もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親友はたぶん・・・

先日書いた、親友のことですが。

ここ数日、色々なサイトを見回ってみて、彼女は「境界性パーソナリティ障害」というものではないか?と思う節がいくつもありました。

単なる素人判断なので、断言するつもりはありません。

昔はそんなことなかったんです。しかしここ数年、なんか変だなぁと、ずっと彼女に違和感がありました。一緒に居ても変なところで急に機嫌を損ねたり、キレたりするので、それに気を遣うばかりで、全然楽しくなかった。

それで、暇に任せてネットを渡り歩き「ん?何か、ほとんどの項目に見覚えが…」と、なったのがこれでした。

彼女の生い立ちや、若い頃の人との関わり方。最近ずっと私が気になっていたこと。

心のどこかで「いや、思い過ごしだろう」と思おうと、、いや、思いたかったのですが。逆に主な症状を知った後のほうが腑に落ちるような…そんな感覚に陥りました。

もう、彼女からは連絡も来ないので、これっきりですが。

もしこの後も彼女が同じように他人に振る舞い、生きて行ったとしたら。

結構しんどいことになるんじゃないかなぁとも思います。

彼女には「病院に行こうか」と、声をかけてくれる人がいるのだろうか?(旦那さんはいますが)

そもそも、本人が気が付くことがあるのだろうか?

お節介なのはわかります。でも、どうでもいいやって気持ちで20数年も友達やれないですからね。少し気になる部分も、なくはない。まだまだ人生長いですしね。

もう少し早くこのことに気がついて助言できていたら?と、思う日もある。大切な人だったから。

しかし、本人に「そうではないか?」と言うのは厳禁!本人が気付くのを待つしかない!と謳うサイトもあり。

 

結局、ここまでのご縁だった、ということなんでしょうね。

 

何でもかんでもパーソナリティ障害だ!と言う風潮もどうか?という意見も見かけたし、あれだけ種類ありゃ、どれかあてはまるわな、って意見も。

 

まぁ彼女が問題なく暮らして、お節介に終わればそれでいいんですけどね。

友情の糸が切れた日

20数年来の親友と喧嘩をしました。

喧嘩と言ったら語弊がありますが、お互いの意見がどうしても合わなかった、といったところでしょうか。私は、直接会って話をしたかったのですが、会う約束を相手が一方的にキャンセルし、連絡を絶って今に至るという感じです。

 

私は最後まで汚い言葉や暴言は吐かないと心掛けて冷静に話し合っていたのですが(電話だとお互い感情的になるので、LINEでのメッセージのやり取りをしていた)最後の最後にかなり品のない罵詈雑言のメッセージを受け取り、今彼女はまともに話ができる状態ではないのではないかな…というのが正直な感想で、返信をやめました。

 

詳しい内容はかなり長くなるので割愛しますが「お互い様」と私は思っています。

なので、どちらがどれだけ悪い!とか、許す・許さない!とか言う気も私はありませんでした。やってしまったものは仕方ないし、それをふまえて「今後どうするか?」を話そうと思っていました。

 

しかし、彼女は1歩話が進みかけても「そもそも悪いと思ってるのか?」と話を戻し「これからのことを考えたい」と言うと「人の気持ちを無視してさっさと進むのか」と言われます。まさに「ああ言えばこう言う」状態。

きっと彼女は「今回のこと、全部私が悪かった。ごめんね」と言ってほしいのかなと思います。

 

もちろん、悪いと感じたことは素直に謝りましたが、何でもかんでも「ごめんね」という訳ではありません。もし、彼女の気を悪くさせたことでも「気分を害した」ことについては謝りましたが、自分ではこういう考えがありやったことだから、やってしまった「事実について」何でもかんでも謝罪する気はないとはっきり言いました。私も意固地なんだと思うのですが、それをしてしまうと、関係性が対等でも何でもなく「上下」になってしまうと思うのです。そして、そもそもそれは、彼女の態度の悪さ(後ほど説明します)が招いた結果なので、言わば彼女にとっては「自業自得」なんです。

 

その代わりと言っては変ですが「でも、次はもうしない」と、約束はしました。しかし、彼女はその「次」を与えようとしない。とにかく、そのひとつのことにいつまでもこだわり、やった事実全てについていつまでも謝罪を求めます。(と言うか、謝ってんだけどなぁ…ということも延々と責め立てます。ヤ〇ザじゃないんだから…)

 

誰でも、カッとなることはあります。私も確かにひどいことをしました。なので彼女が怒るのも想定内でした。

しかし、それは元はと言えば先ほど書いた「彼女の態度の悪さ」が原因です。

先日、半年ぶりくらいに会って「久しぶり!」すら言う前に彼女はカンカンに怒っているんです。原因は「道に迷った!」。それをMAX不機嫌になって当たり散らすのです。本人は「あなたにやった訳じゃない。無意識だった」と。しかし、2人しかいないのに、そんな態度で来られたら、引き受けるのは私しかいません。

「不機嫌」「きつい口調」だけは、母のトラウマがあり、どうしてもまだ慣れることができません。また、毒家庭育ち特有ですが、とっさに「私のせい?」という考えが働き、しどろもどろでフォローをしました。頭が真っ白になり、その後の予定も全く楽しめませんでした。私が毒母のことで悩んでいたことも、不機嫌が怖いことも知っているはずなのに…(もちろんそれは話しましたし、話しているうちに泣いてしまって、自分自身相当悲しかったんだなと気付きました)

それは今でも許せません。でも「許せない」と先へ進むことをやめて、彼女を責めるのは違うと思って「やってしまったことは仕方ない」と思って、これからを考えたいと私はずっと言っていたのですが。

それを彼女は「お前は悪びれる様子もなく、何が次へ進むだ!?」とでも思ったのでしょう。彼女だけが、私を責め立て、謝罪を求め、被害者ぶるのです。

そして「許せない。会いたくない」と言い放ちます。

ならば、言わせてもらうと私だってあんな態度を取られたことは許せない。今でも許してはない。そっちがそう出るなら、こちらもそこまでして友人関係を続けるつもりはない。これが本音です。

こちらが一方的に許しを乞うのが当たり前だと感じるのはなぜ?

「会いたくない」も、「会いたくないんだけど、いいかな」とお伺いも立てず、一方的。

かなり譲歩していたつもりでしたが

何 様 の つ も り だ ?

ネットでも色々調べました。ある病名が彼女にピッタリな気がしました。

しかし私は医者でも何でもないし、それは彼女自身か家族が気付いて何とかすべきです。そもそも病気でもないかも知れないし。

思いたくはなかったけれど、多分正常ではないな…と最近はうすうす感じていました。

そしてそんな彼女の口から出た言葉に耳を疑いました。

私のことを「異常だと思う」。

そこで、プツンと糸が切れたというか、あ、終わったなと確信しました。

もう、彼女に何の未練もありません。

思い出に罪はないし、今までありがとうの気持ちはあるけれど「これからもよろしく」にはならないし、新しい思い出は、金輪際一切いりません。

数十年の歴史は、あっという間に幕が下りました。

どうすればあんな風になれるのだろう?

中学生の頃、くーちゃんという女の子がいました。

 

彼女は、明るくて朗らかで人を笑わせる人気者で、男子からも女子からも「嫌い」という声を本当に聞いたことありませんでした。

成績こそあまり良くなかったものの、それを先生にイジられても笑いに変えて、どうすればあんな風になれるのだろう?と羨ましく思ったものです。

 

くーちゃんとは、1度同じクラスになったきり、高校に入ってからは交流はありませんでした。

しかし、ある朝、偶然同じバスに乗り合わせ、その後も何回か同じバスに乗ることがあり、くーちゃんは私より遠い高校に通ってるのに、このバスで間に合うの?と聞いたことがあります。

すると「誰も起こしてくれへんかってん!家族全員、寝坊」と、笑いながら話しているのを聞いて、耳を疑いました。

え?どういうこと??

私も恥ずかしながら、学生時代は親に起こしてもらっていました。

父が最初に起こしに来て、それでも起きないと母に起こされます。

1回で起きろ!と母に怒られるのが嫌なので、遅刻なんぞしたことありません。

姉の方が朝に弱く、何回言っても起きない姉の頭を私の目の前で母が叩いていたことも覚えています。

どこの家もそうだと思っていたので、家族全員が寝坊…?どういう状況?とカルチャーショックすぎて、その日はずっとそのことを考えていました。

朝起きなくて、怒られるどころか、親が寝ている…?

どうしても想像ができませんでした。

 

その後、またくーちゃんに会った時にもこんな話を聞きました。

くーちゃん「お父さん、ほんまうざい!笑」

私「なんで?何か言われた?」

く「行ってきますって言ったら、あ!くーちゃん!忘れ物!って言うから、え!何?って言ったら、お父さんなんて言ったと思う?『スマ~イル』やって!あほか!笑」

 

その時に、中学時代の「どうすればあんな風になれるのだろう?」の謎が解けた気がしました。

 

きっと、うちのような殺伐とした家で育ってないのだろう。

 

その一言に尽きます。

 

件の、遅刻については

確かに遅刻はよくない。見る人が見れば、くーちゃんのおうちは、だらしないのかもしれない。

でも、心構えとしてはその程度でいいんだろうなぁって。

 

学生時代、私は母に怯えながら朝起きてただけで、結局1人暮らしになってから数える程ではあるものの、寝坊したことも普通にあります。友達の所に遊びに行く為、予約していた新幹線の発車時刻に起きたこともあります。

あれだけ厳しく起こされてはいたものの、ただ母に怯えていただけで、身についたかは謎です。

厳しくしたからって、できるようになるとは一概に言えません。

それなら、少しでも嫌な気分にならず、おだやかに、しつけられるのがいいなぁと思うのです。

何回言ってもできなければ、叱ってもいい。

ただ、母はただ単に自分の機嫌にまかせて怒鳴っていただけの時も少なからずあったと思います。

 

100歩譲って「あれはしつけだったんだ」と思ってはみるものの…

くーちゃんのお父さんのような「朗らかさ」は、うちにはなかったと思います。

 

実家での、あの殺伐とした、糸の張りつめたような雰囲気は、一体何だったんだろう、と思うこの頃です。

 

 

神様がくれたお休み

誰でも、殿堂入りしているドラマがあると思います。

 

私の不動の1位は、非常にありきたりですが「ロングバケーション」です。

最初の放送は私が中学生の頃でした。

あの時の山口智子さんのサバサバした感じがすっごくかっこよくて、冗談抜きで「あんな風になりたい!」と初めて思った大人の女性でした。

 

小さい頃から、自分はほわほわした女の子らしい雰囲気はないし、モテ要素がないことも気が付いていました。でも、ロンバケを見て、南が最後に幸せになった時に「私も南のようなノリで生きて、瀬名のような人を探せばいいんだな」と、本気で思ったものです。

他には「貴子(広末涼子さんの役)ちょー腹立つ!」とか「竹野内かっこいい」程度の感想しか出なかったんですね。中学生の頭では。

 

その後、再放送される度に録画しては見るんですけど、回を重ねるごとに、まぁ、泣けるんですね。

もう、一番最近に見た時なんか、わりと序盤で号泣です。

 

それで、ありきたりですが、瀬名のセリフをもし知らない人がいたら、人生損してる気がするので貼り付けておきますね。

 

ほら、あるじゃん、何やってもうまくいかないとき。何やってもダメなときって、ね。そういう時は、なんて言うのかなぁ、言い方変だけど、神様がくれたお休みだと思ってさ、無理して走らない、焦らない、頑張らない。自然に身をゆだねる

 

神様がくれたお休み!ほう!と最初に感銘を受けたのは、高校が嫌で嫌で辞めたかった時に見た再放送の時だったかと思います。

それから、うまくいかない時は瀬名のセリフを思い出してきました。

人生で一番私を励ましてくれたのは、瀬名と言っても過言ではない…

 

そして今まさに「神様がくれたお休みなう」です(言うて、何回お休みするんだって感じもしますが)

それでいいのです。

無理に頑張らない。

 

あと、ロンバケ論語り出すと夜が明けるので、今回はこのあたりにしておきますね。

(それにしても瀬名って草食男子のはしりだよな~)

負の感情はバネにならない?

家を出てからは、まず「母のことを嫌いと思う自分」を「だめじゃない」と認める作業の毎日でした。

何せ、家を出るにあたり「裏切り者」と罵られ(念のため説明すると、ここまで育ててやったのに、私の思い通りに家に残ろうとしないことは、親への侮辱であり裏切りである!という過干渉親独特の考え)本当に自分が「裏切り者の出来の悪い娘」と思い込んでいました。

 

「母を嫌うって、悪いことじゃないんだ」で、止まればよかったのですが、今までの理不尽なことに腹が立って「復讐」とか「上に立ってやる」みたいな考えが先に出てきたんですね。

お前、毒親って言うんだよってわからせてやろうか、とか、謝らせようか、とか。

もちろん、今はもう思いません。それ言ってわかるくらいなら、元々毒親になんかならないでしょうしね(笑)

 

そんな時に、でも、今までぬるま湯に浸かって暮らしてきたのも事実で、家を出て、本当に1人で生きていかなきゃ、の焦りもあって「何か資格とろう」と、思ったんです。(気付くの遅いし、単純すぎる)

まぁ、実家にいたらきっと何しても何かしら言われるし(こんなに通わなきゃなんないのとか、いくらかかったのとか、どんなことしてるの?見せてとか)せっかく横やり入れられず思ったことできるんだし!と、一念発起したのですが、最初から難関資格を狙いすぎて、合格は程遠く、3年ほどやってやめてしまいました。

 

けして真面目にやっていなかった訳でもないんですが、やめてからふと「私本当にこの資格取りたかったのかな」と考えた時、ちょっとかじったことがある程度で、別に好きでもないし、実際始めてからも嫌で嫌で仕方ありませんでした。

気付けば「あいつ(母)より偉くなってやる」みたいな気だけで勉強してて、それじゃあ頭に入る訳がないし、恨みとか怒りとか、そういう負の感情って、あまりバネとか励みにもならないのかなぁと後になって思いました。

「なにくそ!」だけで頑張れる人もきっといると思うんですけどね。

 

でも私はその勉強をしてる間、全く楽しくなかったので、「ワクワクする」とか「楽しそう」とか、それをやっている時の自分を少しでも好きになれそうなものが出てくるまで、やりたいこと探しを無理してやらなくてもいいかなぁと今は思っています。

 

それは、資格に限らず、他のことかも知れませんが、いつも「何もしない」ことが「悪」みたいな気になりがちだったので、今は「何もしたくないから、しない」でいいし、「何もしない自分を責めない」ことから始めています。

気付きの第一歩

仕事は6月末で辞めましたが、まぁ女ひとりしばらく食べていけるくらいの蓄えはあるので、数ヵ月休んでもいいか~と、1日中エアコンの効いた部屋でダラダラとしています。

「今日何してた?」と聞かれても、困るほど、たいして何もしない1日を過ごすこともあります。

こんな風に自分を許せるようになったのも、本当につい最近です。

 

まだ実家暮らしの頃、ある仕事を辞めた時も、今思うと相当心が病んでいました。

 

どうしても、当時の私には忘れられないようなパワハラまがいの発言を上司にされ、ボロボロで帰ると今度は、母からも「根性なし」などと数時間罵られ(笑)

怒りと悲しみに震えながら、よく母を刺さなかったものです(笑)

 

心を休めたくて、DVDをレンタルしてみたりしてたのですが…きっと私は根性なしのダメ人間なんだ…と、まんまと母の洗脳にはまり、もう気が気じゃなかったんですよね、せっかくの無職期間も。

ほんとは気の済むまで休みたいんだけど…母にいつも監視されているみたいに感じて。

 

実家にいた頃、いつの頃からかなぜか休日や夕飯後に自室でうたた寝してても、母に「寝てた?」と聞かれたら「いや、起きてたよ」と嘘をつくのが当たり前でした。

「うたた寝」なんか、ごく普通のことだし、母だってすぐ寝る人だったけど、なぜかいつもそうあしらっていました。

自室が2階だったので、うたた寝してても母が階段を上がり始めたらその足音でパッと起きる(プラス、まるでずっと起きてたかのようにマウス片手にパソコンデスクに座る)という何ともしょーもない技を身につけました。

 

多分、学生の時から、母はうたた寝しているのに、子どもたちには「寝るな」と怒っていたからだと思います。確かに仕事と家事の両立はしんどかったと思う。でも、子どもだって、1日遊んでいる訳でもないです。ましてや小学生の頃は、毎日片道3kmほどの道のりを徒歩で通っていて、元々体を動かすのが嫌いな私は正直へとへとでした。

それでも「この家で一番しんどくて、頑張っているのは私」アピールを母にされるもんだから、しんどいとか眠いって子どもが言っちゃいけないんだ、みたいな気持ちになってたんだと思います。

 

 

数年前、母との大喧嘩の末、逃げるように小さなアパートで暮らし始めた頃。

その時借りていた部屋がちょうど階段の真横の部屋で、人の気配がわかるんです。

休日の夕方、1人で昼寝をしていた時に聞こえてきた足音で、「やばい!」と思って飛び起きたんです。

寝ぼけながらもさっきのしょーもない「技」が発動されたんですね。

 

そこで「そっか。もう、寝てない!って嘘、つかなくていいのか」と、初めて気が付きました。

 

それから、昼寝やうたた寝を、気配を気にせず堂々とできるようになったのは、もう少し経ってからでした。

 

実家を出れば、確かに母の姿は見えなくなりました。

でも、こうやって、いろんなことが「母基準」で成り立っていたことに気づき

「実家を出たら解決」では、全く!ありませんでした。

 

その、気付きとなる、はじめの一歩のエピソードでした。

やっぱり書きたい

このブログを始めてすぐ、母の縁故で入った会社で勤め続けることに限界を感じ、2度転職をしたものの、心に限界が来て、現在無職になりました。


ずーっと色々書きたかったけれど『働かなきゃ!』という思いに駆られ、なんか色々勢いだけで走ることが無理だ…と感じ、一度自分をお休みさせてあげよう、と思った←今ここ です。

日々、思うことはたくさんあって、何か書きたい!という気持ちもあるものの実行できなかったことを、今この(暇な)タイミングでやろう!と思った次第です。


思えば昨年、縁故で入った会社を辞める時が、30過ぎて、初めて自分だけでやった転職活動でした。

普通の人からしたら信じられないと思うけど、私は働くところを自分で決めたことがありませんでした。

若い頃のバイトも、社員で働いたとこも全部、求人広告やハロワの求人票を母に見せて『ここにしなさい』と言われた所へ面接に行く。
ちょうど不況の頃に会社を辞めてしまい、やむなく母の縁故で再就職し、そこで一番長く勤めたために三十路も迎えてました。


昨年の夏を思い出すと、、怖かったです。
皆が20代、若ければ10代で経験することを、30代で初めてやるのだから。

幸い、今はネットで何でも調べられる時代で、だいぶ助かりました。

『若い時から自立してない自分が悪いんでしょw』そんな声も聞こえて来そうです。

しかし毒親育ちの怖いところって、ここなんですね。
本当に、親がやってることを『おかしい』と思わない、思っても『おかしい』と声を上げられない。(声を上げると倍以上で返されますw)


結局、色んなことがあり、今は無職ですが後悔はしていません。

毒母と精神崩壊寸前まで同居した数年、ずーっと走り続けて来て、立ち止まるのが怖くて。
1人暮らししてからも、転職しても、いつもどこかで『走り続けなきゃ!』と自分で自分の尻を叩いていたような感覚。

それが、今年の初夏、心の不調として表れた時に『1回気の済むまで休もう。私は十分走り続けてきたじゃないか』と、自分を甘やかし、休むことにしました。
いや、まぁ、自分には十分甘いんですけどw

本当はこのブログは、自分の母のおかしさを時系列で紹介するブログにしたかったのですが

今は思いつくままに、書いて行こうと思っています。