もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

親をナメる、とは

最近、世代のことについてよく考えているので、それに関係することを検索しているのですが

母より少し下の世代の方のブログが毒親というワードでヒットしたので読んでみました。

その方は、幼い頃ちょっとした言動が気に食わないと「親をナメるな!」と、しつけといっては酷い暴力を親からふるわれていたそうです。

親から子への暴力は、当時では珍しいものでもなかったようですが

その方は、そういう「当時は当たり前だった」ことを「おかしいことだ」と認識されて、発信されていることがすごいなと思いました。その年齢で、です。

 

もちろん、みんながそうではないけど、母含むあの世代の人を見ていると

厳しく育てられたんだなってことも確かにわかるのだけど、それが「今の時代にはそぐわない」ことがどうもわからず

自分たちの頃はそうだった、そんなの当たり前だった、それを「正解」「素晴らしかった」と信じきっているから

そういう教育をされていない若者はダメだ!とか言ったり、ふんぞり返って偉そうにするのかな?と思う時があります。

 

母も自分で「親が上・娘が下」という潜在意識のもと過ごしていたことを自ら暴露したようなものでしたが

tari97.hatenablog.com

そう言えば母にもよく「親に向かって何やその口の聞き方!」とか、とにかく「親をナメんな」感満載のことを、よく言われました。

 

私はナメてるなんてめっそうもなかったし、大体よく考えたら、ハナから親にナメてかかってやろうなんて思う子どもいますか?

私はもし怖くないお母さんでも『ナメてかかってやろう』なんて思わなかったと思います。

その証拠に、昔母に述べていた感謝や敬う言葉は全て嘘ではなかったし、心から母を尊敬して、感謝もしていたから

怖くなかったらよかったのにとは思うけど

怖くなかったらもっとナメてかかってたのにとは思いません。

 

ハッキリ言って、子どもが親をナメる?それって独特の古い感性じゃない?って感じなのですが

昭和の初期は、何か子どもにナメられたら困るようなことでも、あったのだろうか?

本当に子どもが親をナメていたのだろうか??

 

すると先ほどの方のブログで、道を逸れてはいけない!厳格な家庭こそが素晴らしい子を育てる!という風潮があったようですが(ここまでは、まぁわかる)それと「だから少々殴ってもOK」という大きな勘違いがあったようですね。

それが「親が子どもにナメられたら終わり」みたいな考えに繋がったみたいです。

先生がしつけと称して体罰しても殴られる子が悪い・むしろ殴ってくれた先生に感謝!ぐらいの考えだったようなので…

確かに今はちょっとしたことも過敏に騒ぎすぎじゃね?と思うこともあるけど

罰を与えてわからせる(肉体的・精神的どちらも)みたいな、それってそもそもすごく「子どもを下に見てる」と思うんですよね。

子どもって、そこまでバカじゃないですよね。

 

部下に偉そうに言うのも同じです。

『そんなに偉そうにふんぞり返って、一体何が気に入らないの?』って思わず出かかる人って、私の経験上母と似たり寄ったりの世代の人が多かったです。

上司をナメるな!ってのが、態度に滲み出た結果、といったところでしょうか。

 

母を見ていると、幼少期、厳しくされて辛かったからこそ美化したいのだろうなと思う時があります。

あの時の辛い気持ちは無駄ではなかったと。そう思うのは勝手です。

けれど、次世代に押し付けることはいい加減やめた方がいいと思います。

 

私もしょうもない親だったから、実家で暮らしたあの約30年を、無駄だったとは認めたくはないです。

けれど、絶対に「正解」ではなかったし、あんな思いをしながら暮らす人は、今後1人でも減ってほしいなと思います。

だから、自分で消化して、他人や下の世代に当たったりせず生きたいと思うのです。

 

本当に大人になるって、そういうことではないですかね?

知りたくもない母の過去の話

母は娘にあれだけ偉そうなことを言っておいて、小心者でビビリというところも腹が立つけど、もうひとつ「どの口が言ってる」な案件があります。

 

毒親は、徐々に女らしくなる娘を敵視してくるのもよくある話です。

母の場合、私に異性の影がちらつくと「婿に入って貰えるか」「一緒に暮らせそうな男性か」の心配がメインでしたが

化粧が派手だの、服の胸元が開き過ぎだの、学生の頃なんかは髪をのばそうとすると「短くしたら」と切るまでしつこかったり、今思えば『私が女らしくあることが気に入らなかったのだろうな』ということも少なからずありました。

tari97.hatenablog.com

 

そんな母だから結婚前もさぞかし清純な時代を送ってきたのかな?と思いきや実はそうでもなかったらしいというのが近年わかりつつあります。

 

まず、ずーっと聞かされておらず、確か私が短大生くらいだった頃に父がバツイチだと知りました。

どうやら、父は前妻との間に子どもが生まれず、どうしても子どもの欲しかった父は別れを決意したらしい。

当時はその辺りまでしか聞かなかったので別に驚きもしなかったけど、つい最近なぜここに移り住んできたのか?という話とともにその元奥さんとの争奪戦につき詳しく聞く機会がありました。

 

母は、当時若さが武器だったので(元奥さんは父と同年代なので、母よりも20歳弱上だったことになります)調子づいていたのは安易に想像がつきますが、元奥さんもなかなか父を手放そうとしなかったらしく

結局父が半分逃げるようなかたちで家を出たそうです。

 

両親は同じ職場で出会ったので、高卒で入社した母はほどなくして父と付き合うようになりましたが、奥さんから逃げる為に父はその会社も辞めたそうです。

(言ってみれば、父はそれほどの決心をしてまでも子どもが欲しかったのだと言えます)

そして、母のみが居場所を知っているみたいな感じになって、足繁く父宅に通っていたそう。母が20歳前後のことだと思います。

 

私には、アイドルオタク繋がりの友達(なので、もちろん女性)と泊まると言っても「ほんまやな?ほんまに女と泊まるんやな?」とか、20代も後半の娘に疑いをかけておいて、自分は結構なことしてますよね(笑)

まぁこんなのはまだかわいいものです。料理ができるのが自慢だった母は、そうやって父のアパートで若奥様を気取るのが楽しかったのでしょう。

 

 

もうひとつ、これはわりと最近(と言っても7~8年くらい前かな)母と婦人科系の話をしていた時に、めっちゃドヤ顔で「私は子どもできやすいからな~」と言ってきたことがありました。

するとさらに聞いてないのに「高校の頃、子どもができて、こっそり病院でおろした」という話をされたのですが、その時はさすがにドン引きしました。

 

『え?親や学校にバレへんかったん?』と聞くと、長期休みだか連休かの時に「友達の家に泊まる」とか何とか言って、こっそり中絶したらしいです。

 

その時はさすがに、母を見下すというか

何かこの人ほんと色々終わってんな、と正直思いました。

しかも「いけないことしたな…」みたいなニュアンスでもなく、どうかしたらちょっとした武勇伝かのごとく言ってきたので…(あれも、もしかしたら男っ気のない(ないと言うか母には言ってないだけですけど)私への自慢だったのかも知れませんね…)

 

しかも母は年をとってからの方が何かとそうやって「実は…」ニュアンスの話をしたがっていたように思います。

 

 

私にはそこまで人に言えないような過去もないけれど、それでもやっぱり異性とのいざこざや、そういう立ち入った話をもし子どもがいてもしないと思う。

例えしつこく聞かれても、です。

(手続き上必要だとか、法的に話さなければいけないことならば別ですけど)

 

こうやって、母の昔話を聞いていると、プライベートの話は

「(同性の)友達とこんなことした」とか「こんな趣味があって没頭した」とか「どこへ出掛けた」とかがまるでなく

本当に、オトコを追っかけ回して、それに伴い起きた事項ばっかりなんですよね。

別にそれはそれで母の人生ですから、母の勝手ですけど

娘にまで共有させなくて、いいと思うんですけどね。

 

 

これも結局かまってちゃんすぎて、誰かに話したかったのかも知れないけれど

少なくとも、デキちゃった!なノリで親が中絶したことは、知りたくはなかったかな。

リアクション恐怖症

私は気が利かない方ではないとは思うので(あれだけ毒親の顔色をうかがって生きてきたので、嫌でも身についただけですが)

職場とかでも色々と気はつくのだけれど行動にうつすかどうか?と問われれば微妙です。

 

10年以上事務職をやってきましたが、どちらかと言うと、あまりイレギュラーなことは求められないのでそうやって気付かないフリでも何となく通ってはきましたが(改善して等指示があれば、その都度やってきたという感じ。自分から『こうしてみては?』というような働き方はあまりしてこなかった)

今の副業は私の苦手な「接客」の要素もあり、もちろん臨機応変さが求められます。

ただ、気はついていても、咄嗟に行動に移すことがどうしてもできません。

こうした方がいいかな?いや、でもと考えているうちに上司にこうして!と言われやっぱりやった方がよかったか…の繰り返しなんですけど

やっぱりどうしても「言われてないのにやる」その一歩が踏み出せません(相手がお客なのも、あるかもしれない)

これでは接客は向いてないなというのは百も承知ですが、一応弁解しておくと「事務職」で募集がかかっていて、いざフタを開けると接客の要素がかなりを占めていたという感じだったのです。

 

例えばこれは休憩中にみんなにお茶いる?と聞くとか、男性社員には勝手にお茶を入れる女性社員もいるのだけど、私はそういったことをどうしてもできないのです。

時々『あ、お茶入れてませんでしたね~!すみません、気がつかなくって!』とか、あたかも『今、気がつきました』感出して、私こういうキャラでごめんなさい的にごまかしたりもするのだけど…気がついているけど、最初の一言が言えないだけ ⇦ 真実はこれなのです(情けない)

 

例えば勝手にパソコンでマニュアルみたいなのを作って『作ってみました』『また見てみてください』とか言うのは、まだ平気なのです。もし誰も必要なくても、そのファイルはパソコン内に存在し続けるだけで、いらなければ削除したらハイおしまいなので。

 

けれどリアルタイムで相手の反応がわかる状況になると、どうしても緊張してしまいます。

色んな人がいるから、その人数分答えもあるのは頭ではわかるのだけど…

なんでこんなにビビってしまうのかな?とずっと考えていましたが

やっぱり「そんなことやらなくていいのに」みたいなリアクションをされるのが、どうしても怖いのです。

逆に考えたら「やってくれたらよかったのに」と言われる可能性もあるのだけど

私は前者の方が『せっかくやったのに…』というあの気持ちにまたなりそうだから苦手です。この記事に書いています。

tari97.hatenablog.com

 

これは少なからず、母からの心ない一言も影響してるのではないかなと思っています。

母は大体、やってほしいことはやれと指示してくるので、上に書いたように「やってくれたらよかったのに」と言われる可能性もそもそも低かった訳です。

母がやってほしいことは、こちらが嫌なことでも、やるまで言われましたし。

(それでも「言われてからやったって値打ちないで」とまで言われることもあったけどね)

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気を利かせてやったことも、母は自分が気に入らないと文句は言うわ貶すわ

何で毒親って、やってくれたことへの「ありがとう」のたった5文字が、まず言えないんでしょうね(笑)

 

逆に、私が気を利かせてやったことが母にとって良い結果であったとしても「ありがとう」の前に「(これくらい、やって)当たり前や」とか「もうちょっと〇〇の方が良かったけどな」とかね。

指摘や自分の感想を述べるなとは言わないけど、せめてその後でもいいから「けど、やってくれたことはありがとうね」の一言でもあれば、違っていたかも知れません。

 

結局、何をしたってそういう言い方しかされてこなかったから『私がやることなんて、たかがしれているのだ』『むしろ(関西弁で言う)いらんことしぃなんだ』という意識がどうしても抜けないのです。

 

まぁでも、今の副業の職場ではちょっとそういう注意をされても、あまり『せっかくやったのに!』とは思わなくなりました。

 

職場環境が良いからなのか、自分が変わったのかは、わかりませんが…

バッサリ切り捨てることへの罪悪感

雨の日の通勤は季節問わず厄介ですが、梅雨どきは特に滅入ります。

今日は雨だったので、また母の言葉を思い出していました。

 

「JRは、吹きさらしやろ!」「だから母さん、JR嫌いやねん」と、わざわざJRで通勤している娘の前で言わないと居れない母でしたが

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こういう時に親子であっても『母さんはそうなのね。だけど私は違うから』で、一般的には済むのだろうな、ということがわかったのはつい最近です。

 

たったその一言をなぜ私は母に言うことができなかったのだろう。

今となってはそうも思うけれど

やはり昔は『そんな返事を母にするなんてめっそうもなかった』訳です。

 

時々、私もそういう返しをしてはいましたが、毒親というのは「あなたはそういう意見なのね」という線引きを他者との間に引くことができず、自分と異なる意見の人はたとえ娘相手でも否定対象だし、自分の意に反して行われたことならもっと貶すこともあります。

何が何でも自分の意見に賛同させようとします。

 

言われて確かに腹も立つのだけど

母親がそう言ってるなら…そうなのかな。

母親がだめって言うから…だめなのかな。

私は昔からずーっとそう思って、母に合わせて生きてきました。

 

例えばそれが赤の他人なら『人がいいなと思ってやってるものにケチつけんなよ。てか、ほっとけ』となるんだけれど「実の母親」ということが、そうやってバッサリ切り捨てることへの罪悪感を抱かせるのです。

ここが本当に厄介です。

 

確かに私もいい歳して親の言うこと聞き過ぎてたな、とも思うけど

子どもの頃は親の言うことを聞くことは、何もおかしいことではないです。

だんだん子どもも自我が芽生えて『母さんはそうかもしれへんけど、私はこうやねん』という子どもの意見が出てくるわけで

多少「生意気な」と思ったとしても「そうか」と、聞き入れることもまた親の役目なのだと思う。

 

それをいつまでも「母さんはそうは思わない」の主張から始まり、意見が食い違うと否定し貶し「意見が合わないこと」を「悪」のように言われたらこちらもそうなのかなとか本気で思うし

母と違う意見の自分はだめなんだ、間違えてるんだとも思うし

いい歳になる頃には、だんだん『言っても仕方ないし』と、諦めにも似た感情で毒親に接し始めます。

 

今思えば「たかだかそんなことで」というようなことでも自分に合わなければムキになって貶して

それに従って私自身も、やらなかったり我慢したことがどれだけあるか…

悔しいですね。

 

母は「もう生まれ変わった」とか「もう昔みたいに、やいやい言わない」とか言って

それだけならまだしも「昔だって、たいして偉そうになんて言ってなかったでしょ」みたいな態度でほんと腹立つ時あるんですけど

 

自称「生まれ変わった」頃にはとうに娘は母親に見切りつけてますからね(笑)

梅雨どきになると思い出すこと

実家には昔から庭がありましたが、誰も関心がなく手入れ等もほとんどしていませんでした。

母は時々思いついたように芝や花を植えたりしていましたが、継続して手入れをしないためにあっという間に雑草が茂り、また母が思いついた時に「雑草を刈れ」と言ってくるのが本当に嫌でした。

とくに興味もないのに、急に思いついて植えてはほったらかしにするとかいうところは、また「ネジ1本足りない感」がありますけど。

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父が元気な間はほとんど庭の管理は父がやって(やらされて)いましたが、私がいい歳になると今度は私にやらせようとしました。

そんな母なので、思いつきで植えてはほったらかしにするの繰り返しでしたが、なぜかあじさいだけが生命力が強く、庭の一角に毎年花が咲いていました。

 

梅雨どきになると必ず思い出す話があります。

 

小学校の頃、各クラスに大きな花瓶があり、時々、生徒が任意で持って来た花が活けられていました(農家の子もいて、家で育てた割にはわりと立派な花を持ってくる子もいた)

 

あじさいが咲くと、普段庭いじりなんかしない母があじさいを朝一番に切って、学校に持って行けと言うんです。

私はこれが嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

まず「持って来てね」と言われた訳でもないのに『お花持って来ました』と先生に言うのが私には押し付けがましく感じて嫌だったし

人の目を異様に気にする性格だったので、それを持って登校するのが恥ずかしい(学校までは3キロほど徒歩で通っていました)、着いてから先生に渡すタイミングがわからない、もしまだ前に活けている花があって花瓶が空いていなかったら?などと、心配事が増えるのも嫌でたまりませんでした。

普段生きるだけでもいっぱいいっぱいだったのに。

 

母が花を切り始めると『うわ、また持って行けって言われる』と察知して、わざと手提げかばんに荷物を分散させて『今日は荷物が多いから、持って行くの無理』とか、やってはみるものの、母に「たりに持たせる」以外の選択肢はないし、そのうち怒り出すに決まっているので、渋々持って行くの繰り返しでした。

 

私は『嫌だ…嫌だ…』と思う感情を押し殺して『学校にお花持って行くくらい、どうってことない!』『これくらいのこと、できなきゃ』と自分を奮い立たせていましたが

大人になった今、あんなに嫌な思いをしてまであじさいの花を持って行ったことが果たして何の役に立ったのか、甚だ疑問です。

 

母を怒らせたくないからと、嫌々やったことは、ほとんどこれで

正直『あの時耐えてやってよかった』と思うことは、すぐに出てきません。

逆に『嫌で嫌で仕方なかった』と思い出すだけでも嫌な気分になることは、いっぱいあります。

 

今くらいの時期に街であじさいを見かけても、毎回その時の気持ちを思い出して憂鬱な気分になります。

 

お花を持って行くことも確かに嫌だったけれど、それよりも

「何で、お花持って行くのが嫌なの?」と聞いてくれないこと、こちらの意向を全く無視されたことが嫌だったのです。

 

私の母親はもう手遅れですが

どうか、今親をやっている人には「こういうこともあるんだな」と知ってもらえる材料になればと思います。

 

大人になった今は何てことないことでも、子どもにしたら一大事なこともあるのです。

子どもには子どもなりの世界観があって、小さな世界の中で一喜一憂して必死に生きているのです。

大人の都合だけで、それを軽視されたりバカにされることは、子どもが大人になって世界が広がってもずっと心の中でモヤモヤが残ります。

 

ワガママを何でも聞け・親が折れろということではなく

子どもの主張にただ耳を傾けてあげてほしいというだけです。

 

母はそういうことを、ほとんどしてくれませんでした。

それってそんなに難しいことでしょうか。

過去の栄光にいつまでもしがみつく母

前の記事で「移り行く家族のかたち」に対応しようとしなかった母の未熟さ と表現しましたが

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これは母が「家族が歳を取って、役割や立場が変わる」ことにいつまでも抗い続けていた、ということです。

昔は自分が王様、家族は母の言いなりでしたが、みんな歳を取って価値観や生活スタイルが変わるとそうもいかなくなります。

母はそれを受け入れることができなかったのでしょう(できないと言うか、受け入れる気がなかったの方が正しいかな)

 

私がもう我慢ならず『家を出る』と言っていた頃、何とかして出て行かせたくない母は、姉に「出て行くなと言え」「それが姉としての役目だろう」と、命令していたそう。

姉は『たりにはたりの人生があるから、私がとやかく言うつもりはない』と拒否したそうですが、母からの度重なる押し付けに、気が滅入ったと話していました。

私が一番慕っている姉を使って「ほら、姉ちゃんもそう言ってるから」という切り札にしようとしたんだろうなと思うけど、これも結局そうですよね。

変わって行く家族の考えが自分の意と反していると、どんな手を使ってでも自分の思い通りにさせようとしていたことになります。

 

このように、母は「変わっていくこと」を、異常なほど受け入れようとしませんでした。

きっと、何でもすぐに決めつけ、イレギュラーに弱い「柔軟性のなさ」が「変わること」への反発に繋がったのではと思います。 

 

母がイライラして、言うこともめちゃくちゃで手に負えなくなっていたのは、私が家を出る前の数年が一番酷かった印象がありますが、何をそんなに怒り狂わないといけなかったのだろうとずっと疑問でした。

 

けれど、多分これも自分が家庭内でさほど称賛されなくなったことが、面白くなかったのだと思います。

その「変化」を、断固として受け入れたくなかったのでしょう。

特に母は料理の腕に絶大な自信をもっていたので、そこをいつまでも称賛の対象としていてほしかったのだと思っています。

母は承認欲求のかたまりですしね。

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しかし、父は完全に酒さえ飲めたらいいみたいな態度で「もっと手の込んだ料理作ってよ」とも言わない、私は私で外食によく行くようになって「お母さんのごはん」がさほど楽しみでもなくなり、姉も結婚当初は実家によくご飯を食べに来ていましたが、ある時から全く来なくなりました。

 

皆、母に意地悪してやろうとかそんな気でやっているのではないし、こんな風に家族が変わって行くのはある意味想定内だと思うのですが(ただ、家族全員が母のワンマンっぷりに辟易していたのも事実)

料理に充てていた時間や労力を別のことに向ける知恵がなかった母はいつまでも「料理上手のお母さん」にしがみ付き、昔のように称賛されていたかったのだと思います。

 

その証拠に、実家にいた頃私が何度いらないと言っても、早起きをしてお弁当を作っていました。私はこれ以上母に借りを作るみたいなのが嫌だったし、本当にいらないからいらないと言っているのに

まるで私が強がっているかのように決めつけ

「そんなこと言ったって、食べるでしょ」みたいな感じで、作り続けました。

(ある時かなりきっぱり、理由も述べてからやっとやめてくれましたが)

正直、母はその頃少し頭がおかしかったと思います(いや、元々どこかがおかしいんだけどね)

何か、頭のイカれたストーカー女みたいでした(私のこと、好きでしょ?ね?ね?みたいな)

 

自信のある「料理の腕」で娘の心をいつまでも掴めると思ったのでしょうね。

最後はもうゴリ押しでしかなかったし、私は正直「料理上手のお母さん」なんかよりも「娘を1人の大人として認め、対等に接することのできるお母さん」になってほしかったんですけどね。

 

 

「家族」が崩壊した理由を考えてみた

幼少期を思い出すと、家や家族が大好きだったので

だからこそ、何で私の家族はあんなしょうもない末路(母はずっと毒を吐き、父は飲んだくれて、私は精神的に病む)だったのだろう?

何がいけなくて、どこで歯車が狂ったのだろう?と最近すごく考えます。

 

 

両親は年の差婚だったから、父は「祖父」でもおかしくないくらいの年齢でしたが

今思うと、父の方がよほど朗らかで「楽しく生きればいいやん」みたいなイメージがありました。

その分不真面目さもありましたが「楽しく、笑って暮らす」という部分では、父は長けていたと思います。

 

晩年、酒に飲まれて過ごした父はみっともなかったし、人当たりの良さだけが取り柄の父も信じられないくらいの暴言を吐くようになっていましたが

昔の父を思い出すと、人当たりの良い部分はもちろん「娘たちの好きなものを否定しない」ところも、好きでした。

 

母のように自分の価値観に合わなければ「そんなつまらないもの」と一蹴したり

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そういうことは絶対になくて「へ~そうか。そんなんが好きなんか」と(本心はわかりませんが)話をそれなりに聞こうとしてくれていました。

 

若者の流行りを「わからん!知らん!」とか言わず「今こんなん流行ってるんやな」と話を振ってくれたり

近くに私の好きなプロ野球選手が来ると聞けば「見に行こう!」と連れて行ってくれたり

とかく「子ども好き」と豪語するだけあって、娘たちには神対応でした。

 

 

ただ、最近思うのは

おそらく、父の「神対応」はあくまでも「幼い」娘にしか、効力がなかったのかな?と思います。

 

娘が大人になって、だんだん話すネタがシビアになってくると、もう父の出番がないと言った感じで、思えばいつの頃からか父の存在感はすごくうすくなっていた気がします(それでも、母が留守だったりすると父とは穏やかには過ごせてはいましたが)

 

母は「頑張ってきた」「苦労してきた」と「母さんの言うことは間違えていない」が「だから」でくっついてしまっているので

姉が結婚のことでちょっと話し合いになったこともあったし

私は常に職のことで度々話し合い(と言うか喧嘩)にもなっていましたが

既に父の出る幕はなく、ずっと母は自論だけで一人で騒いでいたように思います。

 

父は「楽しく生きたい」派なので(働くのもそこそこ、お金もある分でやりくりして笑って暮らそ。ってタイプ)私がそうやって母にボロクソに怒られた後も必ずフォローはしてくれていましたが

母のスイッチが入っている最中にそういう「娘を擁護する」みたいな発言をすると「お父さんはそうやって甘いからアカンのや!!」「黙っといて!」と母に怒鳴られ、怒りの矛先が自分に向くので、仕方なく寝室に逃げるといった流れでした。

 

最近になって『父さん、もうちょい私を助けてくれても良かったんちゃう?』とも思いますけど(笑)事なかれ主義代表みたいな性格の父は、あのスイッチの入った鬼のような母の対応をするのが、心底嫌だったんでしょう。

でも、私の母である前に自分の妻なんだけどな。もう少し、夫である自分が妻の暴走を止めようと自覚があっても良かったんじゃないかな。

 

 

それから、母はそうやってキレて怒鳴り散らすのが日常茶飯事でしたが、昔は単純に娘が2人いたから、分散されていたのかも知れません。

これは、自分だけ嫁いで逃げやがって!と、姉を責めているのではありません。

 

結局、分散していた片割れがいなくなった分を全部私に押し付けた母が精神的に未熟過ぎたのだと思います。

娘への干渉が100、うち姉50・私50だったとして

姉が嫁いでいなくなった分の50は、普通は自分の趣味に回してみたり、楽できるわ♪と息抜きになったりすべきだと思うけど、自分のスタンスは変えないまんま「姉のいなくなった分50は全て、たり行き」だったのが、そもそもの間違いだったのでは?と感じます。

 

私も私で、その50を請け負わなくては、と

母のため・家族のためと必死で自分を取り繕ったのも間違いでしたが。(でも、やらないとまた攻撃されるので)

 

家族は歳を取り、かたちを変えていくものです。

それに伴い、役割も変わって当然なのです。

 

私の家族があんな末路だったのは

「移り行く家族のかたち」に対応しようとしなかった母の未熟さが生んだ結果、と言った感じでしょうか。