もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

灯台下暗し?意外と身近にいる毒人間

さて、夏に仕事を辞めて、約3ヶ月心の休暇も十分取れました。

そろそろお金を稼がないと厳しいので、今月からは働いていますが、この3ヶ月は「何もしない」というのが、とても自分のためになりました。

自堕落な生活をしてはいましたが、何も考えず過ごした訳ではなく、自分を見つめ直すすごくいいきっかけになりました。

本当は、心が病んでる人がみんなこんな休暇期間を設けられるといいんですけど…。

最近、毒親問題とは全然関係なくやっているTwitterの自分の投稿をずーっと遡ってみたんですね。

もう、始めてから5~6年経つので、なかなか時間がかかりましたが、これもまたひとつ気付きがありました。

昔の自分のツイートが、すごく愚痴っぽくて、それが仕事のことでもありプライベートなことでもあって…ところが、今ってここまでの愚痴ること、ないよなぁ…と感じたのです。やっぱり「他人軸」に相当左右されていた気がしました。

今読むと、明らかに相手の態度とか言動に問題があるのに「何か悪いことしたかな」「気にさわったかな」と気にしては、自分を責めるツイート。一番多かったのは、やはり夏に喧嘩した親友とのことでした。

今思うと、何でそこまで気つかってんの?と自分でもつっこみたくなりましたが、ああ、やっぱり私、相当親友の軸に乗っ取られていたな、と感じた瞬間でもあります。

毒親問題で悩んでいると、つい親にフォーカスしすぎて、全てを親のせいにしそうになりますが、親と離れたり、親がいない時にもしんどいのなら近くの人の毒にやられていることも疑ってみるのがいいのかも。

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この記事の後半に書いたような「ソフト毒」人間、あなたの周りには、いないでしょうか。
私みたいに、プッツリ縁を切らないにしても、友達や恋人と距離を置くことも気付きのひとつであったりもします。
親を「毒親」と認めるのが嫌なのと同じで、好きだと思ってた人を毒フィルターで見るのは辛いですよね。私も離れて初めて「もしかして…?」と思ったくらいなので、周りの人を毒タイプかどうかなんて、なかなか仕分けできないとは思いますが。

それでも、こんなことは本当は言いたくないけれど、家族の次くらいにたくさんの時間を共有した親友と縁が切れた今、すごく変われた自分に気が付いています。まるで、憑き物が取れたかのよう。

それにしても、一番の親友と人生最大の喧嘩をしたことが、ちょうど無職期間だったのは「不幸中の幸い」だったかも。

喧嘩した当初は辛くて仕方なかったし、そんな中忙しい毎日にも追われていたら…ここまで冷静に、客観的に考えることもできなかったんじゃないかな。

有り余る時間の中で、私のよくないところ…他人に合わせようとしすぎる、終わりの見えないしんどさみたいなものをずっと抱えながら、何となく仲良くしていただけだったな、もう既に友達は心の支えどころか、最近は重荷になっていたなということにも気が付けました。

あなたのそばの人は、どうでしょうか。

親友を「悪いもの」のように言うのは忍びないですが…実際に離れた今めちゃくちゃ肩の荷が降りた感じと、明確に「もう、戻りたくない」と感じている自分がいることを再確認したので、もう後悔もないです。向こうからも連絡が来ないあたり、相手も同じ気持ちなのでは、と思っています。

夏に喧嘩をして、約3ヶ月の間でクールダウンはしましたが「いままでありがとう」とは思うけれど「これからもよろしく」には、やはりなりませんでした。

自分のアレルギー反応を知り、気持ちをコントロールする

最近ちょくちょく「他人軸で生きてしまいがちな私が、自分軸で生きられるようになってきた」お話をしています。

もちろん、私もまだ、すぐ他人軸に乗っ取られそうになるので毎日「危ない危ない」みたいにギリギリで生きてはいるのですが。

じゃあ、そうなるまでに、何か特別なことをやったか?となると…特にないんですね。

毒親育ちさんが集まる会に出てみたりとかはしましたが、1回だけの数時間で

その他、ブログやメルマガ・本を読むとか、ネットを漁るとか、そんなことは昔からコンスタントにやってきているし。

その中で、途中から「自分軸で生きる」雲の上にほわっと乗ったみたいな、そんな感覚があって

なんで?いつから?どこから?と自分でも不思議でした。

ちなみに、このブログを書いていて、ここ数年の自分の気持ちの浮き沈みがわかったので、ちょっとグラフを作ってみました。

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一応始まりは「家を出る少し前」くらいからで、今に繋がっています。

平行線で表しているところは「今現在」ではなく、今後の「理想形」です。

今思うと「毒親育ちの中二病?勘違い期」は、もしかしたら実家にいた頃よりも辛かったかも知れません。本当に、生きるのが嫌になっていました。かなり精神的に不安定でした。

真ん中の赤い線をゼロとしたとして、多分「普通の人」は赤い線の上下の薄い色のゾーンくらいで気持ちが上がったり沈んだりして生きているんじゃないかな?と思います。

それが、毒親や毒人間が周りにいる人や精神的に乗っ取られている人はその振り幅がとにかく上下にぶっ飛んでいて、だからしんどいのでは…と感じています(もちろん、下がってばかりで上がって来れない人もいるでしょう)

家を出る前もこんな感じでしたが、ほとんどが母により落とされて、それが悲しいのでアイドルを追ってブチ上げたりしていた訳で…。

せっかくその原因の「母」と離れて暮らす選択をしたのなら、次はそのコントロールをうまくできるようになるまでが課題なのでは?と思っています。

そんなこと言いつつ、未だに私もすぐ家で1人で泣いたり、薄い色のゾーンを超えそうな時はめっちゃあります(なので、平行線部分は「理想」と書きました)

ただ、勘違い期を超えるほどの下降は今のところなさそうかな(と思いたい)

せっかく母と離れたのにあそこまで下降したあたり、けして一筋縄では行かなかったのですが

母以外にも原因があることもわかったし、その時の予期せぬ「人間関係のデトックス」も、案外効いているのかも知れません。

結局、毒を受けてしまう(自分軸を乗っ取られやすい・他人軸に居たら安心してしまう)タイプの人(まさに私もです)って周りにいるそういう人に近寄らない・いたらできるだけ逃げる が一番なのかなぁと思いました。

いわばアレルギーみたいなもので「摂取したり、触れたりしなければ全然平気」みたいなものなのかも?と思います。

と言っても、相手は「人」なので、「近寄らない」にも限界がありますが

まずは自分に対して毒を撒いてくる人間への「アレルギー反応」に気付く能力をつけること毒親育ちはここが麻痺してる人が多そう)と、残念ながら近くにいたら深入りしないこと、を心掛けています。まだまだ、最近わかったばかりなので、難しいですけどね…。

そして、今あるものも断ち切るのは恐ろしいけれど、距離を置くこともひとつの方法であると感じます。

それについてはまた次回書きます。

毒親育ちの中二病?勘違い期

数年前、母親にどれだけ仕返しができるかで生きていた時期がありました。

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自分としては、毎日変にテンション高く過ごしていて「怖いものなし」って感じでしたが、それも長くは続かず、また低い場所へ落ちることになります。

「自分軸」で生きられていないことに加え、「自分軸」の意味を全くはき違えていたからではないかと思っています。

母だけでなく、今まで周りの人間に気を遣い過ぎたなということにも気がついて、何だかバカらしくなっていたのがこの時期です。

今度は、他人に対しても「仕返し」までいかなくとも『もう変に気を遣うのやめる!』『もっとワガママ放題で行く!』みたいな、イタい決心をしたのです(笑)

その手始めに、職場で仲良くしてもらっているんだけど時々カチンとくる一言を言う同僚(Oさんとします)に『まずこの人に自分の素をさらけ出す!腹が立てばハッキリ言ってやる!』と決心しました。

なぜ、Oさんにしたのか?

それは、Oさんはいつも結構言いたいこと言うし、真似しやすそうだったから。Oさんはただの自己中だと思っていて「自由に行動してる」感をそのまんま真似すればいいのでは?と思ったからです。

いつも、Oさんともう1人の同僚と3人で出かけるのですが、その日私が1本電車に乗り遅れて数分遅刻したんですね。

遅れる旨を連絡はしましたが、そこでOさんが「電車が渋滞ですか?笑」みたいな冗談を入れて来たんです。先に述べたカチンと来るってとこがこういうとこで、ちょっと人をからかう、みたいな物言いを時々するんですね。

まぁ遅刻する私が一番悪いのですが、それでカチンと来て『Oさんのこういうとこなんだよな。何か腹立つわ。今日は1日機嫌悪く過ごしてやる』と電車の中で決心したのですね。

私は、改札に着くなり『電車が渋滞で!すんませんでした!』とOさんを思いっきりバカにするように言って、もちろん雰囲気は悪くなりました。

ずっと仏頂面で、食事中も明らかに『私、機嫌が悪いんです、Oさんのせいで』みたいな態度を取り続けてたんですね。

そして、その後はアーティストのDVDの鑑賞会をしにカラオケに行きましたが、映像を見るだけなのをいいことに、ほぼ喋らずその日は帰りました。

(もう1人の子には、関係ないのに嫌な思いをさせたな~と思って個人的にLINEはしたのですが)

その帰り道でも『何だろう、このモヤモヤ感。気を遣わず、奔放に生きるってのをやってはみたが、何でこんなに後味悪いの?』と頭の中は『?』だらけ。

Oさん以外にもちょくちょくこんなことを試みては、心は晴れないわ、関係はこじれるわ、最悪な期間を結構最近まで過ごしていました(期間長いなw)

おそらく、相手に対して『こうやって言ってやる!』『こんな態度で行く!』ってわざわざ思ってる時点で、その対象の人の「軸」にはまっているんです。

母への仕返しと同じ原理ですね。

それから「自分軸」を、単なる「自己中」「自分勝手」「ワガママ」と混同していたのもあるかも。

…こんなことも、やらなきゃわからない自分…。

毒親問題を解毒途中or昇華された方の中で、こういう中二病みたいな「勘違い期」を過ごした人っているのでしょうか?

ちなみに、これで関係が切れた人もいます。多分、そういう風な私には用がなかったのでしょう。

考えてみると切れた人は、何となく「自分軸」を人にも押し付けてくるタイプの人で(物腰は柔らかく母のように横柄ではなかったが)なぜか常に私が気を遣って、よくわからないとこで謝ってたり、いいように扱われてたり、最終的に相手の言い分が通っていたな、みたいな「ソフト毒」っぽい人が多かった気がします(喧嘩した親友も、最後そうでした)

長年、そういう人を引き寄せていたのではないか…とちょっと落ち込みもしましたが。

そういう「ソフト毒」人間は、自己中化した私を敏感に察知し「利用価値」が下がることをわかったから、反発したり離れたりしたのでは?とも感じています。

そう考えると、やり方に問題はあったかもしれませんが、ある意味人間関係のデトックスにもなったかもしれません。

ちなみにOさんはただただ「自分軸」で生きれてるタイプの人なので、発言一つひとつにも嫌味がなく「自由奔放と自己中」がうまくブレンドされているだけなんだと思います。単なる「自己中・自分勝手・ワガママ」で、周りに気遣いできない人がお手本でいいなら、母をお手本にすればいいですもんね(笑)

その点ではOさんをターゲットにした私の見立ては、間違えてはなかったのかも?

ちなみに、あんな態度を取ったのにその後も変わりなく仲良しでいてくれています。Oさん、ごめんね。

ただ、あなたの周りへのふるまいが羨ましかったのです。

毒親への『仕返し』をやってみた話

親と離れてすぐの時は『視界に母がいないこと』『全て自分の思い通りに生活できること』がこんなに素晴らしいことか!と毎日晴れ晴れとした気持ちで過ごしていました。正直、今まで悩んでたことはもう全て解決したんじゃないか?と思うほど。

しかし、物理的な距離を取れただけで、まだまだ精神的には他人(=母)軸に乗っ取られたままでした。しかし、私はそれに気付いていませんでした。

もちろん、母は私が家を出たことを快く思ってなくて、いじけてみたり、ネチネチ嫌味を言ったりしていたので『ざまぁみろ!』と、腹の中で高笑いしていました。完全に『勝った』みたいな気分でいたのです(母に対して、まだ『勝った・負けた』とか思っている時点で、自分軸で生きられていないのですが…)

当時の私は、と言うと、今までされたり言われて嫌だったことを、母に同じように言ったりすることが生きがいになっていました。一生かけて、今までの分仕返ししてやるわ!と意気揚々としていました。

毎日、母の死に際には一番母が傷付くことを言ってやろう…どんな言葉がいいかなぁと考えていました。

ちなみにこの頃の自分の気持ちにリンクしていて、よく聴いていた曲があります。

ちょいとナメすぎたみたいだな!

オレらは全部覚えてる

あの日お前らにされたコト

今日もあの電柱から見ているぞ

 ONE OK ROCKの『カラス』という曲です。

この曲を聴きながら、私は母への復讐を誓いました。

例えば、母は私が幼い頃からちょっとした失敗も「ほ~ら!やった!」と言っては延々と責め立てていたので(前記事参照)母が失敗するとそれはもう鬼の首を取ったように罵倒してやりました。

ある日、冷蔵庫で冷やすとだめなお土産を母に買ったのですが、パッと見冷蔵保存しなきゃいけなさそうに見えるので『多分母は何も見ずに冷蔵庫に入れるだろうな』と思いました。わざと口で伝えず『書いてある説明しっかり読んでな』とだけ言って渡したんです。すると案の定何も考えずに冷蔵庫に入れた母。

その時、今までやられた「ほ~ら!やった!」の仕返しをするべく『だ~か~らぁ、、説明書読んでって私言ったやん!』『あーあ、もう食べられないよ(笑)食べても多分おいしくないよ(笑)』と思いっきりバカにした口調で言ってやりました。

もし、それと同じことを私がしたとしたら、どれだけ怒ったでしょう。

某アーティストのライブに行った時も今からアンコールのいいところって時に「トイレに行きたい」と言い出した母。広いスタジアムだったので1人で行くのは不安だったらしく、同行していた姉か私に着いてきて、と。

もし逆の立場だったら、子どもが幼くても「え?我慢できへんの?」「今からがええとこやのに」とか言ってめんどくさそ~に対応するくせに。だから言ってやりましたよ。『え?トイレぐらい我慢できへんの?』と呆れ口調で。

父が亡くなった時も「自分の夫」が亡くなってるのに、偉そうに娘2人に病院や葬儀屋の話を「ちゃんと聞け!」と命令(思うに、今まで何でも「おとーさん!」で済んできたので、いよいよ自分が矢面に立つのが怖くて仕方なかったのでしょう。それを偉そうに言うことで、隠していたのかと)

その後、私以外は一旦家に戻ろう、となった時にも、母が「疲れた」とか言って葬儀会館の畳の部屋で寝ようとしたので『家まですぐやねんから、家で寝ぇーや!今こんなとこで一瞬寝たってしゃあないやろ!』と言ってやりました(母は運転はしなくていいし、車で10分もかからない距離)

不機嫌そうに帰る母を見て、ざまぁ!って感じでした。何が疲れただ!私が幼い頃、ちょっとうたた寝したって目くじらを立ててキレていたくせに。

私は「そんなにキツいこと言わないで」と母に言わせたかったんです。
そこで『はぁ?何がキツいだよ。これの何倍キツいこと言ったりしたり、してきた?』と言って、謝らせたかった

でもね、その一瞬はスカッとしても、本当に心が晴れる感覚はずっとなかったんですね。むしろ、しんどい。余計腹が立つ。

結局この『〇〇させたい』といつまでも根に持ってる時点で「他人軸(母軸)」に居るし、そもそも謝るような人なら毒親になってない!ということにも気付いていませんでした。

他にも、ちょっとした忘れても良いような母の予定を私が忘れていたら「言うたやん!何にも覚えてへんな!」「アイドルのことばっかり考えとるからや」とキレるくせに、自分が私の予定を忘れて私に同じように言われると「年寄りやからしゃーないもん。ええやん、それくらい」だと。

万事がこれなので、最初は死ぬほど腹が立ちましたが、だんだん

『仕返ししても無駄』『真正面から言っても無駄』『謝るなんてありえない』

と、気付きました。

大体、そういう無神経な人間なので、毒親になるのです。

そもそも、そこで深く考えたり、自分を省みることができるような人間なら、家族や他人にあんな酷いこと言いません。

母は「相手の立場に立って考える」という部分が見事に欠落しているのですから。

多分、仕返しも真正面から言うのも謝らせたいのも、まだ相手に『期待している』証拠なのです。

それにまだ気付いていないこの時点では、昇華の一歩すら踏み出せていなかったのだと思います。

その後の感情の変化が、こちらの記事の後半に書いたようなことです。こう思えるまで相当時間はかかりましたが…

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親戚相手にも「勝った・負けた」

母は自分のきょうだいやその配偶者の文句や悪口もよく言っていたので、親戚ってどこもそんなものかと思っていました。

特に前述のD(母の兄)の奥さん(M美とします)のことはよくバカにしていました。

母って同じことばっかり言うので、D家の話が出ると「M美ちゃんって、おとーちゃん、おとーちゃん言うて、将来どないするんやろ。アニキがいつまで元気かもわかれへんのに、車の免許のひとつも取らんと」言葉は少しずつ違えどいつもこういうニュアンスで「M美は夫に頼ってばっかり!」「運転すらしないで!」と、いつもM美を小馬鹿にしていました。

その「おとーちゃん、おとーちゃん」のとこは鼻ほじりながら目を向いてちょっとアレな人を表現するみたいにパフォーマンスをします(ちなみにM美は別に頭が足りないとかではない)

ちなみ母のきょうだいは、長男の出来が悪く、次男のDが事実上長男となって家も継いでいたので、M美も「事実上長男の嫁」だった訳です。

典型的な、THE昭和!みたいなしきたりの農家の長男家(事実上だけど)に嫁ぐというのも、並大抵のことではないと思います。

今思うとあそこまでM美をカゲで罵る理由がどこにあったのか?甚だ疑問なのですが。

これも結局、何かにつけてコンプレックスだらけの母が、M美の出来が良いのが気に入らなかったのでは?とも思っています。実際M美は何かやらかしたとかも聞いたことがないし、料理上手で、何歩も下がって夫を立てるというタイプでした。

多分、D家の集落内でも評判は良かったはずです。

あとは、Dはきつい頑固爺さんだけど、責任感は強く俺に着いてこい的な感じなので、自分が矢面に立たなくて良いM美が羨ましかったんじゃないかな、と。

けれど、Dも毒親の気はあるし、あんな夫と暮らすのもなかなか厳しいだろうな、M美もそれなりに苦労してきただろうなと感じます。

確かに、田舎で車がないと暮らせないような場所に住む割に免許もとらず誰か乗せて~というのは、嫌々運転をしていた母からしたら「M美は、何を甘ったれてるんだ」と思うかもしれないけど、毎日毎日あんな頑固爺さんDの相手をこなしている訳です。田舎の農家なので近所付き合いだって大変です。言ってみたら、近所付き合いもほぼない、家族はみんな自分の言いなりの母なんてM美からしてみたらそれなりに「お気楽」でしょう。

きっとM美やその周りでは「運転免許がない」なんて、たかがしれてるんだと思います。実際、M美が『お前、免許取れ!』とか言われているのも聞いたことないし、あの輪の中では必要ではなかったのでしょう。

それなのにM美の「運転免許がない」程度のことをあげつらうあたり、母は自分の杓子定規でしかものを考えられないんだなと思うし、さらにそれを貶すのは、何かにつけて「自分が上!」「自分のが頑張ってる!」と、どうしても思いたかったのでしょう。

私はM美はよくできた奥さんだなぁと思っていたし、母も内心わかってはいたけど、認めると「負けた」みたいで、嫌だったのでは?(前記事の、二極化思考ですね)

あとは「M美は何かあればDに頼ればいいけど、うちは年上の頼りない夫だから」みたいな気もあり、余計M美が羨ましかったのでしょうが

ただ…母が「矢面に立って一家を背負ってる」というのは、単なる母の勘違いですからね(笑)

母はあくまでも「自分のやりたいことだけやる」だけで、多くは母も「おとーさん、おとーさん」でしたので…(役所関係・車関係・契約関係等、全部丸投げ。致し方なく自分がやるとなるとパニックで不機嫌→夫の死後は娘に丸投げする予定だった)

ちなみに、初めに出てきた出来の悪い長男と、その嫁はツッコミどころ満載だったらしく、その2人の悪口は言ってなかったです。自分の中で「アイツらはどうしようもない」「自分、絶対的勝利」と認定したら張り合う相手にすらしない、といったところでしょうか。

母を見てると、

・自分の恵まれているところには目を向けず

・人の羨ましいところばかりにフォーカスし

・わざわざコンプレックスを自分で増大させて

・他人を下げられるネタを見つけることで自分を保っていただけ

じゃないかなぁという印象を受けます。

母に限らず、世間でもこれが原因で毒をまき散らしている人、結構居そう(笑)

毒は一族に蔓延している?母の実兄

とりあえず母は、家族に依存することばかり考えていたので(下記記事参照)

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父が元気な間は、ちょっとしたことでも父に「おとーさん、やって」と丸投げしていました。そのせいか?年齢の割に知らないことも多く、世間知らずです。
その割に自信満々で偉そうなので、そんな母に従っていた時代が本当に悔やまれます。

昔、私が車通勤していた職場で、車通勤不可の店舗へ異動となった事がありました。
正直、そこは続ける気もなく、いい機会だから辞めたかったのだけど、高時給な為、守銭奴の母は辞めさせてくれませんでした。
バスと電車を乗り継いでいることにすれば異動先の近くの駐車場を借りて車通勤しても、支給される交通費でペイできるから!と母に言われ、勝手に「次の〇曜日には、不動産屋に行って異動先近くの駐車場を契約する」とまで言われました。

ただ、賃貸や駐車場の契約なんて母はやったこともないので『自分で問い合わせる』と私は言ったのですが…例のごとく私が一人で何かをしようとすると横槍を入れられ、仕方なく両親に任せることにしました。とりあえず、私がネットで周辺の不動産屋だけ検索し「S不動産」というところを見つけました。

すると母「S不動産!アニキに聞いたらわかるわ!」この「アニキ」とは母の実の兄で、私からすると伯父にあたります(以下、Dとします)
Dは、母に瓜二つの性格で、語尾にいつでも「アホや!」が付くような、典型的な昭和の傲慢な爺さんって感じで私は嫌いでした。

母もDのことは嫌っていました。しかし、自分で何かしたり、自分の頭で考えることが大嫌いな母、散々嫌ってた相手でもすぐそうやって頼ろうとします。
Dに電話したら、相手も相手です。
『おお、S不動産か!俺の名前出したら、むこうもすぐにわかるど!』
Dが以前S不動産に世話になったと言っていたのを母が覚えていて、Dも自信満々だったので、母もDのその言葉を鵜呑みにして、いざS不動産へ。

着くなりすぐに母は「〇〇(地名)のね、D言う者が前にお世話なった思うんですけど~」(ちなみに、家では鬼のようなのに、こういうのを言う時の母は気持ち悪いぐらい愛想が良いです)

結局、手ごろな駐車場を契約できた訳ですが、不動産屋の人は最後まで『はぁ、、D様ですか…』と、絶対Dのこと知らないだろうなみたいなリアクションでした(笑)

そして別にDの名前を出したから破格値になった訳でも何でもなく(たかだか駐車場借りるだけで、当たり前だけど)さすがの母も恥かいたと気付いたのか「アニキの言うことなんか、アテにならんわ!聞いて損した!」とグチグチ言ってました。
だから私が自分ですると言ったのに。

その頃から「母だけでなく、母方の一族は、まるっと残念かもしれない」というのも勘付き始めました。

(余談ですけど、今考えるとDも立派な毒親だったと思います。その話はまた機会があれば。)

物は試し◆共依存への挑戦

※親のせいでお金に苦労してきた方が読むと胸糞悪い記事になるかも知れません。

実家にいた頃、母は「お金」で私を繋ぎとめておこうとしました。

かたや私は、薄給なのに現実逃避のためにアイドルにつぎ込んでいたけど、母の言いなりにさえなれば、そこそこの贅沢はできていました(ただ、くだらないポリシーですがアイドルのチケットや交通費を出してもらったことはないです。そこだけは私の「聖域」として、他人に金を出してもらうことは汚れる感じがして嫌だった)
ただ、だんだんと母の束縛が酷くなりキ〇ガイじみてきたので『そんなにお金はいいから、もう少し人の気持ち考えてよ』という主張も何度もしました。
けれど、もちろん母も「何が悪いの?」という感じだし、今現在それで過ごせてることを「じゃあこうしましょう」とはなかなかいかない。
職場での「これ、こう改善した方がいいのに」と思っても仕事が回ってれば「まぁいいか」と何となくそのままになってしまってる、でもずっと気にはなってる、そんな感じに似ています。

『母の束縛が嫌だ』という内なる叫びを無視し、諦めと甘えの中、逆に『金銭的に依存できるところまで依存してみよう』と考えました。ようは母を「金ヅル」と思い、それで私の精神が保てるかを試した訳です。

母同行で何万もする服を買ってもらったり、無意味に高いランチを食べたり。あれだけガチガチの生活を強いられてるんだ、これくらい貢がせても罰あたらねーよ、と。
言ってみれば「共依存への挑戦」を図った訳です。もし、それで利害関係さえ一致すれば一石二鳥ですから。

それでもね、だめでした。

私はどうしても、束縛や押し付けをいくら積まれても我慢できない人間でした。
お金で、魂を売れる人間ではなかったのです。そのことにもっと早く気付くべきでした。

母に買ってもらったブランドバッグを持ち、何万もする服で着飾っているけど、精神状態はボロボロだった。見てくれは良くても、自信はないし他人ばかりを羨んで何も楽しくなかった。その頃はイライラした気持ちを、ネットの掲示板で人を叩くことでストレス解消して気持ちを保っていました。今思うと、私の叩き方は異常だったと思う。でも、当時は本当にどうしたらいいかわからなかった。

今は、カバンも服もネットでセールになった時に買った超安物です。けれど、人を羨むことも、僻んだり妬んだりもない。『人間ってこんなに平和に穏やかに暮らせるんだ』と、毎日感じています。

ただ注意して頂きたいのは、別に、後者を推奨する訳ではないです。

今はお金がないので、正直笑ってられる状況ではありません。
バカだな~親の言いなりになってりゃいいのに!と思う人もいると思います。そこは、好き好きです。

私がこの記事で伝えたいのは『とりあえず1度気の済むまでやってみては』ということです。

正直、やる前から薄々私はそういう人間だって気付いてはいたけれど、やってみてダメだった!と思うことでもう気持ちがブレないのです。

その上で、節約生活でも、母と離れて暮らして誰にも縛られずに何年か暮らしたので、わかったわけです。
そんなこと、やらなくてもわかるでしょwと思うかも知れませんが、人間やっぱり楽な方に居たいし、染まっている間はそれが「当たり前」「こんなもん」と思ってしまいます。自分のことって実は自分が一番わかってないのかも知れません。

だから、もう一度あの生活に戻れるとしても実家に戻ることなんて絶対したくない→なら頑張って働こうと、道筋が見えるから、無駄ではなかったなと思う訳です。

『やらないとわからない』めんどくさい性格なのは、自覚しています…(笑)