身近な人の人生のステージが変わろうとしている時、今すぐにという訳ではないけど徐々に準備をしている話などを聞くと、純粋に喜ばしいし応援したいなとは思います。
しかしその反面、自分から離れて行ってしまうような寂しさとか自分のしょぼくれた人生とどうしても比べてしまって嫌気がさしてしまうことがあって、そんな自分がとても嫌です。
昨年、コロナが流行し始めた頃には『夏ぐらいにはマシになるかなぁ』なんて話していたけどまさかの1年以上経っても収束の気配は見えず、趣味のイベントも延期になったり
前は軽く会って食事などできていた友達ともあまり会えなくなって(5月に会う予定だった友人はコロナの濃厚接触者疑いになってしまったので会うのを中止しました)一生友達と会えなくなる訳でも、好きなアイドルやアーティストもこの先ずっと生で見られなくなる訳でもないけれど、やっぱりそういう小さなことが積もりに積もって相当なストレスになっているのだろうなとは感じます。
これは、私だけでなくみんなそうだと思います。
自分の思っている以上にコロナがもたらした弊害は大きかったのでしょう。
私は今、圧倒的に人と接する頭数が少ないのでそれにより救われていることも確かにあるのだけど(今行っている方の職場は週1勤務だし、事務所では1日中1人でとても気が楽)その反面ここのところかなり塞ぎ込んで行ってしまっている自覚もありました。
今は十分休んでまた夏からの仕事、声が掛かればいいな!と思っている反面、また人の多い職場に行くの、憂鬱やな…今年はもう声が掛からなくてもいいかな…とまで思う時も。
夏に勤務している職場は仕事内容の割には時給が高いのでそれを考えたらまた働きたいのですが…
私が同じ職場で長く働くことが苦手な理由の1つに「自分の人となりを職場の人に分かられるのが嫌」というのがあります。
よく、ネットでも仕事の続かない人の相談とか目にしますが「飽きっぽい」とか「人間嫌い」という解説がされているので、きっと私もそうなのかなとは思っていました。
けれど、イマイチしっくり来ないんですよね。
一番初めに採用されたのが2019年の夏なので途中離職期間があると言えど、今回ももし声を掛けて頂いたとしたら3度目の夏になるのです。
だんだんと職場の人にも「たりさんってこういう人だよね」とわかられ始めるのが、ものすごく嫌なんです。
長く勤めたくない理由の中で、責任を負いたくないというのは明確に自覚していますが、こちらは自分でも理由がよくわかりません。
(もしかしたらHSS型HSPに近いのかもしれません)
正社員という雇用形態が自分に合っていないことがわかって派遣を転々とし「契約期間満了」という文言で辞めた理由をある種正当化しつつここまで来ていますが
正直こんなことをいつまで続けるのか?という気持ちもあります。
個人事業主になる道も考えてみたけど、手に職のない自分には現実的ではありません。
今は次のスタートが見えないから不安だけど、スタートをいざ切ることになったらそれも憂鬱…という状態。
そんな中周りは確実に歩みを進めていて、焦っても仕方ないのにやたらと焦る気持ちに苛まれてしまったり…
何か始めてみようかな?とも思うけど私の性格上『これをやればそれなりに見えるかな』とかいう気で始めたことは絶対に続かないし、どんなに時間を割いてもお金を遣っても身につかないことはもう何度も経験済みです(母から言われて嫌々やっていたことも同じ)
さらに、こっちが嫌だからこっちをやってみるというような代替案みたいな気持ちで新しいことを始めるのは、もっと嫌。
" 負 " のことから逃げるのを理由に何かを始めることはしたくないんです。
これは多分私の今の生活が「母が嫌だから逃げた」という " 負 " の要素がスタート地点だから、いつまでも何となく納得できずそれが心のわだかまりになっているのでしょう。
自立がしたくて!とか新しい生活がしたくて!とか純粋に『これをやりたい!やってみたい!』という前向きな気持ちで始めたことじゃないから、いつまでも同じところで何か引っかかるものがあるのだろうなと思います。
とりあえず始めてみたら結果は後からついてくると思ったけど、結局実家を出て8年経った今でも思い描いていた「前向き」には程遠い気がしています。
私は私の今できることを…と思って騙し騙し暮らすしかないけど、時々消えてしまいたくなります。
みんなはこういう気持ちとどう折り合いをつけているのかな。
スターありがとうございます。
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