もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

ダブルバインド祭り

母の愛情表現は「食」にばかり偏りすぎていて、それが「料理を手抜きしてはならない」という過度な自縛となっていました。

さらに、呑気に暮らしている(ように母には見える)娘らが憎らしい…という僻み根性が合わさり、ああいう母のいつもの言動(食事中にキレて、夜中まで怒鳴る)として表れていたのだろうということは何度も書いてきました。

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一度、姉が大学生の頃また「母さんは女中やない!」の結構酷いバージョンがあって、翌日に姉が初心者向けの料理本を買って来たことがありました。

それを見た母は「やっとわかったか」みたいなリアクションでしたが、ではそれ以来私たちで料理する機会が増えたのか?というと全くそんなことはありませんでした。

 

本を買って終わりではなく、姉とも話し合ったし実際夕食を担当しようかという具体的な提案も2人で母にしました。

最初のうちは母が「今日は材料あるからええわ」とか言うのを純粋に信じていたけど「当分は献立決めてるからまた今度にして」とか何とか言う日が続き、そのまま何となく時が過ぎて、姉や私が食事作りをすることはありませんでした。実際には「させてもらえなかった」が正しいです。

 

結局母は唯一自分が威張れる料理担当の座を譲る気なんて少しもなかったのです。

 

そのくせ、またある日いつもの「母さんは女中やない!」「あんたらは口あけて待っとるだけやもんな!」が始まります。

挙句の果てに「料理本なんか買ってみたって何になるねん」「アンタら、やっぱり口だけやな」です。

 

その時私はまだ中学生だったから、母の怒りの矛先は8割姉に向いていたように思いますが、その数年後、姉が結婚して家を出て行くと母は私にも全く同じ攻撃をしました。

いっぺん食材買うのからやってみぃ!と言うので実際にやったらこんなまずい肉食えるか!と私が泣くまで延々罵倒され

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またその時に自分の中で何かがプツンと切れた感覚があったのを覚えています。

 

それまでも料理のことについては散々罵倒されていたので(ここに書いていないことでもたくさんあります)

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その、何かが切れたような感覚があった時に、母の前ではもう何があっても絶対に料理はしない。作ってもインスタント物だけにしよう。と心に決めました。

 

時々、母は私を試すようにニタニタしながら「料理作ってーな」とか「たりの手料理食べたいワァ」とか言ってきましたが断固として『しない』を貫きました。

ここで騙されたらあかん!また同じことになるだけ!と自分に言い聞かせました。

姉も結婚後かなり早い段階から今後一切絶対に母に手料理をふるまう気はないと言っていました。

ここまで頑なに子どもの心の鍵を掛けさせるのが毒親クオリティですね。

 

もちろん、思うことを言ったこともありますよ。

母さん、いつもそうやって怒るけど絶対料理させへんやん。やるって言ってもいらんとか、せんでいいって言うやろ、と。

すると、図星&正論なので言い返せない母は必ずこう言いました。

親を押しのけてでもやらんかい!

は?何て???

押しのける?あなた、押したところで素直に退くような人間でしたっけ???

 

毒親の大大大好きな、ダブルバインド

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あちこちから攻撃をして、出口をなくすのです。毒母が大好きなやつです。何回やられたことか。

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こんな肉食えるか!と罵倒された時は『またや。あの時(姉が料理本を買ってきた時)と同じや』とすぐに魂を遠くの方にやったし←毒親育ちの必殺技

その後プツンと何かが切れた時もあーはいはい、やっぱりねwで済んだけど、料理本を買って来た19歳20歳くらいだった姉は『やってみよう』と純粋に思っていたはずです。母を信じてね。

姉がどんな気持ちであの時料理本を買ったのかなぁと想像すると不憫すぎて泣けます。

 

不真面目な訳ではないのにこんなに歪んだやり方でしか感情表現のできない母は、やっぱりどこかがおかしいのだと思います。

台風で思い出した話

皆様台風の被害はなかったでしょうか。

 

幼い頃も何度か台風が来たことはありますが、うちは浸水リスクもなかったし当時は築年数もまだ浅かったので、家の中にさえいたらさほど心配することはありませんでした。

周りの木々が防風林役になっているのか、高台でありながら風の強さもあまり感じたことはありません。母が今でも暮らしている家はそういうところです。

 

台風の前に家の周りのものを仕舞ったり自転車を紐で柱に固定したり、そういうのも全て父と私たちの仕事でした。

母が一緒になって外に出たり台風に関わる作業を一緒にやっている姿なんて1度も見たことありません。

いつも「風強なってきたで!」(=早く外へ出て台風に備えろよ)と言って終わり。ほんと、何様なんだか。思い出すだけで腹が立ちます。

 

時々外で物が飛ぶ音がすると母が「父さん、見てきて」と命令。

早いうちに片付けてるから大丈夫と言っているのに、自分が不安だからってそうやって人を使って確かめさせるんです。

家族が『もういいやん。大丈夫やって』と言っても絶っっ対に聞きません。

また機嫌を損ねたら面倒なので、結局家族が折れます。心配なら自分で行けよ。

 

母は自分でしっかり見たり、確かめたりして「大丈夫」と確信を持つことができないので(自分が責任を負うのが嫌というか、怖いのだと思います)そうやっていつも自分を安心させるために人をこき使っていました。

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命令口調で、それが人にものを頼む態度か?という感じだから腹が立つのです。

 

かと思えば、台風がいよいよ接近してくると母は不安がるどころか「風強なってきたなぁ!」と、子どものようにはしゃいでいました。これを思い出すとやっぱり頭のネジがどっかぶっ飛んでるんじゃないかなと思いますが。

そのくせ最近の母は、台風が来るとわかるとLINEで「こわい」などの発言をしています。昔はあんなに不謹慎なレベルではしゃいでたのに意味分かりません。

 

歳を取った人が家で1人で台風が過ぎるのを待つ…というシチュエーションが不安なんでしょと普通は思うと思いますが、母の場合「なんとなく不安」とかそういう情緒的な感覚が備わってないので、多分母の言う「怖い」は「家が倒壊しないか」を本気で心配しているのだと思います(そしてあの家で倒壊を心配することは、ほぼ無駄なことだと思います)

またいつものことですが、自分の年齢を言い訳にして「あんたらには(こわいという気持ちは)わかれへん」と言っていたけど、自然災害への怖さは皆同じです。若けりゃ怖くないやろ、みたいな言い方も本当に無神経。何でそういういらん一言がいつも多いんですかね。

 

母は「昔は平和やったから(何も怖くなかった)」みたいに言うんですけど、その平和は父・姉・私の必死のご機嫌うかがいのもと成り立っていただけです。

母が昔と変わったと感じる理由は、母のご機嫌を取ってヨイショして「精神的にお世話してくれる人」「面倒なことは丸投げできる人」が周りにいなくなっただけのこと。

だから、台風が来るのに「こわい」と言う今の母のリアクションが本来正常なのですが、昔はあんなにバカみたいにはしゃいでいたところを見ると、母は家族みんなで暮らしていた頃、いかに「何かあっても自分は知らん」と思って暮らしていた証拠ではないでしょうか。

一家を守って、何かあれば自分が何とかしなきゃと思って暮らしていたら普通はあんな不謹慎なこと、言ったりできないと思います。

子どもみたいに風が強くなってきた!だの、雨がすごい!だの…母がいかに精神面で無責任に過ごしていたかということかと。

 

台風だけじゃなくコロナだって戦争だって、そういうイチ個人がどうにもできないことの大変さは、皆に平等です。

結局、毒親って何が起きたってやっぱり自分が世界で一番大変でしんどくて寂しくてかわいそう…なのです。

 

一生そうやって、何の成長もないまま悲劇のヒロインぶって生きて行くんでしょうね。

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だから誰も寄り付かないわけで。

 

スター、コメントありがとうございます。

本音が隠れているところ

私はこのブログで親と離れて暮らすことになった顛末は書いていますが、同じことをした方がいいよと言う気はありません。

家を出たことが私には合っていただけで、家を出ない選択をしている人、縁切りまではしていない(これは私もです)人、色々いて当然だと思います。

 

時々、同じ毒親育ちでも他人の動向が自分の思ったものではないとやたらと攻撃的な人がいますね。解毒=家を出る・縁を切るが正解と決めつけてない?という人。

「何で家を出ないのか」「何で縁切ってないのか(例えば一緒に食事をしたり、なぜするのか)」と詰め寄ったり。

こういう人にはなりたくないな…とは思っていますが、どういう状況であれどんな境遇であれ、共通して言いたいことはあります。

親を嫌いでも、親と良い関係を築けなくてもそんな自分を悪いだとか不出来と思う必要はないということです。

 

最近は「あまり親とは仲良くない」と外でもわりと言えるようになったけど、これは親子の関わりがどこでも良いとは限らないというひとつの選択肢が世に知れてきたからだと思っています。

まだ理解できず失言してる人もいますけどね。

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母は毒親だったということを私は早めに気付けた方だと思うようにしてるけど、それでも母を盲信して棒に振った時間も少なからずある訳で。

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あとは昔からある「親が擁護されやすい空気感」が邪魔してると思います。「親も人間なんだから」というニュアンスで諭されたことは数え切れません(毒親は自分で言うしな)

養育されているとか世話になっている部分はあれど、そういう事とはまた別で、人格や性格などどうしても受け付けない・合わない部分があるのは親子であっても当然のことです。

親だって人間なんだから…と言うけど、子どもだって人間です。

 

中学時代、先生が裁判の話をしている時「実の親を訴えることってできるんですか」と質問した生徒がいました。先生は「できるけどもな…親に何かされても訴えるまでいくか?あなたはどう?」と言ってたけど、私はなぜそんな有り得ないみたいに言うのか?もしかしたら訴えるに値する親だっておるかも知れへんやろ…この先生、よっぽど良い家で育ったんやな…と思ったんです。

中3でそんなこと思う時点でほぼ答えは出ていますね、今思うと。

そうです。「母親が好きではない」という答えです。

 

威圧的な態度、人格否定、不機嫌、脅すような物言い…そういう母の代表的な嫌いだった部分以外にも私は幼少期から潜在的に母のことが好きではなかったのだと思います。

 

これも最近ふと思い出したのですが、小学生の頃から洗濯物を畳むのに、父の下着は何とも思わないのに母の下着だけはなぜか触るのにもすごく嫌悪感がありました。

同じ洗濯機で同じように洗って干したものなのに。

母だけを『なんか、きたない』と感じることが私の中でずっとあって、でもそう思う自分をすごく責めていました。

 

れっきとした『きたない』と感じる理由があったので、自分を責める必要もなかったなとわかったのは、ほんの数年前のこと。

うちでは父が一番にお風呂に入っていたけど、いつも最後はキレイにしてから上がるのに対し、母はシャンプーボトルや桶も定位置に戻さずほったらかし、床も最後に流してないからヌルヌル、掛け湯もいい加減なのでお湯が何か汚い…

食べ方が汚いとか、ガサツな部分が嫌いだったという記事も前に上げています。

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洗濯物のことも家を出て何年もしてから『そういえば』と思い出したことで、家では『母をきたないと思う自分』さえも押し殺し、母の不潔さ・ガサツな部分もかなりのストレスだったけど自分を麻痺させて気が付かないふりをしていたのだな、と。

 

親に対してこんなこと思うのはダメ・いけないことだと思い、騙し騙し生きてきたことや、自分を責めてきたことが多すぎるんですよね。

これらは毒親育ちの苦しみの結構大部分を占めてると思います。

 

「親を好きになれない」も、食べ物の好みで「舌に合わない」とか、何となく好きになれない芸能人なんかと同じだと思うのです。

食べ物や芸能人の好き嫌いに「こんなこと思う自分って…」なんてわざわざ思いませんよね。毒親は、親として以前に人としてそう思われてしまうようなタイプの人間だったというだけだと思うし、そこに「親子」や「世間一般」を絡める必要性はないです。

 

と、偉そうに言っていますが、発信するとともに私自身も自分へ言い聞かせる意味で思い出してはブログに綴っています。

見て見ぬふりをしてきた自分の潜在意識の中に本当はこう感じていた、ということがどれほど隠れているのだろう…と思いますが…

 

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