もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

誰かさんに似てる

兵庫県明石市長が話題になっていますね。

報道を見ていて、感じたこと…。

私の母親に、似ているかも…。

 

最初の報道では、パワハラ発言の部分ばかりがクローズアップされていて、私も『うわ~最低なおっさんやな』と思ったのですが

怒鳴ったことにも色々理由があり、それはどうも市や市民のことを想ってのことだったようで(市民の安全を守るために、事故の多い道路の拡張工事を進めたかった)

また、子育て支援などにも力を入れているそうで、明石市は人口も増加傾向にあると言われていました。

後になって、なぜあんなに怒鳴ったか?という理由についても報道されると、市長を擁護する声も出始めたようでしたが

やはり、人として言ってはいけないこと、不適切な言葉というものはある訳で。

 

多分、あの方も真面目なんだと思います。

声を荒げるのは、真面目にやっているからこそなんだと思います。

 

ああ、この市長も母と同じ。真面目だし、けして悪いことをやっている訳じゃないのだけど

表現方法に問題がありすぎたんだなぁと。

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それでも、うだうだ、自分を擁護するのかと思いきや、すぐに辞任を発表して

それを見た時は『いや、母より、いさぎよいな』と感じました。

 

でも、でも、だって、と言い訳はせず

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不快な言動についても、頭を下げて謝っていました。

 

結局、毒親も同じなのです。

 

人として、どうか?と問われるような罵詈雑言があったのならば

「頑張ってる!」「辛い思いしている!」「子どものためにしている!」よりも先に、「子どもが不快に感じたこと」への「ごめんなさい」が必要だと思うのだけど

毒親はここを、親という権力で「子どもが不快に感じたこと」をもみ消そうとするから、腹が立つし、子どもも気持ちが壊れる訳です。

 

紛れもなく、子どもが『嫌だ』と感じた事実

その事実に「こんなに頑張っている」と、返すのはそもそもお門違いであり

子どもが『嫌だ』と感じながらも、何とか親を擁護できそうな部分があったかどうかは、相手(=子ども)が決めることです。

この市長の場合、市民がどう感じたか、なのです(その前に、辞められましたけどね)

 

それを、毒親ときたら頑張った功績だけを主張し、相手がどう感じたか?という部分に全く目を向けない

(たちが悪いのは、昔からそれを当たり前にやる親に育てられたから、おかしさになかなか気付けない)

 

それだったら、母があの人であった必要性もなくて

それなりに、お母さんっぽい何か、であってもよかったってことです。

いっそのこと、暴言吐かない知らん家政婦さんの方が、よかったんちゃうか?と思うくらい。

 

ちなみに私は何度も言いますが

・ そこそこ、恵まれた生活水準であったこと

・ 食事がおいしかったこと

・ 姉妹で比べることはしなかったこと

だけについては、母には感謝していると伝えています。

あんな親でしたが、まだ擁護できる部分もあったから、そこは正直に肯定しています。

 

ただ、その他の部分は母のおかしな言動や表現のまずさが勝ってしまったため、評価に値しなかった(態度の悪さに評価されるべき点も、良い点として捉えることができなかった)ということです。

 

もちろん、何ひとつ感謝するに値しない毒親もいるでしょう。

それをそう感じることは、悪でも何でもないです。

 

「親が頑張ったこと」と、「子どもが不快に感じたこと」は、そもそも全然違うジャンルの問題なので

自分が親にされて嫌だったなぁ、不快だったなぁという気持ちは、明確に持って良いし

親が頑張ってたって何だったって『嫌だったもんは嫌だったんだ』

それで良いのです!

 

関係のないことは、全く別の問題であることを意識して、

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自分を責めずに毎日過ごしましょう😃

 

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調子のいい時だけ、ほめたり、持ち上げたりする母

これまで何度も書いてきましたが

母はとにかく自分のやりたくないこと・苦手なことは徹底的にやらないというところがあって

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また、かなり私自身母に洗脳されていた部分もあったので

大抵の頼まれ事も『娘がやってあげなきゃ』と、本気で思っていた訳ですが

そのせいで私の心は相当疲れきって、壊れていたことも事実です。

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それでも、いい歳になってからは、母からの頼みごとをどうしてもやりたくない時は、自分を守る為に、たとえ喧嘩になったとしても『嫌』『やりたくない』という意思表示をするようには心掛けていましたが

母も母で、娘が幼い頃は力でねじ伏せることができたものの

だんだん私が言い返すようになって、正論で返されるようになると

筋の通った説明もできないので(当たり前です。単なる母のワガママですからね)

今度は私をおだててやらせるという方向に持って行こうとするようになりました。

これが前のこの記事の最後に書いた件です。

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⇧の記事にも書いたように、母は私にすぐ「これも洗っといて」とか頼んでくるのですが

私が嫌そうにすると、昔は「黙ってやらんかい!」と、すぐにキレていたところを

だんだんと「たりの方が上手やもん♪」と、わざとらしくほめて、甘えたような声で話すようになりました。

私は母のこれも、大嫌いでした。

例えば『こんなん、洗剤つけて洗うだけやで』と言っても「たりの方がキレイ好きやから、なっ?やってよ♪」(と言いながら、押し問答が続くと結局本音の「ええやん、それくらい」も必ず言う)

思い出すだけで胸糞悪いです。

 

もう1つ、思い出したことがあります。

晩ごはんを「今日はパスタにしよう」となると、なぜか母はいつも私に丸投げして(まぁ、パスタをゆでて、好きな市販のソースをかけるだけだから、わからんでもないのですが)

これも出来上がったパスタを食べていると、わざとらしく「あ~たりはほんまにパスタゆでるの上手!」とか、普段絶対に人のことなんてほめないのに、気持ち悪いほどに言ってきます。

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あれは何だったのかな?と、最近思い出してみると

母は何かをゆでる時にどうも火を入れすぎる傾向があり、ブロッコリーとかも確実にゆですぎだろうと思うことが多々ありました。

それで、おそらくパスタも母のゆでるやつは昔からもっとやわらかかったなぁと思って、おそらくあれもゆですぎてたのでは?と思います。

 

それも、ちゃんと袋の記載の時間を目安に(多少のプラスマイナスはあるにせよ)少しずつ固さを確認しながらゆでればいいものを、そういう細かい作業を母はいまいちできないところがあるので、単純にパスタにも苦手意識があったのでは?と、考察しています。

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そのくせ、母はちょっとでも食感とかが気に入らないと絶対に口に入れない頑固さもあるので、数人分のパスタをうまくゆでられる自信がない(でも、失敗して麺を無駄にもしたくない)から、あんなにしつこく「たり、やって」と言ってたんじゃないの?と、今回思ったわけです。

だって、よくよく考えたら

あれだけ人を貶してまで、自分の料理の腕を誇示するくせに、何でパスタくらいゆでないんだよって話なんですよ…。

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1つひとつのエピソードとしては、本当に小さな、些細なことなのですが

こういうことが様々あって『母の為に!』と思って生きていた私も、さすがに『調子良すぎるだろ』と、気がついた訳です。

 

まぁ、かなり気付くのが遅くなりましたがね…。

 

母が、断固としてやりたくないことを、私のことを持ち上げてやらせようとする時の声、今でも思い出してムカつきます(笑)

 

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毒親育ちが嵐の会見を見て感じたこと

嵐の活動休止が発表されて、昨日はさすがに驚きました。

 

会見でも、彼らの誠実さ、グループや周りの人を想う気持ちが伝わってきて、とくに大ファン!とかいう訳でもないのですが、見ていると少し泣けてきました。

 

その中で、印象に残った、二宮くんの言葉。

 

1人が「やりたくない」と言ったときには、なぜかというのを徹底的に話し合って、みんなで共有をして決断をする

 

これって簡単そうに思えて、難しいことだよなぁと思いました。

それと同時に『これが、家族相手にでもできない人がいるんだよな。毒親って言うんですけど』って思ってしまいました。

 

何でもかんでも、時事ネタを毒親問題と掛けりゃいいってもんじゃないと言われそうですが

この二宮くんの言葉は本当に私が常日頃から思っていることをまさに代弁してくれたって感じなのです。

たりの為に代弁したのではない

 

母もそうだし、今まで『合わないな』というタイプの人がまさにこれで

相手の『嫌だ』『やりたくない』という感情に、とかく真剣に耳を傾けない。

「なんで?」「ええやん、別に!」「すぐに慣れるって」「甘い」etc・・・

こういう薄っぺらい言葉で片付けようとする。

そのくせ、自分が嫌なこと・やりたくないことは断固として受け入れようとしない。

そういう人、本当に本当に苦手です。

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そして、日本はやっぱり「事なかれ主義」なのか?

そういう人が多いというか、そういう言葉で返されがちなことも多い気がします。

 

 

私は、母に『嫌だ』『やめて』と訴えたことに関しても、ほとんど真面目に取り合ってもらえなかったトラウマがあるから

多分人よりもそういう返しをされることに敏感な自覚はあります。

なので、相手の「嫌」「やりたくない」を、受け入れるか受け入れないかは別として

まずは何があっても、母と同じことをやる(「なんで?」「ええやん、別に!」等の一方通行な言葉で片付ける)人間にだけはなりたくはないのです。

 

大げさかも知れないけれど、こういう考え方の人がもっと社会に増えたら、単純に日本は良くなるんじゃないかな~って思います。

そういう考え方ができる人が増えている実感も、あるのですけどね(と言うか、世間には元々そういう人も溢れているのかも知れないけど、まず一番密に過ごしてきた親があれだから、どれが一般的なのか、わからない)

 

で、正直な話

嵐とそのへんの人とじゃ、背負っているものが違いすぎる。

私が大野くん以外のメンバーなら「いやいや!ありえないでしょ~」と、思うと思う。

もちろん、メンバーも最初は思ったかも知れません。

そして大体の人なら、背負っているものの大きさから「まぁ、そうは言っても、またやろうよ」と、丸め込むのが一般的な気もしますが

大野くんの言葉に真摯に向き合い、出した答えなんだろうなというのが、本当に伝わってきた。「嵐の一員」であることよりも「一人の人間」として。

 

だからこそ、こんなに若くて、大きなものを背負っている彼らさえ

もがいて答えを導き出しているのに

うちの母ときたら、取るに足らないしょーもないことで

口から泡をとばして「なんで?」「ええやん、別に!」「甘ったれ!」としか返せない

その人間の小ささに、ほとほと嫌気がさした訳です。

母みたいな、超ご都合主義の人間と長い時間を共にした私からすると、嵐の5人は神様のように見えたし、一体母って何だったんだろうと、虚しい気分になりました。

(嵐さん関係ないのに、比べてしまってなんかすみません)

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とは言え、まだ終わったわけではないですし、あと2年弱、最高の思い出を作って

5人も、まわりの人たちも、笑い合えたらいいなと心から思います。

 

5人に幸あれ!

応援しています。

 

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