もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

自称 子どもの気持ちのわかる親

この間、姉と母と3人のLINEの、母からのメッセージで目を疑うような一文がありました。

「母さんは、絶対に子どもの気持ちのわかる親になろうと決めて結婚した」

それを見た時『え?は?どういうこと?』と、マジで数分混乱しました。

 

母には「相手の立場になって物事を考える」という部分が見事に欠落していると、このブログでも散々書いてきました。

いつでも、自分のものさしでしか物事を考えられず、家族には自分の価値観を押し付け、その割に自分が「その程度で」とか「これくらい」って思えば、相手が嫌な思いをしても、謝るどころか省みようともしない。

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そんな母が「子どもの気持ちのわかる親」とは??

頭の中が「?」でいっぱいになりましたが

その後のやり取りから

 

ただお金を貯めて、料理をしてきただけだったこと

「優しさ」を「甘やかし」と勘違いしており、厳しく育てすぎたこと

自分が、娘の気持ちを一番に考えているつもりが、見当違いだったこと

 

これらを、自覚できるようになって

結局自分は子どもの気持ちのわかる親だと思っていたけど、単なる独りよがりだったと思うというようなことをその後入れてきたのでした。

  

母はいつも「先のことが予想できへん奴はアホや」みたいなことを言っていた割に、母自身の生き方はいつも「予想」ではなく「勝手に決めつけていただけ」で

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その通りにならないと、理不尽に怒ったり、言う通りにしない奴はアホ!とこき下ろしたりしてきました。

無理矢理母の敷いてきたレールに、時には家族はウンザリしていましたが

まるで自分が「全てお膳立てしてやった」くらいの口ぶりで

 

母が長年自信満々で「私は子の気持ちをわかっている親」と思っていたことは

ただ単に母が子どもの頃、嫌だったことの真逆のことをやる・良いと思ったことだけは親の真似する(そうすれば子どもが絶対に喜ぶと思っていた)という、何とも稚拙な考えから生み出されたものだったようです。

 

 

例えば母は子どもの頃、末っ子であまり相手にされず育ち、きょうだい間でも比較されてきたので

逆のこと⇒子どもに構い過ぎる(結果、過干渉タイプの毒親に)、姉妹間で比較をしない

ことに繋がったのではないかと考えます(姉妹間で比較をしないことは、何度も言いますが良かったです)

 

実家が貧しいことで悔しい思いをたくさんしてきた、貧しいため食事も質素なものばかりだったので

逆のこと⇒ただただお金を貯めて(金に対する執着が異常)、料理をしてきただけ(たしかにおいしかったが、手の抜き方わからず時に当たり散らしていた)だったこと

 

「優しさ」を「甘やかし」と勘違いしており、厳しく育てすぎたことに関しては、母は「厳しく育てられて良かった」と、本心で思っているのか、そう思いたいだけなのか、自分の親の受け売りだったようです(ただの根性論で、私は嫌いです)

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確かに母の考えは「間違い」ではなかったのかも知れないけど

相手(娘)が本当に伝えたいこと、わかってほしいことをあれだけ訴えても

聞く耳すら持たなかったことについては「間違っていた」と思います。

そこに「子どもの声に耳を傾ける」という選択肢はありませんでした

これでは、子どもの気持ちなんてわかるはずもありません

 

結果、娘には逃げられるように家を出て行かれ、母の「予想」をはるかに超えた最悪のパターンになるまで、母は自分の間違いに気付くことができませんでした。

 

 

母にとって「自分は1人では生きられない人間なんだ。これまで生きてこれたのは家族のサポートがあってのことだったのだ」という気付きは、母が一番苦手な「1人で過ごす」ことを実際にやってみないとわからなかったのでしょう。

今さら感がすごいですが、死ぬ前に気付けただけでも良かったのか、悪かったのか。

 

「娘に嫌われることなんて絶対にない」「年を取ってからも、娘に大切にしてもらえるのだ」と母が勝手に「決めつけていた」結果にはならなかった今、母に問いたい。

 

「先のことが予想できへん奴はアホや」

耳にタコができるほど聞かされたこのセリフ

果たして母はできていたと言えるのでしょうか?

相談相手にすらならない

母は、ひとつ心配ごとがあるとそのカタがつくまで次のことを考えられないという性質があります。

まぁこの血は若干私も引いている自覚はありますが

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母と私とで決定的に違うのはそれで人に当たったり、他人に迷惑かけるほど悩むかどうかというところだと思っています。

 

母は昔から心配ごとも全部家族に聞かせて、結局自分の言ってほしいことを言わせて、安心するみたいな流れでした。

「みんなはどう思う?」みたいな感じで、あたかも「アドバイスしてほしい」的に話をしてくるんですが

いつも、母の中ではもう答えが出てるんです。

自分の意図してないアドバイスをされたら反論して結局自分の意見に賛同させるんです。

 

だから私は母の相談に乗るのも、嫌いでした。

 

しかしよくよく思い出すと、これも昔よく怒られたんですが

例えば私が『迷ってるねんけど、Aに傾きかけてる。念のため、Bはどうか意見を聞きたい』だったとしても「相談する権利」はありますよね。

 

最終的に決めるのは本人だけど、人によって反対意見があれば聞きたい人もいるし、背中を押してほしいだけの人もいる。相談ってそういうものだと思うから「ある程度相手の出方に合わせて答える」ということも「相談に乗る」ということにもなると思うんですが

あの母のことです。いつも視点が「自分」なのです。

 

例えば、さっきみたいな『Aに傾いてるが、Bも気にはなっている』みたいなことがあるという時

母が「Bがいい!」と思ったら、Aを徹底的に貶され、従わなければ必ずこう言われました。

「たりのそういうとこが嫌いやわ。ハナからAって答え決めてるもん。それやったら相談しぃなや(するなよ)!」

 

相談って、相手の「こちらがいいと思うよ」のアドバイス通りにしないと、したらいけないんですかね?

人にはさっき書いたように自分の意図してないアドバイスをされたら反論して怒るくせに…。

 

こんななので、そりゃそのうち母になんて相談しなくなりますよね。

なので時々、わりと大事なことを相談せずやったりすることがあったんですが

そしたら今度は「アンタは何でも勝手にやる!相談もなしに!」って怒るんですよね。

 

どないやねん。

この一言に尽きます。

 

 

昔、母の職場でどんどんパソコンが導入され始めた頃、パソコンの全くできない母がいよいよ職場での居場所を失いかけた時に本気で辞めたいと思ったらしく

でも月に入ってくる十数万の給料をおいそれと断ち切ることもできない(病的に守銭奴だから)

それを「どうしたらいいと思う?」と聞かれたことがありました。

当時、若い派遣さんにも馬鹿にされて、悔しくて辛くて…と言うので、それで精神的に疲弊して体壊したら元も子もないから、辞めたかったら辞めたら?と言ったら、すごい勢いでキレられました。

 

「そんなもんできる訳ないやろうが!」

いやいや、めっちゃ答え出てますやん。

「言いたいことはわかるけど、そうもいかないでしょ?」とか返すならまだしも

「できる訳がない」。

 

「できない」でもなく「できる訳ない」

めちゃくちゃ答え出てるやん(2回目)

 

かまってちゃんの母のことなので『辞めたかったら辞めたら?』だけ言ったら「私のこと、どうでも良いのか」みたいに怒ってくるのも予想できたので

めちゃくちゃ親身になって(いる風に)たくさんの言葉をオブラートに包んで、慎重に発言もしたし

『もし、お金が不安なら私仕事変わったり考えてもいいし』とも言ったのですが、またそこでスイッチが入り、更にキレられました。

 

「そんなこと、簡単に言うな!仕事変わるとか、そういうこと簡単に言うのが腹立つ!」ですって。

 

結局

母ってただ自分で整理できない苛立ちを相談という名のもとに家族にぶちまけていただけじゃないかな。

 

成人してから、私は普通に話しているのに何でいつもこう喧嘩みたいになるのだろう?とずっと不思議でした。

私が母を怒らせる何かをしているんだろうか?と自分を責めました。

 

でも、やっぱり違うと思います。

その時その時で、母自身がどうにもならない気持ちを消化できるだけの精神力がなかっただけの話なんだと思います。

 

一応「親」ではあったものの、あれは親の「相談を聞く」という姿勢では、全くなかったなと思えてなりません。

母と話してても楽しくない理由

母は、元々が重度のかまってちゃんなので、自分が話題の中心になりたがります。

幼い頃は知識もないし、母が興味のあることならそれなりに返してはくれていたので『よく話をしてくれるお母さん』と思っていましたが

だんだん私も成長して、母が本当に世間知らずなことを知ってしまうのと同時に

母は歳を取り、余計にかまってちゃんになったので

『もう母と話しても楽しくないな』となったのは、ごく自然なことだったのだなと思います(昔はそう思う自分のことも責めていました)

 

話題と言えば、昔から誰かの悪口ばかりだし

大した知識もないのに偉そうに上から目線で話すわ、言う通りにしないと怒るわ

基本的に「自分は絶対に間違っていない」という変な自信もあるから「それに従わないたりはアホ」みたいな言い方もされてきました。

 

趣味が「テレビを見ること」ぐらいしかない母なので、私が興味を示すような面白いネタも持っておらず

離れてから、たまに会っても聞きたいことも特にないんですよね。

なので、今も病院に行っても話題に困ります。

 

そのくせ、かまってはほしいので、私が適当な(直接母に関係のない)話をしても、思いっきり「そんな話、どうでもいいけど」感が出てるんですよ。

 

この、母の「そんな話、どうでもいいけど」感は、今に始まった訳ではなく、昔から時々感じていました。

 

私も性格的に興味のないことにはノれないタイプで、姉にはよく「興味のある時とない時は顔見ててわかる 笑」と言われてしまうのですが

母にいたっては露骨に別の方向を見たり、指先でテーブルに文字を書いてみたり「全く話聞いてないな」な動きをするので、余計話す気が失せます(最近、この露骨に態度に出すのもネジ足りないんじゃないかと思ってきた)

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先日病院に行った時も、荷物を整理したりベッド周りを片付けたりする時は目的があるからいいけど

いざ一息ついて話せるようになって『こないだの豪雨すごかったなぁ。岡山とか、大変なことになってる』『あの日、私も帰宅難民になりかけた』とか世間話をしても「聞いた聞いた」とか「知ってる」とか言って話を終わらせるんです。

元々幼稚なのはわかってたけど、大人同士の世間話の「ノリ」みたいなのがわからないのか、やりたくないのか。

早く自分の話に持って行きたいんでしょうね。

おそらく「今、自分はこんなに大変なのに何が豪雨だ」みたいな気もあるんじゃないかなと思います。

 

「雨?知ってる。それより私はこんなに辛い」「家に帰れない?聞いた聞いた。そんなことより私はこんなにしんどい」

多分母の頭の中の回路って、こんな感じなんだろうなと予想します。

 

確かに辛いのはわかるけど、もしかしてまだ無条件で母を励ましたり労ったりすると思ってる?(思ってるんでしょうね 笑)

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優しさをくれなかった人には、優しさを返せない

母は今、また手術のために入院しています。

「処置をすれば進行を防げることができる」的な病気なので「闘病」とかとも少しニュアンスが違いますけど

わりと大掛かりな手術のため、少しの間入院が必要になります。

 

もちろん、手術には痛み等も伴うのでしんどいだろうなぁというのはわかります。

痛みや辛さの感じ方なんて、人それぞれだから

「痛い」とか「しんどい」とか言うことに関して「何だよ、その程度で」とは思いません。

 

けれど、そういったことを「母」が口に出すことに対し、どうしても『辛いね』『頑張ったね』などの

励ましや労いの言葉をかけることができません。

大人げないけど、この人には言いたくない…と思ってしまいます。

 

私は昔からメンタルが弱い方だったから、たとえ根拠がなくても「大丈夫!」とか、声を掛けてもらえることで緊張がほぐれるタイプでした。

父は、生前よくそういう言葉を私にかけてくれて(多分本心は深く考えてないだけだと思いますが)

「大丈夫や、何とかなるわ」「失敗したって、かまへん。またやればええ」と、私の不安を軽減する言葉をよくかけてくれました。

 

そこまで言ってほしかったとはさすがに言いませんが、母にはもう少し私の気持ちに寄り添って欲しかった訳です。

 

幼い頃から、私が辛かったり嫌だったことも母自身が「どうってことない」というジャッジをすれば

甘ったれ!根性がない!情けない!というふうに扱われたから

そんなだった母に、例え今母が弱っていたとしても

そういう声をかけてあげる優しさを、私にはどうしても持つことができないのです。

 

この間、手術前に不安だというようなことをLINEで言ってきた母に

『私は母さんの手術を " この程度で " とも思わないし、うまくいけばいいなとも本心で思ってる。けど、私がパワハラまがいの暴言を吐かれて泣きながら退職して帰って来たときも、慰めるどころか「根性がない」と叱ったね。

根性!母さんの好きな言葉やろ。なら今はやるしかない。頑張れ』

と、返しました。

 

私は、自分がされたことの仕返しをしたい訳ではないし

そこで情けないだとかこの程度でとか「私の価値観」で母に言及するのは母と同じことをすることになるのもわかっています。

だから、上記のような返信をしました。

(まぁ、辛い時に、母さんは慰めてもくれませんでしたね、という嫌味が全くないと言えば嘘になるけど)

 

多分、母も私が返信したようなことと、同じニュアンスのことを娘たちに教えたかったのだろうと思います。

「情けない!」という叱責は、母なりの励ましだったのかも?とも思います。

 

けれど、多分母と、私含むほかの人と違うところは

母はいつでも「自分目線でしか物事を考えられない」から、自分が「たかがその程度で!」とジャッジすれば、もうその時点で「情けない!」「根性なし!」が100%を占めてしまって

やっぱり、励ましや労いの気持ちなんてほぼなかったんじゃないか?

特にその時に自分の虫の居所が悪いと、余計怒鳴り散らしてたんじゃないか?

としか思えないのです。

 

弱音を吐く子どもを「情けないなぁ」と思ったとしても、真っ先に「根性入れんかい!」と怒るのはいかがなものかと、どうしても思います。

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まぁ今の母の「痛い」「しんどい」は、体の物理的な不調なので、ある程度は同情します。

(実際、私は本当に病気をしたことがないので、余計に痛みとかの想像がつきません)

 

けれど、病院での帰り際に「また来てよ。寂しいから」と、涙を浮かべて言ってきた母に

顔では笑って適当にあしらいましたが、心の中の私は冷たい声で呟いていました。

 

何回も私もそうやって涙を浮かべて訴えたことあるけど「情けない!」「根性なし!」と、あなたはこき下ろしてきたじゃないか。と。

他人に厳しく自分に甘い

家を出る前、散々『私も合わせる努力をしているけど、母さんはそうやっていつまでも傲慢なまま。そんな母さんとは暮らせないし、そのうち嫌いになる』と口に出しても

「だって、家族やで?」と根拠のない「家族だから」論を信じきって

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「あれだけしてやったんやで?」と自分自身の親としての合格点を勝手に出して

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私の『嫌だ』と感じる部分を省みようという気が全くありませんでした。

 

『そう。なら出て行くね』と私が決断し、母は予想もしていなかったこと(一人で老後を過ごさなければなったこと)に直面する訳ですが

私も色々譲歩して、それでも聞かなかったのは母の方だし

言ってみればある意味、そんなことになったのは自分で選んだようなものなのに

まるで一方的に娘に捨てられた!ここまでやってやったのに!とでも言わんばかりに、被害者ぶっていました。

 

なぜ、娘が逃げるように出て行ったか

 

その理由だけが、母は多分死ぬまでわからないと言うか

わかったとしても認めないんだろうなと思っていましたが

家を出て約5年経ち、母はやっと自分の傲慢さ・本当は精神的に死ぬほど未熟だったことを嫌でも自分でわかるようになったらしく(1人で暮らすということは、嫌でも自分と向き合わないければならないので、いかに自分がこれまで家族と言う存在に助けられてきたかを痛感したようです。遅っ!)

時々姉と3人のLINEで反省の弁のようなことを述べてきます。 

 

昔は絶っっ対に譲らなかったことも、やっと「そうかも知れへんな」と返すようにもなってきた母ですが

どうしても「自分自身を擁護する」みたいな発言にイラッとします。

 

まぁあの母がここまでの気付きを得られただけでもマシだよな、と思いつつ話が終わりかけたと思ったら、母は必ず

「でも(今は体の調子が悪いから)そんなにすぐに気持ちの切り替えできない」

だとか

「でもな、たりは自慢の娘だったんやで。それだけはわかって」

だとか

そういう相手の良心に訴えかけるみたいなセリフをすぐに吐きます。

(ただ、自慢の娘云々は今全く関係ないと思いますけど)

 

母って自分に不利益なことが起こると、私は世界で一番不幸な人!みたいなニュアンスでものを言うので、病気している今の自分なんか、それはそれは宇宙一の不幸者とでも言いたいんでしょうね。

 

「病気もしていて、年老いているのだから…少しくらいダメな部分があっても大目に見てほしいの」感が、とにかく腹立つんです。

 

正々堂々と

嫌な思いさせたことは謝る。ごめん。

この一言で終わることが、どうしてもできないみたい。

 

大体、過去の話をしていて老いてるとか病気しているとか、それもそもそも今関係ないねんけどなって話なんですけどね。

 

自分の悪かったところは反省してますみたいなことを言っても

必ず最後に「でもな」「でもな」

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私、よく昔母に怒られたんですけどね。

「でもな」やない!

悪いと思ったら正々堂々潔く謝らんかい!と。

 

結局母は最後の最後までくすぶっている「認めてほしい」気持ちが、そういう言葉に表れている気がします。

本心で「申し訳なかった」なんて、きっと思ってないです。

思ってたとしても「そんなことより、私は頑張ってきたんだ」「それより、私は今弱っててかわいそうな人間なんだ」と思う部分の方が、きっと大きいはずです。

 

「そんなにすぐに気持ちの切り替えができない」とか

「まだまだ、母さんこれからや!」とか、母はすぐ言うんですけど

 

幼かった頃から娘たちにはあそこまで厳しく、完璧を求めて怒鳴りまくってたわりに

自分にはまだ猶予あるんですか?

65歳にもなって、えらく長い猶予ですね。

 

一体、母はどうしてほしいのでしょうか

昔、母と同じ職場にいた頃、〇〇協力金とか、臨時ボーナス的なもの(数万程度)が、本当にたまにですが支給されることがありました。

ただ、正社員以外(パートや嘱託・契約社員)は半額だか何だかで、当時嘱託社員として働いていた母は、私の半額だったのです。

母が貧しい幼少期のせいで金への執着が異常だったことももう何度も書いてきたし、そのせいで守銭奴になったことも理解はしているつもりですが

それにしてもその時の文句のたれようがね…。

「アンタはええな!全額貰えて!」と、しつこいこと!

私が『母さんが私の年代の頃は、もっと待遇よかったやろ』と言っても、延々言われました。

何だか、私が悪いことでもしてるかのような言われよう。

ちなみに母は社内で私と同世代の別の人にも同じように言ったら、同じように返されたらしいです(その時に「自分しつこいな」ってちょっとは気付けよって話)

 

何であそこまで「自分がいい思いするのは当たり前」で、「他人(とくに自分より若い世代)がいい思いするのは許せない」のでしょうか。

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私、言っても仕方のないことを言うの嫌いなんですよね。

そりゃ、少しは言いますけど

大金降ってこないかなぁとか、明日朝起きたらローラみたいな顔面になってないかなぁとか(笑)

でもこれと、母の「言っても仕方のないこと」って、ニュアンスが違いません?

 

昔から私が同じように文句をたれたりすると「言うてもしゃあないこと言うな!」とか、もっと機嫌が悪けりゃ「しつこい!」と怒鳴ってきたくせに

本当、その言葉そのまま返されてもおかしくないぐらい、母はしつこかったです。

(私は怒られるのをわかっているので、しつこいという程、言ってませんでしたけどね)

 

何にせよ、本当に「自分が世界の中心」なんだなぁと思います。

それを言われても、娘もどうしようもないなってのがわからずに、延々責めるみたいに吐き続けて、一体何になるのでしょうか。

私が当時総務課にいたから「嘱託社員も全額にしてと掛け合って」とでも言いたかったのでしょうか(笑)

(普通に考えたらありえないことも毒親はわりと本気で言ってたりすることもあるからなw)

 

私の方が少ない!何でアンタは全額なんだ!

いや、正社員だからだよ。

こんなに正当な理由があっても納得できないなら一体どうしろと?

 

娘がそこまで無理難題でもないことをちょっと口に出す程度のことには「言うてもしゃあないこと言うな!」と、えらくきつく怒っていたのにねぇ。

 

 

また「その言葉、そっくりそのままお返しします」案件です。

前の記事はこちらです ⇩

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共に生きるということ

私が家を出てから、母が何度も私に言ってきた言葉があります。

「(たりは)あと少しの我慢が、何でできんかったんやろ?」

 

「あと少しの我慢」とは

父が亡くなり、世話もしなくて良くなって(晩年、介護まではいかないですが、酔ってふらふらしたり、咳き込んで苦しそうにしたり、いつ救急車を呼ばないといけなくなるか?という心配を常にしなければならない生活だったし、実際救急車を呼んだこともあります)

母と娘、住む場所や食べるもの、何よりお金に困らず穏やかに暮らせる未来が待っていた

それなのに、父が亡くなるまでの数年の辛抱が、その程度の我慢が

なぜたりはできずに、家を出たのか?という意味らしいです。

 

これは、今まで何度も言われたし、未だに姉にも同じように話しているみたいです。

 

家を出た当時は、この言葉を聞くのが嫌で嫌でたまりませんでした。

その言葉を言われるだけで、自分を『家族を捨てて逃げ出した娘』と毎回、責めていたからです。

『家を出てよかった』と思うのには間違いないのだけど、心から胸を張って思えるところまでは、まだ当時はいけてなかったのだと思います。

 

あの母から逃げたことは、恥じることでも、責められることでもなく

ただ生きるために必要な行為だったと、今は胸を張って言えます。

確かに、実家にいたら今より裕福な暮らしができていたことは明確ですが、きっと心が死んでしまっていました(実際、既に死にかけていました)

でも全く迷いがなくこう言えるようになったのも、最近になってやっとです。

 

父が亡くなって、せいせいした母がどう変わって行くかわからなかった頃に同じ言葉をかけられると

『確かに、父がいてギスギスした母としか、暮らしたことがないしな』とか

もちろん実家に戻るなんてのは微塵も思ったことはないけど、金銭的な面で考えると『穏やかになった母となら、暮らせたのかな』と、思う時もありました。

だからこの言葉をかけられる度に迷いが生じて『じゃあどうすりゃよかったんだよ』という苛立ちに、押しつぶされそうになっていました。

 

けれど、精神的に母を切り捨てて、なぜ母があんな人間になったのかを掘り下げてきた今、これってやっぱり母の傲慢さをすごく表している一言だなぁと思います。

だからもう言われても、全く迷いもないし、心も揺らぎません。

 

まず、なぜ「私が我慢する」ことが前提なんだろうか?

この言葉を読み解くと、母は「自分には何の落ち度もない」と、思っている節がありますよね。

まるで、年寄りの父とそれに伴うことだけが、我慢の対象であると言っているような。

そもそも、そこがおかしいんですよね。

年寄りの父とそれに伴うことだけが、我慢の対象であるならば、冗談抜きで父の死後また実家に戻るはずです。

それをしていないってことは、そうではない(原因が「年老いた父」ではない)って、わかると思うんですけど。

 

それに、私は「(家を出たのは)父さんのせいじゃない」とも、何度も言いました。

そう言った時だけ母も自分で「父さんのことでいっぱいいっぱいやったから、今ならもっと余裕もってたりに接することができる」とか、申し訳なさそうに言いはするのですけど

結局いつも母の言うことは同じところに戻るあたり、自分には落ち度はないと本心では思っているのでしょう。

 

前にも書きましたが

私は母と仲良くしたくて、お互い譲り合って暮らそうということを何度も何度も提案してきました。

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父だって、急死した訳でも何でもなく、老い先短いことは明確だったし、いくらでも心の準備期間はあったはずです。

人には「もう少しの我慢!我慢!」と言うくせに、自分は何の下準備もしないんですね。

そんな人が「お父さんいなくなったら、穏やかに暮らせてたのに」とか、誰が信じると思う?という話です。

 

最近、ツイッターでこんな記事を見つけました。

 

これは母が一番できなかったところ。

このご夫婦の爪の垢を煎じて飲ませたいです。

 

人と暮らすということは、どちらか一方に我慢させることとは違う。

それは「共存」でも何でもなく「我慢させられる方」が「下」で、奴隷みたいなものです。

 

もし仮に、母が本当に穏やかに暮らすということを実行できていたとして

「たりが上・母さんが下」という考え方も、違うと思うのです。

(母は、そう思っているようですが。だから「もう少し我慢したら、上に立てたのに」と言いたいのでしょう)

私は、母の上に立って暮らしたい訳ではありませんから。

 

お互いの気持ちを尊重して、相手の立場になって物事を考え、暮らして行けたらいいなと、私はそう思っていただけですが

合わない意見は貶してこき下ろして、断固として譲らない。何が何でも自分の思い通りにさせようとする。

ずいぶんと長い間そうやって生きて来ておいて

父の死後はたりに絶対服従で生きるつもりでしたというような調子の良すぎる発言。

 

父が歳を取って、もうすぐ家族のかたちが変わるだろうというビジョンが少しずつ見えてきても一向に自分のスタンスは変えようとはしなかったのはどこの誰ですか。

口で言うのは簡単ですけどね。

 

私から言わせたら「少しずつでも、ちょっと相手の立場になって、物事を冷静に考えてみる程度の(母にとっての)我慢が、何でできんかったんやろ」です。