もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

新聞配達のおっちゃん

前回の記事で、私は確かに利口な子どもではあったけど、それはある種大人に期待するのをやめたということだったと書きました。

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母から大人に対する不信感を植え付けられていたので、周りの大人にも一線引いて接していました。大人への恐怖心もあったのだと思います。

 

特に学校の先生は、学校嫌いの母から「先生なんてロクな人間いない」と教えられていたし

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私も学校嫌いだったので「学校に付随する人間」という認識で、好きにはなれませんでした。今思えば母からの刷り込みも大きく影響していたと思いますが。

 

小4の頃、クラスの男子同士でいじめとも取れるようなことが起きて担任が「そんなこと(=いじめ)を何とも思わずやるような子になってほしくはない」と涙ながらに訴えたことがありました。

その時も私は『あほくさw』としか思わなかったし、大体、される方にも問題があるわ、自分の身は自分で守るしかない。と思っていました。

何故かって、家がそうだったから。

母を怒らせぬよう、毎日毎日言葉1つ発するにも細心の注意を払い、神経を研ぎ澄ませて…それでも母には気分次第で怒鳴られます。『やられる方に問題があるのだ』と私は本気で思っていたし、家でそんな状態で過ごしている子が、先生の涙ながらの訴えに心を動かされる訳がありません。

 

最近の子どもたちの生きづらさには、近所の口うるさいけど気にかけてくれる、おじさんおばさんみたいな存在が少なくなったことも一理あると言う人がいますが、それは私もわかる気がします。

怖くない大人がいることを実感することがもう少しあれば、何かが変わっていたかもと自分自身思うからです。

 

小6の頃よく遊びに行っていた地域の公園で、夕刊配達のおっちゃんとひょんなことから話すことになった時がありました。

忙しいのに子どもたちが話しかけるとバイクを停め、話に耳を傾けてくれていました。

「俺は忙しいんや!」「遊んでるお前らとは違うぞ!」と口は悪かったですが最後に必ず「あんま帰り遅くなるなよ!」とか「気ぃつけて帰れよ!」と子どもらを思いやる声掛けをしてくれました。夕刊配達という時間が限られた中でわざわざああやってバイクを停めてまで子どもたちの相手をしていたくらいなので本当に子ども好きだったのでしょう。今思うと『この人は攻撃しない大人だ』と大人嫌いだった私も本能的に感じたのかもしれません。

だから、ああいうおっちゃんなりおばちゃんなりが表面的でも良いので優しくかまってくれれば、もう少し私の中の大人への不信感や恐怖心はなくなっていたかも、と思う時があります。

 

私は母に対してたくさんの言葉を飲み込み、諦め、心の扉をいくつも閉じてきました。

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大人になった今、異常なまでに毛嫌いしていた学校の先生にだってもう少し心を開いても良かったかもと思うし、もっと他の大人に助けを求めればよかったのだろうかと思うこともあるけど、仮に外部の大人に相談していたところでうちのようなパターンは「考え過ぎ」「親も心配しているんだ」と返されていたことは容易に想像がつきます。

前に某精神科医のコラムで暴力やネグレクトをするのを「強烈な毒親」、過干渉や支配的な親を「軽いタイプの毒親」と書かれていて、有識者が重い軽いなんて程度を決めてしまってる、だめだこりゃと思ったことがあり、今は相談ダイヤルとかカウンセリングもありますが、どうも信用ならないと私が時々思うのはこういう部分にあります。

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私には何の資格も権威もないけど、せめて今苦しい思いをしている子どもたちの、私にとってのあの新聞配達のおっちゃんみたいな存在になれないかなぁと考える時があります。

 

スター、コメントありがとうございます。