もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

「子どもやから」を利用しないでほしい

ブログを書いてきて、母は家族相手にも支配関係を築かないと、共存できないことに気がついた訳ですが

気が付いてしまうと、あれもそのせいかなと思うことがどんどん出て来てしまって

良いのやら悪いのやらといった感じです。

まぁでも、ここに書くことによって昇華できる気もするので、できるだけ事細かに書いていきたいとは思っています。

 

この記事

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を書いた後に、やはり私は子ども(=支配下に置かれている立場)だからと、母にナメられていたのかな?という気持ちがどうしても拭えませんでした。

 

そして、

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昔から母は娘が何かができないとか、失敗すると「あほか」「何でそんなこともできへんのや」等と罵り、バカにするところがありました。

 

ほかにも昔から「アンタは子どもやから知らなくてもいい」とか

母はとにかく子どもへの対応が面倒なので「子どもやから」を理由に片付けられていたことも多々あったなと思います。

 

その割には、私も姉も幼い頃から母の愚痴のゴミ箱役をやらされていたし

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(大体今考えたら、あんなえげつない愚痴や悪口を娘に聞いて貰って当たり前だったって、だいぶおかしいです。曲がりなりにも親なんだし、大人なんだからせめて周りの大人に相談する程度にしとけよ、と思う)

 

そうかと思えば、娘が大人になって自分の方が無知であったり、任せた方が楽だと踏むと今度は手のひらを返したように

「アンタは頼りになるから!」とか「お母さん、な~んにも知らんねん!」等、調子の良いことを言って丸投げしたり、命令してやらせてきました。

 

その度に何も疑問に思うこともなく『これが娘のつとめなのだろう』と思い対応してきましたが、母は「子どもやから」というのを免罪符に、都合よく子どもを支配していただけで、その度に私の心は傷ついていたのだと思います。

 

「言うことに一貫性がない」のも、毒親あるあるで『おかしいのではないか』と意見をしても「お前は子どもやねんから、親の言うこときかんかい」と、力でねじ伏せられてきたことも多々ありました。

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それで思い出したことがあるのですが

母は昔からテレビが大好きで、チャンネル権も母にあったのでいつも『何見る?』と聞くついでにご機嫌うかがいをしていました。

テレビがついていないと母に「テレビつけてーな。何で(テレビ)つけてないん!」みたいに言われることもあったので

うちでは何となくテレビをつけるのが当たり前になっていました。

 

ある日曜の朝、私が起きてリビングに行くと母も起きて食卓の椅子に座っていました。

やはり、いつものくせで何となくテレビをつけると、しばらくして

「テレビ消して!」「朝からうるさい!」と怒られました。

『いつもつけてるやん』と私が言うと「母さんはな!日曜の朝くらいゆっくり静かにお茶飲みたいねん!」とちょっとキレながら言われて、また『はぁ?』と思ったことがあります。

私が小学生くらいの頃は休日の朝は家族揃って朝食を食べていましたが

その時も何かしらテレビはついていました。

おそらく、その日はたまたま他に考え事をしているとか、ただ単にいつもみたいに虫の居所が悪いとかだったのだろうと思いますが、母はいつもこうやって機嫌にまかせてすぐ「ゼロか100か」みたいなものの言い方をします。

なぜ「今日はちょっと静かにお茶飲みたいから、テレビ消して」というふうな言い方ができないのでしょうか。

で、また別の休日になればテレビをつけて朝から大笑いして

あまりに腹が立ったので『休みの日はテレビ見ぃへんのちゃうん?』と聞くと「母さんそんなん言うてへんでぇ~」ですって。

 

こんなこともありました。

私は自室にベッドがありましたが、朝起きて学校なり仕事なり行く時には朝起きたまんまの状態で家を出ます(わざわざ、布団を整えたりはしないという意味)

するとある日母に「出かける時はきちんとベッドメイクしてから出なさい」みたいなことを言われて(母はなぜかそこにだけはこだわり、確かに母のベッドは布団がめくれた状態のままにはなってはいませんでした)

ある時、朝の支度をしていたら母が部屋を覗きに来たのでベッドメイクを始めるフリをすると

「起きてそんなにすぐ布団なおしたら(元通りにしたら)湿気がこもるやろ!」「ちょっとの間、めくって空気入れな!」と言われました。

また、私の頭は混乱します。

 

とかく昔から母はずっとこういう調子でしたが

そういう混乱さえも、毒親育ちは『こんなものなのかな』と思って長年生きてしまうのです。疲れて当然です。

あっちこっち、意味のない道に「行ってこい!」と言われたかと思えば「早く戻ってこい!」と言われ、走り回っているようなものなのですから。

 

母はまるで自分一人だけが家族のために頑張ってきた!みたいな口ぶりでしたが

あんな幼稚で世間知らずの両親だったわりに、それなりに「家族」みたいなものが構成されていたのは

そういう自分勝手な母に娘たちが死ぬほど気をつかって合わせてきた賜物でもあると自負しています。

 

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