もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

虚しい年末年始

明けましておめでとうございます。

昨年もブログをお読み頂き、ありがとうございました。

スターやコメント下さったり、個人的にメールでお話させて頂いたりと本当に励みになっています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、この年末年始は社会人になって初めての試みで、年末年始のド短期のバイトをしてきました。

派遣の仕事納めが12月25日、コロナの為今回の冬期休暇は期間を延長し、その間に一部社屋の引っ越しや配置換えをするそうで、新年明けてからの初出勤は事務所が整ってからの14日でお願いしますと言われたのでした。

私は時給制なので単純に休むと給料が減るのはもちろんなのですが、それよりも約20日間も丸々休んでしまったら次に働くのが嫌過ぎて立ち直れないんじゃないか…と本気で不安になり(学生時代は長期休みの度に『もうこのまま学校行かなくて良くなる方法何かないかな…』と本気で病んでいたけど、まじでそれになりそう…と思った)

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たとえ数日でも「何かをしなければならない状況」を作らないとまずいと思い応募したのでした。

近場でと思っていたので、選べるほどもなかったですがちょうど年末年始だけのバイトがあったので応募、12月31日~1月3日の4日間だけそのバイトをしてきました。

 

何の仕事かは伏せますが、普段は絶対に選ばないような仕事で、今後はもう絶対にやりたくないです(笑)

やることが全く高度ではないので、まぁ誰でもできるなという印象(面接の時点ですぐに採用されたくらい)

あちこちでスタッフ同士、結構言い合いしたりしているのだけど、その内容がものすごくレベルが低い…。

そのわりに時給も安いし…私は普段結構恵まれた環境で働けているのだなと痛感しました。

 

母は昔から職へのこだわりや偏見があって、そういう発言も多々ありました。

長年、不可解だった母の言動の謎がこの数年で解けたこともありました。

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母も今回私が就いたような条件の良くない仕事に就いては辞めたことが何回かあって、最終的に製造業に正社員として入社することができたものの(母の学歴とスキルで採用されたのは正直奇跡と言える程ですが、まぁこれは時代背景もあるでしょう)

晩年は事務員でありながら「あと少しで定年やから」と、PC作業から逃げに逃げ、最終的には「あの部署に異動させて」と、PC作業をせずに済む部署へ異動させてもらって定年まで居座り、仕事もせずに1日過ごし(まじでお茶飲んでるか、寝てるかだった)

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自分は会社に必要とされている!と最後まで自信満々でしたが、特に何か不正をするとか、問題を起こす訳でもないので、クビにするほどでもない程度の、いてもいなくてもどっちでも良い人材だっただけだと私は思っています。

母自身もそれを薄々わかっていたのかどうかはわからないけど、母はあの職場に必死にしがみついている印象でした。

母はそれ(どんな形であれ、会社にしがみつくこと)が何よりも「正しい」ことであると信じて疑わなかったから、娘にも同じように「とにかく正社員で入社したなら何があっても、どんなに辛くてもしがみついて離れるな」という教え方しかできなかったのでしょう。

パワハラ上司の言動に限界が来て、仕事を泣く泣く辞めて帰った時も、私の『辛い』とか『悲しい』という気持ちよりも「あんな会社に負けた根性なし」と、何時間も私を責め立てて怒鳴る知恵しかありませんでした。

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そして今回、私史上最高とも言えるくらいの劣悪な条件で働いて、いつもいつも母が言ってきたことも「こういう悪条件の仕事しないといけなくなるよ(だから一度正社員の道を掴んだなら絶対にしがみついて離れるなよ)」というのを私に伝えたかったのだろうな、ということも改めて感じました。

確かに、福利厚生などしっかりした企業で長く勤めるのも、大切なことです。

体力仕事は絶対に向いていないという私の性質を母が見抜いていたのもわかるし、母のアドバイスの中でも的確なものもあったはずです。

 

本来、こういう時って『お母さん、私のためを思って、私を心配して言ってくれていたのだなぁ』と、子どもは感謝するものなのかも知れないけど『何でああいう風な言い方、伝え方しかできへんのやろう…』とまた虚しく、嫌な気分にしかなりませんでした。

 

なんでああいう、脅すような、追い詰めるようなものの言い方しかできなかったのか…

娘が挫折すると、励ますのではなく、こてんぱんにこき下ろすような言い方しかできなかったのか…

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そんなことを思っていると母に感謝するどころか、また怒りが込み上げてきただけでした。

 

バイト最終日、沈む夕日を見ながらどうにも惨めな気分になり涙をこらえて帰りました。

 

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自己犠牲と思いやりは別物

昔から私は「めんどくさい」とか「重い」とか相手に思われるのが嫌で変な嘘をつくとか、どうでもいい設定を作るとか、そういうことをよくしていたように思います。

本当はすごく気になったり、嫌だなと思っても『そんなこと全然思ってないです』みたいな素振りを見せるのもよくやっていました。

そうやって素直な感情を出せず、最後にプツンと糸が切れたり関係がフェイドアウトしたことも何回もあり、友達が少ないのも、仕事が続かないのも、一般的な恋愛ができないのもこれが原因であることは自覚があります。

 

嘘をつくとか設定を作ると言っても、相手の利益にも不利益にもならないような些細なことで、今思い出したら『何のこっちゃw』って自分でも思うようなことですが、当時は大真面目でした。

例えば、気になっている人の家が少し遠いけど遊びに行きたいと思った私は『家に遊びに行っていい?』と聞いたあとに『友達が○○駅に引っ越してよく遊びに行くようになったから、友達の家で泊まった次の日にでも』とか、変な言い訳をしてみたり。

(○○駅は気になっていた人の家に行く時の乗り換え駅で、そこからうちに帰るのではなくて、あなたの家に逆方向だけど「ついでに」寄ってもいい?みたいなニュアンスで伝えたかったんです。ちなみに○○駅に友達が住んでいるというのは架空の設定でした)

もちろん、ついでという直接的な表現はしていませんが『別に必死で家に行きたい訳じゃないですよ』と、アピールしているつもりでした。

 

結局、相手にされませんでしたが(そんな変な駆け引きしたら当たり前かとも思いますが)そういう言い訳が、ある意味自分を救うことにもなっていたんですよね。

そうすることで駄目だった時の辛いとか悔しいという気持ちと向き合わないための予防線を張っていたというか。

 

何であんなこと言ったり、してたのだろう?と最近考えてみて、これってよっぽど自分が人との対等な関係の築き方がわからなかったのではないかな?と思っています。

必要以上に自分を下げて笑いを取ったりしていたことは前にも書きましたが

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それと似たようなことなのだと思います。

 

「自分がどうしたいか」よりも、まずは「相手がどう思うか?」

そうやって相手の気持ちに先回りをすれば嫌われないだろうと思っていました。

相手にされないならまだしも、それを逆手に取り偉そうにする人もいて「対等な関係」がうまく築けず、こちらの都合は無視されたり、平気で失礼なことをされたり、正当な謝罪をされなくなることに繋がっていたのだと考察します。

 

前に、言わなくても良いようなことを友達に言われ、嫌な気分になった私はLINEでそれを伝え、素直に謝られて拍子抜けしたことを書きました(この友達はモラではないです)

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よく考えたら「気を悪くさせてごめん」という謝罪が来るのは至極当然なんですけど…単純にびっくりしたんですよね。

『こんなに素直に謝る人、今まであまり居なかったな』と。

 

私が『そういうのやめて』と言ったり何か指摘しても

母:「なんで?」「ええやん、これくらい」

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モラハラの元親友M:「たりってそういうとこ(そういうのでわざわざ怒るとこ)あるよね~w」(バカにするような態度で)

オタク友達だったK:一応ゴメンは言うけどテヘペロ口調で「私ってそういうとこあるよねぇ」(すぐに自分フォローに入る)

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おそらく、そういう態度を取る人には「たりになら、これくらい言ってもいい」というおごりがあったのでしょう。

周りにそういう人間が多く居たことも問題ですが、そういうことに『おかしくない?』と気が付けなかったのが一番恐ろしいです。

 

これは、前回も書いた、母の崇拝していた「心と心のぶつかり合い」のやり方をずっと誤って認識していて、長年それを当たり前だと思って暮らしてきたのが一番大きいと思います。

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母との話し合いなり、喧嘩なりでこちらも納得して終わったことなんて、ほぼありません。

腑に落ちないまま『はい、そうです』と頷いたことなんて数えきれないので…

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変に取り繕ったり、不要な我慢をしたり、自分の感情を押し殺すことは、総じて正当な扱いを受けられなかった時のかわし方を身につけていただけと言ったところでしょう。

 

母のやっていたことは、話し合うでもぶつかり合うでもなく「一方的にやり込めていた」だけで、母の言う「話せばわかる」は「圧力をかけて黙らせる」だっただけですが、子どもの頃からずっとそれが人との関係の築き方だと思っていたので自分が我慢すれば丸くおさまると思ってしまうのは毒親育ちあるあるでしょう。

 

「対等な立場で接し」「相手に落ち度があればきちんと謝罪される」ということが、もはや驚きの対象なんですよね。

本来、親子・友達・同僚・恋人関係なく人と付き合うにあたりそれって基本中の基本であり、それを教えるのが親の役目のひとつだと思うのですが…

 

相手を思いやっているようで自分が嫌々やっていないか?我慢していないか?を自問自答し、無意味な自己犠牲はやめて行きたいと思います。

 

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人がやることの中で最低ランク

最近聞くようになった「フキハラ」

不機嫌に振る舞ってみせることで、周囲の人間をコントロールして、不快にさせる不機嫌ハラスメントの略であり、ご多分に漏れず母はこれです。

 

毒親関係の記事やブログを読んだりしてみてもうちの毒母は本当に「これ(不機嫌)さえなければ」って感じもするんです、最近。

もちろん、子どもを信じ、励まし、見守るというような、精神的な面での親の役割はほぼ果たしていなかったので他にも問題はあるのですが、それらはあくまでも「親として」であり

あの異常なキレ方とか、訳もわからず不機嫌になるとかいう「感情の起伏や表現方法」については親として以前に人としていかがなものか?あれが、もう少し違っていたら救いようあったかもな、とも思うんです。

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元々がちょっと頭が足りないとこがある分、わざと意地悪したり、陰湿ないじめのようなことはしなかったし(自分が偉い・立派と思っている節があるから威張っては見えましたが)

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知識や経験が乏しすぎて、毒親育ちが苦労する、行方をくらませるように家を出たり、閲覧制限をかけたり等も不要。

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すぐに人(家族はとくに)の言うことを信じるので、ややこしいことになりそうな時は母に適当にそれらしい嘘をついたり父や姉と口裏を合わせて済ませたことも数えきれません。

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要は「感情の起伏や表現方法」以外はわりと「手のかからない毒親」なんです。

なのに、ここまで母が嫌われた原因が「言い方がきつすぎること」「相手の立場になって考えられないこと」「不機嫌な態度で周囲が嫌な思いをすること」等の対人関係においての表現方法のまずさが主な理由だった訳です。

逆に言えば、たったそれだけのことなんです。

 

母は「本心でぶつかり合っていたら、言い方や態度なんて関係ない」と本気で思っていて、今でもしつこくそれを主張します。

しかし、母の思う「ぶつかり合い」は「本音を述べることが正しく美しい」と、自分の思っていることは全部「本音だから」と美化・正当化、家族にもそれを求めるくせに自分が気に入らないと「口ごたえ」だの「裏切り」と解釈します。

まさに『どないせぇっちゅーねん』のダブルバインド。勝手すぎやしませんか。

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こんな感じで感情表現のキャッチボールなんて皆無でしたが、母はひとしきりブチ切れれば「腹割って話し合えばわかる♪」と満足顔。

そりゃ、アンタは言いたいこと言って気済んでるもんね。

最初は真面目に話をしていた娘もだんだん『腹割るって、何?』となり、適当にその場しのぎで母を騙すことなんて何とも思わなくなりました。

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私は家を出る前に何度も『何でも思ったことストレートに言えばいいってもんじゃない、母さんと過ごしたらそれですごく不快になる。いい加減もう少し落ち着いて、大人の対応をしてほしい』と、話しました。

家族なので、少々地が出ることもあるでしょう。甘えることもあるでしょう。

けれど何でも「程度」ってものがあります。

 

幼い頃から、母が不機嫌な日は父が小声で「母さん、今日アカン日やから気ぃつけーよ」と耳打ちしてきました。

今思えば、そんな風に扱われてたって完全に家族内の問題児ですよね。

 

そう言えば『父さん、今日機嫌悪いな』と父親に対して思ったことは一度もありません。

父が亡くなった時は正直ホッとしたけど、父のことを憎んではいません。

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確かに、母にこんこんと怒られてるのを横目に、サーッと寝室に逃げたことは許せないけど、父親自身が「毒親だった」とは思いません。

父も事なかれ主義のかたまりみたいな人だったので、あの母に対して矢面に立つ気まではさすがに起こらなかったのだろうなとも思います。

毒母の片棒を担がされた、父もある種の被害者なのかも知れません。

ほぼ同罪ですけど、娘の心を傷つけ、えぐったのはほかでもない母ですから。

 

例えば母は娘が何かを買ってきたりしてもすぐに「なんぼしたん?(値段)」とか「またしょーもないもん買うて」みたいなことしか言いませんでしたが

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父は「ええやん」とか「よう似合ってるわ」とか必ず肯定的な言葉をかけてくれました。

「無理せんときや」「大丈夫や、何とかなるわ」など、何の根拠もなくても、そういう父の声掛けで救われたこともたくさんあります。

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父を心底嫌わなかったのは、そういうことの積み重ねの賜物だと思います。

 

最近では何でもハラスメントって言いたいだけだろwという声もありますが、やっぱりハラスメントに該当することに挙げられることって、人が日常的にやることの中で最低ランクなんじゃないかな。

 

「自分の機嫌は自分で取る」なんて、人として当たり前のことができない人は親になるべきじゃないなと本気で思います。

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