もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

理由を探してしまう癖

このブログのタイトルは、好きなバンドの曲の歌詞の一部で「理由」の部分は曲中では「わけ」と読みます。

開設当初はただ何となく『気に入らなければ後で変えればいいか』くらいの気持ちでつけただけでしたが、最近になってまるで自分へのメッセージみたいだなぁと感じています。

 

副業として採用された仕事にしか今は勤務していないので副業とは名ばかりなのですが、失業給付の受給中なのでシフトは減っても特に問題はありません。

元々週2程度の勤務でうち1日は土日の勤務が必ずあったのですが、また緊急事態宣言が発令されて土日の勤務がなくなり、今は平日週1日だけ勤務しています。

昨年、メインの方の仕事を辞めたあと失業給付を受けられないまま、また仕事を始めたので、今回の受給期間は150日間もあります。

もし夏にいつもの企業から声を掛けてもらったとしたら、2ヶ月分くらいは受給しないままとなってしまうので、1日分でも多く貰えるものは貰っておきたいというのが本音。

なので、緊急事態宣言で出勤日が減ったのはある意味ラッキーでした。

 

蒸し暑いのが苦手なので、勤務日以外は本当に巣ごもり状態。

友人にすすめられた映画を見たり、少し手のこんだ料理をしてみたり

時々、姉や姪が食事に誘ってくれたりしますがそれ以外は本当に何もしていない(笑)

 

元々、仕事が10時出社なので普段からさほど早起きではないですが、一応働かない時も同じくらいの時間には起きるようにはしています。

しかし前日夜更かしをしているものだから夕方頃睡魔に襲われ、大体小一時間くらい昼寝をしています。

さぁ!昼寝するぞ!と思ってやっている訳ではないので『しまった~また寝てた…え!?もうこんな時間?』を繰り返しています。

『まぁ…また仕事始めたらクタクタになるし…』

『大体、実家で暮らしてる時にまともに昼寝なんてできなかったから…これが本来の家での寛ぎ方やし…』

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疲れている訳でもないのに惰性で寝てるみたいな自分に、どうしても言い訳をしてしまう癖はまだ抜けません。

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別に誰に迷惑を掛けている訳でもないのに、自分がダラダラしていることへの免罪符を探してしまうんです。

 

私の勝手な考えですが、あの母に育てられて感じてきた生きづらさや傷が癒えるのには、母が毒親であると気が付くまで自分を押し殺して暮らしていた期間と同じくらいの時間がかかると思っています。

昔、歯の矯正をした時に金属のブラケットを5年弱くらい着けて、やっと外れてもまた同じくらいの期間リテーナーを着けないとだめと先生に言われましたが、それと似ている気がします。あの、見た目も良くない痛いブラケットを外してもそこがゴールではないんですよね。そのことを思い出して、毒親育ちの解毒も歯の矯正みたいなもんやなと思ったんです。

 

解毒に躍起になり、失敗したり、思い通りにいかず悔しい思いをする中で『歯列矯正と同じくらいかかるやろ』と思うことで楽にはなりましたが

せっかく家を出ても、知らず知らずのうちに母から植え付けられていた役に立たない常識とか決まりに苦しむことが多すぎて、最近は母と離れてもう8年目なのにな…という焦りも正直あります。

母がおかしいと明確に気が付いてから離れるまでが約10年だっただけで、幼い頃からずっと積み重なった生きづらさは10年やそこらでどうにかなるものでもないことも、頭ではわかるのですが。

母がいなくなったら変わるだろうとも昔は思っていましたが、関係ないでしょう。

今、母と顔を合わすことがほとんど無くたって、こんなに生きづらいのですから。

母はすぐに調子づいて「母さんが死んだら全て終わるから!楽しみにしとき!」みたいなことを言いますが…(シンプルにうざい。全て終わるかどうかは、こちらが決めること)

前にクロ現の毒親回でも信田さよ子さんが戦争を例えにわかりやすく説明されていました。

「戦争が終わったら戦争のトラウマが消える訳ではない」…毒親問題だって、まさにそうですよね。

 

今、こうやってダラダラと日々を過ごすことに何も言い訳や理由なんていらないし、4年前に仕事を辞めて数ヶ月引きこもった時に生き方や考え方を変えるきっかけになったように、今のこの時間にも何かしらの意味を持つかもしれません。

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それでも何もせずに1日が過ぎると自分の生産性の無さを責めてしまって、またうだうだと『今、私がこうやってダラダラ過ごすことにはこういう意味がある!』と、いない誰かに向かって心の中で理由を述べています。

 

自分の選択した行動に理由や言い訳を探す癖、いい加減なくしていきたいです。

一個人が、自分で決めただけのこと。

それ以上でも以下でもない。

まさに「もう理由なんかなくていいの」です。

 

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スターありがとうございます。

 

取り返しのつかないこと(恋愛編)

昔から自分は恋愛にあまり縁のないタイプなのだろうというのはわかっていたし、自信の無さからくる蛙化現象を感じやすいタイプで、我を忘れるような恋愛はしたことがありません。

だから、忘れられないみたいな人もほぼいないですが、もう少し自分の気持ちに素直に行動すればよかったなぁと思うことは多々あります。

 

短大を出て1年無職の後、地元の携帯電話ショップに採用されました。

小さなお店で、夕方になると周辺の学生や若い社会人の子たちがよく「充電させてー」と遊びに来ていて、ある時その中のシンヤ君という子と仲良くなりました。

当時、母との関係にウンザリで早く家を出たいと考えていたので(結婚が理由なら家を出ても良いと母から言われていた)

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比較的異性にも積極的にアプローチしていたように思います(言葉は悪いが家を出る理由になるなら誰でもよかった)

1回だけシンヤ君の家に遊びに行ったものの、何もないままそれっきりでしたが、その仲間内で「たりは軽い奴だ」と噂をされ、店長にも色々聞かれたことがありました。

『やましいことは何もない』と店長にもハッキリ言いましたが、それでまた少し恋愛に対しヤケになった記憶があります。

 

その後、同じ仲間内のリュウイチ君という子から誘いを受けましたが、また変な噂を流されても嫌でスルーしていました。結構しつこかったですが適当にあしらって、リュウイチ君とも何もありませんでした。

問題はその後、リュウイチ君とよく一緒にいたユウスケ君とのこと。

 

とにかくユウスケ君はすごくタイプでしたが、前の2人で懲りていたしユウスケ君は良い噂を聞かなかったので遠くから見るだけにしていました。

そんな時、ユウスケ君が私の帰り道にちょうどいたりして話をするようになりました。

自販機の前で「たりさん、タバコ買って」とかねだられたり、わかりやすい感じでしたが(笑)それでも「リュウイチはもうしつこくない?」「もししつこかったら俺が言うたるで!」とか、心に響く声掛けをしてくるんです。

口の上手さに感心しつつも(感心すな)頑なにスルーしていたけど、ある日ふと、自分に彼氏がいる訳でもないし別にええんちゃう?と思って、さらっとユウスケ君の都合の良い相手になったのでした(ユウスケ君に他に彼女がいたかどうかはわからないままです)

自己肯定感がゼロに等しい(むしろマイナスの)者にとっては、そういう関係って正直楽でもあるのです。

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本心ではないとわかっていても、ユウスケ君の優しい言葉と語り口は家に帰るのが嫌で仕方なかった当時の私の心にはとても沁みたのです。

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そのうち「〇〇まで車で迎えに来い」とか言われるようになり(完全にダメンズホイホイ)『やっぱり私って人に大切にはしてもらえない運命なんだなぁ』と虚しくなって、そんな矢先ショップが閉店することになり、携帯番号も変えてユウスケ君とは縁を切りました。

そこまでしなくても…とも思ったけど、そこまでしないと断ち切れる自信がありませんでした。

友達伝いに「ユウスケが番号知りたがってる」とも聞きましたが、断り続けました。

良い思い出なんてほとんどないけど、あの頃の曲を聴くと今でも少し泣けるし、私、ユウスケ君のこと好きだったんだなぁと最近になって気が付いたりします。

確かにヒモ臭がしていたけど(笑)あのまま、ほんとに上手く行かなかったのかな?と思うときもあります。

人は選択しなかった方を美化してしまうものです。

でも未練があるのは、あの時自分の心にたくさん嘘をついたからかなとも思うんです。

 

母から化粧のこととか服装のこととか、どこの誰と会うんやとかそれはもうしつこく詮索されたり

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母が私が会っている男子の名前と車種をメモした紙を置いていて『気持ち悪…』と引いたのもこの頃でした。

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都合の良い関係であってもこの先には「家を出る」という一筋の光が射すかもと思うと、その後出会う不誠実な男性たちも、無下にできませんでした。

でも毎度、母の束縛を振り切ってまで恋愛をする気力も勇気も私には既にありませんでした。

その葛藤で正直もう、ヤケクソでした。

それでも最終的に私が母に従う方を選択しただけ。

自分の責任であることは百も承知ですが…親の対応が違っていれば別の未来もあったかもしれないと思うのは当然のこと。

 

もう、自分に嘘をつくことはしたくありませんが…

恋愛においても今更手遅れかなという気もします。

 

スターありがとうございます。

取り返しのつかないこと

今は1年に1回の長いお休みの期間。

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夏にまた声を掛けてもらえるかわからないけれど、今年は失業給付もあるし、良い副業も見つかったし

仕事に関してはあまり先のことまで考えて鬱々せず、流れにまかせることにしています。

 

それでもやはり、フルで働いている人・仕事が好きでやりがいを感じているであろう人を見ると何とも言えない気持ちになるのも、事実です。

私はどうしてもHSPの気質のせいで人一倍疲れてしまう自覚はあるのですが、余程自分に合わない業務でなければ大体の仕事はそれなりにこなせてきました。

社風が生理的に合わない!ということさえなければそこまで仕事に行き詰まることはないかなぁと楽観的に思うようにはしているのですが、フルタイム勤務ができないとか、何度も職を変わっていることにコンプレックスがないと言えば嘘になります。

履歴書を作成しても転職回数の多さに毎回ウンザリ。

同じ世代の人たちは役職が付いている人だってたくさん。

時々、派遣の研修なんかで企業に出向いたり、指導者が来ることもありましたが私と同じくらいか年下の方から教わることも多々。

この人、きっと同い年くらいだと思うけど…新卒で入社しているとしたら勤続20年近くになるんだろうな…とか考え始めると一体自分は何をしてきたのだろう?と虚しい気持ちになります。

 

一方、同じ世代の中では結婚や出産の悩みを持つ人も多いと思いますが、私はそれをしていないことについてのコンプレックスは全くありません。

時々『あ、この人私が未婚なことを下に見ているな』と感じることもありますが、何とも思いません。

なのに、マウントすら取られてもいないのに仕事をバリバリしている人へは勝手にコンプレックスを強く感じてしまう…この違いって一体何なのかなぁ?とずっと不思議だったのですが最近何となくわかってきた気がします。

多分、敏感に反応したり、虚しい気持ちになるのはどれだけ自分の心に嘘をついてきたかが比例しているのかも。

 

母と暮らすにはとにかく「母に怒られないか」「母が機嫌を損ねないか」が最優先だったので、それが相当心の傷になったのだろうということは何度も書いてきました。

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私は実家を出てからも数年母と同じ職場で嫌々勤めていましたが、2016年にその職場を退職して、そこがある意味人生の新しいスタート地点のようなものでした。

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母が認めた企業に決め、働くことはまた自分の気持ちに嘘をつくことにも直結していましたが、それがおかしいことにも気が付かなかったので、結局せっかく家を出た後も母の洗脳から抜け出せず、同じことをまたやって(自分で選ぶことができる状況になったにも関わらず自分の気持ちに嘘をつき仕事を決めた)翌年、精神的に潰れてしまったのでした。

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逆に結婚については昔から憧れもなく、子育ても姪が生まれて明確に『これは私はやりたくない』と感じ、母にもきっぱり『結婚はしない(ということは子どもも産まないということ)』と言えたから

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自分の気持ちに嘘をつくことはしないで済みました。

パートナーと合わなくても離婚はできると思うけど、子どもが産まれたらいよいよ取り返しがつかない!という危機感が私の本当の気持ちを気付かせてくれた訳です。

(ぶっちゃけ私は子どもを好きになれる自信がないし、虐待をする素質もじゅうぶんある気がしていた)

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だから、結婚や出産に関しては誰かを羨んだり妬んだりといったコンプレックスや焦りもないことが、明確なのです。

 

仕事は、母に言われたことであっても嫌なら辞めればいいしいつでも巻き返しがきくと思っていました。

いざ私が仕事を辞めれば、母はあれだけ人をこき下ろしたくせに

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入社する前は「嫌なら、辞めればいいやん」と物分かりの良い親のようなセリフを口にしていました。

だからいつでも辞められるしという気が最初はありましたが、結局「母に怒られるから(転職なんて怖くてできない)」という罠にまんまとはまり、合わない職場でどんどん心が蝕まれ、結局辞めるまで約6年も経ってしまっていました。

 

確かに仕事なんて望みを高く持たなければいくらでもあります。

実際、何の資格もないこんな私でも、何とか採用をもらって働くことができています。

物理的には確かに「いつでも取り返せる」のかも知れません。

けれど、自分の心に嘘をついた時間、気持ちに関しては取り返しはつかないものなんだと、今更やっとわかりました。

このことについては、自分に嘘をついて自分の気持ちを蔑ろにしてきた分と同じ時間をかけて癒すしかないかなぁと思っています。

 

そう考えた時に、もう1つ自分の心に嘘をついてしまったなということがあります。

また書けたら書きたいと思います。

 

スターありがとうございます。

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