もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

それ、いつまでやるの?

この正月ももちろん実家には帰りませんでした。

 

コロナ前あたりまでは、まだ色々と気持ちの整理がついてない部分があって年末年始も意識的に家にいないようにしていたのでtari97.hatenablog.com

実家を出てから正月に実家に帰った記憶も1回くらいしかないです。

元々実家に行くのは必要最低限にしていますが、正月に特に行く気になれないのはおせちや雑煮などどうしても「食」に直結するからでしょうね。

私の中で食×母の良い思い出がないので(実家では毎日家族揃って食卓を囲んでいましたが、母の食卓でのブチ切れとか押し付けるような給仕のトラウマが上回ってしまいました)実家の食卓で母と一緒に食事をするというのを、一生したくないんです。

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最近の母あるあるですが天気とかテレビ番組とか、当たり障りのないことだけ話しておけばいいのにすぐに幼少期の話とか、昔(私や姉が学生だった頃)の話をLINEで始めるんです。誰も聞いてもないのに。

 

先日は「小さい頃お年玉の存在すら知らなかった」とか「雑煮と鏡餅の飾りの干し柿だけしかない正月だった」と入っていました。祝う余裕なんてないほど、貧しく質素な正月だったと言いたいのだと思います。

まあ昭和30年代の話ですからね。そんな家もあったのかもしれませんが、母にとってはそれが大きな心の傷なんでしょう。

 

そんな生活はさせまい!と自分を鼓舞する反面、その恩恵を受ける私たちを見てやっかむ気持ちを「親としての責任・躾」と称し八つ当たりしていたのだろうなと私は思っています。

何不自由なく暮らす娘の姿を見て、母の中の子どものままの母が泣いて叫ぶんでしょうね。お前らは、何ぬくぬくと暮らしとんねん!と。

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母が機嫌の悪い時には「(食事が出てくるのを)当たり前みたいな顔して!」と怒鳴られました。

 

正月の話もかわいそうな幼少期の話をして「それでも自分は親を恨んでいない」「あんた達にそんな暮らしはさせていない」=だから自分をもっと敬って、ほめろと言いたいんでしょうね。

確かに、年越しそばからおせちや雑煮と母なりの精一杯のおもてなしをしてくれたのだなと物理的なことは感謝しています。普通の生活水準の家らしいことは行われてきましたが、そこには家族団欒という言葉の真意がわからなくなるほどの母の罵詈雑言・不機嫌・説教がいつもすぐそばにあり、いつその地雷を踏むかわからない恐怖との戦いでした。

 

母はいつも「お母ちゃん(母の実母)がかわいそう。思い出したら涙が出る」と訴えます。昔はこういう母を心優しいと勘違いしていましたが、これこそが母を縛っている一因だとも思います。

こういう生活水準で暮らそうと決めたのは親の選択であり責任であって、何も母がそこまで自分の親に肩入れして悲しむこともないし、それを私たちに訴える必要もないと思います。

結局母は自分の実母に対しても自他境界線が引けていないのでしょう。

親や家を恨んではいない!と声高に叫ぶのは、そこに消化しきれない何かがくずぶっている証拠ではないでしょうか。

現に私はもう母のことを恨むとか嫌いとか…そんな次元として見ていないですから。

 

「あんな親でも、子としての役割(=親を嫌わない・見捨てない)を全うした自分」が1つのアイデンティティなんでしょうね。そこまでは母の生き方なのでどうぞご勝手にです。

私が嫌いなのは、母がそうやって生きることを「正」とし、どんな親でも敬って感謝しろ、それが正しい子の在り方!と強要してくることです。

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大体これも本来は娘にするような話ではなく、夫や友人と話すことだと思うんですけどね。

夫は先に亡くなったから仕方ないとしても、こういう『そんなこと私に話されても…』ということも昔から母はみんな娘らに傾聴を強要しました。

 

結局LINEではまた娘から共感されるどころか「その手には乗りませんよ」みたいな返しをされて終わった母。

母は精神的なアップデートができないことで自分で自分を苦しめていると思うのですが…これ○ぬまでやるつもりなのかな。

 

スターありがとうございます。