのは『ああいう学校行事すごく嫌だった!(登山とかマラソン大会とかしんどい系)』という話をした時に「そういうの、嫌って言ったら親はわりと休ませてくれた」と、友人が言っていたことです。

「嫌」の一言で、ずる休みがまかり通る家…なんて甘いの…というのと

『だから(我慢が足りないから)職場の理不尽な対応にも、負けてしまうのでは…』と、正直思いました。

 

その後に友人が「大体、厳しく(理不尽に怒られて)言われたからって、できるようになる訳じゃないもん…」と言うのを聞き

口では『そうやんな~』とは言ったものの『でも、私は厳しくされたからこそ、色々と気がつくし、嫌なことも我慢できる人間になったよ…あなたと違って←強調』と、心の中で思わずには居られませんでした。

 

 

母と暮らしている頃、とにかく母には厳しく色々言われましたが、私はそれを「しつけ」と信じて疑いませんでした。

tari97.hatenablog.com

しかし結局、母が私に言った数々の言葉は「自分の思い通りにしたい」「自分の方が偉い(上だ)と思っている」「面倒なことを処理する自信がないので、巻き込まれたくない」「人からの評価が気になる」

しかもそれが機嫌によってコロコロ言うことが変わるし、ほとんどがただの

母の欲を満たすためだけの自分勝手な言動でしかありませんでした。

 

理不尽な母の言動も、私の為を思って言ってくれている…これはれっきとした「しつけ」なのだ…そう思う中

『それは違う!!』と気付いている自分も居ましたが

母を変えることはできない、母に従うしかこの家で生きる術はないのなら「しつけ」だと思うしかなかったのです。

 

少々甘やかされながらも、おそらくその他の「しつけ」は、正常なものしか受けて来ていないであろう友人の「厳しく(理不尽に怒られて)言われたからって、できるようになる訳じゃない」というセリフ。

それを認めてしまうと『じゃあ、厳しい母のしつけを、忠実に守って生きてきた私の30数年は一体何だったの…?』という気持ちがわき上がり、腹が立つので

その言葉を、どうしても受け入れたくありませんでした。

(口では適当に合わせたけど、その日は帰りの電車でめちゃくちゃ腹が立って悲しかった)

 

けれど、何年もその友人と付き合ってみて、結局わかったことは

 

適度に甘やかされて育った(数回、嫌な学校行事をずる休みした)ところで

大人になって致命的な欠陥には至っていないし(確実に色んなことにルーズではあるが、それで取り返しのつかない事にはなっていない)

仕事についても、友人は長らく派遣でラクなところで働いていたけど(自分でもラクだから辞められないと言っていた)何かしらの自分のタイミングでこのままではいけないなぁと思い、一念発起、看護師の勉強をして、資格を取り

一度は嫌な職場を経験したものの、今は資格をいかし、自分に合った働き方のできる職場を見つけ無理なく、働けているようです。

もう40歳手前で未婚ですが、家を出たいとかも全く聞かないし、親との関係も良好

趣味にも適度にお金を使っているようですが、経済的にも苦しそうではありません。

 

かたや、厳しく育てられた私は、確かに色んなことに気の付く、我慢強い子には育った自覚はありましたが

既に高校生くらいから生きるのが本当にしんどくて、精神状態はボロボロ

tari97.hatenablog.com

20代は母からの押し付けで心のキャパがオーバーし、普通に働くだけでも四苦八苦。

親を見返したいという気持ちから資格取得を目指しましたが、失敗。

資格が取れなかったのは自分の学力の低さが問題ですが、その勉強をしたことで30歳を過ぎて初めて『人って、自分に充てる時間がこんなにあるんだ』と気がついたものの、余計自分の「母に捧げてきた」学生時代~若年期を惨めに感じただけに終わり

tari97.hatenablog.com

30代で初めて仕事に行くことができなくなり

せめて、まずは自分を大切に…と思い、心を休めると、収入は見込めず生活するだけでもいっぱいいっぱい。

そもそも、始まりは何か?と言えば、母とこのまま暮らしていたら自分が病院送りか警察沙汰になる…と思い、ほぼ何の準備もせずに逃げてきたからであって

tari97.hatenablog.com

 

子育てとして「成功」と言われるのは、一体どちらなのでしょうか。

 

 

もちろん、友人に対して、僻みや妬みの気持ちは、今はありません(当時は『甘やかされて育てば、人生イージーモードで、いいよなw』という気があった)

ただ、友人の家の「標準」と、私の家の「標準」が、違っただけ

もし、付き合う上で友人のルーズさが悪い部分として目立ち、自分に影響するなと思った時に、付き合い方を考えれば良い話なので。

tari97.hatenablog.com

 

当時はまだ、自分が毒親育ちであることをそこまで認められていなかったので

どうしても『厳しく育てられた自分の方が…!』と、自分を優位に立たせたかったですが

数年経ってようやく友人の「厳しく(理不尽に怒られて)言われたからって、できるようになる訳じゃない」の発言の意味を、身をもって痛感しました。

 

そうやって、厳しく育った私ですが、母からの教えがなく、できなくて困ったこともあるので、また書きたいと思います。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

笑いに変えるしかなかった、という悲しみ

学生の頃から、母が厳しすぎることが本当はすごく嫌でしたが

母が優しくなることなんて絶対にないし、自分は養われている立場ということもあって

「ウチは親が厳しい」というのを、半分ネタにして暮らしていたみたいなところがありました。

母の厳しさは、もう言ってもどうにもならないから『うちのオカンめっちゃ怖いからなーww』と、面白おかしく表現することで『母が厳しすぎて嫌だ』という、自分の感情に、蓋をして生きてきました。

あの母親には、口でいくら言っても、どうにもならないですから…。

それを、小学生くらいの時から既に悟っていました。

『このオカンの厳しさは、もう笑うしかないなw』みたいな、半分ヤケクソみたいな感じです。

 

初めて正社員として採用された職場でも、パワハラまがいの発言を平気で繰り返す常務(女性)が居て、最終的に、その常務の発言のせいで心が折れて退職しましたが

入社早々きつい事を言われ、先輩たちには「常務はあんな感じなの」「あまり気にしないでね」等と声を掛けられた時は

『え、あれがきついって?まだまだぬるいなwうちのオカンと比べたら屁みたいなもんww』と思って、聞き流していました。

tari97.hatenablog.com

実際、後にも先にもその常務以外に母よりきつい言動の女性などなかなかいなかったので

外で結構なことを言われても全部『オカンに比べたらこんなもんww』と思って流せていました。

 

母の厳しさや高圧的な態度は、加齢によって徐々に弱まるものだと思っていたし

あそこまで頑固で話の通じない人だとは思わなかったので

(ただ、娘がまだ幼い・若いから厳しいのだと信じていた)

『時が来たら(私もいい歳になったら)、母もわかってくれる(そこまで、きつい言動は、なくなる)だろう』『もう少しの辛抱!』と思って生きていました。

 

しかし、結局母はいつまでも娘を1人の人間として尊重するということができず

高圧的な態度でコントロールし続け、ついに私の堪忍袋の緒が切れ、家を出るところまで行かないと

自分の言動がどれほど人を不快にさせているか、気付くことはありませんでした。

 

そして、母と暮らさなくなると、自分がいかに母のきつい物言いを基準に物事を考え

母の真似をして肩肘張って生きてきたかがわかるようになって

肩の力を抜いて、人の優しさに触れることも覚えましたが

母のような「感情をむき出しにする女性」への耐性が、すっかりなくなってしまいました。

tari97.hatenablog.com

お陰で「不機嫌なおばさん」の顔色や声色には必要以上にドキドキしてしまうので(昔なら『オカンよりかはマシやなwwこのおばさんww』と笑い飛ばせていた)

tari97.hatenablog.com

良かったのか悪かったのか…という感じですが

あのまま自分の感情に蓋をして生きてても遅かれ早かれ心は壊れていただろうから、早めに自分の本当の気持ちに気付いてよかったかな?と思うようにしています。

大体、母があんなでなかったらそんな「耐性」すら、身につける必要もなかったのですし。 

 

まだ、今より毒親問題を昇華できていなかった頃

私の友人が看護師の資格を取得し、ある病院で働き始めたのですが

その病院の人間がすごくギスギスしていて、友人も理不尽に叱責されることが度々あったようです。

 

給与は確かに良いが、辞めたい…と普段あまり愚痴や泣き言を言わない友人が漏らしていたので、よっぽどだと思います。

 

しかしその友人は、朗らかな家庭に育った印象で物腰も柔らかい、毒親なんて無縁なんだろうな~みたいな子で(その子の家族にも会ったことがあります)

確かに『理不尽だな』『心配だな』と思う心の片隅で

『家でよっぽどきつく言われたことがないのだなw』とも、私は思っていました。

 

考えてみると、私は昔からずっと、人が弱音を吐いたり泣き言を言ったりして

口では『大変やね』『それはひどいね』と言っていても、必ず心のどこかでそう思う癖がありました。

 

別に、親が厳しかったことでマウントを取りたい訳ではなく、そう言い聞かせることで自分を奮い立たせ、厳しく育てられた自分自身を肯定したかったのだと思います。

 

ずっと厳しい親に育てられたことがコンプレックスでしたが

それに従い、真面目に生きて来た自分を、そう思うことにより肯定したかったのです。

 

でないと、あれだけ理不尽に怒られ、怒鳴られても『母のために』と健気に生きてきた自分が報われない気がしていたから。

tari97.hatenablog.com

 

けれど、人と比べてどう、ではなく

ただ、そうやって生きてきた自分をほめてあげる。労ってあげる。

 

それでいいのだなと思えるようになりました。

 

比較対象を探し、裏付けを取ってまで肯定しなくても

私は私のできることは十分やってきた、とただ単純に思っても良いのだと。

 

これをお読み頂いていて、共感された方もみんなそうです。

 

母の厳しさを笑いにでも変えないと、過ごして来れなかった幼い頃の自分のことも、今は存分にほめてあげるようにしています。

 

もちろん、私も聖人ではないので、他人の弱音や泣き言で『その程度で…』と思うこともあります。

姉と『え、ウチの母さんと比べたら屁みたいなものやんw』とか、話すこともあります。

ただ、そうやって姉と話すのは、あくまでも同じ親に育てられた者同士だからこそ、というのが大前提ですし

実際に相手に『その程度で…』とは、絶対に言わないことを心掛けています。

それをやると、大嫌いな毒母と同類だと思うから。

 

そういう伝わりづらいニュアンスに「わかるわかる」と言える場が、もっとできればいいなと思うし

このブログがその材料の1つになればいいなと思っています。

 

何かあればこちらへ

お問い合わせ

母はずっと子どものままなんだと思う②

母は元々、冗談が通じないタイプなので、母の口から「なんちゃって」みたいなオチのジョークも、ほとんど聞いた記憶はありません。

家族が何か面白いことを言っても母だけ意味がわかってないとか

本気でキレてるみたいなことも、昔からたまにありました。

tari97.hatenablog.com

 

前に、こんなお母さんだったらよかったのに、と、この記事を書きましたが

tari97.hatenablog.com

母もたまに冗談を言ったりすることはあったのですが、母のジョークには、茶目っ気がありませんでした

ただ娘をからかう・馬鹿にするみたいな感じにしか、私には思えませんでした。

 

だからでしょうか。今でも、未だに思い出しては胸糞悪くなることがあります。 

前回の記事

tari97.hatenablog.com

の最後に書いた幼稚な母にされて嫌だったことを今日は書こうと思います。

 

 

私が3~4歳くらいの頃の話。

確かその時、家には母と2人、外は暗かったので夜のことでした。

 

私がトイレから戻ると、さっきまでリビングにいた母が居なくなっていました。

 

何度か母を呼びましたが、返事がありません。

2階も確認しましたが、居る気配もありません。

玄関から外に出たとしたら、トイレに居ても絶対に音と気配でわかるはずです。

 

だんだんと私も不安になって、もう1度トイレや洗面所・風呂場などを探し

さっき確認した1階の和室の前を通ろうとした瞬間、暗闇にかすかに人影が見えたと同時に「ここやで」と母の声がしました。

母は、私を驚かそうと真っ暗な和室の、タンスの影にずっと立って隠れていたのです(1回目に和室を見た時、私は母を見つけられなかった)

 

その瞬間こらえていた涙が出てきて私は大泣きしました。

『どっか行ったかと思った~』と泣きながら母に抱き着くと「冗談やん」と言われましたが

しばらく泣いていると冷たい声で「しつこい」「こんなことで泣かんでええねん」と怒り、私を引き離して、食事の支度か何かを始めました。

 

母が「ごめんごめん」とも確かに言ったと思うけど、私はあの時の母の態度を忘れてはいません。

 

時間にすれば2~3分のことだったのでしょうが、不安な気持ちの子どもにしたらものすごく長く感じたし

隠れていた時間が長すぎない?こんな小さい子に対して種明かしまでが長すぎない?私がオロオロしてるのを横目に、ず~っと暗闇に立ってたんだ…意地悪い…と

私は当時その年にして、思いました。

 

その上、私は『怖かった』『悲しかった』という、気持ちの処理ができないままに「しつこい」と怒られ、一方的に強制終了させられたのです。

 

これが3~4歳の子にやることでしょうか?

 

これくらいのいたずらなら、やる親もいると思うし、母としてもちょっとしたいたずらのつもりだったのでしょうが、私には悪意しか感じませんでした。

 

母の場合、やり方に問題があったと思うのです。

あの時の母の態度が、完全に娘をバカにしているみたいな感じにしか見えなかったからだと思います。

 

その一件から私は、母はいつかまた、ああやって人を小馬鹿にするようなことをやるのだろうなという気持ちがずっと抜けませんでした。

 

母のこの、人を小馬鹿にするような態度こそが、娘に対する本心だと思います。

ずっと親が偉い・親が上、娘は下・言う事聞いて当然!と思いながら生きていた証拠ではないでしょうか。

tari97.hatenablog.com

母の態度を見ていると、大泣きする我が子に「しまった」「やりすぎたな」なんて、ほとんど感じてなかったと思います。

そんな風に扱われてきた娘が、母に優しくなんて、するわけないでしょw

 

私は末っ子なので、昔から家族に「イジられる」みたいなこともたくさん言われたし、されてきました。

私が幼い頃に家族にイジられ、時々本気でふくれたりすると、姉や父は「うそうそ、ごめんね」「ほら、機嫌なおして♪」みたいなことを言ってくれましたが

「しつこい」「いい加減にせぇ」と私に怒って終わらせるのはいつも母でした。

 

家族発信で始まったことなのに、なぜか最後に私が「しつこい」と怒られることに納得が行かないから、末っ子扱いでイジられる時間が私は嫌いでした。

愛があって、可愛がってくれていたのだなと今はわかりますが、あくまでもそれは父と姉にしか感じません。

 

だから早く、姉や母と肩を並べて同等に話せるように(イジられないように)しっかりしないと…と、幼い頃ずっと思っていました。 

 

私もかつて同じ気持ちを姪に対して感じた経験があるので何となく思うのですが

tari97.hatenablog.com

多分母は末っ子の私にスポットライトが当たり、可愛がられることも気に入らなかったんじゃないかな。

 

「娘に早く大人になってほしかった」なんて、娘の前で口にするくらいですから。

tari97.hatenablog.com

このセリフ、当時は何気なく聞いていましたが、暗に「子どもらしくいてはいけない」と言われているようなものだったし

私も姉もまんまとその母のセリフに引っかかり、子どもらしくない子ども時代を過ごして来ました(精神的に)

結局あの家で、一番精神的に未熟で手のかかる子どもだったのが、母だったということだと思います。

 

母の犯した、いつまで経っても自分の未熟な「子どもの部分」と向き合わないまま

そのお世話役を娘たちにやらせたという罪は、許せることではありません。

そのせいで、私たちが未だにこんなに生きづらさに苦しむ原因になっているのだと思うからです。

 

コメント・スターありがとうございます😍

コメントなどについては、こちらにまとめています。

tari97.hatenablog.com

母はずっと子どものままなんだと思う

母の承認欲求の異常さについては前にも書きました。

tari97.hatenablog.com

こういうことが、娘たちへの価値観の押し付け・「これくらいしているんだから、これくらい許せ」という自分勝手な裁量・家族へのワガママ放題等

昔から母に抱いていた嫌な部分の原因になっているのではないか?ということをブログで紐解いて来ました。

 

さらに母がそうなったのは、母自身も厳しく、また寂しい環境で育てられ、親に存分に甘えられなかった・ワガママを言えなかったことがルーツではないか?と考察してきました。

tari97.hatenablog.com

これは簡単に言えば、母は未だに大人になりきれず、精神的に子どものままということなのだと思います。

 

思い出すと、両親がいつも言い争う(母が一方的にキレてるだけだけど)喧嘩も、幼稚で低レベルでした。

tari97.hatenablog.com

そういう風に思えるようになると、昔からの母の不可解な言動にも合点がいくようになりました(許したということではありません)

 

母のことは、単なる世間知らずなんだろうなと思って片付けていたけど

一体何を考えて生きてきたのだろう?と心底疑問に思う時もあります。

下の記事では、よほど食事とお金のことしか考えていなかったのだろうという事も書きました。

tari97.hatenablog.com

 

また、母は昔から時々、普段の厳しさからは想像できないくらい、幼稚なことを言ったりやったりすることがありました。

 

昔、母が40代後半くらいの頃にある葬儀に参加して、初めて骨上げに参加したそうです。

その時に骨だけになった故人の姿を「え~…?何これぇ?」と、受け入れることができなかった!ショックで、数分呆然としてしまったと、自分で言っていました。

それが「思い入れのある人だったから」ではなく「骨になったのが、怖かった・びっくりした」みたいなニュアンスで

私も姉も、言っている意味がわからなかったのですが

母「人間がな、骨になるなんて、思わんやん」

…いい歳して、こういう少女のような事を急に言い出す時があるのです。

 

 

母は時折幼児のようなことをやることもあり、私が成人してからはその傾向がとくに見られました。

 

まだ私が実家にいたころ、朝の洗顔の時間が母とかぶった時があり

母が顔を洗って顔を拭くのを見ていると、力まかせにゴシゴシ拭いていたので

『そんなゴシゴシ拭いたら皮膚に悪いで』『優しく押さえるみたいに拭いた方がええで』と、助言した時があります。

 

すると母は、わざともう一度顔をゴシゴシ拭き始め『いやだから(力)強い強い!』とツッコミを入れると、母は心底嬉しそうに「早くツッコめ」といわんばかりに、何度もそれをやるのです。

4~5歳児と、一緒ですよね…。

 

当時私は、母が機嫌が悪くさえならなければもう何でもいいやと思って暮らしていたので

そういう、今ならもう絶対に付き合いたくないような、母のしょーもないジョークにも、熱心に付き合ってあげていたように思います。

毒親の相手をするのは「子守りみたいなもの」という言葉がぴったりです)

tari97.hatenablog.com

 

それが、当時『私って、帰ってきても母に気を遣って神経すり減らして、家でもお勤めしてるみたい』と感じていた原因でしょう。

tari97.hatenablog.com

他にももう忘れたけど、母は「見て!こんなんやってしまうねん(ツッコミ待ち)」みたいな言動が多かったな、と。

 

私が子どもの頃は、良かれと思って助言をしても機嫌が悪いと「親に向かって何や!」とか、言い返されていましたが

私が大人になると、そうやって反論してキレる回数が減って、かまってほしそうにする言動が多く見られました。

 

それでも虫の居所が悪いと、ほっといてくれ!とか反論して

無視したり、自分の気の済むまで相手をやり込めていたので

tari97.hatenablog.com

母へのアドバイスとかってほんとに、ドラマで見る時限爆弾の赤の線切るか、青の線切るか?みたいなものなんですよね。

母の虫の居所次第で結果が変わるので、その度に今の母にとっての、ベストな対応をいつも頭をフル回転させて考えていました(それでも切る方を間違えて、爆発されますが)

そりゃ、神経も疲弊する訳です。

 

もう少し母が昔からずっと、可愛らしい態度で人と接することのできる人間であれば

「ちょっとアホだけど、お茶目なお母さん」として、私たちも母を慕っていたかも知れないですね。

それくらい、怒った時・キレた時のヤ〇ザみたいな対応にも、大いに問題があったということです。

 

こんな風に、大人になりきれない幼稚な母にされて、すごく嫌だったことがまだあるので、また書きます。

 

コメント・スターありがとうございます。

コメント等についてはこちらにまとめています。

tari97.hatenablog.com