もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

娘の親切心をも平気で踏みにじる母

子どもが「良かれと思って」アドバイスしたことも、自分の気に入らないことだとスルーを決め込む、とは前回に書きましたが

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もっとエスカレートして

まるで子どもが「嫌がらせをしてる」かのような口ぶりで淘汰される場合もあります(笑)

 

昔、母の白髪染めを私がやらされていました。

母が「今日毛染めして!」と言ったらもうそれは命令です。

なので白髪染めのストックもきらしてたら怒られます。

染め残しがあると不機嫌になり「ここ、染まってへんやんか」と偉そうにクレーム。

 

私のプライベートな時間を割かれるにも関わらず「毛染め、お願いしていい?」なんて態度は皆無でした。私は専属の美容師じゃないです(笑)

 

ただ、歳を取れば取るほど回数も増えるし、その割に色持ちは悪いしどうしたものかと思っていました。

 

当時、私と母は同じ美容室の同じ美容師さんにカットをお願いしていました。

 

すると私が行った時に「お母さん、家で毛染めされてるよね?市販のはあまり頻繁になると髪を傷めるよ」とアドバイスをくれました。

「少し、毛が細くなってきているからよかったらお母さんの毛染めもうちに任せてね」と言ってくれました。

そりゃ、営業もあると思います。

けれど、実際髪が少なくなった気がすると母も言ってたし、私自身も市販のものは髪が傷みやすいことは知っていたので『何回かに1回は、美容室にお願いしたら?そのほうが髪にもいいし、色持ちもいいかも』と母に提案してみました。

 

ところが、母は金は使いたくない、わざわざ美容室に行くのは面倒なので最低限(カットだけ)にしたい、けど、白髪はキレイに染めたい!なので

「金もったいない!カットだけでも邪魔くさいのに、ええやんか、都度都度たりが染めてくれたらそれで」ですって。

私がどう思うか、は丸っきり無視なんですね(笑)

 

内心はめんどくさいのもあるけど、ほとんどが親切心で言ってあげてるのに、この言われようです(笑)

 

『まぁ、将来ハゲたり困るようなことになってもいいならいいけど。一時の楽さを取って後悔しないなら全然やるけど』と言ったのです。

 

毒親のワガママは、子どもの駄々こねと同じなので、結局こうやってぐうの音も出ないところまで言われるんですね。言う私も私か(笑)

 

すると「アンタ…自分がやりたくないからそうやってあることないこと言うてるんやろ!」と、言われたんです。

 

“ あることないこと ”というのは担当美容師さんが本当にそんなアドバイスしたのか?という疑いです。

 

自分に逆らう意見が出てきたら、相手を、話盛ってるとでも言わんばかりの言いよう。今思うと病気レベルですね(笑)

 

もちろん『じゃあ美容師さん本人に聞いてみたら』と言ってやりました。

次に行った時、美容師さんにも全く同じことを言われたんでしょうね。

しばらくは我を通して私に染めろと言って来ていましたが、ようやく母は観念し、それ以来白髪染めで時間を取られることがなくなりました。

 

 

毛染めの件だけに限らず

そんな言葉を、数えきれないほど娘に浴びせておいて、親を敬え・感謝しろって

冷静に考えれば考えるほど、そんなおかしい話あるか(笑)って思ってしまいます。

アドバイスという名の押し付け

過干渉親は、子どもを自分の都合の良いように動かさないと気に入らないのに加え

自分の考えがこの世で一番正しいと本気で思っている節があるので、本人は単なる「アドバイス」のつもりが死ぬほど大きなお世話・お節介になるし

こちらが折れて聞き入れるまで、ものすごい押し付けられていたなと思います。

これは今まで何度も書きましたが

 

その逆で

こちらがよかれと思って言ったりしたことも、自分の都合の悪いことは徹底的にスルーしたり、素直に聞き入れない傾向があるように思います。

 

母の助言を聞かずに失敗したら、それはもう鬼の首を取ったように貶され、なじられますが(まぁ助言を聞いて失敗しても、ボロカス言われるんですけどね)

 

では、子どもが母に助言をしてそれを聞く耳を持たなかったがために失敗した時母はどういうリアクションなのか?というと

子どもにはあれだけ、死ねと言わんばかりになじるくせに

華麗にスルーするんですよね(笑)これも本当に腹が立ちます。

 

 

昔、母がゴルフをしていた時があり、暑くなってきた頃に母がゴルフの時にもお茶ばかり飲んでいたので『もう少し暑くなってきたら、スポーツドリンクの方がいいんじゃない?お茶は運動の時には適さないって見たよ』と、アドバイスをしました。

 

事実、夏になればあれほど熱中症での事故が起きているので、母も知らない訳がありません。

 

けれど母は『スポーツドリンクの味、嫌いやねん!』と、私のアドバイスを一蹴。

 

母は口に入れるものに異様にこだわりがあるので、自分の嫌なものは絶っっ対に口にしない傾向があります。今回の年末の病気も「健康」よりも「自分が食べたいから!」を優先しすぎたことも一因だと思っています。

話がそれましたが

 

とうとう、ある日母が具合が悪そうにゴルフから帰ってきて、案の定軽い熱中症みたいになったようで、帰ってからもぐったりしていました。

 

母は「お茶飲んでたのに!」と何回も言ってたけど、私は『言わんこっちゃない』と思いました。

その時はまだ実家にいて、母親には反発していた頃だったので『だから私、前も言うたやん』とは、さすがに言いましたが

『次からスポーツドリンクにしたら』と、アドバイスすると、完全に気に入らなさそうな顔になり、無視(子どもかよw)

 

しかも、腑に落ちないのが

母があれだけしつこく、こちらが折れるまで助言(と言う名の押し付け)をしていたのは、大半が「心配しているから」ではなく「自分が面倒なことに巻き込まれたくない」というのも、ある時わかった訳ですが(前回の記事参照)

私はいつも本気で母のためを思って言っていたのにな、ということです。

 

こういうことを考えていると、

私って自分のことをずっと冷たくて酷い人間だと思っていたのですが

実はめっちゃ優しいん人間なんじゃ?と思う時があります(笑)

 

ちなみに、母は自分のことを「もの言いはきついけど、根は優しい」と、自分で言っています…(笑)

 

ほかにもこういうエピソードがあるので、また書きます。

自分だけではどうにもならない気がしてきた

日々、母と暮らしていた頃よりかは格段に気持ち良く暮らせているのですが

どうしても職場で『どう思われてるかな』『何か言われてないかな』と気になってしまうのだけが、しんどいです。

 

嫌なことからはとことん逃げる選択をしてきた私ですが

「働く」ということからは逃げられないので、今後もずっと、どこで何の職に就いてもこういう気持ちでしか働けないのかなと思うと気が滅入ります。

 

幼い頃から確かに異様に人目を気にする性分ではありましたが、社会人になってから年々酷くなっている気がします。

 

一体いつからこんな風になってしまったのだろう?

 

 

前回の記事の、職場でカッとなったことを詳しく考えてみると

 

「変な編集しないで」とか「余計な事しないで」と実際言われたならともかく

ただ、私が編集したものを見ながらあーだこーだ言われているのを聞くだけで

「たりさんが編集するといつもおかしくなってる」「余計な事してる」というニュアンスに聞こえてきて

 

その時『何?私が悪いの?』とどうしても思ってしまい

『言われたことをやっただけなのに!』と、反発心が生まれるのでした。

 

 

前に母の発言を聞いていて「責任の所在を自分にしたくない」感じがわかり

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私が仕事を辞めたり、おかしな道に進むことを心配したのは「子育てを失敗したと思われたくない」から

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父がいなくなった時も「変な死に方されたら若い妻である自分が疑われる」から

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と、とにかく母はいつも「自分の責任」になることを異様に嫌がっていたことがわかってきました。

そしてその母を私は『自分が一番可愛かったんだな』と、今ものすごく拒絶してしまっています。

 

ですが多分、今私も母と同じことをしていると思います。

 

おそらく私も『自分のせいにされるのが怖い

これがカッとなって、感情を抑えきれなくなる原因のような気がします。

 

怖いから、防衛反応で態度がきつくなるのだと思います。

 

 

思い起こせば学生時代から「これ、誰がやったの?」みたいな雰囲気になった時に「誰がやったか」はどうでも良かったのですが、自分じゃない場合『私じゃない』という主張を私は、異様にしていた記憶があります。

 

学校で何かしてしまった時『怒られる!』と思ったら『どう言い訳しようか』『どう切り抜けようか』ばかり考え、怒られることへの恐怖のあまり『私は知りません』と言い張り、先生の呼び出しにも応じず逃げ帰ったこともあります。

 

とにかく誰が相手でも怒られることが『怖くて仕方なかった』のです。

 

実際に怒られなかったとしても『怒られるかも』と思っている時点での恐怖が、きっと相当なトラウマになっているのだと思うし 

結局大人になった今でも、未だにそれが残っていて、怒りに変えて表現してしまっているのだと思います。

 

 

イライラ(=恐怖)のスイッチが入った時の感情は、正直自分でもコントロールできません。

 

それを外部に「表現すること」(きつい言い方や、怒る等)は、昔は私もやっていましたが、母を見て『みっともない』という思いから抑えられるようにはなりました(漏れ出てはいるけど)

けれど、心の中は結局何も変わっていなくて

むしろ抑えている分、いつか爆発しそうで怖いです。

(TVの田房さんの再現Vを見て、程度は違えど明日は我が身かも…と感じました)

 

 

未だに私は『怒られる』こと、『怒られるかもしれない』ということに相当な恐怖がある。

 

けれど、冷静に考えたら、今後生きてて昔の母みたいに、狂ったような叱責を受けることなんて多分ないです。

 

そんなこと、頭ではわかるのですが、こればかりは自分ではなかなか何とかできる気がしなくなってきました。

 

今、カウンセリングに行くことも視野に入れています。

些細なことでもすぐに激高してしまう

母の

・ 些細なことでもすぐに激高する

・ 自分の気が済むまで人に怒りをぶつける

というところが本当に死ぬほど嫌いだったので

自分はああいうことだけは人にはするまいと思って生きています。

 

が、

「人に怒りをぶつける」ということは、母ほど酷くはないですが思い当たる節があるし

「些細なことでもすぐに激高する」血は、自分にも流れているなと感じます。

 

キレる私をやめたい 〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜 - Google 検索

「キレる私をやめたい」の田房さんもカッとなると手がつけられなくなって、その後自己嫌悪に陥るという流れでした。

私は今、身内とのこういうことはないですが

度々似たことを職場でしてしまって、度重なる退職もこれが原因だと自覚しています。

 

田房さんのように手が出たり、汚い言葉で罵ることこそないものの

自分でも止められないくらいイライラが募り、口調がきつくなり、そんな自分に嫌気がさして自己嫌悪に陥り ⇦ ここまでが田房さんに似ています

自分で勝手に壁を作り孤立し、居づらくなって辞めてしまうのです ⇦ こっちは単なる被害妄想です

 

カッとなる原因も田房さんと少し似ています。

料理の味付けが少し薄いと言われただけで「せっかく作ったのに!」と怒りが抑えきれなくなる話にそっくり

これは前の「ちょっとした指摘も全人格を否定されている気になる」時の気持ちに似ています。

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今の職場は、上司Aとその部下Bと私の3人で仕事をしており

いつもAから共有ファイルの編集の指示を受けることが多いのですが

Bのいない間に大幅な編集を頼まれると、次にBがそれを使う時に、BがAに「ここ、何でこんな変わってるの?」とか、聞き始めることが多々あります。

 

そういう時、2人で「あれ?」「何でこうなるの?」とか言ってるのを、編集したのは私なので「自分のことを言われている?」「ヒソヒソ話している?」みたいに感じてしまいます(本人たちにそんな気はないのは、頭ではわかっています)

 

すると私は

自分がした処理のダメ出しをされているんじゃないか?

でも、Aに言われた通りにしたよ?何か変なことした?

と、とにかく気になって、仕事も手に付かなくなります。

 

多分私が「たりさん、ここはなんでこんな風に作ったの?」と、軽く聞きづらいオーラを放っているのも自覚しています。

が、『いい大人なんだから、こそこそ話してないで私の処理がおかしいならさっさと言ってよ』と、だんだんイライラしてしまうのです。

 

それで、先日またそういうことがあったので、私が『そこはAさんにこうしてって言われたからそう作りましたよ』と言ってみたんです。

 

そこで終わればよかったのですが

相手のリアクションが薄いと『何だよ、せっかく言ってやったのに!』と、イラッとして(ここが田房さんと似ていますね)

『何か間違えてます?』と感じ悪く言ってしまいました。

 

結局Aの説明が下手なのもあるし、2人とも何とも思ってないだろうけど

私にはどうしてもBがAに「たりさんが編集するといつもおかしくなってる」「余計なことしてる」みたいに言っているように感じ、1人で勝手にムカついてしまうのです。

 

いつもは『また始まったよ』とやり過ごしていましたが、あまりにも回数が多いことに腹が立って

『毎回、Aさんの指示通りにしているつもりですけど、私の解釈が間違えている場合もあるので、Aさんの指示通りできているのか確認してからBさんに共有してほしいんですけど』と言ったのです(Aが前もってBにちょっと一言「これね、書式変えたから」と先に言ってくれたら、私がこんなに悶々としなくても済むのに!と感じた)

 

文字にしたら、普通のよくあるオフィスの光景って感じなんですけど

多分、普段柔らかい物腰のたりさんが急にどうした?くらい、態度に落差はあっただろうなと思います。

偉そうに言ったらだめ、それじゃあの毒母と同じだ!と、必死で気持ちを抑えようとするのですが、不機嫌そうな態度が隠しきれません。

ちょうどお昼前だったので、一段落ついたら逃げるようにお昼に出ました。

 

いつもはコンビニで買った物を事務所で食べますが、事務所に戻るのが嫌で1時間外出しました。その間中もずっと腹が立ったまま、過ごしました。

 

『大体Aの説明が足りないからこうなるんだろ!』『BもBだよ。毎回毎回なんで?なんで?って、嫌味かよ!』『バカにしやがって!』みたいな気持ちが渦巻いていて

だんだんエスカレートして『あ~あ、もう辞めようかな』というところまで行くんです。

 

 

今まで働いた中ではもっと自分の感情を露わにして、暴言を吐く人もいたので

そういう人と比べればまだましか?と思おうとするのですが

やっぱり心の中で汚い言葉で2人を罵っている自分が嫌いだし、結局『こうやって、すぐキレるところ母にそっくりやん』と、心底落ち込みます。

 

冷静になってくると今度は、不機嫌だった自分を客観視して『感じ悪かっただろうな』『偉そうに言ってしまったな』と自己嫌悪に陥ります。

 

自分でもちょっと異常だなって思います。

けれど、そのイライラを止める方法がわからない。

 

田房さんのこの件については、先日もテレビでやっていましたが母との確執があまり描かれていませんでした。

この本も、確か私も何年か前に読んだと思うのですが、多分その時は自分にそういう性質があるなんて思ってなくて、大して共感しなかったのだと思います。

 

どうも、母と同じ職場を辞めて自分の感情を「職場で」出せるようになってからおかしくなった気がするので

これも次の課題として取り組みたいと思います。

「許す・許さない」のもっと先へ

毒親問題では「親を許すべきか、許さなくてもいいのか」というのはよく話題に上がります。

 

 

私は、母を許すか許さないかで言うと、許さないです。

許さないと言うか『許したい気持ちはあるけど、許せない』というニュアンスかな。

 

育ててもらっといて親を許さないなんて「大人げない」とか

まるで許さないことを悪いことのように言う人もいるし(こういうこと言う人って、多分ほんまの毒親育ちじゃない気がする)

「許せばあなたも楽になる」と、それが「ゴール」みたいに言ってる人もいます。

 

私も『でも、世話にはなったしな』とか思って昔は自分を責めていましたが

毒親問題に取り組む人のゴールなんて人それぞれだし、そのときの気持ちに、正直になればいい。

それだけの話なんだなと思えるようになりました。

特に毒親育ちはそんな簡単なことがなかなかできないですからね。

 

ただ『許せないから〇〇する』とか「許せないこと」が何かの理由や原動力になるなら、それは危険だなと思います。

 

母に仕返しをしていた頃の私がまさにこれで

今までされたことが、許せないから『見返してやる』とか『抜かりのないよう徹底的に対応してやる』とか『後悔させてやる』って気で動いてることが多くて

結局、そばに母の姿かたちがせっかくなくなったのに、頭の中を母に支配されていました。

これは非常にもったいないことです。

 

 

最近、母のめんどくさいLINEは徹底的にスルーしているし、何か聞かれても答えたくないことには答えません。

それは『仕返ししてやる』のではなくて、本当に『答えたくないから』という自分の素直な気持ちに従っているだけです。

 

ただこれが、情けないことに、スルーしてはみるものの

『どうしよう。返信してこいって入ってくるかな』と、その話題が流れるまで実は未だにドキドキしています。

 

 

私はずっと『母を許せるようになったときが、毒親問題が解決するとき』と思っていました。

ですが、許すか許さないかなんて、さほど重要でもないなと思ってきました。

と言うか、たかだかそんなことが人生の指標になるのも、もったいないと言うか

許したって許さなくたって、もっと先を見据えて生きたいよなって思ったのです。

 

「許せばあなたも楽になる」というのは、ちょっと言葉が足りないと言うか

許すも許さないもどちらにも囚われなくなったら楽になりますよ、ということなのかも知れないですね。

 

私自身も理屈ではわかりますがまだまだそこまでは行けてないので、まずは自分の気持ちに素直に行動することを怖がらずにやりたいと思っています。

違う時代を生きる人に嫉妬するのはすごく無駄なことだと思う

母は、貧しく、家庭でも「みそっかす」のような幼少期を過ごしたため

結婚してから夫に大切にされること・きれいな家に住めること・おいしいものが食べられることがこの上ない幸福だったようです。

「死にたい」と思った幼少期から一転、結婚後「生きてて良かった」と思ったそう。

幼少期、叶わなかった思いを、夫にもう一度叶えてもらうことで、心を満たそうとしたのだなと思います。

 

やがて私たちが生まれる訳ですが

母が姉や私につらく当たっていたのは、おそらく「嫉妬心」も大きく関係しているのではないかと思っています。

 

貧しかった母は、自分の子に貧しい思いだけはさせまいと思って生きてきたのでしょうが

悔しい!当然と思うなよ!

という気持ちも、抜けなかったのでしょう。

 

母が生まれた、戦後の復興期から、姉や私の生まれた昭和後期まで20数年が過ぎ、余程のことがない限り「明日食う飯もない」ような時代はすでに終わっていました。

 

母が結婚してからの「夢のよう」と感じたのと同じ水準の生活が、私たちには「生まれながらにしてあった」訳です。

 

自分はあんなに目もあてられないくらいの幼少期を死にたい思いで過ごしたのに

子どもたちは何の苦労もせずにおいしいごはんを食べられ、蛇口をひねればお湯が出、きれいな服を着させてもらっている。

 

確かに、複雑な気持ちになるのはわかります。

 

それで言うと、私も今20歳くらい離れた姪を羨ましいと思うこともあります。

スマホやパソコンが当たり前にあること。

ネットで買い物できること。

中高生にも買える「プチプラ」な服やコスメがあること。

ネカフェや安くで満腹になれる飲食店の種類がたくさんあること。

 

私の頃は、中学で「ポケベル」が関の山で、高校になってやっと「PHS

ネットショッピングがなく「通販」がいいところなので

ほしいものがあっても、どこに売っているのかすらすぐに調べられないし

自分の足で現地まで出向き手に入れるしかありませんでした。

安くてそれなりにトレンドをおさえた服屋も今みたいにたくさんないので

おしゃれしたい小中学生くらいの頃は服選びにも苦労しました。

友達や彼氏と個室で遊ぶなら、互いの家かカラオケくらいしかないし

安い飲食店と言えばファストフードかファミレス。

 

姉が大学に入った頃からバイトで稼いだお金をそれなりに持っていたので、流行りものを色々買ってもらっていました(先ほどのポケベルやPHSも)

そのおかげか、あれ欲しいこれ欲しいただ金がないという鬱々とした気分は、あまり持たずに過ごしましたが

 

それでも、結構田舎なのと足がないせいで、毎日暇を持て余していました。

あの頃にスマホやネットがあればなぁと心底思います。

 

姉ともよく「姪ちゃんはいいね、娯楽がたくさんあって」という話もするし

私らの時代なんて…と度々『あったあったw』みたいな話で盛り上がります。

これは同年代の友達にも共通します。

 

ただ、そこで姪に『スマホやネットあるのが当たり前やと思うなよ』と言うのは違いますよね。

母はそれと同じことを私たちにしていたような気がします。

そんなこと姪は言われても、生まれた時代が「今」なんだから「知らんがな」なのです。

 

 

母の

自分と娘が「違う時代を生きている」ことの線引きができなかったこと

若かりし頃のことを分かち合う人がいなかったこと(友達ゼロ、夫は一回り以上年上)

が、

 

・ 娘の意向を認めず、自分の成功体験の枠に娘もあてはめようとする

・ 自分の苦労を娘にわからせようとする(理解できないことを怒る)

・ 何でもかんでも家族に聞いてもらい同調を求め、それでストレスを発散する

 

ことに繋がったのではないかなと思います。

 

 

母は、結婚した理由を「新しい保護者が欲しかったから」と言っていました(この「保護者」とは「精神面」で、という意味です)

夫の死後は、私を次の保護者にするつもりだったのでしょう。

 

結婚してよかった!毎日楽しい!でとどまらず、その幸せを分け与えるどころか

「なんでお前らは当たり前みたいな顔してメシ食ってんねん」

そんなふうにしか思えないほどのトラウマを植え付けた母の両親にも問題はあると思うし

「まぁあんな時代だけど、良いこともあった」と笑えないほど酷い幼少期であったことは気の毒に思いますけど(私は何だかんだ、アナログだった時代もそれなりに楽しかったと思うので、現代を生きる若い子に「嫉妬」の気持ちはありません)

 

そのトラウマの面倒までも私が請け負う責任はないと思っています。

相手にとっては「これくらい当然」だったのかな

前回の続きです。

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またオタクネタで恐縮ですが、一旦これで最後です。

そう言えば、Kちゃんの私への態度が気になるようになった頃のことを思い出しました。

 

昔、Kちゃんが「行きたいけどチケットがない」と言っている公演のチケットが余っていたので『よかったら、一緒に行く?』と声をかけました。

 

公演後、別の友達と合流し、Kちゃんが友達に「よくこの公演入れたね~(倍率高いのに)」みたいなことを言われた時

「うーんでも(自分の好きなメンバーの)立ち位置、真逆だったわ」と不満げに言っているのが聞こえて、若干耳を疑いました(笑)

 

それを聞きながら私は

『そうか、そうだよね。Kちゃんの好きな子、下手にばかりいたもんね、私ら上手で遠かったもんね』と自分に言い聞かせようとしましたが

 

いや、待て待て(笑)

行きたいって言ってたのそっちだし、席はこだわらないって言ったよね?

行かないなら他の人あたるとも私言ったし(仕方なく、来てやったつもり?)

まず、私の居るとこでそれ言う?(笑)⇦ これが一番理解できないです

 

もちろん友達なので定価で譲ったし、恩を着せる訳でもないけど

結構な良席だったし、その公演自体が超人気公演だったので、売ってお金に替えたらそれなりの額にはなってたのに…なんか、あほくさ…って思いました(Kちゃんもこのチケットが手に入れるのが難しいことは、わかっていました)

 

 

母が、自分のやったことに必ず見返りを求めるタイプだったので

見返りを求めている時点でそれは「相手のことを純粋に思ってやっている」ことにはならないと私が一番痛感しています。

母は、親の義務である「子育て」にも見返りを求めましたから。

 

だから私は、これをやってあげて自分の気持ちが複雑になりそう(見返りを求めそう・感謝しろよ?と思ってしまいそう)と感じたらハッキリ断ってもいます。

 

オタク活動以外でも

互いのギブアンドテイクで成り立っていることも沢山あるから、私もとやかく思いたくないのですが

Kちゃんに限らず、クマさんにしても(記事はこちら)、Tにしても(記事はこちら

相手の希望に沿ったつもりなのに

こういう一部の人たちには、こちらがモヤっとした気持ちになるという、マイナスのおまけ付きで返される気がしてならないのです。

まぁ多分こういう人は一定数いて、私が気にしすぎなだけな気もしますが。

 

周りに相談して「それ、たりも別にたいしたことしてないで」と言われれば整理もつくのだけど

「いや、それはたりが我慢しすぎでしょ」というところまでいつも進んでしまっていて

こんなこと思いたくないけど『ナメられてるのかな?』とか。

 

押し付けても、恩を着せてもいないのに

なぜかいつの間にか相手が「仕方なく受け取っているだけですよ」みたいな対応をされることが多く、本当に悲しいです。

 

それで、似た質問をしている人がいました。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

その回答より抜粋です。

 

その親切は、情けではなく、親切でしたか?

見返りは、考えませんでしたか?

「ありがとう」って言ってもらえる とか思いませんでした?

私って親切って自分を誉めなかったですか。

押し売りしてませんでしたか?

いつのまにかバカにされる とありますが、 相手と、関わりがず~と続いているということですか?そうであれば、その親切は大きなお世話にはなっていませんでしたか?

計算した親切は、みすかされます。

私は助けてと言われた時だけ、全力で手を貸すようにしています、それ以外の言われてないことまで手は出しません。

親切にして、バカにされるのでしたら、 そんな環境から抜け出します。

 

この中で『あ~やっちゃったなぁ』と思いあたる節も、、ないんですけどねぇ…

頼まれる前から押し付けることも、絶対しないですし…

 

これで感謝されるわ~なんか微塵も思ってないし

押し付けにならぬよう、お伺いを立てて、相手の意向を聞いてからやっているのだけど…何がいけないんだろう。

 

まぁ、私の常識が必ずしも相手の常識にハマる訳ないし

私と同じ考えの人たちのほうが仲良しさんの中には圧倒的に多い。

 

Kちゃんも、クマさんも、Tも

多分私がやったことが「してもらって当たり前(むしろ足りない)」なだけだったんでしょうね。

 

今後の付き合い方を考える、いい機会になったとポジティブに捉えることにします。