もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

毒母とのキッチン使用問題

昔から、キッチンに自分以外が立ち入ることを母は異様に嫌うところがあり

私は幼い頃から料理やお菓子づくりなんかをしたかったのですが、ちょっとでもキッチンを触られて自分の気に入らないこと(物が定位置に仕舞えてない・食材を勝手に使われる等)が起こると不機嫌になってキレるし

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母は何でも「危ない!危ない!」と、刃物や火から子どもを遠ざけ(結構いい歳になってからも)

子どもの頃はずっと『私が怪我するのを心配してくれているのだなぁ』と思っていましたが、おそらくこれは「子どもを心配している」というよりかは

「子どもが火傷や怪我をして、自分が面倒なことに付き合わされたくない」から、あんなにうるさく言っていたのだろうなと思います。

 

こんなだから、気軽にお手伝いもできないし、自発的に手伝うというよりかは「母に言われて手伝った」経験しかありませんでした。

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なので『こういうものを作りたいからキッチン貸して』とも言いづらいし(大体『貸して』も、おかしいのだけど)

かといって『こんなものをお母さんと一緒に作りたい』なんてことも、絶対に言えませんでした。

幸い、年上の姉がいたし、お菓子づくりくらいは時々一緒にやっていましたが

そういう時は本当に楽しくて、心の中で母に申し訳ないと感じながらも、『こんなお母さんだったら良かったのに』と、思ったものです。

 

そのうち姉も大学生・主婦になり、お菓子作りなんかも一緒にしなくなりましたが、私も歳を取って、お菓子(バレンタインとか)を、渡したい人が出てきます。

お菓子づくりをするには、一定時間、キッチンを使うことになります。

私は母にそれを言うのがどうしても勇気がいるので、嫌でした。

 

母は、自分が料理したいとなった時にキッチンを使われていると不機嫌になるのはわかっていたし、使わないであろう時間帯を狙って『後でキッチン使っていい?』と聞いても

不機嫌そうに「何作るん?」「別にええんちゃうの?手づくりなんかせんでも」みたいに言われます。

夜中にやっても「こんな遅くに」とか、「早く終わらせろよ」みたいな圧がすごいので

結局、バレンタインも何度か手作りをやりたかったけど、利用時間を交渉し、母からの圧に耐えながら作るくらいなら、買ったやつでいいや…と、手づくりのお菓子を渡せたのは2度ほどでした。

しかも、私が料理とかお菓子づくりをやりたいと交渉するのに、そうやってやたらと気を遣っていたのは20代になってからの方がひどくて、なぜだったのかなぁ?と考えてみると

手づくりしたのを覚えているのは高1、高2くらいの時ですが、その頃は私も結構放任されていた(母が外で男の人とよく遊んでいた)時期だったからだろうなぁ、と。

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友達なんかは「バレンタインの本番の前にお母さんと練習で作った」とか「彼氏にあげるのに、結局ほとんどお母さんが作った(笑)」とか

仲睦まじく母娘でお菓子作りをしている様子を時々話していましたが

私の家ではありえない光景でした。

元々、母は豪快・適当にやる料理は好きでしたが(そのせいで時々失敗していましたが)

「分量をしっかり計る」とか「手順をしっかり読む」等ができず、お菓子づくりは嫌い!とよく言っていたので、余計かもしれません。

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最近、姉の家に遊びに行った時に、姪(姉の娘)が「チーズドッグを作りたい」と言っていたらしく、姉と一緒に材料の買い出しに行って、3人で一緒に作り(途中で姪は飽きて、スマホをいじり始め、最終食べることにだけ専念していましたが)

そんなふうに過ごす姪が、心底羨ましかったです。

これが本来の母娘の姿じゃないのかなぁ…と、しみじみ考えていました。

 

母には『自分1人でやる』と言っても何だか監視するように「大事なキッチン、使わせてやってるんやぞ」みたいな圧を感じるし

かと言って母を巻き込んだって「たりのやりたいようにやってごらん」なんて口が裂けても言わない母でした。(どうせ「そんなやり方じゃあかん!」とか、「もうええわ!貸して!」とイライラされるのが目に見えてる)

もし子どもが途中で飽きたり、失敗しようものなら「それ見たことか」「だからそんなことしなくていいって言ったのに!」みたいに、ボロクソに言われることも安易に想像ができます。

 

母も幾分か「娘の目線に立って、一緒に楽しむ」ことができていたら、印象は違っていたのかもしれません。

 

ですが、最近になって『子どもなのは、母のほうだったのだ』『小学生くらいの精神年齢で、子育てしていたのだから』と思うようになって、それは無理な話だろうなとも思います。

 

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嫌いなことを「引き算」してみる

前回からの続きです。

 

最近、一番変わったなと感じるのは仕事への考え方です。

 

私は昔から母に仕事が続かないことをボロクソに言われてきたし、本当に自分は仕事嫌いのどうしようもない人間なんだなと思っていました。

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けれど、よくよく考えたら、私は元来「働くこと」は別に嫌いではないのです。

 

その証拠に(今は失業給付の関係でセーブしているものの)土日祝も働いたり、かなり不規則な出勤時間ですが、それなりに楽しく、派遣を切られる前は時々休みもなく働いていました。

 

では、働くことで私が一体何がそんなにネックになっていたのかと言うと

朝9時頃~18時頃(差異はありますが)・月~金という世間一般のサイクルが苦手なのと

仕事に付随する「通勤ラッシュ」と「人間関係」「仕事に直結しないことをやらされる」等が苦手なだけなのです。

これを自分の「やりたくないことは、やらない」理論にあてはめて仕事探しをするようになって、職場に行くのが昔ほど億劫ではなくなりました。

母のコネで入社したところなんかは、毎週日曜日の夜になる度に死にたくなるくらい月曜日が来るのが嫌で嫌で、当時の仕事内容なんて1日ネットして終わる日もあったくらい楽でしたが

とにかく車通勤もストレスだし(元々運転が嫌い・道が混むので普段の倍以上の時間がかかる)社風も、働いている人のタイプも、見事に合わなかったのです。価値観とか、考え方が…。

業務以外の活動も多く、「派遣だから」と一線を引いて参加しなくて済む派遣さんが羨ましくて仕方ありませんでした。

 

そこから、引き算を繰り返すこと数回

(車通勤をやめてみる、電車でもラッシュが嫌いだから出社時間の遅い仕事にしてみる、平日に休みが欲しいからシフト制の仕事にしてみる、人間同士のふれあいより時間内で仕事をやることに重きを置いてくれそうな所を探す など)

ずっと自分が勝手に思い込んでいた(親の刷り込みもあった)「仕事」への概念をこうやって引き算することによって、やっと仕事が死ぬほど嫌と感じなくなりました。

 

そして、不思議なことに「やりたくないことは、やらない」ことができてくると、職場でもストレスが減ったのか

自分の思っていることをハッキリ言えたりできるようになりました。

職場って、こんなに心地良い場所なのだと、自分でも驚いています。

数ヵ月経ったら、またどうせ辞めたくて仕方なくなるのだろうな…と思っていたら、もう半年以上があっと言う間に経っていました。

 

「通勤ラッシュなんてみんな嫌だよ」「人間関係なんて誰でもめんどくさいものだよ」

きっとそう思う人もいると思います。

 

けれど、逆に考えたらたったこれだけのことから「逃げた」だけで、こんなに快適に働くことができるならやってみる価値はあるのでは?と、実際にやった私は思うわけです。

ただ、我慢や耐えることを「やめておけ」という気は、私はありません。

もちろん、人それぞれ、守るべきものがあったり、事情もありますから

「そうは言ったって…」と思う方も、いると思います。

地域性もあるかも知れないですしね。

 

ただ、その我慢が、本当にできそうか?そこまで必要なのか?

耐え難いくらいのストレスになっていないか?

それを精査することで、死にそうな心が少しでも元気になるなら、やってみてもいいのではないかな?と思うだけです。

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毒親育ちは幼い頃から「嫌」「キライ」「無理」「やりたくない」「逃げたい」等の感情を、きっと人より殺して生きてきてしまっている。

それを大人になって、選択をして逃げたり、手放すことは甘えでも何でもなく

人よりたくさん持ち過ぎたものを、ただ「降ろす・捨てる」というだけのことだと、私は考えます。 

 

むしろ、甘えであってもいいと思います。

本来、甘えるべき場面でも『甘えたらだめだ!』と既にたくさん踏ん張ってきた毒親育ちは多いと思うからです。

 

このニュアンスが伝わればうれしいです。

 

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「やりたくないことは、やらなくていい」という幸せ

解毒を図る毒親育ちの人の中には、親に見切りをつけて「これからは楽しく生きよう!」と決心をする人も多いのではないでしょうか。

私もまさにそのうちの1人で、まず母と離れて暮らすようになったら、それだけで万事解決した!くらいの感覚になりました。

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しかし、本当の闘いはそこからで、母と離れたということはある意味今まで当たり前にやっていた「感情に蓋をすること」や「自分の本当の気持ちを無視すること」をやめていくということでもあり(もうその必要がないので)

ごまかしがきかない分、しんどい数年を過ごしました。

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もしかして、母の言いなりのまま、実家で暮らしていた方が楽だったのかも知れない…と本気で悩んだこともあります。

 

冒頭に書いた「楽しく生きる」

楽しくとは?と、当時、必死で考えました。

「自分のやりたいことをやる」「自分の道を自分で選ぶ」

きっとこんな感じ!と思ったはいいものの、なぜか、何もかもがうまくいかず

そんな中、人生初の心療内科にもかかり、仕事に行くことができなくなって

1日中、何をするでもなく数ヵ月家で引きこもっていました。

その時初めて「自分のやりたいことをやる」ではなくて「自分のやりたくないことはやらない」ことに目を向けてみたのです。

 

私は、昔からわりと自分のやりたいと思ったことはやってきたし、行きたいと思った場所にも行ってきました。

そんな中で『自分は、好きな物事には、お金も時間も惜しまず、それなりに楽しんできた。なのにまだ、満足できないのか』とずっと不思議でした。

一体、まだ何をやり足りないのだろう?と。

けれど、それよりも、自分のやりたくないことまでかなり親にやらされてきたことのほうが問題だったのだと、やっと気がついたのです。

 

私は自分の「やりたくないことは、やらない」という選択も、自分自身でしっかりやれてきたつもりでしたが、それ以上に母親から「やれ」「娘ならやって当然」ということが、とかく多すぎたのだと今になればわかります。

それを嫌々やってきたが為に「やりたくないことは、やらない」ことのやり方すら、わからないままだったのだと思います。

当時、仕事をまたやりたいと思うまで、何もしない!と決めたことで、そのスタートラインにようやく立てたのだと思います。

嫌なことも「親が言うから」「親が怖いから」と、我慢しすぎてきた毒親育ちの中には、こういう人が多いかもしれません。

今の私にとって「やりたいことをやること」よりも「やりたくないことは、やらなくていいこと」がこの上ない幸せなのです。

  

自分なりの「幸せになること」(=「やりたくないことは、やらない」という選択)のやり方がわからないから、せっかく親の呪縛からは解かれたのに、今度は世間一般の幸せの呪縛に縛られて失敗したりすることも、あるかもしれません(もちろん、それで成功したならめっけもんですが)

 

ちなみに私は、好きでもない資格取得の勉強をして、親を見返したら幸せになれると思って失敗したクチです(笑)

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イメージとしては、現状打破するためには「足し算」ではなく「引き算」が、その時の私に合っていたのだ、ということ。

 

では、そんな私がどのように変わって行ったか?

また次回に書きたいと思います。

 

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「子どもやから」を利用しないでほしい

ブログを書いてきて、母は家族相手にも支配関係を築かないと、共存できないことに気がついた訳ですが

気が付いてしまうと、あれもそのせいかなと思うことがどんどん出て来てしまって

良いのやら悪いのやらといった感じです。

まぁでも、ここに書くことによって昇華できる気もするので、できるだけ事細かに書いていきたいとは思っています。

 

この記事

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を書いた後に、やはり私は子ども(=支配下に置かれている立場)だからと、母にナメられていたのかな?という気持ちがどうしても拭えませんでした。

 

そして、

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昔から母は娘が何かができないとか、失敗すると「あほか」「何でそんなこともできへんのや」等と罵り、バカにするところがありました。

 

ほかにも昔から「アンタは子どもやから知らなくてもいい」とか

母はとにかく子どもへの対応が面倒なので「子どもやから」を理由に片付けられていたことも多々あったなと思います。

 

その割には、私も姉も幼い頃から母の愚痴のゴミ箱役をやらされていたし

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(大体今考えたら、あんなえげつない愚痴や悪口を娘に聞いて貰って当たり前だったって、だいぶおかしいです。曲がりなりにも親なんだし、大人なんだからせめて周りの大人に相談する程度にしとけよ、と思う)

 

そうかと思えば、娘が大人になって自分の方が無知であったり、任せた方が楽だと踏むと今度は手のひらを返したように

「アンタは頼りになるから!」とか「お母さん、な~んにも知らんねん!」等、調子の良いことを言って丸投げしたり、命令してやらせてきました。

 

その度に何も疑問に思うこともなく『これが娘のつとめなのだろう』と思い対応してきましたが、母は「子どもやから」というのを免罪符に、都合よく子どもを支配していただけで、その度に私の心は傷ついていたのだと思います。

 

「言うことに一貫性がない」のも、毒親あるあるで『おかしいのではないか』と意見をしても「お前は子どもやねんから、親の言うこときかんかい」と、力でねじ伏せられてきたことも多々ありました。

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それで思い出したことがあるのですが

母は昔からテレビが大好きで、チャンネル権も母にあったのでいつも『何見る?』と聞くついでにご機嫌うかがいをしていました。

テレビがついていないと母に「テレビつけてーな。何で(テレビ)つけてないん!」みたいに言われることもあったので

うちでは何となくテレビをつけるのが当たり前になっていました。

 

ある日曜の朝、私が起きてリビングに行くと母も起きて食卓の椅子に座っていました。

やはり、いつものくせで何となくテレビをつけると、しばらくして

「テレビ消して!」「朝からうるさい!」と怒られました。

『いつもつけてるやん』と私が言うと「母さんはな!日曜の朝くらいゆっくり静かにお茶飲みたいねん!」とちょっとキレながら言われて、また『はぁ?』と思ったことがあります。

私が小学生くらいの頃は休日の朝は家族揃って朝食を食べていましたが

その時も何かしらテレビはついていました。

おそらく、その日はたまたま他に考え事をしているとか、ただ単にいつもみたいに虫の居所が悪いとかだったのだろうと思いますが、母はいつもこうやって機嫌にまかせてすぐ「ゼロか100か」みたいなものの言い方をします。

なぜ「今日はちょっと静かにお茶飲みたいから、テレビ消して」というふうな言い方ができないのでしょうか。

で、また別の休日になればテレビをつけて朝から大笑いして

あまりに腹が立ったので『休みの日はテレビ見ぃへんのちゃうん?』と聞くと「母さんそんなん言うてへんでぇ~」ですって。

 

こんなこともありました。

私は自室にベッドがありましたが、朝起きて学校なり仕事なり行く時には朝起きたまんまの状態で家を出ます(わざわざ、布団を整えたりはしないという意味)

するとある日母に「出かける時はきちんとベッドメイクしてから出なさい」みたいなことを言われて(母はなぜかそこにだけはこだわり、確かに母のベッドは布団がめくれた状態のままにはなってはいませんでした)

ある時、朝の支度をしていたら母が部屋を覗きに来たのでベッドメイクを始めるフリをすると

「起きてそんなにすぐ布団なおしたら(元通りにしたら)湿気がこもるやろ!」「ちょっとの間、めくって空気入れな!」と言われました。

また、私の頭は混乱します。

 

とかく昔から母はずっとこういう調子でしたが

そういう混乱さえも、毒親育ちは『こんなものなのかな』と思って長年生きてしまうのです。疲れて当然です。

あっちこっち、意味のない道に「行ってこい!」と言われたかと思えば「早く戻ってこい!」と言われ、走り回っているようなものなのですから。

 

母はまるで自分一人だけが家族のために頑張ってきた!みたいな口ぶりでしたが

あんな幼稚で世間知らずの両親だったわりに、それなりに「家族」みたいなものが構成されていたのは

そういう自分勝手な母に娘たちが死ぬほど気をつかって合わせてきた賜物でもあると自負しています。

 

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なぜそういう言い方しかできないのか

時々、母とはランチに行ったりしますが、やはり2人っきりで会うことに私はかなり抵抗があるので、姉も含めた三人で会うようにしています。

別に私は母になんて一生会わなくても良いのですが(むしろ会いたくない)

母を病院に連れて行ったり、スーパーに付き添ったりを今は姉が全て請け負ってくれているので、時々参加することで少しでも姉への精神的な負担が減れば良いなと思って、参加しているだけです。

 

このメンバーで集まるとたいてい昔の話になり、母は「こんなはずじゃなかった」みたいなことを言います。

過干渉親にとって、一番面白くないのは「お母さんがいなくても、楽しく生きています」というのを見せつけること、というのも一理あると思っていて

別に復讐とかいう気ももうないし、本当は楽しくないのに無理している訳でもないけど

『あなたと離れてからの方が、人生とっても楽しく、充実しています』ということは、どうしても態度なり言葉なりで表現したくなります。

 

娘たちからは「母さんは(依存する&思い通りにできる)誰かがいないとほんとに生きられないタイプなんやな(そのくせに、あの態度w)」と、遠回しにバカにされ、呆れられて←もちろん( )内は言っていません

こんな食事会、楽しいか?胸糞悪くないのか?(笑)って思うんですが

それでも「家で1人でいるよりかはマシ」なほど、今の母はほかにすることも考えることもないということです。

母は1人でいたら、くだらないことを考え込み勝手に病むタイプなので

こんな会でも、楽しそうにはしゃいでいます。

そんな母を私は『バカみたい』と、とっても冷めた目で見ています。

おそらく、娘たちにそう思われているのを母も多少わかっているのでしょう。

今の自分の暮らしぶりを自分で必死にアピールし、擁護しています。

「毎日頑張って生きている!」(みんな頑張っています。頑張っているのはあなただけではないです)

「こんなふうに(老後1人に)なるとは思わんかったから!」

「病気は、予想外の出来事やったから!」

自分で「思い描いた未来と違った」ことを必死で擁護しています。

いいんじゃないですか。それが娘に偉そうにしてきた結果なんだし。

自分で擁護して、正当化しないと誰も自分を認めてくれないのも、最近わかってきたのかな(笑)

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そして『母さんは本当に人がいないと暮らせないんだね』の話から

私は家に誰もいない寂しさは感じたことはないけど、逆に毎日誰かがいると想像するとぞっとするかも~と言った時

「それやったら結婚は、せん方がええなぁ!(しない方が身の為だなぁニュアンス)」ですって。

結局こういうところなんですよね。母の嫌いなところ。

 

母はそんな気はないのでしょうが

私は長いこと、ずっとこういう、娘を完全にバカにするみたいな口ぶりで

散々母に偉そうに嫌なことを、勝手に決めつけられて言われてきたので(「アンタは協調性がない!」だの「人に尽くすことを知らん!」だの。そして「だからダメなんだ」&「私はできるのよ!」とでも言わんばかりに)余計腹が立つのです。

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そりゃ、一般的には結婚すればたいていは一緒に暮らします。

けれど、じゃあ、私みたいなタイプの人が1人も結婚していないのか?と考えたら、良いパートナーと出会い、結婚生活を送っている人だっているはずです。

「結婚したらべったり、どこに行くにも、何をするのも、2人で一緒に」の母がいかにも決めつけそうなことです。

それ以前に、今誰も結婚の話なんてしていないのですが。

おそらく母は自分の結婚生活を成功だと思いたいので、下に見る相手が欲しいのだろうなぁとも思ったり。

 

ついそう言われてカチンときた私は『うん。だからって(家に常に人がいたら嫌だなーって思うからって)結婚自体が向いてないって母さんに決めつけられる筋合いもないけど』と、冷たい声で言い放ちました。

これくらいのことも、母と暮らすときは怖くて言えなかったのです。

今はある意味、私の遅すぎる反抗期のようなもの。

未だに母に言い返すのは怖いけど、言われっぱなしで死なれるのも私は許したくないのです、大人げないけど、どうしても。

普段、沈黙を貫いているぶん、やはり会ってしまったら、言わずには居れないのです。

母はもう昔のように言い返しては来ません。

「そんなつもりで言ったんじゃないけど…」とは言っていましたが。昔なら(話の内容云々より、言い返されたことに腹を立てて)怒鳴っていたでしょうね。

(ちなみに私は、結婚に向かない性格!と言われたことに腹を立てているのではなく、母のそういう決めつけて偉そうに言うところに反論したつもりでしたが、おそらく母には伝わっていないと思います)

 

なぜ、いつまでも「〇〇なら、絶対に△△!」みたいな、自分の凝り固まった思想を変えることができないのか。

こういうふうに言ったら相手が気を悪くするってわからないのか。

「そんなたりでも、いつかずっと一緒におりたい~!って人、いるかもよ」とか

なぜそういう前向きな言葉を言えないのだろうか。

百歩譲って「〇〇なら△△」理論でもいいとして、何でいつまでも「ネガティブな表現」(できない・あかん 等)しかできないのだろうか。

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くすぶり続けた私の心は、結局母を許してはいないのでょう。

『会った時ぐらいハッキリ言ってやらないと』という気分に、どうしてもなってしまうのです。

言われっぱなしだった自分がかわいそうで仕方ないから。

 

自分でも、ひねくれているなぁと思うけど

こんなひねくれた、ネガティブ思考の親に育てられたのだから、子がそうなるのも無理ないよなと心底悲しくなります。

そういう自分を『仕方ない』と思いながら生きるのは嫌だ!と思ったのは自分なので、諦めたくはないのだけど

結局、カエルの子はカエルなのかな、と

運命に抗うことにも、時に疲れます。

 

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母から学んだことって?

これまでブログを書いてきて、結局、私は母から学んで役に立った教えって一体何があったのだろうと考えていました。

昔の、母のことを好きだった頃の私に同じ質問をしたら、きっと母の我慢強く、堅実で、自分に厳しいところを尊敬している・真似したいと答えていると思います。

実際、私はずっと母のそういう部分をお手本にかつては生きていました。

 

別に母が嫌いで揚げ足取りをするためにブログを書いている訳ではありませんが

これまで私が母の「尊敬できるところ」と思っていた部分は、実はかなり毒親的要素がある部分ばかりだったと気がついたのはつい最近のことです。

それがことごとく自分に合わなかっただけの話ですが、それが大きな生きづらさとなったことも残念ながら否めません。

 

◆ 我慢強い

これについては、ただ我慢さえしたら万事解決みたいな

それが本当にしないといけない我慢なのか、その我慢が本当に必要なのか

そういったことを母は何も考えず「自分がしてきたから、子どもたちにも同じことをさせる」という何とも短絡的な考えから生まれたものでしかありませんでした。

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母の「我慢」とは、例えば「ダイエット」に例えたとして

「とりあえず何も食べない!水も飲まない!」と言って、倒れるようなものでした。

戦後、苦しい時代にはそれくらいの根性がないと生きては行けなかったのかも知れませんが、今はもう平成も終わりかけています。

栄養バランスも考え、適度に運動もして、健康な身体を保ちながら体重なり体脂肪なりを落とすダイエットこそが、現代の理想と言えることと似ているのではないでしょうか。

 

◆ 堅実

これについては確かに評価に値しますし、娘に金の無心をしないことだけは救いでしたが

母が「豊かになりたい」という気持ちは、結局「人から見られてどう思われるか」が多くを占めており、それと引き換えに家族の声には耳を傾けず、心の豊かさは乏しいままだったと私は思っています。

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◆ 自分に厳しい

これは全くの見当違いでした。

よくよく掘り下げてみると、母は自分自身に課すハードルはものすごく低く、自分本位であり、娘には個人の適性とか本人の気持ちなんてまるで無視して「厳しく生きる」ことを強要してきました。

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母は昔からことあるごとに「母さんは他人にも厳しいけど、自分にも厳しいから」と自分で言っており、その言葉にまんまと洗脳されていましたが

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母は自分の苦手なことや嫌いなことからはとことん逃げに逃げ、家族に高圧的な態度で無理矢理やらせて、あれで「自分に厳しい」「けじめがある」なんて言うなら、世の中の人みんな自分に厳しいです(笑)

 

 

では、結果として、あの母からここだけは学びたいなという部分はあったかと、数日考えてはみましたが今のところ、浮かびませんでした。

 

頭がお花畑気味なところや、自己評価が高いところなんかは

おめでたいな、ある意味羨ましいなとは思いますけど『ああなりたい』とは、全く思えません。

ただ、あんなふうに自分本位で生きられたら楽しいだろうな、とは思いますけど。

 

私はもう子どもを産むこともないでしょうけど、もし子どもができたとしても

母から教えられて子どもにも受け継ぎたいなと思う教えは、残念ながらありません。

 

強いて言うなら『お金はないよりかはある方が良いと思うよ』程度でしょうか。

 

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両親の幼稚さについて

私は母が嫌いすぎて、家を出てすぐは母だけを毒親だと認識していましたが

父が亡くなり、母とも距離を置き、父のことも考える余裕が出てきてからは『父親も父親だったな』と思うようになりました。

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父の、遊び心があったり、いい意味で適当なところ、怒鳴り散らしたり手を上げたりしないところは好きだったので、母ほど嫌いではないにしても

やはり酒に関してのだらしなさについては根深く、私は未だに酔っ払いが苦手だし、迷惑のかかる飲み方をする人にはものすごく嫌悪感を抱きます。

 

最近、また見つけた毒親育ちの方のブログで、私たちの親の世代は人生の成功の選択肢が少なく、その中に「結婚生活」というものも含まれていて

そもそも結婚や子育てが向いてなかったり、夫婦のウマが合わなくても今ほど「結婚をしない」とか「離婚する」という選択肢がなかったから、我慢せざるを得ず、それがストレスにもなっていて

だからこそ、毒化した親も多かったのではと非常に私と似た見解が記されており

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その中で、親世代はそういう少ない選択肢の中で生きてきてしまったがために「感情表現が雑」というような表現がありました。

「雑」と言えば少し大雑把に聞こえるかもしれませんが、常々私が母の表現方法に問題がある・乏しい等と書いてきたことと、意味合いとしてはほぼ等しいかと思います。

 

今の私と関わり合う、歳の近い人たちは公私ともに、比較的、もっとうまく相手との距離感を保ったり、相手を不快にさせないように丁寧にやり取りをこなしている感があり、その辺りに年代の差を感じます。

 

それを考えた時に、父は確かに温厚ではあったし、母のように自分の価値観を人には押し付けないものの、自分で決めたルールについては家族が何度アドバイスや注意をしても断固として聞き入れないところがありました。

 

断固として聞き入れないところは母も同じですが、母は偉そうに言い返す反面

父はその場ではそうか~ほんまやな~とあたかも「次から気をつける」的な返事をしておきながらまた同じことをやる、の繰り返しでした。

 

家族が嫌だからやめて!ということの中には

前も書いた、食器を訳わからないとこに仕舞う

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洗面所ですぐモミアゲや前髪を切ってその髪のくずをきちんと処理しない

お風呂を出る前に追い炊きしすぎて父の後は熱すぎて入れない

トイレ後、消臭スプレーをしてと毎度言っても臭いままドアを開けっ放しにする

酒を家のあちこちに隠して飲む  等がありました。

 

ほかにも、父がしていたおかしな行動は多々あって、それらは別に迷惑がかかっていた訳ではないので今回は割愛しますが

先に書いた、家族が嫌だということに関しては絶対に聞き入れず、同じことを何度もやるので

その度に母がキレて、同じことで喧嘩になります。

喧嘩と言うか母が一方的にキレてるだけですが、聞いてるこっちは毎回毎回同じことで母が怒って、いい迷惑でした。

 

他に思い出すのは、母は物を溜め込むくせがあるので、書類なども捨てはしないのだけどいざ「あの書類が必要」となった時に、必ず「どこにやったかな」と探し始め

「捨ててはない!」と威張り倒すのですが(でしょうね。要るものも要らないものも全部一緒くたに置いてありますから)

いよいよ見つからないとなると「父さんも探して!」と怒り出し、父がまた「捨てたんちゃうん?」といらんことを言います。

そこでまた「捨ててない!絶対捨ててない!!」「父さんはいっつもそう!探さんと言うやろ!」と母がキレる、という流れ。

今思えば、幼稚過ぎます。

 

私は結婚はしていないし、他人と暮らした経験もないけど

いい歳になってから人と接しててこんなに低レベルな喧嘩なり言い合いなんてしたことあるっけ?と、考えた時に

両親の幼稚さに、心底がっかりしました。

そして時にはそれに子どもも巻き込まれ、今思えばとんだ災難です。

(実家にいた頃は母のこういうのに巻き込まれ何度喧嘩になったことか)

 

結局、父と母は「夫婦」「家族」とは名ばかりで、自我を通すことばかりを優先し

父は特に、一番先に死ぬのも自分だから、酒さえ飲めたらあとのことなんて本当にどうでも良かったのだろうな、と今になって思います。

父の「物腰が柔らかい」という仮面を被った姿に、長年騙されていたようなものです。

 

いかに、両親が幼稚だったか・精神年齢が低かったかに気がついてしまうと

父や母を本気で『いい親だ』と信じきっていた幼い頃の自分がかわいそうになるし

家族なんて、外見は理想の家族のように見えたって結局こんなもんなんだな、と、何とも虚しい気持ちに苛まれます。

未だに「家族」というものに『所詮…』みたいな感情をどうしても抱いてしまうのは、こういうことが原因なのだと思っています。