もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

母はずっと子どものままなんだと思う

母の承認欲求の異常さについては前にも書きました。

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こういうことが、娘たちへの価値観の押し付け・「これくらいしているんだから、これくらい許せ」という自分勝手な裁量・家族へのワガママ放題等

昔から母に抱いていた嫌な部分の原因になっているのではないか?ということをブログで紐解いて来ました。

 

さらに母がそうなったのは、母自身も厳しく、また寂しい環境で育てられ、親に存分に甘えられなかった・ワガママを言えなかったことがルーツではないか?と考察してきました。

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これは簡単に言えば、母は未だに大人になりきれず、精神的に子どものままということなのだと思います。

 

思い出すと、両親がいつも言い争う(母が一方的にキレてるだけだけど)喧嘩も、幼稚で低レベルでした。

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そういう風に思えるようになると、昔からの母の不可解な言動にも合点がいくようになりました(許したということではありません)

 

母のことは、単なる世間知らずなんだろうなと思って片付けていたけど

一体何を考えて生きてきたのだろう?と心底疑問に思う時もあります。

下の記事では、よほど食事とお金のことしか考えていなかったのだろうという事も書きました。

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また、母は昔から時々、普段の厳しさからは想像できないくらい、幼稚なことを言ったりやったりすることがありました。

 

昔、母が40代後半くらいの頃にある葬儀に参加して、初めて骨上げに参加したそうです。

その時に骨だけになった故人の姿を「え~…?何これぇ?」と、受け入れることができなかった!ショックで、数分呆然としてしまったと、自分で言っていました。

それが「思い入れのある人だったから」ではなく「骨になったのが、怖かった・びっくりした」みたいなニュアンスで

私も姉も、言っている意味がわからなかったのですが

母「人間がな、骨になるなんて、思わんやん」

…いい歳して、こういう少女のような事を急に言い出す時があるのです。

 

 

母は時折幼児のようなことをやることもあり、私が成人してからはその傾向がとくに見られました。

 

まだ私が実家にいたころ、朝の洗顔の時間が母とかぶった時があり

母が顔を洗って顔を拭くのを見ていると、力まかせにゴシゴシ拭いていたので

『そんなゴシゴシ拭いたら皮膚に悪いで』『優しく押さえるみたいに拭いた方がええで』と、助言した時があります。

 

すると母は、わざともう一度顔をゴシゴシ拭き始め『いやだから(力)強い強い!』とツッコミを入れると、母は心底嬉しそうに「早くツッコめ」といわんばかりに、何度もそれをやるのです。

4~5歳児と、一緒ですよね…。

 

当時私は、母が機嫌が悪くさえならなければもう何でもいいやと思って暮らしていたので

そういう、今ならもう絶対に付き合いたくないような、母のしょーもないジョークにも、熱心に付き合ってあげていたように思います。

毒親の相手をするのは「子守りみたいなもの」という言葉がぴったりです)

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それが、当時『私って、帰ってきても母に気を遣って神経すり減らして、家でもお勤めしてるみたい』と感じていた原因でしょう。

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他にももう忘れたけど、母は「見て!こんなんやってしまうねん(ツッコミ待ち)」みたいな言動が多かったな、と。

 

私が子どもの頃は、良かれと思って助言をしても機嫌が悪いと「親に向かって何や!」とか、言い返されていましたが

私が大人になると、そうやって反論してキレる回数が減って、かまってほしそうにする言動が多く見られました。

 

それでも虫の居所が悪いと、ほっといてくれ!とか反論して

無視したり、自分の気の済むまで相手をやり込めていたので

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母へのアドバイスとかってほんとに、ドラマで見る時限爆弾の赤の線切るか、青の線切るか?みたいなものなんですよね。

母の虫の居所次第で結果が変わるので、その度に今の母にとっての、ベストな対応をいつも頭をフル回転させて考えていました(それでも切る方を間違えて、爆発されますが)

そりゃ、神経も疲弊する訳です。

 

もう少し母が昔からずっと、可愛らしい態度で人と接することのできる人間であれば

「ちょっとアホだけど、お茶目なお母さん」として、私たちも母を慕っていたかも知れないですね。

それくらい、怒った時・キレた時のヤ〇ザみたいな対応にも、大いに問題があったということです。

 

こんな風に、大人になりきれない幼稚な母にされて、すごく嫌だったことがまだあるので、また書きます。

 

コメント・スターありがとうございます。

コメント等についてはこちらにまとめています。

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「母」が主語の価値観

昨年から、好きだった高校野球をまた見れるようになったとは書きました。

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今年も問題なく見ることができていることを嬉しく思っています。

しかし、またひとつ、気が付いてしまったことがあります。

 

私が野球に一番ハマったのが、中学~高校くらいの頃でした。

中学の時は野球部に好きな子がいて、高校になったら、野球部の彼氏を作ろう!とか、女子マネになろう!とか思って

キラキラした高校生活を送るぞー!と意気込んでいたものの

高校に入るとどんどん精神状態は悪くなって、部活どころか毎日学校に通うのもやっとといった状態になってしまって

思い描いていた高校生活とはかけ離れた生活を送っていました。

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何とか自分を奮い立たせていたものの、精神的には相当きつかったし

こういう我慢が積み重なり、成人後に感じる生きづらさの原因になったのではないか?ということもわかってきました。

 

自分が若い頃は高校野球も、ただ『かっこいい!』というミーハーな気持ちでしか見ていませんでしたが

だんだんと選手の年齢が自分よりも年下になった頃から、自分の学生時代と比べてしまい、何とも言えない惨めな気持ちになるので、必死にそう感じる自分から目を背けて生きていました。

キラキラした高校生の姿を見ると、自分の暗い学生時代と比べてしまい、自分が惨めで悔しくて仕方ありませんでした。

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そのうち自分の本心をごまかす事すらできなくなり、見るのをやめてしまった訳です。

ここまでは、昨年気がついたことです。

 

そして最近、また高校野球を見ていて、気が付いたことです。

ピンチの時に逆転の安打を打って、テレビ画面にアップで映る選手の嬉しそうな笑顔を見た時に

『こんな子どもやったら、親は誇らしいやろうなぁ』と、思いました。

その時に、ハッと気がついたのですが

 

なぜ、親目線の感想なのだろう…??

 

思えば、選手が自分と同世代くらいになってきたあたりから、純粋に『かっこいいな』『すごいな』ということよりも、実際にこういうセリフばかり言っていたように思うし

姉と会話する時も高校野球に限らず、例えば芸能人とかアーティストとかにしても

「若くして、活躍している人」を見ると姉も私も必ずこういった類のセリフを言っていたように思います。

 

確かに我が子が甲子園という大舞台に立ち、野球をやれるということは、親にとっても誇らしいことだと思います。

 

けれど、試合をしている選手に対し、本人のうれしい・楽しい・辛い・悲しいなどの気持ちを考えたことなんてほとんどなくて『親はどう思うのだろう?』ばかり、考えていたなぁと…。

 

私はずっと自分を出来の悪いどうしようもない娘だと思っていたし

親が堂々と自慢できるような子ではないのだろうと思って生きていました。

 

母はよく「娘が居てよかった」というセリフは言っていましたが、ただそれは「自分に都合よく動かせる娘が居ること」が嬉しかっただけで

「私である必要」は、ないのだろうなということも、20歳になったあたりから感じてはいました。

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『こんな子どもやったら、親は誇らしいやろうなぁ』

姉も私も、今まで何気なく言っていた言葉ですが、よく考えるとぞっとしました。

 

親がどう思うか?にしか目が行かないということは

私たちが生きていく上で、あの家で暮らす中で、いかに

 

母からどういう評価を受けるか?

母にはどう思われるだろうか?

母に何て言われるだろうか?

 

ということがウエイトを占めていたかという証拠ではないでしょうか。

 

ここにもまた「母」が主語の価値観が隠れていたような気がします。

こういう考えに気が付くと、本当に胸糞悪いのですが

せっかく気が付いたのでこれから手放せて行けたらと思います。

 

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思ったより傷は深いのかな

数年前から、職場で注意されると、全人格を否定されたように感じてしまって

カッとなったり、落ち込んだり、就業時間外もそのことで憂鬱になったり

今もまだそういった部分があるので、できるだけ「自分にとっての」ストレスのない職場を探すようにしています。

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仕事は、長く続けることが先決なので、自分の妥協できる点・できない点をしっかり仕分けをすることにしています(こんなことも、長年親の支配下にいると自分でやったことがなかった)

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他には仕事探しの際に「わからないことは聞ける環境か?」ということも確認するようにしています。

今まで、ぶっつけ本番みたいな状態でやらされる・失敗する⇒注意されると『責任の所在(私は悪くないのでは…)』に気持ちが取られてしまって、切り替えができなかった経験からです(ほんと自分でもめんどくさい!!)

 

こんな感じで仕事探しにも四苦八苦なのですが

前に副業で勤務していた所は、私の希望の働き方には合っていたものの

色々と我慢しすぎた結果、限界が突然訪れ、糸がプッツリ切れてしまったような感じになり、上司にもかなり意見してしまい、その約1ヶ月後退職しました。

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元々副業なため『そのうち辞める』『メインの職場ではない』という気で勤めていたので、そこまで思い悩むこともなかったけど(仕事を舐めるなと言われそうですが、根が真面目すぎて自分を追い込む癖があるので、意識的にそう思うようにしている)

最近この「糸がプッツリ切れてしまったような感じ」のせいで、やる気が驚くくらい一瞬でなくなってしまって、逃げ癖がついてしまっていることに危機感を覚えています。

 

悩んだ末に在宅ワークも探してみて、やはり通勤がない・人間関係で悩まなくて良い・その他の業務を任されることは絶対にないという部分では、合っていました。

 

しかし、ある程度は仕方ないことだと思いますが、姿が見えない状態で働く訳ですから絶対的な成果主義となります。

私の探した在宅ワークは、結構なノルマを課される割に、ぶっつけ本番的要素も多く「誰からも教えてもらえないけど、失敗したら即自己責任(採用されてからの期間もスキルも関係なく)」という部分に少し疑問を抱きつつも、勤務していました。

(もう少し、猶予期間があると思った)

 

そんな中、私の上司の確認不足で私がペナルティを取られることとなったことがあり(ド新人の私がそんな事わかるはずもない上、期限までにかなり日にちもあったのに、上司は何も教えてくれなかった←上司いわく「忘れていた」)

しれっと「たりさんにペナルティがある」と、その上司に電話で言われた時にまた「糸がプッツリ切れてしまったような感じ」に襲われ、それと同時に激しい怒りがこみあげて、かなり一方的に、納得いかないと反論しました。

この時↓の記事を書いた時のように「普段温厚なたりさんが、どうした?」くらい、口調は荒かったと思います。

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喉まで『もう辞めます』と出かかっていましたが、必死で飲み込み電話を切りました。

 

その件があってから、また自分と向き合ってみて

「目の前に実際に人がいないと、より口調がきつくなる」ことにも気がつきました。

私は口が立つので、ド正論をはっきりやんわり言えるタイプですが「怒られること」「きつく言われること」に恐怖があるので目の前に人の姿があると委縮してハッキリものが言えません。

例え相手の言うことに筋が通っていなくても、威嚇されると恐怖が勝ってしまうのです。

これは母の厳しすぎる叱責が影響しているのも、わかっています。

 

なので、電話で声を荒げたことも同じことを直に面と向かって上司にできてたか?と考えたら、絶対にできません。

今回は「在宅」というのを良いことに『絶対に直接会わないし』というのが、変な自信になってしまって、声を荒げて反論をしたのだろうな、と考察しています。

 

そして最近、困ったことにそうやって言い始めると歯止めがきかなくなってしまって

それが必ず「職場」というのが、厄介なのです。

 

例えば、食事に行って何かあったりしても余程酷いことがない限り、あまり文句を言ったりしないタイプですし(言っても、横柄な態度にはなりません。ごめんね、ちょっと気になるんだけど…というニュアンス。絶対にクレーマーのような態度はとりません)

 

もちろん、友人や姉や姪にもそんな態度を取ることってないのですが

職場でだけ、異様に腹が立ってしまって、ケツをまくって言ってやるみたいな気になり「糸がプッツリ切れてしまったような感じ」に襲われ

その結果、完全に逃げ癖がついてる自覚もあります。

 

これが、何かの障害というか、どこかがおかしいのか?と不安になっています。

 

母の事も最近、発達障害の気があるのだろうか?という疑問を抱くようになって

もしかして自分にもそういう血が流れているのか…と不安です。

 

まぁ多分、あれくらいの物言いなら、やる人いるだろうなというレベルなのですが

いかんせん、私は普段がものすごく温厚な分、相手には驚かれているだろうし

自分でも声を荒げて話すのがすごく嫌なのです。

母と同類…と思い、言った後気分が沈みます。

 

でも、その怒りをおさえることができないし

小出しに怒りを表現することを心掛けているのですが、自分で限界をかなり高く設定してしまうのか、いつも『もう無理だ』というところでやっと気が付くみたいな感じで

気が付いた頃には手遅れなのです…

 

色々と、似た症状をネットで検索もしているのですがいまいちピンとくるものもありません。

 

同じような経験がある方がいたら、話を聞かせてほしい!と今かなり切実です。

 

お盆が明けたら、一度心療内科をたずねてみようかなぁとも、考えているところです。

 

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こんな簡単なことなのに

私は昔から、自分自身の感情に素直に生きて来れている!と思っていたけれど

母が怖いから・うるさいから・めんどくさいから…が理由で

ほんとは嫌と思っているのに、嫌と感じる感情にフタをしていたこと

それにすら気が付かないまま従っていたことが多すぎたことに、家を出てからやっと気が付いたので

「本当はやりたくなかったことを、やらない」ことへ目を向ける作業を日々しているとは前に書きました。

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それでもいまだに『実はあれもほんとは嫌だったな』と思うことがどんどん出てきます。

毒親のもとでは感覚が麻痺しているみたいなことをよく聞きますが、まさしくそうだったのだと思います。

麻痺させないと、生きて行けなかったが正しいですが…

 

それで最近また気が付いたのですが

私は今1人で暮らしているので、何時に何を食べようが勝手なんですけど

いまだに『これ、今食べたら昼食べるものがなぁ~』とか、要らぬ段取りを頭の中で考えてしまう癖が抜けません。

 

その度に『別に好きな時に好きなもの食べたらええやん』『今、これ食べたいんやから、食べたらいいやん』と、自分に言い聞かせるようにしています。

 

おそらくこれは、母の「食」へのこだわりが強迫観念のようになっていたので、それに合わせて暮らしていた名残ではないか?と感じています。

 

母は来る日も来る日も、家族の食事のこと(と、お金のこと)しか考えていませんでした。

 

最近姉と話した時も、昔、父・姉・私で流行りの歌やテレビ番組の話をよくしたけど、母だけその場にいるものの、輪に入らずに黙っていたこともよくあって

『ああいう時って母さん、一体何考えてたんやろ?』という話になったのですが

多分エンドレスで、夕飯の材料⇒夕飯のメニュー⇒明日の朝のパン⇒弁当のおかず⇒…以下続く

の事しか、考えていなかったのだと思います。

 

実際、母は昔「仕事中も、献立のことしか考えてないねん♪」と、よく自慢げに言っていました。

 

責任感が強いと言えばそうなのかも知れませんが

母は手の抜き方を知らないので、いつも1人でこのループに飲まれては、定期的にキレて、食卓で喚き散らしていました。

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最近姉がこういう母を血眼になって料理していたと表現しましたが、まさにその通りです。

喚き散らされるくらいなら、たまには出前や外食で良かったのに…と何度思ったか。

 

母自身、強迫観念のようにご飯を作っているから、こちらも毎回フルテンションで『わぁ~~い!!お母さんのご飯だぁ!!!』と、腹ペコで食卓につかないと、気に入らないのでしょう。

時々母に『今日あんま食欲ないねん』と恐る恐る言って「ほんまか。ほな後で食べれたら食べ」というようなリアクションだと胸をなでおろしていました。

 

そういう母の食への考えの偏りが、家族への押し付けがましい、脅しのような言動の発端になっていたのだと思いますし

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私の食へのストレスになっていたことに気がついたのもつい最近のことです。

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実家にいた時は、母が食事に関して常にああだこうだ言っていたので

例えば、作り置きのおかずや白米の残り具合を見ては「全然食べてないやんか」「ご飯こんなに食べたら足りひんやんか」等

自分の思うサイクルが乱れることを母は嫌っていました

(おそらくこれは異常な守銭奴であることで「余ったらもったいない」という気が根底にある)

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そのため、無意識レベルで『これ食べてしまっていい?』『明日の分置いとく?』等と、恐る恐る母に逐一確認していたなぁと。

 

確かに「お腹空いてないか?」「何か作ったろか?」と言う母の声掛けも、ありがたかったけど

本来それは子どもが大人になれば徐々に手を離して行くものだと私は思います。

 

しかし母は、いつまでも娘たちが小学生のときのように『わぁ~~い!!お母さんのご飯だぁ!!!』と思っていると、本気で思っていたようです。

 

鳥のヒナが、口を開けて親鳥がエサを運んでくれるのを待っているイメージ。

確かに、学生時代はヒナが口を開けて待っているように、姉も私も母の食事を楽しみにしていました。

(しかし、姉も私も必要以上に「母のご飯にフルテンションで応える」パフォーマンスも、していました(しないと不機嫌になるから))

 

その割に、自分がキャパオーバーになると「アンタたちはご飯を口を開けて待ってるだけやもんな!!」とも、よく怒られました。

 

私がいい歳になってからは、母の手料理には母の手料理の、外食には外食のよさがあることを何度も母に口頭で説明しましたが

母の「家のご飯が一番!」という信念が変わることはなく(そこでしか自分の力を誇示できないから)

私が外で楽しそうに食事をして帰って来ると不機嫌になり、いくらかかったかを聞いてきて(外食はもったいないニュアンス)不快なので

そのうち外食に行っても大体『美味しくなかったよ』とあしらうのが当たり前になっていました。

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母のそういう考えからくる、血眼になって料理を作る姿勢、それに応えなければ定期的にキレるという部分も改善されることはなく 

私が加齢とともに母の手料理への価値観が変わることも、認めようとしませんでした。

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こういう、私の家では当たり前だった食に関しての一連の流れが、いかに母の押し付けであり異常であったか

それに気が付いてからは、食事を作ってくれていた母から離れた事への罪悪感はなくなりました。

しかし、いまだにその頃の考えの癖のようなものが、染み付いていると感じます。

 

本来、食事なんて「食べたい時に食べたいものを好きなだけ」でいい。

こんな簡単なことを、1人になってもなお、一旦立ち止まらないとできない自分に嫌気がさします。

 

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母にだけは掛けたくない言葉

また始まってます。

毒母お得意の「自分だけがしんどい!」「何で私だけがこんな思いせなあかんの!」アピール。

 

ブログでも何度か触れましたが私には伯母(母の実姉)の「T子」がおり、近所のマンションで1人で暮らしています(70代)

(T子の件は「伯母」とブログ内記事検索すると読めます)

 

今は、週に何度か母が面倒をみに行っているような状態です。

 

面倒をみると言っても介護というほどではなく、腕の力が入らないので蛇口がひねりにくいとかそういう支障が出て私生活がいい加減になるので

母が様子を見に行き、お風呂に入る手伝いをしたり、その程度です。

 

母の家からも、車で数分の距離だし、仕事も趣味もない母にとっては運動がてらちょうどいいと思うのですが(どうせ毎日家でテレビしか見てないし)

母は自分のやりたくないことにはとことん文句を言うので

毎週木曜日になると冒頭のようなニュアンスの愚痴のLINEが入ってきます。

(木曜を、T子の風呂のサポートの日と決めているらしい)

 

ちなみにT子を施設に入れたり、そういうことの決定権は母にあるので

まだその決断を母が下さないということは、今やっていることも母ができる範囲のことなんだろうと解釈しています。

 

確かに早くに家族を亡くしたT子は気の毒だし、母は母で幼い頃の情があって実の姉を見捨てることはできなかったのもわかるのですが…

T子を引き取ることを、母は軽く考えすぎていたのではないかなぁと思わざるを得ません。

 

T子の面倒を見ることになってから9年ほどになりますが

いずれ今のような「軽い介護」のようになることも、誰が考えてもわかりそうなものですが

母は一体どういう気持ちで「面倒をみる」と、あの時引き受けたのかな?と、母の愚痴のLINEを読みながら不思議で。

いつまでもT子がピンピンして、アハハ♪ウフフ♪できるとでも思っていたのか…?と思いましたが、あの決めつけの酷い母のことですからね…

 

母は約20歳も離れた夫と結婚しておいて、夫が先に年老いていく姿を受け入れられなかった、怖かったと摩訶不思議なことを言っていましたが

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今回もまた同じことなのではないかなぁ…と。

 

私たちのグループLINEに入れてくる愚痴も、父に向けていた愚痴とそっくり。

結局、後先考えずに突っ走るからこうなるのではないのか?

と、思わずにはいられません。

 

「先のことが予想できへん奴はアホや」とは、昔からの母の口癖ですが…?

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前にも書きましたが、私は母に励ましとか労いの言葉を貰ったことがほぼないので

そうやって愚痴を言われたって、あの母にだけは、励ましとか労いの声掛けをどうしてもやりたくありません。

姉もきっと同じなのでしょう。

私も姉もLINE内で愚痴が始まれば、スルー。

別に私たちが『スルーしような』と、示し合わせている訳でもないですが、母に励ましとか労いの言葉はどちらも掛けません。

これが娘たちの本心だと思います。

 

ほんとは「みんなそれぞれしんどいねんから、黙ってそれくらいやれよ」と返してやりたいくらいですが(笑)

 

ただただスルーしているだけでも有難く思って欲しい。

『その程度で』とも口に出して言ってないことにも、逆に感謝してほしいくらい。

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毒母には今まで何度も言われましたがね。

辛いと訴えたって「たかがその程度で」「根性ないな!」と。

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昔から、私が弱音を吐いたところで、母は

「歯食いしばってやらんかい!」「しんどいの自分だけやないで!」etc…

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母にはそういう言葉や言い方しか教わってないし、私に頭ごなしに怒鳴ったそんな母に

『大変だったね』『頑張ったね』『手伝おうか?』なんて言葉、絶対に掛けたくないです。

 

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傷口に塩?

今回はまず、読んで頂きたいコラムがあります。

president.jp

このコラムに共感された方は、今回の記事を読むのはオススメしません。

 

 

毒親問題に向き合い始めた当初『全部母親のせい!』『あのクソ親がみんな悪い!』と、全て母親を悪者にしていた時がありました。

私は当時、そう強気に思うこと(精神的な面)と、母と顔を合わせないこと(物理的な面)で心の悩みは解決すると思っていました。

tari97.hatenablog.com

 

毒親育ちはただでさえ、しなくてもいいような我慢とか、訳のわからない洗脳をさせられてきているので

『もう毒親には屈しない!』という強い気持ちで、そう思う事も全然悪いことではないと私は思っています。

 

ただ、そうやって、親が「悪い・悪くない」と「敵・味方」みたいな捉え方のみ(二極化思考)で毒親問題を昇華させようとしても限界があることに気が付いたので

時間をかけて、ひとつひとつの絡まった糸を何年もかけて解く作業を今もなお続けています。

tari97.hatenablog.com

 

ですので、誰にでも『全部親のせい!』『親が悪い!』と思う時期もまた、あっても良いと思うし

そこで終わる人がいてもそれはそれかなと思っています。

 

しかし、このコラムを読むと、まずそうやって親を悪者にしたり、過去を振り返り、こうなった理由を探すことすら

何だかよくないことのように言われているような気がしてしまったのです。

 

毒親育ちは、身近に毒親とかモラっぽい友人が居て「いつまでもしつこい!」とか「いい大人が!」等と言われるので

そもそもそういった感情に無理矢理蓋をしている人もたくさんいる訳で

私はそれをここで吐き出し、他の吐き出している方のブログやSNSも積極的に読みに行き

親を悪く言っている人や、親のせいにしている事についても「それもひとつの段階」として捉えているし、共感もします。

悪いこととも思いません。

 

毒親育ちがそうやって、親を悪く言う事にとやかく言われることに関しては

そもそも親に対してそんな感情を抱かないといけないことが問題だと思うし

いい大人が今さら言ったり感じたりすること自体、どうかなというのも私は百も承知だし

そんなこと、感じないで済む人生だったらどんなにラクだっただろうと思うわけで…。

tari97.hatenablog.com

 

それをこの方は、そういう作業自体を「自ら傷口に塩を塗る」という表現。

これはあんまりではないですか(泣)

 

" 「トラウマ」という言葉を安易に使う人が目立つ " ともありますが

「トラウマ」の感じ方だって人それぞれです。

「安易」の定義は、何なのでしょうか?

tari97.hatenablog.com

 

暗に世にはびこる「甘え」「気にしすぎ」等という考えから、毒親育ちはまず脱却することが先決だと、私は考えます。

ですので、こういう表現により、また「これは単なる甘えなのか」「気持ちを切り替えられない私はダメなのか」と、自分を責めてしまう方もいるのではないかな?と思ってしまった訳です。

 

コラム内の仕事の満足・不満の話も、あまり関係ない気がします。

感じ方は人それぞれ!どうせ行くならプラス思考で!という例で出したのだと思いますが

とは言いつつ、この文面だと、仕事に対して、不満を持つ者が " 悪 " 、やりがいがあって…等、前向きな意見をしている者が " 良 "と暗に言っているようにも聞こえます。

私がひねくれているだけでしょうか。

こういうニュアンスは、毒親育ちには酷な時もあります。

 

また、不幸な生い立ちから、ACの自覚のある女性が

" 辛い生い立ちのお陰で自立心が身についた "

" 甘えたり頼ったりすることなく、何でも自分でしようとする姿勢が責任感につながり、職場で信頼を得てきた "

" どんな相手ともうまくかかわっていけるのも、親の顔色を窺って育つことで人に対する気配りができるようになったため "

と言っているものの

" 頼れるのは自分だけという気持が強く、人を心から信頼できない "

" どんなに親しくなっても甘えられないし気を許せないという淋しい自分の問題を薄々感じてはいる "

とも言っています。

私としては、後者の「淋しい自分の問題」に、向き合う方が大事なんじゃない?と思う訳で…。

これを著者が「雨降って地固まる♪」みたいに表現しているとしたら、ちょっと違うかなぁ…と思ってしまう。

 

そもそも私たちは、本来降られなくても良い「雨」に降られた(変な親に育てられた)訳で、地が固まったことよりも雨に降られたことの方が、納得が行かない。

この女性は、既に雨に降られたことには気持ちの整理がついたということかな。

 

私にも「親の顔色を異常なまでにうかがって生きてきたため、他人に対する気配りができるようになった」部分はありますが

これを『親のおかげで、身についてよかった~』なんて、未だに全く思わないし、多分今後も思わないと思います…(笑)

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念のため、辞書を引くと

「傷口に塩」とは、悪い状態の上に、さらに災難がふりかかること。

 

私がこれまでこのブログで吐き出してきたことや、考えてきたこと。

それらを「自ら傷口に塩を塗る」作業だったとは、私は思いません。

 

別に私は自分を自虐する為に、わざと辛い気持ちになる為に、不幸ぶる為に

過去を掘り返している訳ではないからです。

 

最終的にこの方もACの方にも前向きに歩んでもらいたい!

何でもかんでも過去のせいにしたって始まらないよ!という気持ちで書かれたのだと思います。

過去のせいにだけしても解決しないことは、私もよくわかっています。

著者の言わんとする事も、わかります。

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しかし、「自ら傷口に塩を塗る」という表現には、最後まで納得が行きませんでした。

 

私が、理屈っぽいだけでしょうか。

 

皆さんは、どう思われましたか。

 

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毒親に、良いも悪いもない

時々、友人や知り合いの親の話を聞いていると『それ、毒親じゃない?』と思ってしまうことがあるのですが

やはりそれは口に出す事が難しいので『あの子、大丈夫かな』と勝手に心配してしまうことがあります。

 

毒親問題というのは、それぞれの親により種類もレベルも様々だし、子どもの方も感じ方も色々なので

友人や知り合いが毒親育ち?と感じたとしてもなかなかそれを共有するまでは難しいなと感じます。

 

さすがに「毒親って何?」と言う人はもういないだろうというくらい、言葉自体は浸透しましたが

定義も様々だし、やはりこの問題は自分で気付くことがない限り「私の親は毒親だ」というところまで行かないとも思うので『あなたの親、毒親ちゃう?』とは軽く言いづらいものです。

 

ある繋がりで仲良くなった友人が、何となく毒親育ちっぽいなというのが親の話を聞いている時に会話の端々から感じられたので、一度親にされたことを話している時に

『それって、もしかして巷で言われてる毒親ってやつ?』と、とぼけたニュアンスで聞いてみた事があります。

  

彼女はすぐに「まさにですよ。めっちゃ毒親ですよ」と言ったので、そこからすぐに仲良くなりました。

彼女自身も結構毒親ブログを読んだりとかはしているようでした。

 

結局、お互い毒親育ちだったんだねという確認をし合ってからはすごく仲良くなって、一緒に食事に行ったりもしたし

急に距離が縮まったので周りも何があったの?と思ったかもしれません。

 

彼女とは『このニュアンス、どうせ伝わらないだろうな』とか思わずに話せたことは私にはすごくありがたかったし、励みにもなりましたが

彼女と話していて、どうしても1つだけ気になることがありました。

 

彼女の親は、ネットも使いこなせるので娘のみならず彼氏などのSNSアカウントを特定したり

遠い地へ引っ越しても探偵をつけられて家を探されたり、そういった面ではうちとは全く違ったタイプの、行動派の毒親でした。

 

何度も書いてきましたが、私の母は昔から家族に頼りっきりで、夫が亡くなれば次は「娘が母親の手助けをして当然」と娘を洗脳し、ラクを決め込んできたために、本当に何も1人でできません。

ですので、閲覧制限とかそういう類のものは一切必要がありません。

自分から動くことを絶対にやらないので、現在たかだか5kmほどしか離れていない私の家までも、絶対に来ませんが、来ないと言うよりかは、来ることができないと言う方が正しいかな?と言ったところ。

ネットを使いこなすなんて、生まれ変わらないと無理です。

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そのせいで今、姉がすごく小さなことでも駆り出されてしまう結果になり、甘やかしたことを後悔することもあるのですが

とは言え、あの頑固な母のことですから、どうせ『もう少し自分でやりなよ』と、アドバイスしても、どうせ「たり(もしくは姉)がやってくれればいいやん」で一蹴されていたのは目に見えてるし(実際、色々そうだったし)

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ただ、それは裏を返せば私の家に頻繁に来たり、職場を突き止めたり等は絶対にしないことに繋がったので、どちらの毒親も一長一短というところでしょう。

 

しかし、その類の話になると彼女がしきりに私に対し「いいなぁ」と発言するのです。

 

彼女がかなり遠方に引っ越しても家を特定され、押しかけられた話を聞き

『うちの親は数キロ離れた今の私の家にすら1人で来れないからなぁ』と言うと「いいなぁ」

 

彼女の親は、子どもが趣味で集めた物等も勝手に処分するような親だったようで、その話をしていた時も

『うちは、子ども部屋に入って詮索もしなかったけど、多分そこまで子どもに興味がなかったのだと思う』と私が言うと「いいなぁ」

 

前にも似たことを書きましたが、毒親にマシも酷いもありません。

子ども本人が『嫌だ』と感じればその時点でアウト。

他人と比べて「あなたはまだマシ」とか「こっちの方が酷い」等、他人からジャッジされる筋合いもありません。

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彼女は、純粋に「いいな」「もう少しうちの親もそういう傾向があればな」と思っただけかも知れないし

私の言い方が『うちの親の方がマシだね』というニュアンスに聞こえてしまったのかも知れませんが

「いいなぁ」と言われてしまうと…やはり話す気が失せました。

 

そう思う(「いいな」と感じる)のは勝手ですが、相手が死ぬほど嫌いと公言している人のことを、本人の前で「いいなぁ」と表現することに、疑問を抱いてしまったのでした。

「良い・悪い」ではなく「違う・似てる」とかでいいのでは、と思うのです。

理屈っぽいかなとも思うし、もしかすると、私も逆に、彼女に失礼な表現があったかも知れないので、指摘まではしませんでしたが…。

 

私は今、同じ思いや悩みを持った方たちとの交流の機会をつくってみたい気持ちがあるのですが

こういうことがあるとやはり、躊躇してしまうのでした。

 

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