もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

交友関係においての洗脳について

私は、元々友達があまりできず、恥ずかしい話、学生時代の友人とは全て切れてしまい

今遊んだりするのが全て社会人になってからできた友人ばかりです。

 

別に昔から意識的に友達を作らなかった訳ではなく、友達の多い人は純粋に羨ましいとは思っていたし、自分なりに色々と試行錯誤はしていたのですが

友達のできなかった根本的な原因が最近何となくわかってきた気がします。

 

異様な自己肯定感の低さについて、恋愛において相当足かせになっている自覚はありましたが、友人関係においても同じことだったのだと思います。

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今でこそ、自己肯定感が高まった訳ではないけれど、他人に対して過度に期待をしてみたり、意味もなく卑屈になってみたり、そういうことをしないという部分では昔よりもできるようにはなってきました。

開き直ってると言うと言葉が悪い気がしますが『私はこんな感じやけど、合わない人もいるわな。仕方ないわな』みたいな感じでラクに考えるようにしています。

昔は嫌われたり、悪く思われることを異様に恐れていて、こんな風に考えることが全くできませんでした。

 

自分に自信がない分、本音で話せないし『どうせいつか嫌われるのだろうな』という卑屈な気持ちが根本にあるので、どれだけ外面が良かったとしてもそういうのは相手にも伝わるのでしょう。

だから、みんな離れて行っていたのだろうなと今になれば思います。

 

つまるところ、結局私の方が友達ができるチャンスを遠ざけていたと言うか

最後の最後に、自分の心の内を見せない、簡単に言えば他人を全く信じていなかったのだなと思います。

 

それから、母には昔から

例えば学校の先生だとか、職場の人だとか、そういう人とは仲良くする必要はない

学校には勉強さえ習いに行けば、職場は金さえ稼げればいい

みたいなことをずっと言われていて

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「家族こそが全て!」な母の考えに、結構いい歳になるまで私自身も洗脳されていた自覚はあって、それが人を寄せ付けない原因だったのだろうとは思います。

 

職場の人にはいい意味で一線引いても良いとは思うのですが、母の場合は「ゼロか100か」で

今思えば、私って(普通に会話は交わすものの)なんとなくバリアを張っているような雰囲気だっただろうなと自分でも思います。

 

元々ませてはいたので、学生の頃なんかも生意気だった自覚はあるし、母みたいにバシッとものを言うのをかっこいいと思って、同じようなことをやって失敗したこともあります。

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学生時代の失敗は大体がこれかな。

 

そのうち母からの監視が厳しくなると、理由を言って家を出ることさえ億劫になって

(一時期、母は『ちょっとそこまで』でも、延々何しに行くのか等聞かないと気が済まないようだった)

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彼氏どころか、友達を作る…要は「外部との繋がりを持つこと」すら、面倒になっていた時期がありました。

 

最近、その時期に行ってた職場の人と連絡を取る機会があったのだけど、その時の同僚からは「たりさんて(当時は20代前半でしたが)何だか、おばあちゃんみたいな生活してたよねぇ~」と、言われてしまいました(笑)

 

それでも、当時も『うちの家おかしくない?』と思いながらも反発はしていなかったので

読んでいる人の中には「嫌なら嫌と、反発すればよかったやん」と思う人もいると思います。

が、毒親育ちにその言葉はご法度なのは、同じ境遇の方ならわかって頂けると思います(笑)

 

毒親育ちはそもそも『反発をしたい』とか以前に『これが当たり前。普通だ』と思っているのですが

ある時ふと、周りの人と同じように事が運ばないとか、何かが起きた時に初めて親や家のおかしさに気がつくし、その、気がつくタイミングも様々なので…。

 

結局こういったことが原因で、本来若い頃にみんなが通ってきたであろう道を今さら歩いているような感覚になることもしばしばあります。

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もうアラフォーに片足をつっこんでいるけれど『母のために!』と生きてきた、10代後半~20代をもう一度生き直している感じかな。

そのやり方は賛否両論あると思うし、私が勝手に『青春っぽい』って思っているだけなので割愛しますが。

 

では、なぜ今になってそんなことがぱっと霧が晴れたようにわかってきたのか?

 

もちろん、さっき書いたような私の考え方の偏りや態度のまずさにも問題はあったけれど

「外部との繋がりをつくり、友達と何かを楽しむ」ということに、なんとなく母に対して申し訳ないような、悪いことをしているような気持ちがあったことにも、最近気がつきました。

 

母にもしそう言ったって、そんなことをたりに思わせる気は毛頭ない、たりに友達ができるのは喜ばしいこと!みたいに言っていたとは思うけど

実際母の態度が全くそうではありませんでした。

 

昔からさっき書いたみたいな「他人なんて」みたいに言う母の洗脳に加えて

私が機嫌よく友達との話をしたって、いつも興味なさそう・気に入らなさそうに聞いているのに

ひとたび『〇〇ちゃんと喧嘩した』とか、そういう話をすると母は嬉しそうに「それ見たことか!」「な?他人なんて所詮そんなものやで」みたいな言い方をされてきました。

軽く愚痴っただけでも「だからあんな子、お母さん、あかんと思っててん」みたいなことを言われるので、私もそれを真に受けていたわけです。

 

結局母は、私が外部の人と繋がりを持つとそれだけ家族を蔑ろにされている感じがして、嫌だったのだろうなと思います。

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だから、娘の恋愛も素直に喜べないし

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何かにつけて、外部の人にはすぐに悪態ついて、自分アゲ・家族アゲしないと気が済まなかったのだと思います。

 

「そんなの、無視したらいいやん」

そんな声も聞こえてきそうです。

 

そうですね。

今思えば、幼少期はともかく、いい歳になってまであそこまで母に合わせる必要はなかったと思います。

 

しかし、毒親のもとで育つと、母の思惑通りにできない自分はとんでもなく親不孝者なのかな?とか、何か悪いことをしている気になるのです。

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虐待を受けている子が逃げ出さずに最悪の事態になるまで我慢してしまうのと、肉体的・精神的な違いはあれど、似ていると思います。

『自分がいけない子だから』『自分さえ親の言う通りにしておけば』と信じ、親の言いなりになる面に関しては。

 

もちろん、子どもに暴力をはたらく親は最低です。

 

しかし、自分の思惑通りに子どもを動かしたいからって、子どもにマインドコントロールをして支配することも、十分精神的な " 暴力 " だと言えます。

 

 

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仕返しもしない、恩返しもしない

このブログでは、同じようなことを何度も書くことが多く、重複している内容も多々あります。

ブログを書く目的として、言葉にすることで自分の気持ちを整理するのと同時に

少しでも多くの同じような気持ちの方に共感してもらえたらと思っていて

ニュアンスの違いで伝わり方も変わるかも?という思いもあって、たとえ重複してもできるだけ文章におこすことにしています。

 

これだけ書いていると、重複する内容も多くなってきましたが、上記のような思いで書いていますので、ご了承ください。

 

さて、本当に我が母親ながら情けないのですが、これまで何度も書いてきたように、母は1人で何かするということが極端に苦手で

今は病院に行くにしても、何かの手続きや施設に行くにしても、必ず姉に着いて来てもらわないとできない状態です。

別に、母が普段の生活において1人で動くことには体力的にも何ら問題はないので(もちろん認知症とかでもない)私からすると『何でそれくらい、1人で行けないんだか』なんですが。

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役所の手続き関係とか、そういうことを極度に嫌がったりする部分は、単なる「めんどくさがり」とかではなく、ちょっとどこかがおかしいのでは?と思い始めたのはつい最近のことです。

 

別に、できないことを責めるつもりはないのですが

かつてはそれを家族に高圧的な態度で無理矢理やらせていたこと

家族にやらせて当たり前みたいな態度だったこと

少しでも自分で調べてやってみようという気が全くなかったことに腹が立つし

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一番腹が立つのが自分ができないことは棚に上げ、娘には個人の限界とか適性を全く無視して、できないことや苦手なことを「根性がない」だとか「情けない」という言葉で攻撃し、無理矢理にやらせてきたことでした。

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どこに行くにも、夫(夫の死後は娘または会社の後輩等)の運転する助手席に何も考えずにぼーっと座るしか能のなかった母は、1人で公共の交通機関に乗ってどこかに行くことができません(バスには乗れる!とは言っていますが、結局自分からすすんで乗ってどこかに行ったという話は全く聞きません)

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普段街を歩いていても、母くらい、またそれ以上の世代の方でも1人で出かけているのなんか特に珍しいことでもないのですが、1人で出かけることすらままならない母とどうしても比べてしまいます。

 

私は毎日バスに乗るので、母と同じくらいの世代の人にもたくさん会うし、みんな当たり前のようにICカードで乗車し、時々チャージをしているお年寄りも見かけます。

このご時世、とくに珍しくもない光景ではありますが、私の母がICカードに自分でチャージをするなんてこと、おそらく一生ないので(まず「ICカードって何?」の説明からです)

何て情けない母親なんだろう…と、どうしても思ってしまう訳です。

別に、母がICカードを使わないといけない場面もないし、覚えないといけないこともないです。

ただあれだけ偉そうにふんぞり返っていた人が、少し頑張ればできそうなことも挑戦する気すらなく、この件以外にも1人でできないことが多すぎることに、何とも言えない情けない気持ちになるのです。

 

例えばの話『母さん、街のお年寄りは当たり前のようにICカード持ってバスに乗っているし、自分でチャージもしてるよ。母さん、そんなことくらいもできないよね。』と私が母に言ったとしたら

きっと母は必死になってあーだこーだと言い訳をすることでしょう。

 

それと同じことを私は母からずっとされてきたんですよね。

 

母は、私が苦手なことや、やりたくないこと、やらなくたって別に困らないこと

そういうことを「何でそれくらいのこともできないのだ」と、子どもに圧をかけ、やらせてきたのです。

私の気持ちなんか、完全に無視して。

 

しかもその理由が「母が自分でやりたくないから」「世間的にみんなやっているから」「それくらいできない子はカッコ悪いから」等が大半を占めていたことにどうも納得が行かないのです。

 

母はきっと「ICカードなんか使えんかったって、困らへん」「年寄りやねんから、わからん。しゃあない」等と、自分を擁護するはずです。

今でもすぐ「年取ってるから」とか「体の調子が良くないから」等を言い訳にできないことを正当化してますから。

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けれども私に対しては「幼いから」とか「そんなこと、そもそもわからなくて当たり前」「別にできなくても問題ない」というところは全く大目には見てくれませんでした。

母が「やれ」と言えば、やらないという選択肢はありませんでした。

 

要はそういうことなんです。

 

優しく、あたたかく見守ってくれなかった親には、子どもがそういう役割を担うべき時が来たときに、優しく、あたたかく見守ってあげようと思うことなんてできないのです。

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中には、思える優しい毒親育ちさんもいるのかも知れませんが、私には無理です。

そして、しなくても罰は当たらないと思っています。

 

じゃあ母と同じことをやり返すのか?

いいえ、『やり返してやる』そんな気は、毛頭ありません。

わざわざ先ほどのような話を母に機会を設けてするつもりもありません。

 

時々、無意識レベルでやってしまう仕返しのような言動くらいは、我慢できなくたって、そうなってしまう自分を許してあげようと思っていますが

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意識的に母をいじめてやろうとか苦しめてやろうなんて気はもうないです。

そんなことするだけ時間も気持ちも無駄ですし。

口で言っても、態度で示してもわからないから毒親だった訳ですからね。

 

毒親に対しては、仕返しもするだけ無駄なのでしませんが、そのぶん恩返しもしないつもりです。 

 

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「家族」が崩壊した理由を考えてみた②

幼い頃は家族4人、仲良く暮らし(ていると思っていた)、自慢の家族でしたが

なぜ私の家族はこんなくだらない末路になったのか?は前に書きました。

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では、何がどうなっていれば私の家族はあんな風にならずに済んだのか?と、最近考えていました。

 

こうなった一番の原因は両親(特に母親)の幼稚さが招いたことだと思っていて、両親ともにもう少し家族というものを敬い、謙虚な気持ちで過ごしてくれていたら変わっていたと思います。

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しかし、私の両親は、それをできる器の人間ではなかった訳です。

 

父は酒が飲めて、幼い子どもがそばにいればそれだけで幸せだったようですが、それはある意味「酒飲んでふわふわして、子どもを可愛い可愛いと言うしか能がなかった」とも言えます。

事実、暴力や暴言こそなく、父はかなり温厚ではあったものの

嘘か本当かわからない父のテキトー発言に、幼かった姉も私もずいぶん振り回されてきました。

それでも幼い頃は「陽気なお父さん」が好きだったし、鬼のような母のどぎつさを調和していたのもまた父でした。

 

そうやって、子どもが小さいうちにキャッキャウフフしている時はよかったですが、娘も成長しだんだんと父の温厚な部分より「テキトーに発言しすぎ」なところや「酒にだらしない」部分に嫌気がさしてきます。

 

その上、父は娘がいい歳になってもなお、幼い頃に私たちが本気で信じてしまっていたような『そんなわけねーだろ』みたいなことを調子づいて口にし

娘がいくつになっても「危ないでぇ」「気ぃつけよぉ」と、小学生くらいの子に言うような口ぶりで言う癖が治りませんでした。

 

結局父も「娘はもう立派な大人なんやなぁ」という一線を引けず、いつまでも「幼い姉ちゃんとたりちゃん」の幻想から、卒業できなかったのだと思います。

しかし、実際目の前にはもう大人になった娘しかいません。

酒+子ども=全て だった父の人生から、子どもを取るとまさしく「酒」しか残らなかった訳で、その末路が、家中に酒を隠し、真昼間から酔って転ぶ程酒に溺れたあの父でした。

ある種、父も想像力が欠如していたと思わざるを得ません。

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とにかく、父も母もタイプは違えど、自己中で精神年齢が低すぎるので、娘が成長して大人になればなるほど、親として都合の悪くなることも増えていたのだと思います。

 

そういうことを考えていると、私の両親の家庭生活って何だかおままごとみたいだったなという印象を受けた訳です。

 

子どもの頃、おままごとをやったことがあればわかると思いますが、はじめにみんなで役割を決めます。

大体、仕切りたいみたいな子が「お父さん」「お母さん」の座を獲得し、張り切って「あーしなさい」「こーしなさい」「ご飯ができたわよー」等と、仕切り始めます。

 

ちなみに私はおままごと自体は好きだったけど、まずこの仕切りたがり数名がいつも親役をやりたがって一悶着あることに『めんどくせーな』と思っていたので、真っ先に「子ども役」をかって出ていました。きょうだいは何人いても良いからです(たまに仕切る子が「子どもが多すぎる」とか言い出してめんどくさくなって『じゃあイヌかネコで』と言ったことも(笑)⇦ 本当に冷めた子どもでした(笑))

 

話が逸れましたが

色々ありながらも、子どもたちはおままごとを繰り広げるわけですが、子どもばかりの、みんな同じ年頃の中の仮想の世界だからこういう遊びは成り立つ訳で

そこへもし「本当の大人」が、真面目に入ってくると「おままごと」は成立しなくなります。

例えばそこに急に「私は36歳だから、あなたがママだとおかしいわよ」と、本当に36歳の人が入ってきては、それはもう「おままごと」ではなくなってしまいます。

 

私の家にも結局そういうことが起きたのでは?と、感じた訳です。

 

新婚の頃、幼稚な父と母がおままごとのような生活を送っていたところに、本当に幼い姉と私が生まれた時は、おままごとの延長で成り立っていたのでしょう。

さっきのおままごとの役決めのように、何となく親っぽいことはしてはいましたが

相手の立場になって物事を考えるとか、家族同士感謝し励まし合って過ごすとか

そういう精神的な成長のないまま、とりあえず子どもが産まれたから、肩書が「父」「母」になっただけ

だんだん子どもは成長し、いつしか親をも越えて本当の大人になってしまったので

先ほどの36歳の人が入ってきて、おままごとが中断されるのと同じように「娘が大人になったことによって」幼稚な両親の歯車が回らなくなり、私の家庭は崩壊したのだと感じたのです。

 

父は娘をいつまでも子ども扱いするので、その度に母が「もう2人ともコドモやないねんから!」と怒っていました。

しかし母だって十分、娘を子ども扱いしていました。

そもそも子どもを自分の思い通りに動かすということしか頭になかったので、子どもが小さいうちは権力でねじ伏せ

それなりに投資もして「こんなにしてやった」という押し付けと、それを子が拒絶することへの罪悪感を抱かせることにより「子どもの精神的な成長」を食い止め、自分の存在価値を見出そうとしていました。

そうでもしないと、せっかく得た「親」の肩書をふりかざせませんからね。

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以上のことから、現実的かどうかは度外視して、こうなっていれば家族4人がずっと仲良く暮らせていたのかも?ということについては

子どもが子どものまま成長をしなかったら丸く収まっていたのかも知れません(絶対にありえない話ですけどね)

 

 

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虎の威を借る狐

姉とは、月に数回程度会った時にご飯に行くのですが、必ずと言っていいほど母の話になります。

話を聞く度に、姉は姉で私とはまた違う部分ですごく嫌な思いをしたり、トラウマになっていることがあるのだなぁと感じます。

 

母って、2人の娘を比べることはしない!と自分自身に誓約した訳ですが

結局それを守っても、娘2人それぞれに多大なるトラウマを残して嫌われて

姉は『義務感だけであなたの面倒を見ている』と正直に母に言ったらしいし(そう言われても1人で何もできない母は「じゃあ来ていらない」なんて、口が裂けても言えないですからね)

私は『ほぼ繋がりを持たない』ということで

2人とも母の前で『あなたのことが嫌いです』と言うことはないものの、これだけのことを言われたりされたりしてやっと、娘に嫌われているのをわかってはきたようです。

 

仕事も辞め、趣味もない、友達もいない。毎日長い長い1日を何をするでもなく生きているだけの母。

更には娘にまで嫌われてしまった。

毎日「なぜこんな老後になってしまったのだろう」と、さすがの脳内お花畑の母ですら生きて行く自信を喪失しているらしいです(姉談)

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「新しい保護者が欲しかった」と、夫を対象に始まった母の「依存人生」は、その後母の強い支配によって、依存対象を夫から娘へと移しながら約40年、続きました。

家族の協力のもと成り立っていた家族関係と家庭環境を「自分の力だけで回っている」と大いに勘違いし、自信満々にふんぞり返っていた母。

自分の頭で考えず、自分の足で歩くことをせず、何でもかんでも高圧的にワガママに家族任せにしてきた結果が、誰からも見放され、寂しい老後を過ごすことになった今なのだと思うほかありません。

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私はあなたの娘ではあるけれど、私の人生は私のものである。

その線引きをいい加減できるようになれ、そして母娘穏やかに暮らそう

という私の意見も鼻で笑った母でしたが

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おそらくそれも母の様々な勘違いがもたらしたものなのでしょう。

 

 

中国の故事成語で「虎の威を借る狐」というものがあります。

意味は「権力者の威勢を借りて威張ること」

全ての自信を喪失した母は、今さら「自分は虎の威を借る狐だった」と、嘆いているそうです。

母の言う「虎」は「家族」のことで、家族みんなのサポートがあったから、私は生きてこれただけだったのだ。それくらい(狐とおなじくらい)私は弱い人間だったのだ、と。

 

私はこのお話を、狐は「自分に力がないのをわかって」虎に自分について来て、と言ったと解釈していたので

その(自分には威厳がないことの)自覚があっただけ、狐は母より賢いと思ったのですが(母は、自分が弱く1人では何もできない小さい人間であることすら、還暦を迎えるまで自覚がなかった能天気なお方なので)

最終的に「権力者の威勢を借りて威張ること」といった部分では、まさしくその通りですね。

 

まぁ今さら気がついて、悔い改めてみたところで「覆水盆に返らず」ですけどね(笑)

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昔の人って、本当に例えがうまいです(笑)

 

余談ですが、母は子どもを怒鳴りつけている時によくこういうことわざとかを引っ張り出してきて怒っていました。

何時間もこんこんと、母に怒られたことで、たくさんことわざとか言い回しを覚えたなぁ~と思います。

 

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母が「生きづらさの種」を蒔いていたのだと思う

母の「ここだけは良かった」という部分で「姉妹で比べることをしない」というのもあるのですが「今そこにいない家族の悪口を言う」というのは、母は日常的にやっていました。

あくまでも「本人たちの前で比べるようなことは言わない」だけで

姉だけでなく、父のこともよく悪く言っていたし、私のいないところで私のことを言われているのだろうな、というのも昔からわかっていたし、姉や父から「母さんが言うてたで」と聞いたこともあります。

 

と言っても、おそらく母自身は悪く言っているつもりはなくて、多分「事実を述べているだけ」(いつもの「思ってること言っただけ。何が悪いん?」)で

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その「表現方法がえげつなかっただけ」なのだと思います。

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そういうのを、本人たちの前で、姉妹で比較しながら言わなかっただけマシ、といったところですが、今思うと何であそこまでわざわざ言わないと気が済まないのか?ああいう嫌なものの言い方しかできないのだろうか?と悲しくなります。

 

姉は昔から時間にちょっとルーズなところがあって、子どもが産まれてから実家に遊びに来る時なんかも言った時間より大体遅れて来ていました。

と言っても、実家に帰るだけだし、子どもが小さいと思い通りの動きなんてできないし、まぁそんなもんだろうと私は思っていましたが

母はいつも「来るの遅いな!」「また1時間2時間遅れやな!」「たりは時間にきっちりしてるけど、姉ちゃんはあかんわ。何でやろな!」と、姉が到着するまで言っていました。

最後の言葉で「姉妹で比べてるやん」と思ったかと思いますが、それを「2人がいる前では言わない」というだけの話です。

(どちらか片方、いない方の悪口をもう1人に言うというのは、日常的にやっていたということで、それは父相手にもあてはまります)

本人的には「事実を述べているだけ」なのでしょうが、言い方にも問題があるので、結局聞かされる方には「悪口」にしか聞こえないし、不快なのです。

 

姉が一度だけ、合わない職場をすぐに辞めた時も「何故そういう言い方しかできないのだろう」と、嫌な気分になったことがあります。

 

姉も私と同じく、波長の合わないところではなかなか馴染めず、自分を守るためにやむを得ず退職の選択をしたそうなのですが

母はまた内情もわかりもしないのに(と言うか、誰のせいでそこまでの生きづらさを抱えてるか、まずそれを自覚してほしいが)「大体、あんな職場行く前からあかんってわかるやん!」とか、私に言ってきました。

 

これも、何で「あかん」とかマイナスの表現しかできないのだろう。

「今回は残念やったけど、またいいとこ見つかるといいね」とか、なぜそういう前向きなニュアンスでものが言えないのだろう。

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結局、母自身がいつも後ろ向き・マイナス思考・何でも悪い方にしか考えられない(そのレベルが病的)であり、精神的に未熟だった証拠だと思います。これは本当に、母の残念なところです。

またその考えを、子どもにまで押し付け、共感の強要をしてきたことに腹が立つのです。

こういった言動が多すぎたことも、子どもたちが異様な生きづらさを抱える原因のひとつになったであろうと、私は思っています。

 

被害者ぶる訳ではないけれども、こうやって考えていると私の家には子どもが生きづらさを抱えたり、卑屈な考え方になる原因になるような種が母の手によっていっぱい蒔かれていたのだなぁと思います。

 

母に支配されていた頃は、それに気づかず生きづらさの芽はどんどん出、大きく育ってしまっていましたが

私は絶対にこれ以上、それが育たないように

育ったものはへし折ってでも、生きてやろうと思います。

 

 

 

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母の発する嫌いなワード【過去編】

母の嫌いだった、また今も嫌いな言い回しは色々あり過ぎるのですが

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またひとつ思い出しました。

 

昔から、失敗することに異様に厳しかった母は何をするにも先回りをして「ああしなさい」「こうしなさい」

思い出すだけで『よくあんなにずっと指示できるよな』と逆に感心するくらいなのですが

「〇〇したら(失敗したら)泣かんならんで!(泣かないといけなくなるよ!)」も、何万回と言われた記憶があります。

 

さすがに人に向けて私がこの言葉を言う事はありませんが

時々家で1人で何かをしていて、何か失敗しそうになったら、頭の中でこの言葉が浮かんできます。

 

例えばどういうところで母が言っていたかと言うと

アイスクリームを食べていて、ちょっとよそ見したら

「よそ見しぃな(するな)!(アイスを)落としたら、泣かんならんで!」

とか。

とにかくこんな感じでよく言われました。

 

食べ物をこぼしたり落としたり、気をつけていないと、おじゃんになるぞ!という場面で一番多く使っていましたが

他にも切符とか、きちんと持っておかないといけないみたいなものを「きちんと仕舞っときよ!失くしたら、泣かんならんで!」も、よく言われました。

 

小さい頃は当たり前のように言われていましたが、最近になって『泣かんならんって何だよ』と思って、考えていました。

そもそも、そんな親に育てられていたから、同じ年頃の子よりか私はよっぽど注意深かったし、取り返しのつかない大ケガだとか、ミスだとかそれこそ「泣かないといけない」ほどのことをやらかすことなんてそうそうない子どもでしたが。

 

おそらく、一番の理由としては母は異常な守銭奴だったので、何をするにも「もったいない!」という気があって

それを子どもの不注意で、買ったものがムダになるとか、もう1つ買わないといけなくなる、というのが母は心底嫌だったのではと考察しています。

 

それに加え、落としたりして子どもが泣いたりダダをこねたりするのも嫌だったのだろうなと思います(母は子どもが泣いたり、機嫌を損ねることをすごく嫌っていました)

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確かに『アイスなんて数百円のものじゃん。それくらい、いいだろ』とは、思わないし、遊び半分でふざけて食べてたら私も注意はすると思います。

けれど母の場合は、アイス等が子どもの手に渡った途端目を光らせて、まるで見張られているような中で食べなければなりません。

 

幸い、歳の離れた姉がいたので、姉が大きくなってくると『姉ちゃん、たりが落とさんように見たってよ』と、姉にその役割がバトンタッチされ、姉は母みたいな言い方をしないので(こぼれそうになったりしても、怒るのではなく優しくフォローをしてくれる)

姉が一緒の時はある程度はましになったものの

せっかく家族みんなで出かけたりしても母だけがずっっっとこの調子なので

食べることを含む何事にも消極的になるし『旅行やイベントを楽しむぞ~!』ではなくて『あれは大丈夫かな。これは大丈夫かな。あれがああなったらどうしよう』ばかりに頭の中が支配されて、楽しい訳がありません。

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それでも、20代半ばまで、親孝行だと思って母主催の旅行に付き合っていて、当時はそれなりに楽しんでいると自分では思っていました。

しかしこの間、私が23歳くらいの頃の家族旅行の写真データが出て来たのですが

どこに行って何をしたか、全く思い出せませんでした(時期は、着ていた服で何とかわかった)

結局、幼い頃は母の顔色をうかがって、失敗しないように…と思うので旅行等の楽しさは半減し

そういうことをあまり思わなくなった20代になってからも、結局今度は『行かないと母がキレまくって面倒だから』という理由だけで参加していたのだなと感じました(笑)

そりゃ記憶になんて残らない訳です(笑)

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それから、すごく不思議なのですが、私は幼い頃の家族旅行とかもわりと覚えている方で「姉ちゃんはすぐに忘れるけど、たりは何でもよく覚えてるなぁ」と家族にもよく言われていたのですが

最近、だんだんと昔の旅行のことも記憶が薄れてきたと言うか

まぁ歳を取れば当然のことなのかも知れないけれど、何かあるごとに『あの時も母にああやって言われた』『母がこんな風ですごく嫌だった』というのを思い出していたのが、だんだんとなくなっていることに気がつきました。

 

昔はもっと鮮明に頭に色んな場面がこびりついていたし、思い出す頻度も高かったし、その度に腹が立って仕方なかったのだけど

最近は意識的に思い出そうとする作業をしない限りは、特に思い出すこともないので

それに伴って腹を立てることも少なくなってきました。

 

母が嫌いなことには変わりはないですが、母の言動のルーツ等を探るうちに「落としどころ」が私の中で見つかりつつあるのかも知れません。

 

こうやって、文字に起こすことで私の中の何かが昇華されているような気もします。

もう少し、この作業は続けていこうと思います。

 

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まずは自分で承認してみる

以前に、母は承認欲求モンスターだという記事を書きましたが

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では、私自身についてはどうなのか?という事を考えてみました。

 

私自身も、自己肯定感も、自尊心も低い方であるとは思いますし

親からは貶されてばかりで、ほめられた記憶があまりないので

昔から『認めてほしい』という思いはかなりあったと思います。

過去形なのは、最近だいぶマシになってきたように思っているからです。

 

前に副業として勤めていた職場では、お互いギスギスしたところがなく、私が何気なくやることにも「ありがと~」とか「助かっているよ」という言葉をかけてもらって

こんなに優しい人がいる職場なんてあるんだと驚いたほどです。

そのおかげで、わりとそれ以前の職場と比べて、他人の顔色をうかがって、オドオド仕事をする事が少なかったです。

 

そこから、この自尊心が前より高くなった状態を少しでも保ちたくて

本当にあほみたいですが、自分で自分をほめる習慣をつけるようにしました。

うたた寝せずにお風呂入れたね』『食器洗えたね』『部屋の片付けできたね』

くだらないことだけれど、少なくとも何年か前の自分のように『自分はだめな人間だ』と貶しながら生きるよりかはいいと思っています。

私は親からこういった言葉をかけられることが、少なすぎたのだと思います。

だから、今自分でそれをやっています(笑)

 

そしてもうひとつ、承認欲求の満たされない人は、これを他人にやらせようとするから、話がおかしくなるのでは?と思った訳です。

 

母はもう言わなくてもおわかりかと思いますが

かつての元親友もそうだったのかも?と最近気が付きました。

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私生活もしっかりしていたし、頭も良い女性でしたが、彼女もまたある家庭環境から自尊心が異様に低く

元々、自分の欲を満たす手段はわかっており、内容は割愛しますが結婚前はうまく発散している印象を受けていました。

けれど、結婚をしてから、おかしい言動が増えて、ものすごく付き合いづらくなって

(多分、元々やっていた発散をしなくなったのと結婚して家庭を持ったことでしたくてもうまくできなくなってしまったのだと思われます)

彼女を冷静に観察すると夫に「ほめてほしい」「すごいと言ってほしい」という気持ちだけで結婚生活を送っているように見受けられました。

 

しかし、旦那さんが良く言えば寡黙でクールな方でしたので「いつもありがとうね」とか、そういう類のことはおそらく一切言わない人で

きっと彼女にとって「自分が尽くすこと」と「相手からの感謝や存在を認められたと感じられる声掛け・表現」のバランスが全く釣り合わなかったのだと思います。

 

すると今度は、その役目(ほめたり、すごいと言わせる)を私にさせようとしているように感じて、思い通りの返しがこないと今度は、変なとこで張り合ってきたり、マウントを取るような、とにかく不可解なことを多々してきました。

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私自身も、彼女のことは昔から大好きだったし、尊敬もしていたので

すごいと思うところは素直に『すごいね』と言葉にはしていましたが

そのハードルだけがどんどん上がって行く感じで

思い通りの言葉がないと癇癪を起こし、暴言を吐くので

多分彼女の精神は、私が思うより相当病んでいるなという気がして、離れることを決意しました。

 

正直、この時の心境は母と『距離を置こう』ではなく『逃げないとまずい』と感じた時の感情に似ていました。ある種の危機感と言うか。

もはや、私が単なる友達としてケアできる許容量を超えていました。

 

毒親に育てられたり、家庭環境が複雑だった方にとって、自尊心を高く持つというのはものすごくハードルの高いことです。

それを、高く持っているように感じられるように、周りにもそう見せるように、皆、様々なことをやるのだと思います。

高級品を身につける、お金をたくさん稼ぐ、異性にちやほやされる、異性に貢ぐ、何かに依存する…等。

それで、何とか承認欲求を満たし(た気分になって)過ごしていくのもまた、ひとつの選択ですので『やめた方が良いよ』とは、私は言うつもりはありません。

 

ただ、対「人」に、自分の承認欲求を満たそうとさせるのは、オススメしません。

tari97.hatenablog.com

 

先ほど書いた「異性にちやほやされる、異性に貢ぐ」だって、対「人」じゃんと思うと思いますが

そういうのはあくまでも「心を通わせない」という意味合いですから

ようは、ホストやキャバ嬢に貢ぐとか、パパ活だとか、一般的には「先のないもの」「ビジネスライクなもの」というイメージです。

その行動に「未来はないけどね」というドライな気持ちで、いわば「契約」のように

できるのなら『やめときなさい』と言うつもりはない、という意味です。

極端な話、夫をATMだと割り切って暮らせるとか、そういう人も同じ。

 

ですが、お互い、心を通わせて生きていきたいのならば

自分が愛をもって、愛されて生きて行きたいという選択をしたのならば

まずは自分で自分を好きになる、まずは自分で自分を認めてあげられることが、一番大切だと思う訳です。

それを相手にさせようとするために関係を築くことは自分のことしか考えていない傲慢な毒親と一緒です。

 

多分この記事を読んで「何が自分で自分を好きになるだよ、バカみたい」と思う方もいると思います。

私もかつてそうだったので、わかります。

ですので、わかるタイミングの方だけ、わかって頂けたらそれで十分です。

 

 

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